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2018年04月17日

江戸時代の日本人は幸せだった

江戸時代の日本人を知るたびに、その大らかさ、心が充たされた様etc…とても幸福に暮らしていたように思います。
江戸時代やもっと昔の日本人の暮らしを知り、ヒントにしていきたいと思います。
以下、ブログ「かつて日本は美しかった」リンクより、転載。

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◆江戸時代の日本人は幸せだった

 物質的に豊かな現代からみると江戸時代というのは武士だけいい暮らしをして庶民は貧乏で不幸だったように思っている人が多いことでしょう。長屋の生活なんて6畳とちょっとした土間があって家具なんて箪笥(たんす)が一つあるくらい。水道がないから、井戸から汲んできた水をかめにいれてためます。ガスも電気もなく照明は行灯(あんどん)のなかで油を燃やします。トイレは共同。プライバシーなどありません。ところが幕末期に日本にきた外国人は日本人は幸せそうだ、と言っています。

・英国エルギン卿使節団のシェラード・オズボーン 安政5年(1858年)来日
 「この町(長崎)でもっとも印象的なのは(そしてそれはわれわれの全員による日本での一般的観察であった)男も女も子供も、みんな幸せで満足そうに見えるということだった」

・同使節団、ローレンス・オリファント
 「個人が共同体のために犠牲になる日本で、各人がまったく幸福で満足しているように見えることは、驚くべき事実である」

西洋の近代文明から見れば日本人の生活はみずぼらしく見えたはずですが、日本人は幸福そうに見えたと言っています。個人主義の西洋人から見れば公に尽くす行為など「犠牲」になっているという価値観であり不幸なことですが、日本人は幸せそうだと言っています。

・ロシア艦隊に勤務していた英国人 ヘンリー・ティリー 安政6年(1859年)来日 函館にて
 「健康と満足は男女と子供の顔に書いてある」

・イギリスの公使、オールコック 安政6年(1859年)来日
 「日本人は、いろいろな欠点をもっているとはいえ、幸福で気さくな、不満のない国民であるように思われる」

 質素な生活をしていてもお金に余裕があったから、幸せだったのでしょうか。野菜行商で生計をたてている長屋の”とっつあん”の例をとります。”とっつあん”は妻と子供二人を養っています。朝野菜を仕入れて、日没まで売り歩きます。
 野菜の仕入れ 600~  700文( 約9,000円~15,000円)
 売上   1,200~1,300文(約18,000円~20,000円)
 粗利600文(約9,000円)というところです。”とっつあん”は帰宅すると日割りの店賃と翌日の仕入れを除いてコメ代200文(約3,000円)を妻にわたし、みそと醤油代50文を追加でわたします。子供のお菓子代に12文を渡すと、残りは100文~200文というところ。2,3千円ですから、一杯やってしまえばおしまい。宵越しの金はもたないのが江戸っ子といいますが、その日暮らしというわけです。

明日一家がどうなるかわからないのに、これでどうして幸せなのでしょうか。
「金は天下の回りもの。なんとかならあな」

江戸時代は循環型社会であって、太陽エネルギーが産んだ植物を衣食住に使い、4つのR、消費削減(リデュース)、再使用(リユース)、資源再利用(リサイクル)、修理(リペア)により、何も増えないし何も減らない社会ができていました。物もお金も単位共同体という狭い範囲内で循環しますので、不安無く皆暮らしていたということでしょう。なにか物を大量に消費して不足する、無くなるということがないし、商人も株仲間で相互監視して買い占めたり、価格操作する悪さはできない。農村では自給自足、相互扶助です。自然の循環と一体になって生きるから人口も爆発的に増えません。飽和絶滅の危機を本能が感じることがないわけです。もしかしたら、江戸時代の日本は究極の幸福社会であり、人類史上でもっともユートピアに近かった社会なのかもしれません。

 イギリス公使のオールコック卿は日本があたかも楽園のように宣伝されていることを苦々しく思っており、「長いあいだ流布されてきたユートピア的な日本観は、日本をよく知るにつれて破壊される」という信念をもっていましたが、著書「大君の都」で次のように書いています。

「この火山の多い国土からエデンの園を作りだし、他の世界との交わりをいっさい断ち切ったまま、独力の国内産業によって3千万と推定される住民が着々と物質的繁栄を増進させてきている」

卿は「エデンの園」とうっかり書いてしまいました。

 弁護士の南出喜久治氏は自立再生社会の実現を唱えており、その社会の単位社会を「まほらまと」と呼んでいます。「まほら」は秀でた場所(土地)、つまり理想郷であり、「まと」は循環無端の「円(まどか)」であり、「玉(たま)」であって、それが「的(まと)」であると述べています。

 単位共同社会(まほらまと)の中で生活必需品をまかない、医療、教育、労働の機会があり、完全自給を達したらそれを極小化します。無減小への方向で内需拡大していき、最終的には大家族単位の自給自足の自立再生が実現できれば治安秩序においても諸問題はほとんど解決するといいます。世界主義や経済圏拡大主義(EUや道州制)といった拡散指向は飽和絶滅に向かう以外なく、「まほらまと」の極小化という収束指向こそ人類を救うものであり、究極の幸福論であるといいます。言ってみれば江戸型社会を見習え、ということです。

 トマス・モアの「ユートピア」は決して存在しない理想郷、架空の国家ですが、江戸日本はかつて存在したのです。ほんの150年前、我々のご先祖が作り上げていたのです。身近なところに実現可能なお手本があるわけです。我々はご先祖に応え、子孫繁栄のために江戸日本を見直し、本当の幸福とは何かを追求していくべきでありましょう。

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2018年04月10日

結婚する意味は?

離婚率の多さや、幸せな結婚生活を送っている人が周りにあまりいないことから、「結婚」って何なのだろう?と思ってしまいます。
それでも、結婚したいと婚活をする男女も大勢います。
子供が欲しいから・・・、年老いて一人だと寂しいから・・・、誰かと一緒にいるほうが安心だから・・・等、それぞれいろいろな思いを抱いているかと思いまが・・・。
今一度、「結婚」について考えてみてはどうでしょうか?リンクより紹介します。

