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2020年09月29日

私たちは性行為の方法とイメージの両方を塗り替える必要がある。

一般社団法人「性・愛・命の学び舎」代表理事を務め、真実の性の語り部と称する夏目祭子氏。著作の『あなたが目覚める愛と性のギフト~至福の男女関係をつくる〔6つの封印解除]』を紹介します。

【プロローグ】
・性の感覚は、美しくて豊かなもの。私たちの内側にはある「資源」が眠っている。それは、誰かと親密な愛情を交わしあうことから生まれる豊かな力。その価値あるものとは私たちの「性」のこと。恋愛、結婚の悩みの裏には「性の問題」が隠れている。今や多くの人たちが、「自分の性を心の底から肯定して、愛する人と本能的な喜びを分かち合う体験」から遠ざけられている。

・聖なる性が下劣なものに転落した原因。私たちの世界では、性を下劣なものと思い込ませる、歪んだマインドコントロールが働き続けている体と言えます。元をたどれば数千年も時代をさかのぼる、古代から始まっていた、根深い歴史があるのです。簡単にいうと、男女が一つに結ばれることから生まれる大きな力が、「下品で恥ずかしいこと」として制限されたために、私たちはその力を十分に発揮できなくなった。さらにそんな下品な行為へと男を誘い込む女は「卑しい人種」だと貶められたからこそ、女たちは自分を無力な存在だと誤解するようになった。世界各地で一握りの権力者たちが、大勢の庶民の力を弱めて、支配しやすくするために作り上げた、大がかりな迷信の数々と言えます。

☆私たちは性行為の方法とイメージの両方を塗り替える必要があるのです

【第1の封印解除】:性の営みの本質はエネルギー交流
・「性行為は女性が男性の肉欲の餌食になる苦行である」これは、今をさかのぼること数千年の昔、それまで世界の価値観が「調和的な女性性優位」だったものから「競争的な男性性優位」へと大きく方向転換した後に、「男性が女性と子供を所有する社会」となったために刷り込まれた考え方。さらに宗教組織の権力者たちが「子作り目的以外の性行為は、卑しい欲望に堕ちるものだ」と戒める教えを作ったものだから、いつしか性の営みは、女性にとっては屈辱的な苦行として、男性にとってもどこか気恥かしいコンプレックスを伴うものとしてのイメージが刷り込まれたのでした。

性の営みとは、お互いの全身全霊を一つに溶け合わせようとする行為なのです。自然が美しいのと同じように、性も美しい。私たちの性は、自然界との調和の中にあるのだと。

・実は性エネルギーというのは、性行為のためだけにつかわれるものではありません。ここから湧き出したエネルギーは、私たちの体を縦に貫くように、頭のてっぺんまで上昇していく性質を持っています。ヨガの教えでは、性エネルギーのことを「クンダリーニ」とよび、会陰から尾てい骨にかけての生殖器ゾーンに、2匹の蛇がとぐろを巻いたような姿で収まっているといいます。このクンダリーニが体の中心軸に沿って上昇していくとき、中心軸上に並んでいる7箇所のチャクラと呼ばれる、私たちのエネルギー体にあるパワースポットを活性化していきます。

・下半身をうずうずさせる性エネルギーが体内を昇り始めると、それは小さならせん形をくるくる描きながら、まさしく蛇が立ち上がるような動きで昇っていくのがわかります。それが全身を貫いて脳まで上昇すると、私たちは日常意識を超えた「変性意識状態(トランス状態)」を体験するわけです。それは別の言葉で表現すれば、恍惚感、エクスタシーということ。この性エネルギーのエクスタシーは、必ずしも相手のある性行為をしなくても、自分の体を愛撫するマスターベーションでも味わえます。また、セクシャルな行為ではなくても、チャクラを刺激する瞑想呼吸や、ダンス、水浴び、自然散策などの五感を刺激する活動の最中に、不意に湧き起こることもあるのです。

