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2016年12月01日

「教えない学校」~自治体首長も教育革命に取り組んでいる

前回記事では、「教えない授業」、「教えない学習塾」などの先端事例を紹介したが、
現実は、思っている以上に進んでいることに驚いた。
さらに驚いたのは、今回紹介する東京都世田谷区の保坂展人区長。
オランダにも視察に行き、「教えない学校」を目指しては「学ぶとは何か」を現実の区政のなかで追求している。

教育ジャーナリスト出身ということもあるが、自治体の首長が本質論を追求しているのは珍しいのではないか。
公教育は文科省の学習指導要領にて事細かに定められているだけに、現実の改革は極めて難しいと思われる。

しかし、学力低下どころか「仕方なく生きている」子どもたちの実態、一方的に教える学校が子どもたちの意欲を削ぎ思考も活力をも停止させていること、にもかかわわらず子どもたちは義務教育ゆえに学校から決して逃れられないこと、一方で「教えない授業」などの事例が成果を上げていること、親も本当は学力ではなく生きる力、考える力を身につけて欲しいと思っていること、企業からは大学不要論まで言われるようになったこと、先端ではあえて学校に行かない選択をする子どもたちも出現している、、、この流れは止まらない。

教育革命は日本の未来をつくる、待ったなしの最重要の課題だ。
自治体首長の追求がどのように姿を現すか、注目しておきたい。
引き続き、教育の課題から、子育て、地域自治と併せて考えていく。

 

「教えない学校」は「総合知を豊かにする教育」をめざす
「もう一度、子ども時代をやり直すことになったら、あなたはどのような学校や授業を望むだろうか」。
もし、私がそんな問いかけを受けたとすれば、「教えない学校」と答えます。
「教えない学校」とは、生徒が自立的にプログラムを組み立て、試行錯誤の自由があり、子どもにとって自らの力で未知の「知識」や「技術」を身につけ、美しいものやみずみずしい芸術・文化の創造の機会に恵まれ、学科にとらわれず一生忘れない「総合知」を身につける学校。そんな学校があったらいいと考えてきました。

ぼんやりと教室から窓の外を見ると、青空のもとにユニークな形の雲が広がっていて、その雲の配置も風の流れで少しづつ変化していきます。そんな雲に見とれて空想の世界に入っていると、突然、現実に戻されます。先生に指名されたのに、そのことに数秒間、気づかなかったようで教室には「なんだ、あいつは」というような笑いが広がり、先生からお目玉をくらいます。そんな子どもだった頃のことを思い出します。

この半世紀の間、「教育改革」という言葉が語られなかった時期はありません。教室の外に広がっていく風景は、「社会的現実」というリアルな広がりでした。伝統的な日本の学校では、学校で習うことを正確に覚え、ペーパーテストに記述することで評価を受けるということにありました。学習内容は社会に直結せず、抽象的な関わりを漠然と感じさせるにとどまっていました。

■ ■■■
本来の人間の学びは、厳しい自然環境に耐えて生き抜いていくため技術の習得であり、外界と分かち難く結びついていました。川や湖を移動する船をつくるためには、年長者のこれまでの経験知を引き継ぎ、新たな工夫を加えていきます。不十分であれば船は進まず、あるいは浸水します。失敗を通して、また若者たちも技術を習得していきます。

しかし社会が高度化するにつれて、学習内容は「教科」に分解され、また「学習内容」は教科書による授業、理解度を試すテストによって循環していきます。学校で習ったことが、学校のテストと入学試験で役に立つ以外に、本物のリアルな社会とどうつながっているのか、学校の先生も明確に示せない時期が長く続きました。

私は中学2年生の時に、1941年の太平洋戦争突入前後で「歴史」の授業を「時間がなくなった」として中断した先生に対して、「歴史を学ぶのは、近現代史を通して、どのような未来を描くのかを身につけるためだ。先生の授業の順番はおかしい」と批判したことを思い出します。「近現代史は評価が定まっていないから難しい。教科書を読んでおけ」というのが私に対しての返事でした。

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■ ■■■
さて、オランダ在住の教育研究家、リヒテルズ直子さんを招いて、世田谷区の教育委員会の研修で、また保護者が多く集まる講演会で、世界の教育改革の動向を聞きました。オランダやデンマーク、フィンランド、スコットランド等で始まっている教育改革への動きは、国や制度の違いを超えて私たちに「気づき」を与えてくれるものでした。

リヒテルズ直子さんによれば、オランダでは、すでに「どう教えるか」(知識伝達)から、「どう学びを充実させるか」(学習支援)へと重心を移しています。正確に暗記し、知識としてストックして、その成果をテストで検証するという従来型の「教える学校」は存続していきますが、「学びの充実」とは子どもの学習プロセスを個別に支援することで、必ずしも正解を教えることではありません。学校現場でも「授業スキル」(学習指導要領、教科書、授業技術)の向上から、「教育学的環境づくり」(個別の子どものニーズに沿った学習支援)が焦点となるそうです。

こうした変化の背景には、社会構造の変化があります。かつての「産業社会」は、ものづくりや正確で効率のいい処理能力を鍛える教育を求めました。ところが、現在は「市民社会」が形成されていて、多様な価値観を受け入れて、異文化と共生し他者と協働するする多様性が求められていきます。オランダも移民を数多く受け入れてきた社会です。異なる文化や価値観、言語の壁を、教育の力でフラットな市民社会を形成していくことに、きわめて大きな力を注いでいると感じます。

そして、世界各国の教育改革は、教育工場のような知識伝達の一斉授業から、ひとりひとりの子どもの能力を最大限に引き出していく「個別学習支援」へと舵を切り始めているとリヒテルズ直子さんは言います。さらに、子どものひとりひとりの個性の違い、その多様性を受容するインクルージョン(包摂)が行なわれることと、経済格差がそのまま教育格差に結びついていくような悪循環を教育で断ち切ること、また「読み書き」の時代から「ICT技術」の活用へと踏み切ること等が共通項だとしています。

教科書による受動的学びから、トピック学習(教科にとらわれない題材をテーマに多角的に取り組む総合的学習)を中心としたホンモノの題材による能動的学びへの転換を進めていくことや、民主的シチズンシップ教育を通して、批判的に考えることができて市民社会の一員として育てられる教育の推進があげられます。また、学校建築においても、子どもたちが学習するのに最適な場であることを意識して、子どもたちの内面的安定と充実が保証される環境をつくること等です。

■ ■■■
さて、オランダをはじめとした先進的な教育の取り組みを聞いて、ため息をつく時代は終わりました。私たちの関心は、日本の学校現場がこれからどのように変わっていけるか、その具体的な道筋を描くことにあります。

学校現場の話を聞くと、教員の多忙化には拍車がかかっています。授業の準備に時間をかけたり、子どもと向き合う時間を惜しまないと、事務処理が間に合わないと追い立てられるという話も聞きます。「学校が変わる」ということは、「教員が変わる」ということであり、「子どもの幸福度が保証される環境」は、「忙しすぎる教員の生活」を放置しておいては出来ません。

同時に「学校教育」の現状を嘆いたり、否定するだけでは何も生まれてはきません。どうしたら、学校の風通しがよくなり外から人材や情報が入ってくるようになるのか。授業をどのように改善したら、学びの改革に結びつくのか。ICT機器の活用のための基盤をどのように構築していけばいいのか。

私たちは現実をよく直視しながら、その現実を永遠不変のものと認識せずに、世界各国で意識化されている「学校の変容」「学びの改革」への道のりを歩むことができるように、準備を始めたいと思います。そのために、一見遠回りでも、「学ぶとは何か」を徹底的に掘り下げてみたいと思います。

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2016年11月24日

「脱学校」の潮流が始まった!