~婚活が苦痛なら、まずその意味を考えて。~

「結婚しないと幸せになれないの?」「結婚する意味とは?」特にこの問題を真剣に考えるのは、アラフォーの独身女性でしょう。僕の知っているタイプは主に2つ。
1つは、これまで自然に男性と付き合ってきたのに、ある年齢から、結婚してもイイなと思える程度の普通の男性とすら出会えなくなり、ごく稀に出会っても付き合いまで発展せず、いつの間にか恋愛が遠ざかる。仕事などで忙しくしている間にさらに年月が過ぎ去り、アラフォーに。次第に結婚をあきらめはじめている女性。
もう1つのタイプは、30代半ばまで何も考えずに過ごし(あるいは30代半ばで、長い期間付き合っていた男性にフラれ)、その後、急に「本気で婚活しないと!」と思い立ち、かなり頑張って婚活を続けているのに、ずっと結果を出せず、アラフォーになって疲れてしまった女性。
このような女性たちは、やがて「そもそも結婚する意味はあるのだろうか?」「何のために結婚するのだろう?」と考えるようになります。
そこで、今回は、5つの疑問から、結婚する意味があるかどうかについて考えてみます。
CHECK!結婚する意味を考えるための5つの疑問

◆CHECK!結婚する意味を考えるための5つの疑問◆

1.幸福になれる?
さまざまな童話や物語を見ていても感じることですが、女性の幸福のひとつの象徴として「結婚」があります。実際に、結婚式では、幸せを感じる女性は多いかもしれません。
しかし、「結婚をすれば幸福になる」ということはありません。
結婚は就職と似ています。会社に就職したとき、少しの間は嬉しくなるかもしれません。でも、その会社で幸福を感じられるかどうかは、選んだ会社の質、会社との相性、その会社で自分が結果を出せるかどうか、その会社での仕事を楽しめるかどうかなどが重要となり、就職することそのもので幸せになるということはないのです。
ちなみに、結婚という会社は、女性にとってかなり大変で、多くの場合、独身時代の何倍も働くことになります。お金も子供に取られ、自由もありません。

2.親などの余計な干渉から逃れられる?
結婚をしていないことで、親から強いプレッシャーを受けたり、周りから「えっ、まだ結婚していないの?」という目で見られることがあるかもしれません。結婚をすれば、その手のストレスから逃れられます。
ですが、これも、結婚をしなくても逃れられます。親や田舎を遠ざけ、独身同士で仲良くすれば良いのです。
一方、結婚すれば、子供ができない場合、新たなプレッシャーを受けたりします。
また、結婚をすると、人間関係の問題は増えるでしょう。ラジオの長寿番組『テレフォン人生相談』を聞いていて思うのですが、その相談のかなり多くが、義理の親との関わり、夫の浮気、思い通りにならない子供だったりします。独身であればそれがありません。

3.子供が得られる?
あなたが子供を欲しいと考えているなら、結婚が最善でしょう。アラフォーの女性は、子供が産めなくなる年齢は正確に知っておいた方が良いと思います。
あなたがもし子供を産めない場合、あなたはもう、子供を産むための結婚をする必要はありません。また、全てが万全でも、子供を授かれるかどうかは分かりません。
結婚をして、子供を得ることは、独特の満足感をもたらします。子供と共に、自分の親族や、地域社会と関わることで、徐々に自分が「大人になった」「一人前になった」「社会の一員になった」という満足感が生じてくるのです。それがある程度の幸福感をもたらします。
しかし、これも、地域社会に何らかの形で貢献をすれば、同等の幸福を得られるでしょう。僕の知り合いの40歳以上の独身女性で、NPOを立ち上げたり、参加したりして、自分に出来る社会貢献をし、そこで同等の幸福を見いだしている人は少なくありません。

4.将来の不安が無くなる?
経済的な不安を解消したくて結婚する場合、相手にある程度の収入と安定性が必要です。世間は「年収の低い男性と妥協してでも結婚しろ」と言いますが、この目的で結婚するなら、そうする必要はありません。
もし相手が経済的な条件を満たしていても、夫だけの収入に頼ることはリスクが高いようです。彼にもしものことがあった場合、あるいは2人が何かの理由で離婚してしまった場合、あなたはたちまち経済的な不安に陥ります。
あなたがもし、独りで生きていける経済力があるなら、今のうちに貯金をし、保険などでリスクヘッジをしておいた方が、下手に結婚をするより安心かもしれません。
「将来孤独になる」という不安も、結婚したからといって解消されるわけではありません。かえって孤独を感じる人も多いです。それよりも、時々会える程度の友達がいる方が気が楽かもしれません。また、将来、独身の老人は更に増えるでしょうから、それに対応した福祉やサービスが充実すると予想します。

5.愛する男性とずっと一緒にい続けられる?
もし今、あなたに愛する男性がいるなら、結婚すると、普通の恋愛よりずっと別れにくくなることは確かです。
ただ、恋愛感情は、多くの場合、数年でなくなっていきます。10年前に熱愛した相手を今も同じくらい好きという人はほとんどいないでしょう。だから、あまり意味のないことだと思います。
この5つの疑問に答える形で言えば、「結婚する意味は特にない」と思います。あなたが婚活で苦しんでいるなら、もう苦しむ必要はないかもしれません。
恋の教訓:結婚できなくて苦しんでいる人は、どうして結婚をするのか考え直すこと結婚はしたい人がすれば良い

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2018年04月05日

学校教育・教授法の始まりは、いかに短時間に多くの知識を詰め込むか

明治初期の公教育の歴史を見ると、
明治以来の「手習い」に代わり、アメリカ由来の「直観教授」→「開発教授」→ドイツ由来の「段階教授法」へと移行していることが分かる。

段階教授法を基礎に、日本の公教育の教授法の定型がつくられている。
できる限り短期間に、多くの知識や技能を児童に教え込むための効率的な教授法を模索していた教員たちに受け入れられていった。
同じ教科を、同学年に、一律一斉に、教授するという、効率を重視した教育法である。

いずれも日本独自に生み出したものではない。
しかし、アメリカ・ペスタロッチが提唱した直観教授~開発教授は、
子どもの「天性」を活発なものであるとみなし、自然の順序で「心力」を開発する、としたものであった。
彼は、貧しい農民の子供たちを相手に労働と教育とを一体とする活動(貧民学校)を営んでいた。

一方、その後に主流となり現在の教育法の基盤となったドイツ・ヘルバルトの段階教授法は、
「教授のない教育などというものの存在を認めないし、また逆に、教育しないいかなる教授も認めない」と説き、
・教授:子どもに興味・関心を持たせるよう知識を伝達し、習得させる機能
・訓練:陶冶しようとする意図をもって、青少年の心情に直接に働きかける機能
・管理:子どもの欲望を統制したり、教室内に秩序を実現したりする機能
という三つの概念を提唱している。管理教育の始まりである。

 

以下、「明治二〇年代高等師範学校附属小学校におげる直観教授実践の歴史的展開」より要約。

◆直観教授
明治五年の「学制」公布以来、日本では近代学校の組織・教育内容にふさわしい教育方法が模索された。それは、近世以来の「手習い」に代わる、学級制に対応した一斉教授の方法であった。新しい教授法を実践し、その全国への普及に中心的な役割を担ったのが、明治五年に設立された師範学校(後、東京師範学校、高等師範学校を経て、明治三五年に東京高等師範学校となる)であった。そこでは、アメリカ・ペスタロッチ主義の直観教授が実践され、はじめ「問答」科が設定され(明治六年)、ついでそれが「実物」科へと改変されていく(明治二二年)。