・人間は、背骨に沿って体を貫く「性エネルギーの上昇経路」を通して、空と大地のエネルギーをつなぐ働きをしているのだ、と私は考えます。では、日本人はもともと、セックスのことをなんと言っていたのでしょう。漢字が使われ始める以前の時代から今に伝わる「大和言葉」には「まぐわい」という言葉が残っています。後から当てられた漢字では「目合い」と表現されました。ただでさえ、エネルギーの動きに敏感だった縄文人にとっては、目と目を強く合わせた時からすでに、二人のエネルギーの絡み合いは始まって、近寄るほどに混ざり合うのが全身でひしひしと感じられたことでしょう。初めにエネルギーが溶け合い、次に体も一つに合わせていく。そうして男女は互いを結び合ったのです。

・性器ももともとはいくつかの美しい大和言葉で呼ばれていました。膣を表す代表的な言葉は「ほと」。漢字では「火処」と当てられました。その意味は、火のある処、つまり「かまど」のこと。それに対する男根は「ほこ」と言います。その意味は「矛」つまり武器である剣のこと。男女のまぐ合いとは、熱せられたかまどの中に、ひんやりした硬い剣を差し入れて、あたかも鉄が火の中で鍛えられるように、硬かった剣が燃えさかる熱の中で溶かされ、また明日も元気に働くぞという活力になるような新たなエネルギーを吹き込まれる、そんな意味をもつ行為だと。思考の束縛をはずして、本能が宿す生命エネルギーの動きに体を明け渡す時、人は高らかに日常レベルの意識を超えた領域に昇ることができるのです。

【第2の封印解除】:女性から男性へと流れ込むエネルギー

・誰もが男女両性の要素を持っている。本来、男女がともにいるだけで元気になるように、私たちは造られています。それは男女の体の電気的な性質が反対になっていることから生まれる効果です。人は自然界から細胞が元気になるマイナスイオンの電子エネルギーをもらっている、実はそのエネルギーを効率よく吸収できるのは女性だけ。女性の体と触れ合うことで、男性の体は「充電」されたように元気になるというわけ。男性にとってすべての女性は、「癒される自然界の一部」だということ。

すべての女性には、居ながらにして男性を元気で幸せにする力が、もともと備わっています。女性は見えないもの、男性は見えるもの担当。女性性の真骨頂は「感じる力」、男性性の真骨頂は「見る力」。女性は、まだ形にならないものを直感として受け取って、言葉にすることに長けています。一方、男性は、それを現実世界で形にすること、つまり構造化してプロジェクトに仕立てたり、組織化して広めたりする行動が、女性より素早くできる人が多い。

・女は円環、男は直線。男性性は、目的を目指してまっすぐ突き進む、一本の直線。それに対して女性性は、まろやかな曲線が似つかわしい。・すべての人の中に住む、水のように受容する女性性と、火のように貫く男性性が、仲良く手を結べば、男女がお互いを尊重しあえる関係を育てることができるのです。男女が互いのやわらかな「命の器」を差し出し合う行為は、心の最もやわらかい部分を通わせあって、誰よりも深くつながる絆を結ぼうとする営みなのかもしれません。

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2020年09月25日

シニア世代の男性8割、女性7割以上が性を謳歌??

人間にとって「性」の問題は重大な関心事であり、それは高齢になっても変わりません。「何歳まで、セックスができるのか?」「死ぬまで、セックスは必要なのか?」
その実態に斬り込んだのが、東大名誉教授の石川隆俊氏。がん研究を専門にしてきた医学者の探求心と好奇心で、高齢の男女に対し聞き取り調査を実施。そこから浮かび上がってきた高齢者の愛と性のありのままの姿を紹介します。

『熟年世代の性の実態を東大名誉教授がレポート(2019.2.1)』(リンク)より

石川先生の調査は、50代から90代のさまざまな生活スタイル持つ、男女各80名延べ160人を対象に、一対一の対話形式で行われました。
「1人、1~2時間をかけ、生まれ、育ち、恋愛、結婚生活、夫婦以外の相手との関係の話など、率直に質問をぶつけました。みなさん、性愛の記憶は実に鮮明で昨日のことのように丁寧に話してくださいました。よく聞いてくれたと、眼を輝かす方もいました。調査前は、性欲が弱っている高齢者はセックスを卒業した人ばかりと予想していましたが、事実は全く異なっていたのです」