>人々の、思考回路が作動しない(従って、思考停止に陥っている)のは、勉強が(その後の仕事も)上から押し付けられた強制課題だからである。まして、崩壊期に入った学校制度が強制する勉強など、なおさらやる気になれない。やる気が起きないから、考える気もしない。(強制的な勉強は、本来の思考を封鎖する

 

「教えない学校」、「教えない授業」、「教えない塾」などでネット検索すると、出てくる出てくる。
塾においては今や「教えない○○」がアピールポイントにすらなっているように感じる。
一方で、「学校では教えてくれない○○」という記事も大量にヒットするが、違和感を感じる。
学校では「教えること」が当たり前、「教えない学校はダメ」、という前提に立っているからだ。
単に教えるだけなら人工知能で充分だという記事(リンク)があったが、たしかに教師不要の時代もきそうである。

そして、教えない学校から、学校に行かない選択をする「脱学校」の潮流も見られるようだ。
いよいよ義務教育のあり方自体が問われる時代、教育革命が現実に必要な時代になった。

 

◆教えない授業
北海道札幌旭丘高等学校
「教えない授業」を目指して~「自ら考える力」をつけるための工夫

さいたま市 開智学園
「教えない」が難関大合格者を続出させる秘訣

東京都立 両国高校
「教えない授業」の魔力

幼稚園の子供に「あえて教えない教育」のご提案

 

◆教えない学習塾
教えないAtlas Kid’sの英会話スクール

【東京都目黒区の学習塾】東山ゼミナール。
第3の教育とは「教えない教育」です。

【大分市の学習塾】学習空間Lit 
とにかく自分で思考することが学力を伸ばすただ一つの方法
日常的な思考停止状態からいち早く脱却すべし

【愛知県の学習塾】歩夢学舎
歩夢学舎で一番大切なことは「教えすぎない」もっと言うと「教えない」こと。ただそれだけです。

【全国展開の学習塾】松陰塾
『教えないほうが学力が伸びる』
第一歩は、「勉強しなさい」というのをやめること。

【教師養成講座】e-講座
僕たちの教えない塾が色んな有識者の方々に認められましたっていう話
信じる。見守る。教えない授業。

【金沢市の学習塾】STUDYBANK
教えない家庭教師としての1年を振り返ってみた

【京都府の学習塾】福幸塾
勉強を教えない塾
実生活や人生に関する『実際的な知恵』を学ぶ

【東京都品川区の学習塾】いぶき学院
教えない授業 [◆教育の役割 「教育は日本を変える」

【東京都の学習塾】宮本算数教室
名門中学8割合格の塾講師 型破りな「会話ゼロ」授業の様子

【徳島市の学習塾】未来舎
教えない塾~子供の学習意欲を高めるためには

「教育者の仕事は、教えないこと」

 

◆教えない色々
「元プロ野球選手の〝教えない流儀〟」早鞆高校監督

「なにも教えないことで子どもは育つ」順天堂大学蹴球部の教育

【東京都世田谷区・数学塾】Qubenaアカデミー
先生が何も教えない学習塾 人工知能で教材が成長

 

◆脱学校
学校に行かない選択

「学校には行かない」小2長男の“積極的不登校”という選択

9歳で学校に行かないという選択、自ら学ぶ姿勢・中島 芭旺の全て

 

 

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2016年11月17日

外国人から見た日本の学校教育

いじめ、不登校、学力低下など、日本が抱えている学校教育の問題は深刻である。
日本の子どもの学習到達度は世界的に見ても高いが、反面、「受験勉強や部活動が大変そうだ」という外国人の意見も多い。
そこで今回は、日本人ではない外国人が、日本の学校のシステムや子どもたちを取り巻く環境をどう思っているのか探ってみようと思う。
日本の教育システムは外国のものと比べて、どのような点が違い、どのように思われているのだろうか。

 

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○「生涯働きすぎ」の人になるための洗脳教育と捉えれば、こんなに完璧なシステムはないと思う。

○「日本の学校に通う私の子どもが、テスト前に猛勉強している姿を見た時、成績の良し悪しで子どもを可愛がるような最低のお母さんになってしまったようで、少し胸が痛みました。中学生になってからは、受験のためのドリル、問題集、暗記などが大変で、魂を抜き取られるような経験をします。多くの学校で、自分の成績がランキング形式に公になり、下のほうにランクされた生徒の人生は大変だと言います。」
小学生までの教育システムは素晴らしいですが、それ以降はできることなら、この日本の教育システムとは違う選択をさせたほうが良いと思います。

○マインドコントロールみたい。男だけが勝ち残っていけるシステムになっている。

○ 教育制度がひどいから、素晴らしい教師がたくさん辞めていく。
「部活動の強制」を廃止すべき。13歳の子どもが朝の8時~夕方6時まで学校にいなくちゃいけない理由なんてない。
不登校の子どもをより重要な問題として捉えるべき。1日も登校していない子どもを卒業させてしまう義務教育はおかしい。
「学年」の区別をより明確にすべき。出席率が50%以下の生徒は次の学年に進級させるべきではない。学習指導要領の大半を理解できていないのに、上の学年にあげるのは酷。
しかし、何だかんだで一番変わらなくちゃいけないのは「親」だと思う。悪い先生がいても、親が良ければいい子に育つが、いくらいい先生がいても悪い親の代わりにはなれない。”悪い親”はたくさんいるから。

○社会に適応した「普通の日本国民」を育てるための教育としては、素晴らしく成功している制度だと思う。

○日本の教育は子どもたちに「信じる」ことを教え、「考える」ことを教えない。
自分で考え、壁の向こう側には何があるのか自分で理解することを教えられなければならない。