明治一〇年前後の「間答」、「実物」の両科は、アメリカ。ペスタロッチ主義の直観教授を日本の実状に合わせて翻案した「庶物指教」に代表される直観教授の試みであった。しかし、政府の教育内容統制に対応する形で、この試みは変更を迫られ、直観教授に対応する内容を「教科」として独立させていた時期は短かった。

◆開発教授
そして、独立の「教科」領域での直観教授にかわって、全教科にわたる教授法の原則として、「開発教授」が採用されるようになる。これは、先の「問答」科が暗記主義に陥った弊害への批判意識も持ち合わせていたものであり、暗記ではなく子どもの知識・認識を間答によって「開発」しようという意図を持っていた。

「開発教授」の実践の中心地もまた、東京師範学校であった。明治一〇年代に相次いで校長を務めた伊沢修二と高峰秀夫は、ともにアメリカヘの留学を経験しており、そこで「開発教授」を生み出す直観教授の原理を学んでいた。これが、日本で、東京師範学校における試行をふまえて、同校および附属小学校の教員である若林虎三郎と自井毅によって『改正教授術』としてまとめられた(明治ニハ年)。
その教授の主義は、子どもの「天性」を活発なものであるとみなし、自然の順序で「心力」を開発する、としたものであった。

明治一〇年代に一世を風靡した「開発教授」が、次のような特徴を持っていたことが確認されている。
①ある事物を示しながらそれについての問答を繰り返していくことによって、子どもの知識・認識の「開発」をはかろうとしていたこと。
②間答という方式の内包する形式性やそれを実行する教員の未熟さもあって、「開発教授」は形骸化していったこと。
③こうした形骸化の根底には、ペスタロッチがもっていた直観原理の思想性への理解が欠如していたこと。
さらに、教育内容の統制が、直観原理の理念の把握を必要としない「教授法」の普及を助長した。

◆段階教授法
そして、こうした特徴を持った「開発教授」に代わって、明治二〇年代後半以降には、ヘルバルト派の理論が主流を占めるようになっていくとされている。この過程は、稲垣によって「公教育教授定型」として示されている。

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2018年03月30日

現実社会を生きるための学校教育なのに、現実社会からは無圧力で全く繋がっていないという、この絶対矛盾

◆文科省が掲げる「学力」は、

「自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、問題を解決する資質や能力、、」といったものである。

 

◆これに対し、すでに2004年、経団連が文科省に対し要望を突きつけている。

21世紀を生き抜く次世代育成のための提言」だ。

これによると、

現在の学校教育は、卒業後の実社会で必要とされる知識と判断能力を十分身に付けさせているとは言い難い。受験のための教育が中心となっているため、学生・生徒の知的世界が狭まっている。

近い将来、実社会において生活するための基本的な資質すら持たない青年が増加し、これまでわが国の経済・社会を支えてきた人材力の基盤が崩れ、国家の根幹を揺るがす懸念がある。

こうした状況を踏まえ、今こそ、教育を国家戦略の重要な柱として位置付けることが必要である。」

と、現在の学校教育に危機感を抱いている。

 

◆先日の実現塾では、教育革命について、職場と学校の違いという視点から、いかに学校教育の場がおかしなことになっているか、小・中・高校生の実感も含めて議論した。

とても重要な内容なので、簡単にまとめてみた。

 

職場1

 

 

 

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2018年03月22日

踊りと性のエクスタシー~シャーマン~観念回路

人類の極限時代、観念(言葉)の無い世界とはどういう世界だったのだろうか?
いかにして観念(言葉)は生まれたのだろうか?
相手に対する同一視~共感回路をフル稼働させ、自然に対しても同化を試みていたのだろうか?
相手との一体感と同じように、自然との一体感を体得したのだろうか?
性行為における女性のエクスタシーは宇宙との一体感があるというが、エクスタシー体験が自然との一体感に繋がったのだろうか?
シャーマンには女性が多いが、性行為におけるエクスタシーを経験しやすいのが女性だからだろうか?
歩行訓練による踊りはトランス状態に陥るが、踊りと性行為のトランス体験が自然との一体感~観念の獲得を導いたのだろうか?

 

未知の世界、あれこれ考えると興味は尽きない。
巫女の「神懸り」とは、舞や性行為により陶酔状態=脱魂状態とさせることで、神の降臨の儀式を行なったという。
「素質」があり、「修養」すれば、現代でも巫女になれそうではある。

 

シャーマニズムとは、忘我的な精神状態(トランス)の中で、魂が身体から抜けだして,神霊界を遍歴するのを脱魂型と呼び、その人の身体に別の神霊が憑依侵入するのを憑霊型と呼ぶ。
より根源的なのは脱魂型であり、超自然的存在と直接的に接触、交流が可能であるということ。(リンク

 

リンク より
御託宣(ごたくせん)の神・事代主(ことしろぬし)の神に始まるシャーマニズムに於いて「神懸(かみがか)り」とは、巫女の身体に神が降臨し、巫女の行動や言葉を通して神が「御託宣(ごたくせん)」を下す事である。

当然、巫女が「神懸(かみがか)り」状態に成るには、相応の神が降臨する為の呪詛行為を行ない、神懸(かみがか)り状態を誘導しなければならない。

巫女舞に於ける「神懸り」とは、すなわち巫女に過激な舞踏をさせてドーパミンを発生させる事で、神道では恍惚忘我(こうこつぼうが)の絶頂快感状態の呪詛行為の術で、仏法では脱魂(だっこん)と言い現代で言うエクスタシー状態(ハイ状態)の事である。

現代に於いても人々に踊り好き祭り好きが多いのも当たり前で、ディスコダンスでも盆踊りでも夜明かし踊ればベータ・エンドロフィンが脳内に作用して疲れ心地良いダンシング・ハイの興奮状態を招く。

その最も初期に行なわれ、永く陰陽修験に伝え続けられた呪詛行為の術が、すなわち巫女に過激な性交をさせてドーパミンを発生させ、脳内麻薬のベーター・エンドロフィンを大量に発生させ、セックスハィの陶酔状態にする。

そうした事で、巫女がオーガズム・ハイの状態(ラリル状態)に成れば、その巫女の様子から周囲が神の降臨を認め、「神懸(かみがか)り」と成る。

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2018年03月01日

「何になりたいか?」「どんな仕事がしたいか?」にはっきり答えられない子供たち

何気なくツイートを見てたら、面白そうなツイを見つけた。
(返信68 10,337件のリツイート 23,073件のいいね)