驚くことに多くの証言から、インタビューした高齢の男性8割、女性7割以上がセックスに積極的であることが判明。80代、90代でも、性愛を楽しむカップルは珍しくなかったのです。しかも、これはごく一般的な高齢者のエピソード。地域やグループによる偏りがないかを確認するため、石川先生は同様の調査を時期と地域をかえ2回にわたり実施しましたが、やはり結果は同じだったそうです。

◆実際に高齢者はどんなセックスをしているのか?

では、実際にどんな性愛の形があるのでしょうか?インタビュー結果によると、人それぞれ。一部を抜粋してご紹介しましょう。

「今でも、薬なんか使わなくてもセックスを楽しめます」(93歳・男性)
奥さまが亡くなった後、現在は事務所の秘書(55歳、独身女性)とのセックスが癒し。歩行が少し不自由で、言葉を発する際に、時折くちごもるが、頭の働きは少しも衰えず、90歳を過ぎてもセックスは現役。

「閉経は早かったけど、セックスに問題はないです」(70歳・女性)
31歳で9歳年下の男性と結婚するが、夫の浮気で離婚。3人の子どもを養うためスナックに勤務。42歳で閉経し、55歳に再婚したが1年後に夫が病気で死去。その後も何人かの男性と同棲。「閉経後も、女はその気になればちゃんと男性を受け入れられる」と振り返った。

「ずっとベッドはいっしょ。セックスレスでも幸せです」(66歳・女性)
24歳のときに4つ上の男性とお見合結婚。子どもは2人。孫に恵まれ、結婚当時から今も夫婦一緒のベッドで休んでいる。7年前にご主人が前立腺がんになり、ホルモン治療をはじめてセックスは遠のくものの、ご主人は寝る前に奥様への親密なハグを忘れないのが日課。

「若いころと比べても、よろこびは変わりませんね」(72歳・男性)
EDになったのは3年前。いろいろ試してみても勃起せず。バイアグラに頼ると奥様を満足させられるまでに回復。最近は奥様からそれとなく求めてくることも。週2回のペースで夫婦生活を行っていて、奥様も愛液は今も充分に出ている。

「私はまだ女。好きな人ができたらセックスしたい」(70歳・女性)
51歳でご主人が亡くなった後は独り身。再婚話は何度かあったが、子ども達から猛反対。孫から慕われるおばあちゃん。「でも、私自身はまだ女なんです。これから、もしも好きな人ができたら、今でもセックスしたい」と告白。

「うつ状態からセックスレスに。徐々に再開すると落ち込みが改善」(65歳・女性)
年をとってからのセックスも頻繁。テレビで性的な場面をみると濡れてしまうこともあったが、息子さんの離婚騒動でうつに。夫の求めも拒絶。しかし仲良くしようと心掛け、受け入れるようになると、気持ちが明るく戻ってきた。

石川先生の聞き取り調査で、選択式のアンケート調査では知りえない赤裸々な実態が見えてきました。
話を聞いた多くの方は性の直接の結合(挿入)にこだわらず、長年連れ添ってきたパートナーと、愛を深めるスキンシップを持ってることも判明。
また、パートナーがいない場合でも、思い切って新しく望ましい伴侶を求めることや、異性への興味を持つことで、残りの人生を豊かにしていたのです。
驚いたのは、ほとんどの女性は閉経後でも性交痛などに悩まされずセックスを楽しんでいたこと。女性に男性を受け入れる気持ちがあれば、肉体もスムーズに反応できていました。

また、男性は若き日の女性遍歴を懐かしく話していたものの、今となっては奥様と仲良く過ごしている方がほとんどであったそうです。男と女は結婚を通じて、戦友のような関係になるのです。
「年老いてなおセックスに執着するのは嫌悪すべきと、私は考えていたのです。確かに世の中にもそういう風潮はあります。セックスはあまりにも魅力的な行為ですが、高齢者が体を絡めるさまは滑稽で見苦しいと考えるむきがあります。自分のやっている姿は見えませんからね(苦笑)。しかし、調査によって、セックスが人生にもたらす意味や価値に改めて気が付きました。また、医師としての立場から健康面への効果も知ることになりました」