○小学校はグレート!だけど、それ以降は地獄だね。宿題多すぎ、学校の先生はペーパーワークで忙殺され、定期試験でいい結果を出すためのプレッシャー、入学試験のプレッシャー、暗記、暗記、暗記、ひたすら暗記…。学生は「考えろ」と教育されるのではなく、ただ「繰り返せ」、「 parrot (わけもわからずに他人の言葉を繰り返すこと)」を教育される。学校は冬には寒く、夏には暑い。
教師の威厳はもはや存在せず、PTAとモンスターペアレンツが学校を牛耳る。こんな教育制度に従わなければならない子どもがかわいそうだと思うよ。

○今朝も新聞の折込ちらしの中に、塾の広告を見つけた。夏休みに朝の9時から夜の9時まである「夏期講習」の広告だった。日本の学校教育が素晴らしいのなら、わざわざお金を払って塾に通う必要なんてないはずだ。
学校の授業だけでは大学受験は難しいって言われているけど、これもおかしいよね。
僕の息子は日本の小学校に数年通っていた。それはそれで良かったんだけど、息子に言わせると授業のペースは遅すぎてつまらないし、運動会や他の学校行事に時間を割きすぎだと言っていた。

○これはありえない話だけど、日本が漢字を廃止して、全てひらがなで表記するようになれば、日本の子どもは漢字練習の時間を他の勉強にあてて、どれだけのことが学べるだろうと思うことがある。

○宿題多すぎだろ、どの学年も。

○欧米の学校: 批判的思考力、自立的志向を指導する
 日本の学校: 日本人へのなり方を指導する

○「テストの正解が1つしかない」っていうのはおかしい。日本の学校に影響されて、最近はアメリカの学校でも試験のための勉強を教える教師が増えてきたけど、創造力を低下させるシステムだよね。
日本の教育システムは「こつこつ奴隷のように働く人」を産む。
もし、日本版スティーブジョブズが日本の学校を卒業したら、彼(or彼女)は日本には残らないだろうね。

○日本人は学校教育がダメだとわかっているから、ほとんどの人が子どもを塾に通わせる。僕の息子は9歳。クラスの41人中27人が塾に通っているらしい。つまり、日本では子どもの教育にお金をつぎ込めばつぎ込むほど、子どもは成功するということ。ちなみに僕は6人兄弟。6人とも普通の小中学校を卒業して、塾や私立校には通わなかったけど、全員イギリスの大学を卒業したし、兄弟のうち2人はイギリスでトップ10に入る難関大学を卒業した。でもこういう話って、日本じゃあまり聞かないよね。

○私が個人的に気になるのは、中学や高校で先生が生徒に「1日最低○時間は勉強しなさい」と言うことです。私の息子は学校で「1日の勉強時間は2時間が理想、最低でも1時間はしましょう」と言われたそうです。息子に、「宿題を済ませて、授業中にわからないことを質問するようにすれば、長時間勉強する必要はないんじゃない?」と言いました。
本人が行きたいと思わない限り、塾に通わせる必要はないし、塾に通っている子どもが通っていない子よりも賢いわけでもありません。学校は子どもたちに好きなことを言いますが、最終的に判断するのは子どもと親です。
学校は試験の前になると、子どもに何時間勉強したのか尋ね、子どもはそれでいい結果を出すために勉強しなくちゃ!という気にさせられますが、私は子どもに試験前に猛勉強するのは必要ないといっています。大切なのは、毎日の授業をきちんと理解することだと思うからです。

 

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外国人からはかなり手厳しい声が多い。「受験のための勉強」に対する批判が多く、忙しすぎる学生生活や非効率的な学習指導システムを問題視する意見が目立った。

日本も一時は詰め込み教育が問題視され、ゆとり教育を採用したが、根本的な「受験戦争」がなくなったわけではなく、中身のない道徳の授業が増え、学力のみが低下するという中途半端な結果に終わってしまった。もちろん海外の教育システムをそのまま日本で採用すればうまくいくというほど単純なものではないが、今の教育制度では「子どもに考える時間を与えない」というのが一番の問題点であるように思う。

目の前のことに終われ、「気がついたら大人になっていた」という若者が就職活動のときになって、「何がしたいかわからない」と言う。
とりあえずは就職するが、「これは私のしたいことではなかった」と言って、3年以内に辞めてしまう。

最近、批判されがちなこんな若者たちも、結局は日本の”忙殺型教育システム”の被害者に過ぎないのかもしれない。

 

【外国人】日本の学校教育制度ってどう思う?日本教育の特徴と問題点

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2016年11月10日

日本の学校は刑務所か軍隊のような場所だ

>義務教育は、「富国強兵」の実現を目指して、上官(教師)の命令に対して絶対逆らわない兵士(生徒)の育成=優秀な軍隊の構築が目的。だから、自ら考えるのは不可。不可というよりも悪だったのでしょう。
現在の義務教育においても、その名残が強く感じられます。(リンク

 

自ら考えるのは悪。教師の命令、教えに従順に従うのが善。
江戸時代の自治の精神、工夫思考、助け合い、、などとは180度異なる一方的な強制教育。
これが明治以降の日本が目指した近代教育の姿。
子どもたちの知りたい欠乏、学びたい欠乏などお構いなし。
しかし大抵の子どもたちは、いつしか強制教育の現場に適応することが良いことだと思い込んでいく。
まさに教師によって洗脳されていく。そして、何ら疑問を持つことも無く過ごしていく。
そう、そしてやたらと聞き分けの良い、いい子たち、思考停止人間の出来上がりだ。

 

日本の学校は刑務所か軍隊のような場所だ
日本の学校って刑務所みたいだなって感じた当時の思い出でも書こうかなと考え、「学校 刑務所」でググってみると、出るわ出るわ。やっぱそう感じてた人って沢山居たんですね。

今からして思えば、僕が学校というものに違和感を覚えたのは、幼稚園から小学校へ上がった時からでしょう。
それまでは、お遊戯やお絵かきなど楽しかった毎日が、授業というものに突然変わったのですから。
今は幼稚園の時から平仮名のお勉強や算数とかする所もありますから、それはいい傾向だと思います。いきなり変わるより徐々に慣れさせた方が、子供も戸惑わずに済みます。で、小学校から中学へ上がった時にも、大きな変化がありました。

真新しい制服に袖を通して、意気揚々と向かった公立中学。
しかし、そこは僕が考えていた場所とはかなり違い、重苦しい空気と閉塞感が漂う施設なのでした。
時代は金八先生の初期の頃。
で、一番最初に「っえ !?」となったのが、幼い頃から遊んでた一学年上の近所の兄ちゃん。僕が小6の頃、彼は中学へ上がってからも時々遊んでくれてたのだけど、校舎で顔を合わせたら、よそよそしく冷たい態度。いつものように「~~ちゃん」ではなく、「~~先輩」と呼ばなければいけないらしい。ところが、学校ではなく近所で会う時は「~~ちゃん」で良いそうで、ここで僕は「序列」と「建前」というものを学びました。「~~先輩と呼ばなければ示しがつかない」と、~~ちゃんは言っておりましたです。はい。