@若い子と話してて気づいたんだけど、「何になりたいか?」「どんな仕事がしたいか?」という問いにははっきり答えられない子が大勢いる一方で、「どんな働き方がしたいか?」「どんな生活がしたいか?」という質問にはほとんどの子がちゃんと答えられるんですよね。

@「プロ野球選手になりたいです」とか「作家になりたいです」とかではなく「こんなライフスタイルを送りたいです」っていうのが目標であり夢なんだな、と。これは世代間格差を感じざるを得ない。

@考えてみたらブロガーブームなんかも「ブロガーになりたい」「物書きで食えるようになりたい」っていう需要じゃなくて「自由な生活を送りながらお金稼ぎたい」っていうライフスタイルへの需要なんですよね。こういう若者のニーズを理解できないと、企業は採用で苦労することになるのだろう。

@考えてみたら二十歳そこそこの頃なんて、夢なんかとくになかったもんね。「ちょっとやってみたい」程度のことはあったけど。でも、当時は「やりたいことがないなんて真剣に生きてない証拠」みたいな夢のない人を見下す風潮があって、仕方なしに無理やり夢っぽいこと捏造してたわ(昭和の話です)

このツイートに対する返信
   ↓ ↓ ↓

@どんな仕事と言われてもなかなかピンとこないんですよね…。
何がしたいかも、どこで何が出来るのかも正直良く分からない…

@転職で面接受けた時、私もこれ聞かれて困りましたし、ツイートを見て気付きました。リーマンショックで破産したり、過労死問題がこんなにも溢れている現代の日本を見ていると、「人生を充実させるための働き方」という段階よりもまず「安全に生き延びること」を考えてしまいます。

@上世代のその意見も分かるんだけど、今の35歳以下はライフワークバランスを1番に念頭に置いている人が多い体感です!社会に夢と希望が無いから諦めの境地なのか、楽しめることが仕事以外にありまくるからなのか、後者であって欲しいですね

@塾・家庭教師だった15年前、親が開業医でもなければほとんどの子が何になりたいか分からないと言っていました。まあ焦らないで、大学いって考えればいいよと(学部はつぶしのききそうな感じになります)。不真面目なわけではなく、なりたいものがないことに真剣に悩んでいる子もいました。

@日本は意思のない兵隊を量産する教育してるんだからやりたい事なんて生まれないのが当たり前だと思いますよ

@昔は「パイロット!」とか「お医者さん!」とか「お花屋さん!」とか「スチュワーデスさん!」とかだったものが、
子供がネットや創作物を通して身近に感じすぎて「意外に夢無えな…」とか感じたり、親見て「こんな現実嫌だわ…」とか感じたりしてしまっているのかもですね。

@30ですが、このツイート見てやっと納得できた気がします
我々の世代は学生時代にリーマンや東日本など様々なことを一度に体験してる
更に社会に出れば責任転嫁の嵐で頭がお花畑が多数…この現実を見ると、ね
この辺りからの世代は現実主義の人が多いのでそう思うのは当然かもしれないです

@高校の頃は人と変わってることがかなり異常に見られてる空気が漂っていて他人に心が開けず、大学の就活セミナーなどではなによりもまず「就職する」こと、やりがいや志望理由なんかは面接で答えられることばかり重視して教えられていたような気がします。

@これは人間の進化。私は31ですが、私より下の世代はみんなこれ✨

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「どんな働き方がしたいか?」「どんな生活がしたいか?」
に対する若い子の中身が見えないが、なるほど~って感じ。

私は1960年の生まれ、「末は博士か大臣か」という言葉が生きていた。
未来像は、村人たちの期待とともにあった。
同時に、当時の社会的外圧は貧困の克服~私権(身分、地位、金)の獲得。
博士、大臣といった姿には、その全てを満足させるものがあった。
パイロット、医者、、なども然り。

1990年代以降、「自分探し」~「自己実現」というブームが登場した。
貧困を克服した1970年頃に生まれた世代が、20代になる時期。
もはや社会的課題、私権獲得課題に価値(存在理由)を見出せなくなり、「自分」を探し始めたわけだ。
私権の衰弱は、根っこの自我欠乏をも衰弱させる。
「自分」を探したところで見つかるはずもない、なりたい未来像なども見えなくなった。

そして、リーマンショック、東北原発事故を経た現在、
若者の欠乏の中心は「人の役に立ちたい」「社会の役に立つことをしたい」というもの。
金でも、地位でも、名誉でもない。
人に期待され応えること、その喜び。
これこそ、かつて探していた自身の存在理由である。
同時に、側を覆っていた私権の欠乏が姿を消し、本源の共認充足欠乏が生起した。

「何になりたいか?」「どんな仕事がしたいか?」という問いにうまく答えられないのも当然だろう。
そんなことより、「人の役に立ちたい」「社会の役に立つことをしたい」のだと。
これは、職業の選択基準、動機が根本的に転換したことを意味する。
まさに、「どんな働き方がしたいか?」「どんな生き方をしたいのか?」が問われる時代になった。

母親は、「何かやりたいこと、夢中になれることを探しなさい」と言う。
自分の中に探しても見つかるものではない。
そんなことより、何であれ人が喜んでくれること、役に立つこと、活力あがることを、まずやってみるといい。

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2018年02月22日

結婚できないのは「恋愛至上主義」社会の弊害

前回の記事「ベーシックインカムで男女関係も本源収束へと転換する」では、
ついに自我私権の性関係も終焉を迎え、男女関係の価値観が変わり、本源の性へと転換していくと書いた。

これまでの男女関係について、あれこれ振り返ってみたい。
まずは、恋愛至上主義について。

 

リンク)より

■3組に1組の夫婦が離婚していると言われる今の日本。また、未婚率も年々上がり、社会問題になっていますよね。

こうした未婚率や離婚率の高さの原因は何でしょうか?
現代社会における恋愛と結婚のあり方、両者の違い、“恋愛至上主義”社会と結婚の関係などについて検証していきます。

 

■未婚率や離婚率が高い原因は?