◆高齢者の性のあり方とは?自然でおおらかなセックスが人生を豊かに
「高齢者のセックスは若い時のように激しいものではありません。パートナー同士が一緒に抱き合って過ごす。愛おしい相手と近づきたいという思いだけでも、充分に生きていく力になっていました。子どもの頃、『明日、遠足がある』と気分が盛り上がるのと同じ。ワクワクすれば脳内に幸せ物質のドーパミンが分泌されますが、セックスは最強です。ドーパミン分泌の減少はうつに陥る原因のひとつ。日頃からパートナーとセックスを通じたコミュニケーションを大事にすれば、うつや認知症の予防になるのは間違いないでしょう。実際、インタビューに応じてくだった高齢者は若々しく快活な方ばかりでした」

いくつになっても、セックスに対して興味を持つのは、恥ずかしいことでも、ふしだらなことでもなく、死ぬまで人生を豊かにするエッセンス。みなさんは、どうお考えになりますか?

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2020年09月24日

これからの共同体社会はどのように創られていくのか-16

 

このシリーズも16回目という回を重ね、共同体という人類本来の集団の在り様として様々な切り口で展開し述べさせてもらったが、具体的に日常の課題をどう運営するか、何をどう決定していくかを過去の村落共同体の事例から探ってみたい。

現代では、市議会から国政に至るまで議決は多数決という一見合理的にみえる手法がとられているが、その裏では利権の駆け引きが横行してそこで結論が決まってしまう。名ばかりの民主主義である。

一方で、かつての村落共同体では、全員合意するまでは決まらないという暗黙の規範が存在した。夜通し議論を尽くしたりもあったという。お互いを知る仲間であるからこそこういう本質的なことが可能であることは言うまでもないが、こういう決め方であればこそ、課題の本質が皆に浸透し、走り出したら実現に向かいやすいともいえる。

どちらが合理的か、成員にとってやりがいがあるのかは自明のことではないだろうか?

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2020年09月17日

これからの共同体社会はどのように創られていくのか-15

前回、かつての共同体においていかに重層的な人間関係が形成されるかを紹介し、学びとは知識だけではなく、現実の人間関係はどうあるべきか、自分たちが生きている世界をどうとらえるかという根底的なものであることを述べた。

現代の欠陥として挙げられる人間関係の忌避は、そもそも闘争忌避という問題に置き換えられる。つまり、共に闘わなければならない状況にあることに気づいていない、考えていないに等しい。かろうじて、生産課題として、企業などの集団での闘争がある程度である。今回は、この闘争課題という次元でこれからの共同体社会をとらえていきたい。

いま、時代の転換期において、食い扶持としての生産課題にとどまっていては何も変わらない。闘争という次元がますます高まっていき、地球規模の諸問題をどう解決するのかという課題を突き付けられている。つまり闘争とは、皆が安心して生きるための課題であると捉え返すことができる。であれば、皆が共有し、皆が取り組むべき課題である。専門家に任せておしまいというわけにはならない。これまでの私権をめぐる競争原理という次元を超えた難問であるともいえるし、だれでも担えるという可能性のある闘争ともいえる。

その為には、共同体という集団をベースに闘争課題を昇華させていかなければ、分断された個人では胡散霧消となってしまう。例えば、健康という課題にたいしても善良な医師が個人レベルで提唱しても、巨大な製薬利権の前には治療法など一蹴されてしまうような事例は枚挙にいとまがない。私権をめぐる闘争課題を超えて、自然の摂理や生命原理に即した回答が求められる以上、人類の起源から適応してきた共同体という集団が必要である必然性はそこにある。

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2020年09月17日

学校は『百害あって一利なし』

 

 