彼の発言に例えられるように、中学からは、私的感情よりも組織内での秩序が重んじられました。
自由や楽しさは出来うる限り抑制し、規律や能力を重視する感じですね。
そして、学ランの詰襟。なんであんな硬いものを首に纏わなきゃならんのでしょう。で、息苦しくてホック外すと、注意されます。
服装の乱れは心の乱れでして、今となっては、その意味は分かりますけど、詰襟の学ランとセーラー服、それって、軍隊じゃん。
今はブレザーが主流になりつつあります。少し改善されたと感じます。当然と言えば、当然です。

学校側は健全な青少年少女の育成なんて言ってますけど、違いますよね。学校は人間を社会に適応・順応させる為の施設。
子供を矯正する為の予備修練所。要は、練兵所みたいなもんです。日本の学校は社会に出て役に立てる兵隊を育成する訓練の場です。
朝礼とか、ミリ単位の拘り。斜めだと担任が発狂します。後ろの方で「きをつけ」してない男子、殴られました。で、校長の話が長いと、「ズドーン」。女子が貧血で倒れる。無理なんだってば、やってる事がさ。

要はね、学ぶ事の楽しさを日本の学校は教えてくれないんですよ。
公文式みたいな学習プログラムもありますけど、義務教育の段階で公立の学校がそれやってりゃ、塾なんて必要無いはずなんです。
この辺り、専門的な知識ある方とか、日本の教育問題に取り組んでおられる方からすれば色々あるんでしょうけど、意味のある事、と言うよりも、意味を教えて下さいよ。で、歴史の授業、近代史から始めません? そういう意見、沢山あるでしょ。でも、それが出来ない。曖昧にしたままだからね。理由は他にもあるのでしょうけど、日教組とか、生徒には直接関係ないでしょ。先生達の都合でしょ? 決めなくていいでしょ。ディスカッションさせましょうよ、生徒達に。欧米式とか、そういう意味じゃなくてね。考える事の楽しさを与えられる哲学、先生達に、ないんでしょ? 確かなものがさ。

「もはや戦後ではない」とか、「欧米に追いつけ追い越せ」なんて言葉、僕の頃にも残っていました。
箱根のホテルで習いましたよ、テーブルマナー。フォークの背にライス乗せろと教わりました。嘘を教えるなよなー。あれはなんだったのか。英国式なの? おフランスは、違うみたいよ。そんな事より、和食大事にしましょう。世界遺産にもなったし。って、そうやって欧米の顔色伺うんだよね。もう「マナー」とか言うの、止めましょうよ。「作法」です。変な和製英語の考え方で「ルール・マーナー・モラル」とか言ってないで、「礼儀・作法・道徳」でしょ。で、一度廃止した道徳の授業、必須科目に返り咲きですか。迷走してますね、日本の教育現場。

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2016年11月08日

新しい男女関係の潮流「ポリアモリー」① ~歴史的背景~

恋愛における誠実とはひとりの人を愛し続けること――少なくとも現代の日本では、そうした価値観を信じて生活しているものです。ですが、はたしてそれは絶対的に正しいといえる恋愛スタイルなのでしょうか? 恋愛は1対1で行われるべきものという私たちの価値観に一石を投じるのが、複数の人と合意の上で性愛関係を築く“ポリアモリー”という概念。

今回は、『ポリアモリー 複数の愛を生きる』の著者・深海菊絵さんのインタビュー記事(リンク)から、ポリアモリーの歴史的背景を紹介します。

深海菊絵

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2016年11月03日

偏差値の生みの親へのインタービュー

日本の「教育」が行き詰まっている~日本人の野心を奪った『偏差値』と『大学教育』~①偏差値と教育
>そもそも、なぜ偏差値が導入されたのかと言えば、学生運動の象徴とされる東大の安田講堂事件 の後、政府が強い危機感を持ったことに端を発しています。当時の世界は東西冷戦の最中です。米国に逆らってロシアや中国と結託し、政府を転覆させようと革命を企てる輩がいる。政府に逆らうような資質をあらかじめ封じようということで、「あなたは偏差値57」「あなたはもう少し上の偏差値63」というように、その人間の可能性をあらかじめ決めてしまった。若いうちに、人間にたがをはめてしまうのです。
この偏差値の存在が、今の日本の若者、ひいては日本全体を萎縮させています。

 

偏差値、試験制度、受験制度について調べていたら、偏差値の生みの親の人の記事があった。
そもそも偏差値がどのようにして生まれたのだろうか。
リンク より紹介する。

 

~小学校から高校まで、日本の学校教育の中で偏差値の洗礼を浴びない子供はほとんどない。
そして偏差値に一喜一憂した思い出を持つ大人も少なくない。
偏差値が登場したのは1960年代の中頃。それが受験生の学力を測る「ものさし」、あるいは人々の優劣を示す指標として、またたく間に日本社会に浸透した。受験生にとって恐怖の「偏差値」も受験指導をする側にとっては、強力な説得力を持つ便利な道具として、50年間、その威力を発揮してきた。しかし、その一方で偏差値遍重教育の元凶として厳しい批判も浴びている。これほど日本人にとって馴染み深い「偏差値」だが、意外にもこの偏差値について、理解と知識を持つ人は少ない。そこで偏差値の生みの親とされる桑田昭三氏に「偏差値」について語っていただいた。

 

Q:教育評価について関心を持つきっかけはどのようなことでしたか?
A: 私は,教員養成系の大学の出身ではないので、専門的に教育評価論や教育指導法を学んで来たわけではありません。ですから、教育評価に関心を持って「偏差値」を考えた訳ではなく、偏差値を追いかけている間に、いつの間にか、教育評価学が座右に来てしまったのです。
日本の教育評価の思想は、主に戦後、アメリカから移入されたものでした。昭和21年、アメリカからやってきた GHQ-CIE(連合局最高総司令官総司令部民間情報教育局)の教育審議官は、教育評価活動が行われていない日本の教育に驚いたようです。

アメリカでは20世紀の初め、心理学者のソーンダイクが「教育測定運動」〈客観式の標準テスト問題を用いて学力を測定評価する運動〉を大々的に展開しました。日本にも1930年頃、こうした運動が芽生えましたが、伝統的で権威的な日本の教育土壌には不向きだったようで、根付くまでには至りませんでした。
それまでの日本の教育は、中学から大学までテストは「試験」と呼ばれる論述式で、評価は担当の先生が結果を見て「よし」と判断したら合格、「駄目」と判断したら不合格になるといういわゆる「絶対評価」をやっていました。つまり、私が偏差値利用を考えだすまで、教育現場にはテストの得点の教育的意味や価値、評価のあり方などに関心を抱く教員はほとんどいなかったということです。