お見合い結婚が一般的だった時代は、自分の感情に関係なく夫婦になるのが当たり前。ふたりの間に愛がなくても、周りの人たちのお世話や紹介で出会って即結婚というケースは珍しくなかったようです。

中には、男尊女卑的な考えを持つ男性や浮気性の男性と結婚しても、文句を言うことすら許されず、生涯、耐え続けた女性もいるでしょう。

一方、現代は「結婚相手=愛する人」と捉える“恋愛至上主義”社会。出会った後に一定期間の交際を経てプロポーズ、そして結婚という流れが一般的ですよね。

魅力的に思えますが、ひとたび恋愛感情がなくなってしまうと一緒にいる理由がなくなり、交際をやめたり離婚を考えたり。
日本の未婚率や離婚率の上昇の一因は、この恋愛至上主義かもしれません。
なお、恋愛結婚では約4割の夫婦が離婚している一方、お見合い結婚したカップルの離婚率は1割程度というデータもあります。

 

(参考)
■ 恋愛至上主義ゆえに結婚制度が壊れ、家族が消失する(リンク
■ 恋愛至上主義や個人主義が進んだ結果、ついに結婚制度が崩壊へ(リンク
■ 恋愛至上主義の時代は終わった(リンク

 

恋愛関係だと、何故うまくいかないのか、長続きしないのか、

次回から掘り下げてみよう。

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2018年02月15日

ベーシックインカムで男女関係も本源収束へと転換する

◆私権第一から、社会の役に立つ生き方への大転換
この大暴落を受けて世界的な大不況が訪れると、これまで信じてきたお金の意味を、人々はあらためて考え、やがては「脱私権」へと収束していく。国家は不況をうけて、所得導入制度(ベーシックインカム)へと踏み切る。これが脱私権と相まって、経済のシステムだけでなく、人々の労働観を大きく転換させていくことになる。

ベーシックインカム制度下にあれば、人々は多種多様な職業選択が可能となるだけでなく、自分の欠乏に応じたお金の使い方が可能になる。本源収束の意識潮流は、「役に立ちたい」という役割欠乏から能力欠乏を生起させる。それは手に職といった職能を超え、私権国家にかわる新たな社会の統合に必要な認識=新しい理論構築へと収束していくだろう。もちろん企業の良し悪しも、如何に社会に役に立っているか、というモノサシで皆が測ることになる。つまり、社会のあらゆる活動は「どれだけ皆の役に立っているか」が評価軸となっていく。(リンク

 

 

ベーシックインカムはすでに世界中で導入実験がされており、破局を契機に導入されることはほぼ規定路線となりつつある。
実際に導入されると、人々の労働観、価値観はどのように変わるだろうか?
働かなくても食っていけるわけだから、働かずに遊んで暮らす人ばかりになる、怠け者の国になる、、、
果たしてそうだろうか?
人間は共認存在である。
課題共認⇒役割共認⇒評価共認⇒共認充足。
集団の社会の課題を受け、役割を期待され、全うしていくなかで社会の評価軸が定まり、共認充足が得られていくもの。
自分ひとり好き勝手暮らすなかでは、決して共認充足など得られない。
制度導入直後は遊んで暮らす人も多かろうが、次第に「何か違う」「何か足りない」と思い始めるに違いない。
それが役割欠乏だ。
人間誰しも集団の、社会の期待を受けたいもの、役割を受けたいもの、期待と役割を受けて応えたいと思うものだ。
それが一番の活力源になるから、それが一番の存在理由になるからだ。
だから、何か社会の集団の「役に立ちたい」という役割欠乏が生起し、力を付けようと能力欠乏が生起する。
その先端は、新しい社会を牽引していく新観念の創造であり、理論構築であり、
そんな潮流の中で定まっていく評価軸は「どれだけ皆の社会の役に立っているか」であることは間違いない。

 

さて、そんな未来が到来するとなるとワクワクするが、
評価軸が「役に立っているかどうか」に定まっていけば、自ずと人物評価としても「追求力、人間力」へと定まっていく。
そんな状況においては、男女関係(男女間の評価)も自ずと変わっていくのではないだろうか。
ベーシックインカム導入時の議論をした先日の実現塾では、
「働かずに引きこもって暮らす」と答えた学生に、「そんな男は願い下げだ」と女性が答えたという。
至極、当たり前の判断だろうと思われる。
社会的な評価軸と同様に、女が男を選ぶ選択基準も変わっていくだろう。
お金が意味を持たなくなる時代、どれだけ社会のため皆のために役に立っているか追求しているかが問われる時代。
私権が衰弱し、先が見えずに男は自信喪失状態にあったが、照準が定まり、若い男から自信回復していくだろう。
これによって私権価値を背景にした自我の性関係も淘汰され、本源的な男女関係が再生されていくのではないか。

 

ベーシックインカムは私権社会と決別し、本源社会、共同体社会へと大転換していくチャンスになりそうだ!

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2018年02月01日

和傘の構造に似る天皇制?

『移ろうままに』「落合莞爾史観(1)『日本教の聖者・西郷隆盛と天皇制社会主義』より」から転載する。

落合史観の根底にある「政体」と「國體」を理解しなければならない。国家と呼ばれる特定社会の統治権を掌握する政治機関、つまり「時の政府」が「政体」であるのに対し、その根底にあって、「国」という共同体そのもの、まるごとの在り様が「國體」である。

落合氏は「國體」と「政体」を和傘にたとえて説明している。

「わが列島社会は、太古から、キミ(君)—オミ(臣)—タミ(民)が垂直に階層をなす構造をタテとし、各種の職能を保有するカバネが並列にならふ構造をヨコとする格子構造を成してきました。

和傘を開いて見上げると、真ん中に「頭ロクロ』かあり、そこから放射状に広がる「親骨」に「平紙」が張られています。「親骨」の中ほどの「頭ロクロ」寄りに「中節」があり、ここと「手元ロクロ」を「小骨」が繋いでいます。広がった「平紙」が日本社会で、「中節」の外側がタミ、内側がオミです。頭ロクロはもちろん天皇です。雨を訪ぐ機能としてはここまでで充分で、これが日本の「政体」なのです。

ところが相傘の構造は立体的で、「頭ロクロ」から「平紙」に直交して下がる『柄竹(えだけ)」が『手元ロクロ」を貫いています。可動性の「手元ロクロ」を「柄竹」に添って上下すると、その動きが「小骨」から「中節」を中継して「親骨」に伝わり、「頭ロクロ」を軸として「平紙」が開閉するのです。

要するに、雨水を遮断する和傘の機能は、「親骨」に張られた「平紐」の平面的な広がりで得られるのですが、そのためには「柄竹」をしっかり握って「手元ロクロ」を上下に操作せねばならず、結局[柄竹」と「手元ロクロ」と「小骨」の立体構造(体)が和傘の機能(用)を発揮させているのです。

この「柄竹」が國體天皇、「手元ロクロ」が國體奉公衆の棟梁で、その動きを「小骨」の國體奉公衆たちが「親骨」すなわち政体オミ衆に伝えるのです。「平紙」はむろんタミ(人民)です。」

和傘の構造と日本社会.jpg

「職能を異にしたカバネ(族種集団)がそれぞれの特性を保持しながら、他のカバネと協業して社会活動を営む集合体の中心に天皇がおられる。これが列島社会の理想的な在り方で、これを「國體」と呼びます。」