学校は『百害あって一利なし』

明治以降の学校教育の歴史を総括すれば、そのように断言できるのではないかと思います。

このように言うと、「えっ、百害ってどんな害?」「一利か二利くらいはあるのでは?」「友達もできるし」と反論の声が聞こえてきそうですね。何故学校は『百害あって一利なし』と断言できるか。

大きく3点の事実があります。

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2020年09月10日

これからの共同体社会はどのように創られていくのか-14

前回、教育は共同体の核心をなし、絶対に手放してはならない集団の課題でであると述べた。そして寺子屋や職人の事例から、まさに現実の外圧に適応する為の本質的な教育(学び)がなされていたことを紹介した。

一方、現代は共同体が解体されて教育が外注されて知識のみ教える学校というものに堕落してしまったともいえる。同一年齢で密室に隔離され、先生という絶対的な存在と対峙しなければならないところでは、まともな感覚、能力が形成されないだろうことは想像に難くない。

今回は、かつての村落共同体においていかに重層的な人間関係が形成されるかを紹介したい。学びとは知識だけではなく、現実の人間関係はどうあるべきか、自分たちが生きている世界をどうとらえるかという根底的なテーゼに応えていくものだろう。

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2020年09月08日

日本の家族形態①~戦前の家制度から核家族へ~

核家族について数回に亘り考えていきたいと思います。
日本の家族形態を近年で見てみると、戦前、戦後、現代と大きく変化してきています。
戦前の地域社会と繋がっていた家制度(大家族)時代から現代の核家族化時代では人々の生活、精神にどんな変化が生じてきているのでしょうか?
まずは、家族形態の変化について確認していきます。リンクより

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ファミリーと呼ばれる日本の家族形態の変化の特徴

■戦前から終戦までの歴史と変容
戦前の日本の家族は、家制度に基盤をおき、地域社会はもとより、国家とつながる「イエ」を形作っていた。
「家制度」は「家」と「家父長制」の二つを大きな要素としていた。
「イエ」という親族集団の一体的結合と継続的発展を重視し、家族の人々を「イエ」に従属する存在とみなした。 家父長権の相続(家督相続)、本家・分家などの階層性、それらを対外部的にひとまとまり(ウチ)としてとらえる心性・制度であった。

■終戦から1950年代まで
太平洋戦争の終戦を機に、民法の改正により家制度は廃止された。 経済復興と給与労働者の増加により、家庭は家内労働の場という側面が薄まり、家庭の教育的役割が強調されていく。

■現代の家族
1950年代以降の家族変動の最も顕著なものは単身世帯の増大である。 つまり、現代の家族には、同居親族数が減少し核家族化が進んだこと、共同体の力の減退に伴って家族の基盤に変容が生じたこと、の二つの特徴があげられる。 合わせて、夫婦の共働きも一般化しつつある。
それによって、育児や子育てが保育園や学童クラブ、地域の野球やサッカー、スイミングスクールなどのスポーツクラブ、学習塾などに一時的に委託されることも増えてきた。家族の機能の分散化ともいう。 また、共働きに伴う性別役割分業の問題、老親の扶養の問題も表面化してきた。

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2020年09月03日

これからの共同体社会はどのように創られていくのか-13

このシリーズも回を重ねてきたが、現状の政治状況や行政の体たらくを見るにつけ、共同体を創造していく必然性を、まさに強く感じる今日この頃である。
前回は、まともに外圧をとらえそれに適応していくためには、自立した集団で受け止め、課題を乗り越えることが不可欠だあることを述べた。現政権とは対極であろうことは皆さんも同意されるところではないだろうか。

今回は、共同体としての課題として教育(学び)のあり様に踏み込んでいく。人類史上、自集団が教育機能を包摂していることが当然のことであり、哺乳類一般に拡張しても、この事実は当てはまる。ところが、現代の学校制度は、集団が解体されて肝心の教育機能が外注化されてしまったことを示す。

逆に、生産集団としての企業などには社訓や掟などの規範を共有することや実際仕事上での指導により教育機能を残しているところもある。これは均一化、平準化して本当に必要な追求力を奴隷を再生産するたぐいの学校制度では現実の課題に対して役に立たないことを示唆している。