日本の教育現場に「論理的統計学的な考え方」が取り入れられるようになったのは、戦後の教育改革に伴い「相対評価」という児童生徒の学力評価の仕方が導入されてからです。それは「平均的な人の学力と比べて、どれくらい優れているか、劣っているかを5段階で表示する」というご存じの評価方法です。しかし当時、学校では指導要録や通信簿などの文書の記入以外では、「相対評価」を利用していませんでした。つまり、試験をやり,順位を付け、それを学力の指標として指導に当たるという、戦前来の方法とあまり変わらない学力評価が行われていたということです。

 

Q: 偏差値を生み出す直接的なきっかけは何でしたか?
A: 東京都の教員になって2年目、『志望校判定会議』が開かれた時のことです。進学を志望する生徒一人一人の校内テストの成績と志望校を成績順に印刷した一覧表を前にして、進学係の先生が「この生徒はまずは問題ないでしょう」「この生徒は1ランク下の学校に変更するよう指導すべきでしょう」と、判定結果を順次発表していくのです。ところが私が受け持つ生徒が、一番違いで志望校変更の宣告を受けてしまったのです。生徒に「君の力なら大丈夫!心配せずに頑張れ!」と励ましたばかりでした。それを今さら「1点足りないから1ランク下げなさい」とは言えません。頭の中が真っ白になってしまった私は、夢中で「どうして?論理的な説明をお願いします!」と、執拗に迫りました。しかし、進学係の先生から「判定は、前年度までの合格状況と私たちの勘を総合した結果だとしか、説明できない。この判定が不服だとする根拠を桑田先生こそ、『論理的』に説明して頂きたい」と逆襲されてしまいました。このことがきっかけとなり「これでよいのか、お前も教え子たちも!」と自問に苛まれた末、進学指導の科学(後の偏差値)への挑戦を決意しました。

それから3年、暗中模索の中、試行を繰り返した末に偏差値誕生に繋がる「ケトレーの法則」に出会ったのです。つまり、『入学試験における受験生の学力分布は、正規分布であるとみなすことができる』と仮定し、高校ごとの入試実態の解析を進めて行けば、道が開けるに違いないという考えに至ったのです。というのも、その生徒は志望通りの学校を受験し、不合格になってしまったのです。その時の、生徒に対する贖罪の思いと、教師としての自分の不甲斐無さが、この偏差値を生むきっかけになり原動力になったとも言えます。

 

※参考:「偏差値って必要?入試制度って、このままでいいの?」

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2016年10月27日

近代の学校教育制度の本質は強制教育、子どもに選択権は無い

リンク:強制的な勉強は、本来の思考を封鎖する 
>赤ん坊は、言葉の欠乏の塊で、貪欲に言葉を吸収してゆくが、その原動力となっているのは、本能と共認機能が生み出す生存欠乏・力の欠乏と充足欠乏・繋がり欠乏である。このように100%内発的な潜在思念だけが、「どうする?」という工夫思考⇒同化思考の回路を駆動させる。
従って、上から与えられた強制的な勉強課題に対しては、工夫思考⇒同化思考の回路が全く作動しない。
勉強脳とは、本来の思考を封鎖する封鎖脳であり、15才頃(高校に入る頃)には、すっかり頭が錆びついて、本来の工夫思考⇒同化思考が殆どできない封鎖脳が形成されて終う。

今回は、学校教育の強制性について
リンクより記事を紹介する。

・外部にある社会性(規範意識・慣習・常識・礼儀)』を強制的に内面化させなければならないとする理念。
・したがって、『内部にある可能性(適性・知性・能力・知的好奇心)』を引き出す『教育』の場ではない。
・義務教育では『教育を受けない自由』は容認されない。
・生徒本人が好むと好まざるとに関わらず、『学校環境への適応』を社会的自立の前段階において強制される。
・教師が“上位者”で生徒が“下位者”という厳然たる上下関係の階層秩序が設定されている。
・生徒は基本的に『教育訓練される対象』であり、学校教育における善悪の普遍的基準に疑義を差し挟むことはできない
・義務教育は大人が子どもに学校教育・集団訓練を受けさせるもの。
・したがって、子どもが自発的に学校で学び先生に指導されることを選択(希望)するわけではない。
・『幼児的な全能感・自我意識の肥大』を集団活動や競争環境の中で去勢するイニシエーション(通過儀礼)としての役割。
・本能的欲求に従う自然人としての子どもを『規範・訓練・去勢』によって社会化・文明化していくのが従来の近代教育制度の骨子。

こうして書き出してみると、なんとまあ国家にとって都合のいい人間をつくり出す洗脳機関そのものではないか。
強制的に「常識・基準」などを植え込みながら、一方で個性が大事、考える力が大事と詭弁をふるう。
そして、試験、偏差値、受験システムで万全の体制を敷き、逃れられない環境を作り出している。
なんだか強制収容所を思い浮かべてしまった。
今すぐに求められるのは「教育」からの解放~思考の解放。
そのためにも、親(特に母親)、教師が気付き、変わらねば子どもたちの未来はない。

近代の学校教育制度の本質・役割とは何か?1:ハードな教育理念とソフトな教育理念の比較
『教育(education)』の英単語には『内部にある可能性』を引き出すという原義があるが、近代国家が備える教育制度(義務教育)がその原義に沿ったものかと問われると恐らくそうではないだろう。現在では『生涯学習の概念』が提唱されていることもあり、教育する対象や教育サービスのニーズは『学齢段階の子ども(小中高の学生)』に限らず、学習意欲のある大人も教育の対象に含まれる。

教育には『内部にある可能性(適性・知性・能力・知的好奇心)』を引き出して開発すれば良いとするソフトな教育理念と、『外部にある社会性(規範意識・慣習・常識・礼儀)』を強制的に内面化させなければならないとするハードな教育理念の二つがあるように思う。

ソフトな教育理念に基づく有料の教育サービスには、『教育を受けない自由・知育以外の生活指導に従わない自由』も含まれることがあるが、学校教育特に義務教育段階の学校教育では『義務教育を受けない自由』というのは通常容認されることがない。

ハードな教育理念とは、生徒本人が好むと好まざるとに関わらず、特段の健康上の事由がない限りは、『学校環境への適応』を社会的自立の前段階において強制しなければならないという考え方である。ハードな教育理念では『知育(知識教育)』以上に『徳育(道徳教育)』を重視して、生徒の生活態度や価値判断、規範意識、立ち居振る舞いを権威主義的に変革しようとする。

ハードな教育理念に基づく教育活動では『何が正しくて何が間違っているのか』についての普遍的とされる基準があり、教師が“上位者”で生徒が“下位者”という厳然たる上下関係の階層秩序が設定されている。