「他文明・他地域は知らず日本列島においては、古来カバネ(職能族種)による分業・協業を根本的な社会体制とする社会思想が成立していますから、カバネのキミの命令とあらば、あたかも企業内の人事異動のごとく、タミの移住が円滑に行われてきたことです。この点が、人民の地域活動に関して日本社会が他国と著しく異なるところです。」

「國體を、「至上の政治・社会理念」と心得て、いかなる社会変動があろうとも絶対に護持しようとする考え方が國體思想です。
國體にとっての最大の危機は、何と言っても列島社会の分裂です。建国以来、孜孜として積み上げてきた國體天皇と先人の努力が大きく損なわれる国家分裂は、国難これに過ぎるものはありません。」

「日本では二千年も前から國體の理念を「天皇制社会主義」として、常にこれを護持してきたのです。
國體の理念と政体の都合とが矛盾することは、しばしばありました。いや、むしろ両者は常に矛盾をはらんでいるのです。なぜなら、和傘は開くことで役立ちますが、広げたときには強風に弱く、傘を守ろうとすれば、手元ロクロを下げて傘を閉じなければならぬ場合も訪れるからです。

一旦緩急のある場合は、「雨に濡れることを承知で傘を閉じる」のが國體側の役割ですか、その動きは、「降り往ぐ雨の下で機能を果たすために傘を開いておきたい」政体側から邪魔されるのか当然です。國體側は、その行動の理由を政体に説明しません。國體が危機に瀕した以上、情報を公開することは直ちに外敵を利するからです。國體側の把握する外敵の情況と、これに対する施策は「特定秘密」ですが、これを公開しないことから犠牲か生じます。もとよりそれを承知の國體側は、犠牲を「大義のため」として納得しているのです。
江戸幕末の大老井伊直弼・将軍徳川慶喜・京都守護職松平容保らはまさにその例で、西郷隆盛もこれに加えるべきでしょう。

國體と政体の関係は?
「落合莞爾史観(2)『京都皇統の解禁秘史 天皇とワンワールド(国際秘密勢力) 』より
」転載。

人類社会は、政体が本質的に有する危険性をあらかじめ防止するため、「社会の健全性維持を図る」職掌を必要とすることになり、これを担う族種が生まれます。本稿はこれを『國體勢力」といい、ときに「國體」と略します。

社会に隠れて実在する國體勢力に気付いた者が誰一人いないのは、國體勢力が自ら秘密性を厳重に保持してきたからです。つまり國體は、本質的に秘密勢力なのです。國體衆(構成員)が名士として社会の表面に出ることは避けられませんが、政体暴力装置の眼をくらますため、國體職掌とは見えない表看板を掲げるので、覚られることはありません。

ワンワールドとはここの國體勢力が特定の地域社会を超えて国際的に連合して形成した集団のことです。この集団は、自らの存在を意識的に隠蔽しているため、社会的に明確な実在感がありません。
自前で金儲けをする方法を先天的に心得ているのが國體勢力の國體たる所以なのです。社会構造を巨視的に見れば、政体は國體に食わせてもらっているのです。

國體活動の目的は、政体が表面的に支配する社会構造を、その裏側から秘かに維持することでもあるのです。近世中華国家の郷紳富商たちは、政体を秩序維持のための職掌とみなし、それがたとい清朝皇室愛新覚羅家であっても、「番犬」と呼ぴました。

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2018年01月25日

教育改革~「学校に行かない」選択→有害な学校から子供たちが離れていく

「学校に行かない子供たち」と検索すると、約169万件のヒット!

少し前のいわゆる不登校ではなく、自らの意思で「学校に行かない」ことを選択している。
いろいろ理由は様々だろうが、
共通しているのは、強制される勉強に意味はない、と強烈に違和感を感じていることだろう。
もはや一言で不登校と済ますわけにはいかない状況だ。
「脱学校」、「脱強制」の潮流は、当事者の子供たちから確実に進行していく。
子供たちの置かれた状況を正しく理解し、大人達は子供たちを見守っていく必要がある。

 

いくつか記事をあげてみると、

娘が下した「学校に行かない」という選択。それから1年。子どもたちに起こった変化とは
~「学校に行きたくない」という選択は、身を守るためのSOSかも知れない

「学校には行かない」小2長男の“積極的不登校”という選択
~「学校に行く理由がわからない」積極的不登校のはじまり

子供に「学校へ行かなくてもいい」と言う重要性を経験者が語る
~学校に行きなさいという言葉は子供を追い詰めるという事実を知ろう

 

ひとつ面白い記事があったので(少々長いが)紹介する。
なにかのテレビ番組の収録だろうか、不登校の子供たちをスタジオに呼んでの大人たちとの議論。
「学校に行かない」選択をした子供たちに対する大人の意見がもう、強制そのもの。
根拠の無い大人たちの価値観、常識、屁理屈の押し付け、、、
こんな大人たちばかりだったら、ますます子供たちは大人社会を見限ってしまうだろう。

 

◆◆◆テーマ:『学校に行かない子供達を考える』◆◆◆
ナレーター:バッキー木馬
司会   :江口ともみ
コメンテイター
:ビートたけし
:テリー伊藤
:KONISHIKI
:鴻上 尚史
:ラモス・ルイ
:RIKAKO
~スタジオには学校に行かなくなった子供達7人が登場~

○ 皆さんはこの事実をご存知ですか?
学校に行かない子供達が急激に増加していることを
昨年度不登校の生徒(小・中学生合計)約12万800人 なんと、5年前の2倍!!

○ 「義務教育」これは戦後間も無い1947年
(教育基本法により義務教育が始まる)に生まれた制度で、
以前は家庭の事情で働いている子供達が多くいたが、義務教育により日本の全ての子供達が学校に行けるようになった。
ところが現在、日本の教育体制をささえてきた義務教育が崩壊の道をたどっている。

○ その原因とは、
「不登校」:1年間に30日以上学校を休むこと
つまり、子供は学校に行かないのである。
不登校者は年々増加文部省の調べでは、昨年度の不登校者の数は12万7692人。
中学生では、43人に1人(クラスに約1人)が学校に行かないのだ。

○ ところで、不登校を世間の親はどう思っているのか?