やはり、教育は共同体の核心をなし、絶対に手放してはならない集団の課題と捉えるべきである。そこで、かつての村落共同体の「寺子屋」、そして「職人」の技能における学びを探っていく。

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2020年08月25日

日本古来の性文化に学ぶ(1) ~夜這いは生存本能に基づく集団の知恵~

過去の日本の性文化では、集団婚や寝宿、村社会としての夜這い慣習など、乱交文化は半ば公認だった。
「嫉(そね)み」とは女が疾(わずら)い、「妬(ねた)み」とは「石のような女」と言う意味で妬(ねた)みと書く。その二つが合わさって嫉妬(しっと)が生まれる。そして男が嫉妬すると「女々(めめ)しい」と成る。 正に、性愛においての肉体的独占欲を象徴する言葉が、嫉妬なのである。

☆日本古来の性文化はどのようなものだったのか? 
在野の小説家・未来狂冗談氏の「私の愛した日本の性文化」(リンク)を紹介します。

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●夜這いは、愛すべき日本人の知恵だった
昔、「夜這い」と言う、ロマンチックな響きを持つ性風俗が日本の農漁村のほぼ全域にあった。いや、その昔の上代の頃には貴族社会でさえ「夜這い」はあった。夜這いこそ私の愛したおおらかな日本の性文化である。

ここで原生人類の本能的生殖行動と現代の倫理規範の矛盾をご紹介して置く。現代日本人の倫理感覚では、「夜這い婚」の一妻多夫形態など到底理解できないかも知れない。だが、実は「種の保存」を優先する自然界では人間の生殖倫理の一夫一婦制の方が異例である。例えば一番人間に近い類人猿・チンパンジーなどの生殖行動を見ても判る通り、オス達は一頭の発情期のメスに順番に群がり、メスは一日に何頭ものオスと交尾する。

その理由は「確実な種の保存の為」で、メスが依り強くて優秀な精子にめぐり逢う目的で「自然がそうした生殖行動を選択させていた」と言う立派な理由が在るからだ。これは「種の保存」のメカニズムが主体の自然な生殖行動であるから、オスメスの生殖機能には目的に添った違いが在る。当然、オスの方は次と交代させる為に肉体的に一度の射精で終わるが、メスの方は連続交尾を受け入れられる構造をしている。

つまり生物としての原生人類は、「確実な種の保存の為」に、本能的に「虚弱精子劣性遺伝」や「XY染色体の劣勢遺伝」などを知っていた事になる。そうした人類発達の歴史の中で培われた原始の生殖行動の記憶としての残滓(ざんし/残りかす)が、時代と伴に変化しながら辿り着いたのが「夜這い婚」だった。言うなれば、元々の人間の原始生殖行動は本来それに近い理由で「群れ婚」に拠る一妻多夫形態が自然な遠い記憶で、それが「夜這い婚」のルーツである。

その結果、女性が一家の家長で家の財産を引き継ぎ、男性が女性の家に通って来る「妻問い婚」が生まれ、「呼ばう」が「夜這い」となった。つまり「夜這い婚」や「歌垣(うたがき)」、「暗闇祭り」などは、「種の保存」の為に知恵を絞った安全装置だった。しかし現代日本人の倫理感覚は一夫一婦制で、「虚弱精子劣性遺伝」や「卵子の老化問題」は、人権問題も絡む為に余り考慮しないから、子に恵まれない家庭も増えている。

これはあくまでも「人類も生物」としての自然の法則だけで捉えた見解であるが、如何なる社会性を鑑みても「滅亡してから気が付いた」では遅いのではないか? 「夜這い」や「寝宿制度」などに代表される当時の身内感覚(共同体意識)の「村落共同体的性規範」を、現在の倫理観で安易に評価して決め付けないで欲しい。村落の者が「村落共同体的性規範(夜這いや寝宿制度)」を行っていても、妙見信仰から始まった信仰行事の一環から始まった事で、宗教的な戒めの考え方が無い常識の範疇であり、そう異常な事には思われなかったからである。