生徒は基本的に『教育訓練される対象』であり、『教育者(教師)と対等な主体』ではないので、学校教育における善悪の普遍的基準や教師‐生徒の上下関係に疑義を差し挟むことはできないというのが、ハードな教育理念の特徴となっている。保守的な人が好む『秩序ある学校教育の範型』でもあり、生徒を規律訓練して既存社会・産業経済の枠組みに適合させる『近代教育制度の原型』とも言える。

近代の学校教育制度の本質・役割とは何か?2:教育の強制性・義務性とサービス業化の問題
義務教育というのは言うまでもなく、大人が子どもに学校教育・集団訓練を受けさせるものであって、子どもが自発的に学校で学び先生に指導されることを選択(希望)するわけではないので、原理的に『強制性・作為性』をそこから完全排除することはできない。

サービス業としての教育産業と義務的な学校教育との違いは、生徒自身(教わる者自身)が学校に通うことを希望して選択しているのか否かにあるし、教育を受ける対価として適正な市場価格を支払っているのか否かということでもある。

ソフトな教育理念は、生徒の自主性や主体性、選択可能性を重視して『生徒の内面にある素質・適性』を発達させようとする。だが、ソフトな教育理念では『教師‐生徒間の対等な関係性』が前提とされるので、成人ではなくても一定以上の判断能力や集団適性のある相手(生徒)でなければ、ソフトな教育理念のみに依拠して教育目標を達成することは難しい。

近代の学校教育制度の本質・役割とは何か?3:子どもの社会化と能力向上の個性教育のバランス
近代教育制度は原理的に、既存の産業経済や社会活動に適応可能な『近代的個人(理性・規範・倫理観を内面化した個人)』を育成するための制度であり、精神分析的に言えば『幼児的な全能感・自我意識の肥大』を集団活動や競争環境の中で去勢するイニシエーション(通過儀礼)としての役割も担っている。

本能的欲求に従う自然人としての子どもを、『規範・訓練・去勢』によって社会化・文明化していくというのが従来の近代教育制度の骨子であるが、このハードな教育理念の中で現代においても有効性が高いと思われるのが『社会的な規範・常識・作法の共通基盤』を作り上げるということだろう。

ハードな教育理念は『画一的・従属的・規格適合的な個人』を形成しようとする極であり、ソフトな教育理念は『個性的・自発的・クリエイティブな個人』を形成しようとする極であるが、初等教育から高等教育に進むにつれてソフトな教育理念を応用した個人の能力・適性を伸張させる教育制度設計が強く要請されることになる。

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2016年10月20日

早期英語教育の罪~乳幼児の適応欠乏に混濁を生みだす

今回は、早期英語教育について考えてみたい。

◆以前の投稿で、乳児期の特異な能力について紹介した。

生後6ヶ月までの乳児には、大人にはない認知能力がある
サイエンス誌によると、最近乳児に関して以下のようなことが明らかになった。
● 生後数日で、外国語の中から母国語を聞き分けることができる
● 生後4、5ヶ月で読唇術が使え、ビデオに映った顔を音声なしで見ながら、「イー」や「アー」の音を当てることができる
● 乳児はすべての言語の子音と母音を聞き分け、大人が聞き逃してしまうような外国語の音の 違いを聞き分けることができる
● 生後6ヶ月の乳児は、大人なら同じにしか見えない2匹のサルの顔を見分け、またサルの顔写真を見ながらその鳴き声を当てることができる
● 乳児はリズムの達人であり、自分の国とほかの国の音楽の拍子の違いを聞き分けることができる
これらの能力はすべて、生後6ヶ月頃には低下する。
つまり現在の環境下ではあまり影響しないような情報は無視することを学ぶようになるのだ。

◆左脳と右脳の役割分担
乳児の特異な能力を理解するために、脳進化の視点から見てみましょう。

脳の進化から人類進化を解明する
ヒトの脳は未完成の状態で生まれ、本能にはない新たな外界刺激を受けながら形成・成長することから、右脳と左脳の明確な機能分化が生じるのですが、本能との連係部分を残す必要はあります。右脳左脳共に未完成で真っさらな状態から始まるヒトの右脳は古い脳との繋がりを残し、左脳がヒトに特有の新たな機能を担うことに分化しました。
誕生後のヒトの未完成な左脳は、母親の声や表情、スキンシップを最初の刺激として受け、その刺激に反応・適応する脳を形成していきます。その結果、母親からの刺激の意味を理解する脳が形成されることになり、左脳はやがては母親の言葉や表情、スキンシップなどの意味を理解する様になります。さらに、様々な刺激の関連性や複雑な条件での刺激に対して最も適応的な反応・判断を選択することになるのです。

 
言語を分担する左脳はまっさらな状態で生まれ、新しく出会う母親とのコミュニケーションで完成していくんですね!
さらに驚くべきことに、母親の言葉を聞き取る機能は、胎内から始まっているらしい。

◆乳児は胎内から母親を通して言語を学んでいる

早期英語教育のメリットとデメリット vol.7
子どもが言葉を話し始めるのは、生まれてから1年ぐらいかかるといわれていますが、なんと人間はお母さんのお腹の中にいるときから、母語を聞き分け、親しんでいるというのです。例えば、生後2日目の赤ちゃんにおしゃぶりを吸う速度で母語と母語以外の会話のうち好きな方を選べるようにした実験*では、赤ちゃんは母語での会話を選ぶんだそうです。生まれてからたった2日で、もう母語と母語じゃない言葉を聞き分けるってすごいですよね。

以上のように、
人間の人間たるゆえんは観念機能。
ヒトは共認機能を命綱に、常にどうする?と自然と一体化することで、ついに観念機能を獲得した。
赤ん坊が、はやく一人前の人間になるために、観念機能の習得がまずは一番の仕事。
そのための準備は胎内から始まっていたんですね!
◆さて、そんな時に、英語教育は早いほうがいいからと英語を聞かせようとすると、どうなるでしょう?

赤ちゃんは人と人との関わりの中で言語感覚を学んでいく 〜 第二言語を獲得するメカニズム
英語が母語のアメリカの赤ちゃん(生後9ヵ月)たちに4週間、計5時間にわたって中国語での語りかけをしたら、台湾の中国語ネイティブの赤ちゃんたちとほぼ同じレベルで中国語が聞き分けられるようになった、という研究結果をご紹介しました。
ただし、それを可能にするには「ある条件」が必要だったんです。
この学習の過程で、人間の果たす役割は何かという疑問を持ちました。それで別なグループの赤ちゃんに、同様の12回のセッションをテレビを通して行い、また別なグループには、クマのぬいぐるみの映像を見せながら音声だけのセッションを行いました。それで赤ちゃんの脳に何が起きたのでしょう? これが音声だけの場合の結果で、学習効果は全く現れませんでした。そしてビデオの場合も、学習効果は全く見られません。赤ちゃんが統計処理をするためには、本物の人間の存在が必要なのです。赤ちゃんがいつ統計処理をするかは、社会的な脳が制御しているのです。
つまり、赤ちゃんが他言語の音を聞き分ける能力を身につけるには、人間が目の前で語りかけすることが必須だということです。音声やビデオ教材を掛け流ししたりするだけでは、効果がないっていうことなんですね。。。

