2010年12月27日
古代ヨーロッパ:気候変動による民族大移動→女原理から男原理へ→略奪から観念収束→欺瞞観念による都市国家→滅亡へ
前回に引き続き、ギリシア都市国家を中心に多少復習も含めて進めていきたいと思います。前回の記事は
古代ヨーロッパ:ミケーネ文明→海の民→古代ギリシア停滞期(暗黒時代)へ
まず、地中海文明→ギリシア都市国家までの流れを気候変動という軸で再度まとめ直します。
■気候変動による民族の大移動
人間大学(NHKテキスト)
~森と文明~講師:安田喜憲氏1994.4~6月より
これまでミケーネ文明は、北方からのドーリア人の侵入で滅亡したと考えられてきました。
しかし、近年の考古学の発掘成果は、ミケーネ文明は、ドーリア人の侵入以前にすでに衰退期に入っていた事実を明らかにしました。したがってドーリア人の侵入が、ミケーネ文明を滅亡させた直接の原因ではありません。
しかし、ミケーネ文明が滅亡した紀元前1200年以降、地中海世界が大民族移動の波に洗われたことは間違いない事実です。
地中海沿岸では「海の民」と呼ばれる民族が沿岸部を荒らしました。
林俊雄さんは、紀元前800年頃、中央アジアからスキタイ系諸族が大挙してギリシアやアナトリア高原に押し寄せて来たことを報告しています。
さらに「海の民」の乱入の中で、アナトリア高原のヒッタイト帝国は崩壊します。
こうした大民族移動の背景には、紀元前1200年頃に始まる気候の寒冷化が深い影を落としているのです。
この時代の民族移動の波は北から南へ、内陸部から沿岸部に向かって引き起こされています
この民族の移動は文明の周辺地城で発生し、文明の中心地に向かって大移動を繰り返したのです。
この北方から、あるいはユーラシア大陸内陸部からの民族の移動によって、古代地中海世界は大きく変質せざるをえなくなるのです。同時にこの民族移動が、ギリシアやフリギアなどミケーネ文明やヒッタイト帝国に代わる次代の文明を担う立て役者を生むのです。
- posted by moihs at : 2010年12月27日 | コメント (4件)| トラックバック (0)