Q.不登校をどう思う?
会社員(38):ちょっと昔では考えられないですね。
会社員(43):社会の秩序を守る上で最低限度は学校に行かなきゃならんでしょうね。
主婦(54):一日も休んだこと無かったですけどね(笑)。
100人中義務教育だから行かなきゃならないと答えた人は73人。

○ 義務教育とは
子供が学校に行かなければならない、子供の義務ではなく、
子供が学校に行けるような環境を作る、大人の義務なのだ。

 

◆◆学校に行かない理由①◆◆
日本国 佐藤 誠(19)[小3より不登校]
『勉強が嫌いだし、いつだって出来る』

佐藤君
:勉強が嫌いと言うより、いつでも出来るんですよ。
それを何も選択権が無い小学校のうちから強制させられてやるものではないと思うんですけど。
自主的に勉強はやるものだと思うので、
やっぱり強制させてやらせる勉強はちょっとおかしいんじゃないかと思います。

ジルベルト・アパレシード・ベレイラ(35)/会社員/ブラジル連邦共和国
:何処からそういう考えがあなた出て来たんですかね?
何か勉強がいつでも出来るとかさ、
それはちょっといけませんよ、
あなたの親はそういうこと賛成ですか?

佐藤君
:親じゃなくて自分がそういう学校に行って「勉強はいつでも出来る」
と言うことを、学校に行かなくなったことで学んだことなんですけど。

ジルベルトさん
:ここに居る外国人はみんなよく学校に行って来たんで、
あとで絶対後悔すると思うよ。

佐藤君
:いや、その後悔は、自分で選択したものじゃないですか、
今は必要ない、やっぱり必要な時に勉強してこそ勉強なんですよ、
必要じゃない勉強は勉強じゃないと思うんです。

ジルベルトさん
:あなたの親はそれに関しては何て言ってるの?

佐藤君
:自分で選んだ道なんだから、って、、

ジルベルトさん
:だから、何も言わないの?

佐藤君
:はい。

ジルベルトさん
:あなたの親はちょっと、、、おかしいね(笑)

佐藤君
:いや、おかしくないですよ。

ジルベルトさん
:おかしいよ!

テリー伊藤
:佐藤君、お仕事はなにかやってるの?

佐藤君
:いえ、やってません。無職です。

ジルベルトさん
:仕事しない、勉強しない、だから、人生は何だと思ってるの?

佐藤君
:ヒマつぶしです。

外国人
:(ブーイング)

テリー伊藤
:生活はどうなさってるんですか?

佐藤君
:いや、、親が、、

テリー伊藤
:アルバイトもやってない?

佐藤君
:アルバイトもしてません。

ジルベルトさん
:あなたはさぁ、後でどのくらい苦労するかわかってない

佐藤君
:いや、その時に苦労すればそれはそれでいいじゃないですか。

ジルベルトさん
:その考え方はやめてよそんな考え方は

鴻上 尚史
:今は暇は潰せてるの?

佐藤君
:はい、潰せてます。

鴻上 尚史
:結構充実した暇潰しなの?

佐藤君
:はい。充実してる暇つぶしですよ。本読んだりとか。

外国人
:マンガだよ!

佐藤君
:マンガです(ペコペコ)

ガーナ共和国
:マンガマンガマンガマンガマンガマンガマンガ

ニコラ・ロレッタ・ナカシマ(19)/学生/スリランカ
:勉強っていうのはいつだってできるって言ったよね?
脳っていうのは子供のうちが学びやすいんですよ。
わたしも14歳の時日本に来て、此れだけ日本語話せるのは子供だったからなんですね。
大人になってどんどん頭が固くなって来てしまったら、多分そんな思い通りには行かないと思うから、
今やっておいたほうが楽だし今やっておいたほうがいいと思います。

石井 志昂(17)[中2より不登校]
:確かに若いうちの方が解りは良いと思うんですけども、だったら強制していいのか、という問題なんですよね。
今学校に行きたくなくてこういう勉強したくないな、と思って死ぬほど苦しんでいる人もいるんですね。

ニコラさん
:なんでそんなに勉強がイヤなんですか?

石井君
:え?もう、生理的にイヤな面もあるんです。

KONISHIKI
:勉強より学校がイヤじゃないの?

石井君
:いろんな面でぼくは学校が嫌いになったんですけど、

KONISHIKI
:だって学校行ったら友達もいるし、

ニコラさん
:勉強嫌いだからって、言うけど、わたしも日本語勉強してすごい大変です。
社会とか国語とか全然ついていけなくて、こっちのセリフだよ。
学校や勉強が嫌いだから、、でも辞めてないでちゃんとがんばってるよ、
あなたたちは日本語がわかって日本に住んでるのになんで頑張らないの?

石井君
:でもそれは頑張りたいから頑張ってるんでしょ?

ニコラさん
:解ってる言語で漢字も全部解ってるのに、全部できるのになんで頑張れないのか不思議だよね。

坂本ゆい(15)[小1より不登校]
:それはあなたが日本語を学びたいと思ってるから学んでいる事であって、
私達は別に学校の勉強とか学びたいとは、

ニコラさん
:いや、はっきり言って学びたいとは思ってない。

坂本さん
:じゃ、なんで学んでるんですか?

ニコラさん
:でも学んだからって私が損はしないから学んでるわけ。自分の為になるから、いつか。

田中健一(18)[小5から不登校]
:だから、そういう自分の為に学んでるんですよね?

ニコラさん
:じゃ、自分達はどうなんですか?

田中君
:僕達は今、必要じゃないと思ってるわけですよね。

テリー伊藤
:佐藤君の気持ちも分かりますよ。
多分ね、小学校でね、勉強出来なくて、必ず通信簿が出て来るんですよね、
それがずーっと自分のコンプレックスになる。そこから別に逃げても構わないと思うんですよ。

外国人
:おかしーよ

テリー伊藤
:ちょっとまって。

ガーナ
:ちょっと待てない。言ってることおかしいんだもん。もっと良い意見を上げてよ。

テリー伊藤
:別にさ、日本で生活していく上で、
お金の勘定とかさ、食料が作れれば生活していけるわけだから。

ガーナ
:なんでそんな事に賛成してるの?それはテリーの方がおかしい。

カネコ・ルイス・アルベルト(30)/コロンビア/営業員
:やっぱり人間はですね、今やらないことはその後もやらないんですよ。無理。
そして、一番大事なことはなんだと思っているのか、それがききたいですね。

増山雄大(14)[小1より不登校]
:確かに、勉強も大切だな、と思いますけど、結局、人間としてどうであるのか、

カネコさん
:あのね、言っておきますけど、一番大切なのは時間。時間なんですよ。時間は過ぎてしまったら戻ってこない。
だから今やらないことは明日明後日になってもやらないんですよ。

増山君
:明日明後日やらないなんて、人が勝手に決めてることじゃないですか。
自分では明日やるかもしれないのに、
あなたが勝手にお前は明日明後日やらないんだ、って決め付けてるだけじゃないですか。

カネコさん
:いや、勝手に言ってないよ。ほとんど、そうなんですよ人間が。

テリー伊藤
:でも、14歳だよ。14歳であんだけ喋るのいないよ!