 

赤ちゃんは母語を覚えるために外国語を犠牲にしていた!
ニュートラル状態の赤ちゃんは、まだ母語が定まっていないので、さまざまな音をきき分けることができます。驚きなのは、日本人が超苦手な「R」と「L」の発音も、じつは生後8ヵ月ぐらいまではふつうに識別できてるらしいということ*。まじですかー!
ところが、生後10ヵ月〜12ヵ月(1歳)ぐらいになってくると、聞き分けられていたはずの「R」と「L」が聞き分けられなくなってしまいます。なぜかというと、日本語の「ラリルレロ」は「R」でも「L」でもない特殊な音なので、日本語の「ラ」という音が聴こえたときに「え? RとLどっち?」みたいになったら赤ちゃん的には大混乱。効率的に母語(日本語)を身につけるためには、RとLを聞き分ける能力はむしろ邪魔なわけです。というわけで、母語に必要じゃない音は、赤ちゃんの中でどんどん切り捨てられていくんですね。
そして、ここが一番大事なんですが、子どもは母語を効率よく覚えるために、耳慣れない外国語に対する処理能力をどんどん切り捨ていく、ってこと。つまり、英語どっぷりの環境になれば、どんどん日本語を忘れていくということが、すでに証明されちゃってるんですね。

 

◆早期英語教育は健全な言語機能、思考回路を形成するのか?
このように見てくると、早期英語教育というのは単に親の都合の押し付けであり、子どもにとってはいい迷惑であると思われる。

・生命が生まれ、最初に出会う外界の刺激が母親の存在。
 全的に守ってくれる母親の存在を胎内の段階から看取し、全的に一体化しようとする。
 左脳の言語機能形成はすっでにこの段階から始まっている。
 生まれ落ちてすぐに母語を聞き分けられるのも、早くから準備をしているということ。

・そして、乳児の間の脳は言語に対する適応性に優れているから、早くから他国語を聞かせると習得してしまう、
 それほどの高い柔軟性、適応力を持っているということ。

・だからこそ、生半可に他国語を覚えさせようとすることは危険極まりない。
 赤ん坊は母国語であれ他国語であれ母親から発せられる言語に必死に一体化を試みようとするが、
 一体どっちが母国語=母親の言葉なのか、強い混濁を覚えるに違いない。
 それは単なる観念機能上の混濁ではなく、もっと深い適応回路上に発生する混濁であろう。

・さらに、一旦母国語に慣れ親しんだ後、6ヶ月もすれば他国語の習得能力は落ち、
 それでも習得しようとすれば今度は母国語を切り捨ててしまうのだから、もはや意味はない。

・ネットで検索すると早期英語教育のメリット・デメリットという記事を多く目にするが、
 どっちが得か、損か、といった親の都合で語ってはいけない、
 真っ当に言語機能、思考回路を身につけるにはどうすればいいのか、と考えれば明らかであろう。
 母親による読み聞かせが、一番の安心感であり、充足となる。
 充足感を母体に、一体化欠乏の塊が言語機能、思考回路を真っ当に成長させていく。

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2016年10月13日

学校教育が思考停止を作りだし、思考停止が社会を滅亡へと追いやる

強制的な勉強は、本来の思考を封鎖する

>勉強脳とは、本来の思考を封鎖する封鎖脳であり、15才頃(高校に入る頃)には、すっかり頭が錆びついて、本来の工夫思考⇒同化思考が殆どできない封鎖脳が形成されて終う。
直接の原因は学校制度・受験制度(教える教育)であるが、その母胎となっていたのは、私権圧力と市場拡大と近代観念である。現在は、封鎖脳を生み出した私権も市場も近代観念も終っているのに、形骸化した学校制度・試験制度だけが残存している状況にある。<
形骸化した学校制度のおかげで、勉強脳に犯され、思考停止した子ども達が大量生産される。
現在の社会は、政治不信、マスコミ不信、医療不信、原発不信、官僚不信、、、様々な不信感のうえになんとか生きながらえているに過ぎない状態であるが、最も危険なのはこのような状態にあるにもかかわらず、何の打開策も新しい思想も価値も創造できないことにある。
つまり、思考停止が社会を滅亡させるということ。
そして、その思考停止を作り出している張本人が学校教育にあるということ。
私達はこのことを今、しっかりと認識する必要がある。

勉強脳とはどういうことか、学校教育の問題とは何か、、

 

現代教育の問題点
現代教育の過ちの最たるものは、必要も、欲求もないものを教えつづけているということだ。
つまりは、食べたくない時に、食べたくない物を食べさせていると言うことと同じである。
そうなったら、食事は苦痛であり、拷問に近くなる。
まともな人間には、耐えられない。しかし、その耐えられないことを、何年間も子供達に強要しているのだ。
必要性から生じたものではないから、必要性を考えない。
そのために、かえって教わらない方が、いいという結果になる。

 

教科書
学校においては、教科書は絶対である。
学校では、教科書に書かれていることには、何の矛盾もなく、間違いもないと信じ込ませる。
それを実行しているのが、学校の先生である。
なぜならば、試験制度下においては、試験の原典である教科書は、絶対でなければ都合が悪いからである。
こうなると、目的より、手段の方が重要になる。
かくして、教科書は、宗教の聖典以上に、絶対なものとなる。
宗教の聖典に書かれていることは、迷信でも、教科書に書かれていることは、真理である。
白いものでも、教科書に黒と書かれれば、黒になるのである。
教科書に書かれた英語が、言葉として使い物にならなくても、試験に出る以上、マスターしなければならないのである。

学校においては、教科書に書かれていることが、真実であり、真理である。
そこには、現実も事実も入り込むことはできない。
なぜなら、教科書こそ学校や教師の権威の源泉であり、試験制度の土台だからである。
そして、試験制度によってしか、今の教育制度は維持できないからである。
教科書の絶対性が失われたら、試験制度は土台から崩壊し、学校は、生徒を管理する術を失い、教師に対する生徒の信頼は失われる。故に、学校では、教科書に疑問を呈することは、タブーなのである。

受験や偏差値社会では、与えられた問題を解くだけ。
必然的に与えられた問題しか解くことができない人間を大量に生み出すことになる。
しかし、現実には、与えられた問題などほとんどない。問題は、自分で見いだすか、作り出すものである。

子供達は、教科書の中だけの狭い世界によって歪んだ世界観を植え付けられ、役に立たない知識や技術を与えられ、何の価値観も持たないまま、現実の世界に放り出されることになる。
子供達が無軌道になるのは、当たり前なのである。若者が、無軌道な生き方をする原因を、学校が、作っているのである。