人類は基本的な本能として他の生物同様に「生存本能」を備えている。この生存本能の発露が「食欲」であり「性欲(種の保存本能)」であり、二次的なものとして危険を避けたり危険に立ち向かう為の「恐怖心」や「闘争心」なども無視出来ない右脳的な生存本能である。そうした右脳的な生存本能の一つとして、人類はその種としての生い立ちから、「恐怖心」や「闘争心」を共有する事で、生存率を上げる為に「共に生きる(共生意識)」と言う強い「帰属本能(群れ意識)」を持ち合わせて生まれて来る。

つまり人類は、「帰属本能(群れ意識)」を満足させないと、精神的安定を得られない。そしてその「帰属本能(群れ意識)」は価値判断や心(精神)の安定に影響を与え、良きに付け悪きに付け「人生」と言う固体の一生に影響する。実は、「帰属本能(群れ意識)」を裏打ちして保障していたのが、同じく「生存本能」に関わる「性欲(種の保存本能)」の結果とも言うべき「性交」と言う行為だった。「性交」と言う行為は、「恐怖心」や「闘争心」とは好対照に位置付けられる「癒し」や「信頼の共有」に繋がるからである。つまり誓約神話(うけいしんわ)や人身御供伝説が語り継がれた村落共生社会では、思想環境が違うから帰属意識愛でも性交が出来た。

従って日本に於ける村社会の性規範は、「帰属本能(群れ意識)」に起因する共生主義の磨き上げられた珠玉の結晶だったのではないだろうか? 今回「夜這い」を取り上げたのは、現在の社会が「本当に豊かに成ったのか?を、問う鍵に成る」と考えたからである。

物質的には、なるほど目に見えて豊かになった。その代わり、私権だけが飛びぬけて主張されるようになり、人と人の繋がりと言う「精神的な豊かさ」を、数多く失っては居まいか?ばかげた事に、私権を中心に発想する事しか考えられなくなり、国、地域、近隣、と破壊が進み、家族と言う最小単位でさえ破壊の危機に直面しているのではないだろうか?

戦前の日本社会は子沢山が一般的で、親が余り一人の子に愛情を注げなかったが、それでも子供達は「まとも」に育った。それに引き換え、戦後の日本社会は少子化で親はタップリ愛情を注げる筈なのに、子供達が「まとも」に育たない。我輩に言わせれば、その「まとも」に育たない原因は、戦後日本が採用した米国型自由主義化に拠って「群れ社会」から「孤独社会」に悪変してしまったからに違いないのである。

昔は、私権を中心に発想していたのは「権力者階級」だけである。庶民は物質的には貧しかったが、互いに信じ合え、皆助け合って素朴でやさしい庶民生活が営まれていた。村社会、それは共用権的な生活意識であり、根本的な共生主義で成り立っていて、その原点にあったのが、「夜這い」の精神である。

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2020年08月20日

これからの共同体社会はどのように創られていくのか-12

前回は、権力社会の中で、政略結婚というシステムをバネに私権の中枢に食い込む勢力を紹介した。私有婚という旧い価値ではあるけれども、当時の時代の圧力に集団原理にとって基底的な婚姻を用い、生き残りをかけての闘争であった。つまり、婚姻制も社会にかかる圧力によって規定され、個人の感情発ではなく、今後の共同体としての在り様を共有した婚姻制を創らなければ持続できないことが示唆された。今回は、これからの社会にとって、外圧に適応して持続していく重要性を押さえておきたい。

現状の社会システムでは、集団といってもことごとく課題を分断した存在であるので、まともに社会外圧をとらえて適応することが困難である。これについてはこのシリーズの初回で述べた。もはや国家に依存した寄生集団に成り下がっていては突破できないし、国家や市場を支配する勢力自体、現在の諸問題を解決する力はすでにない。つまり、まともに外圧をとらえそれに適応していくためには、自立した集団で受け止め、課題を乗り越えることが不可欠なのである。

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