カネコさん
:テリーさん、だけどね、それはそうじゃなくて、

テリー伊藤
:援助交際してる高校生よりかは全然良いじゃないか!悪くないじゃないかちっとも!

カネコさん
:だからその弱さがなにもかも勉強にもなってないらしいよ、
というのは良くならない結果は、どうやって選択しようと考えなきゃいけないうちの一つなんだよ。

田中君
:不登校の人は凄く強いと思うんですよ。
何故なら学校に行かないと判断することがすごい難しい事なですね。
だってみんな学校に通ってるじゃないですか、

テリー伊藤
:そうだよ、学校に居る奴の方が弱いんだよ。

田中君
:今度親からお前はなんで学校に行かないんだ、お前はダメなヤツだ、といわれ、
今度は先生から言われ、親戚中から言われるんですよ。
友達からも言われるわけですよ、でも僕達は学校へ行かないという判断を下してるわけですよ。
凄い頑張って自分の意見を持って戦ってるわけですよ。

エドワード・サウスウィック(44)/家族教育士&ビジネスコンサルタント
:わたしは前に感心した中学生がいたのね、全然ダメんで、漢字もダメで、ドロップアウトしようとしたんです。
でもやっぱり話してみても、凄く考え方があって、意見があって、凄く頭が良いことがわかったんですね。
それで、ちょっと励ましていったら、だんだんと彼は頑張ろうとした。
勇気を出してそしてその漢字の試験はやっと頑張って受かったんですね。
そして現実の問題として、高校を卒業してないと、あのいつまでも両親から生活してもらえないでしょ、
あの、衣食住とか、そういうのはだから、せめて高校くらい卒業しないとなにもできないから、
そのくらいは頑張って卒業して。
そんなに良い実績なくてもいいんですから、

石井君
:親に育ててもらってたら駄目ですか?

エドワードさん
:いつまでもやってもらうつもりでしょうか?

石井君
:ぼくは、いつまでとは全然決まってないんですけど、その考えがすごい苦しいと思うんですよ、
例えば、小学一年生の年齢になったら小学校に入る。
中学校の年齢になったら中学校に入る、みんな決められていて、入っている。
例えば、25歳になったら働かなくちゃいけない。
30歳になったら所帯を持たないと行けない。
そういう考え方が全部、プレッシャーとなってくるわけです。でもぼくはそうじゃなくて、

テリー伊藤
:まあ、それはわかるけど、

エドワードさん
:ちょっと独立する意志はないんですか?

タケシ
:生まれたくて生まれたわけじゃないって?

石井君
:ぼくは生まれたくて生まれたわけじゃないんですよ。

RIKAKO
:なんで?

石井君
:だって、親に産んでもらったわけですよね?

ラモス
:みんなそう、お前おかしいよ。

たけし
:生まれたくて生まれたわけじゃないんだったら死ねば良いじゃん。

石井君
:死ねるチャンスはいくらでもあったわけですよね、
でも生きてるわけですよね、だから自分で考えて生きてるわけですよ。

ラモス
:お前そんなこと言ったら偉くないよ、バカだよ。

たけし
:それは宗教的にえらい問題があってなぁ、、

ノイマン・クリストフ(32)/大学院生/ドイツ
:子供に聞く遊びたいか勉強したいか、
もちろん子供の大半は遊びたいと答えるから勉強したくないだけは全然すごい意見だとは思わない。
本当は学校というものはとても良いものだと思います。それちゃんとしましょうよ。
昔、例えば19世紀とかにその学校という義務教育が無かったね、
その時に日本の社会でもどいつの社会でもその金持ちの人達は学校へ行って
後で例えばあの商売やったり、政府に入ったり、その人達は良い生活ができる。
その学校に行ってない人は普通の農民で貧乏で全然良い生活出来なかった。
その学校はチャンスをあげるところですから、とってもいいと思います。
それで、昔は例えば小学校だけ行けば良かったね、
けど今の社会はとても複雑ですよ。
今の社会のメンバーになりたかったら、今の社会から特や利をもらいたかったら、
本当に高校まで行かないといけないですよ。
例えば日本人が漢字がちゃんと読めるために9年間が必要ですね。高校生はまだ新聞よめないですよ。
だから高校まで行かないと、
後で自分の仕事の契約とかも読めないじゃないですか。
だから、社会に振り回されないように絶対学校へ行って下さい。

テリー伊藤
:彼たちが5年後にですね、凄い金持ちになったら皆さんどういう論理構成で責めるの?

外国人
:(騒ぐ)

テリー伊藤
:わかんねーじゃねーかよ、そんなことは。

オーストラリア
:頭使わないとただのスポンジになるよ。

テリー伊藤
:頭使ってないわけじゃないんだって。方法論が違うだけじゃないか。

たけし
:こちらの人達(不登校の皆さん)から考えてみれば、金持ちがそんなに凄いことなのかって思わない?

不登校の皆さん
:思う

たけし
:なんで金持ってることがそんな価値があることなのか?っていう感覚もあるわけ。
その考え方が学歴とかいろんな考え方が入って来るわけで、
学歴があってちゃんとやってきて金持ちになるっていう生活が、
日本人が昔から考え出したレベルが嫌いなわけじゃん、ようするに。
日本の社会で生活する、外国もそうだけど、自動車運転するには免許が必要なわけで、
免許持たずに運転させろ、と言ってはいけないだけであって、それだけの話だよ。

テリー伊藤
:あなたね、高校は出た方がいいって言ったね。実際問題として、そういう考え方は怖いんですよ。
何故かって言うと、中学しか出てない人に対してどういう考え方なの?
そりゃ差別だって。じゃぁ、ね、みんなが高校出るでしょ、
今度は大学出てないとアイツは駄目だって言ってるようなもんだって。

キング・オパル(27)/元ラジオDJ/アメリカ合衆国
:テリーさんの言ってることほんま、もぉ、おかしいわ。だって、ほらちゃうねん、
この子達仕事もしてないねん、どうやって人の付き合いわかるん。だって俺だって学校嫌いだったから、、

テリー伊藤
:10代で仕事してない奴一杯いるじゃないか。

キングさん
:それあかんねん。だって、学校行かへんのなら仕事した方がいいよ。

テリー伊藤
:自分なりに勉強してるんだから。いいじゃないか、別に。
例えば25歳とか30歳だったら怒るよ。いいじゃないか別に。
14歳の奴になんで仕事を強制するよ。

キングさん
:テリーさんみたいな大人がおったら、
例えば子供が誰かこの中で金持ちになったらどないするとか、
俺のニューヨークではな、俺の友達学校行かへんかった人は5年たってから金持ちなったで。
ドラッグディーラーになって、犯罪者なって。まだ犯罪者ならへんかったからよかった。なぁ?

外国人
:((拍手))

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