元々、学問とは、理論の複合体、集合体である。全ての理論を網羅するか、一つの理論を突き詰めるかしないと、学問の本質は失われてしまう。その意味で、個々の理論を要約して寄せ集めた教科書は、学問の本質を最初から喪失している。

 

学校という世界
このような教育を受けた者は、あらかじめ用意された答え、指示されたことしか答えられない。
しかし、現実の世界に用意された答えはない。条件や環境が変われば、答えは毎日のように変わる。
変化する環境や状況に即応し、適切な判断を下せる力をつけさせることが、本当の教育の目的である。
人生の悩みや大切な価値観は、教えられない。人生の岐路に立ち、苦しんでいる生徒達に対し、教師は無力である。

学校では、何もかもが、決められている。
しかし、現実の世界では、そのようなことは希有な事である。
決められたことだけが正しくて、それ以外のことは、間違いになる。
用意された答えの中から正解を選ばなければならない。そこには、創造性はかけらもない。

こんな環境に長くおかれれば、決められたこと以外できなくなるのが、当然の帰結である。
そして、決められた答えがないと不安になる。
逆に、どんな困難なことにぶつかっても、その事実を認識できず。誰かが、正解を出す事を期待するか。
どこかに決まった答えがあると、現実を常になめてかかるようになる。
予期せぬ答えは、許されない。

しかし、現実の世界は予期せぬ出来事ばかりである。だから、学校は、現実の適合できない人間を多く生み出すのである。ただ、それが大きな問題にならないのは、まだ、戦後の教育を受けた者が、決定を下さなければならない立場に立っていないからである。しかし、兆候は、すでにある。

試験に受かること以外、目的が、ない世界。学校とは、そういう世界である。
生きていくために必要な知識や技術は、何も学校では教えない。なぜならば、学校生活には、それらの知識や技術は、不必要だし、かえって弊害になると思われているからである。

無目的で、無原則で、無計画な世界、それが、学校という世界である。

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2016年10月06日

生後6ヶ月までの乳児には、大人にはない認知能力がある

リンク
>ハーバード大学教授のハワード・ガードナー博士は、プロジェクト・ゼロで、赤ん坊の知能の発達と年長者の知能水準を調べてみた。すると空間能力、運動感覚能力、音楽能力、対人能力、論理数学能力、内省的能力等で4歳までの子どもはほぼ天才的な水準にあった。けれども20歳ではその割合は10%、20歳以上では2%にまで低下した。<

 

赤ん坊は、実は驚くべき才能を身につけているらしい。

 

生後6ヶ月までの乳児には、大人にはない認知能力がある
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生後6ヶ月までの乳児はぼんやりしているように見えても、実はさまざまな能力を持っていることが研究によりわかってきた。
“infant”(乳幼児)とは、ラテン語で「話せない」ことを意味するが、子供は生まれる前からおしゃべりや発話の準備を始めていて、羊水を通って聞こえるくぐもった音に反応している。そのため、生まれたばかりの赤ん坊もすでに洗練された鋭敏な感覚を持ち、動物には見えるが大人や大きな子供には見えないような世界の細部を見ることができる。

サイエンス誌によると、最近乳児に関して以下のようなことが明らかになった。
● 生後数日で、外国語の中から母国語を聞き分けることができる
● 生後4、5ヶ月で読唇術が使え、ビデオに映った顔を音声なしで見ながら、「イー」や「アー」の音を当てることができる
● 乳児はすべての言語の子音と母音を聞き分け、大人が聞き逃してしまうような外国語の音の 違いを聞き分けることができる
● 生後6ヶ月の乳児は、大人なら同じにしか見えない2匹のサルの顔を見分け、またサルの顔写真を見ながらその鳴き声を当てることができる
● 乳児はリズムの達人であり、自分の国とほかの国の音楽の拍子の違いを聞き分けることができる
これらの能力はすべて、生後6ヶ月頃には低下する。
つまり現在の環境下ではあまり影響しないような情報は無視することを学ぶようになるのだ。

さらに最新の研究によると、生後4ヶ月の乳児は音声なしの映像を見ながら、その人が母国語を話しているかどうかを区別できることがわかった。この能力は生後8ヶ月には消えるが、バイリンガルな環境にいる場合は必要な能力であるため、そのまま残る。

また別の実験では、36人の赤ん坊に3人の英・仏語バイリンガルのスピーカーが文章を暗誦している様子を映したビデオを見せた。スピーカーはなめらかに暗誦できるまで十分に練習したが、生後4ヶ月から6ヶ月の乳児は、スピーカーが外国語の文章を暗誦しているときにより長時間画面を見つめていた。何かが違う、ということだ。
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子どもの脳は低周波で潜在意識が作られやすい 
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リーマ・レイバウ博士の『脳波の定量とニューロフィードバック』によれば、生誕から2歳までの子どもの脳は、主に0.5~4ヘルツの低周波のデルタ波が優位である。2~6歳では4~8ヘルツのシータ波が増える。そして、歳を取るにつれて、8~12ヘルツのアルファ波が増え、外部からのプログラミングの影響を受けにくくなる。12歳ごろからは、12~35ヘルツのベータ波が持続的にあらわれ始める。さらに、飛行機が着陸態勢に入るときのパイロットやプロのテニス選手では、さらに高い35ヘルツ以上のガンマ波もみられる。

アルファ波はリラックスした覚醒状態で現れる脳波だが、催眠療法では脳波をデータ波からシータ波に落とす。低周波数の脳波がでると暗示を受けやすくなる。そして、 この低周波の状態にある脳波は、取り巻く環境の情報を信じられないほど大量に取り込むことができる。子どもが親が提供する情報を潜在意識に記憶していくのはこの力による。京都大学霊長類研究所の研究によれば、チンパンジーの子どもも母親を観察するだけで学習することができるが、人間も同じで、基本的な行動や信念は両親を観察することを通じて潜在意識に組み込まれていく。
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さほど新しい情報ではないが、どちらの事例も驚くべき内容だった。
赤ん坊は、人類の最先端機能である観念機能をいち早く獲得するべく、お腹のなかから準備を始めているという。
しかも、聞いたり、見たりするだけで、様々な情報判断をしている。
これはやはり、生きる欠乏(どうする?)から生まれてくるところの、一体化欠乏の強さなのだろうか。
そして、母国語を見分けるという実験の状況が分からないが、仲間を見分ける、ということなのかもしれない。
生きるために、必死で仲間を見分ける=敵か味方かを見極める、至極当たり前のように思える。

世の中の最も危機的なことは、思考停止状況にあること。
思考停止である以上、何もなくても人類は滅亡する。
思考革命、思考解放の視点から、この間あれこれ調べてきたが、まだまだ赤ん坊に学ぶことがありそうだ。

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