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2019年07月18日

定説では説明できない、恒温動物が体温を維持する仕組み

スミルノフ物理学派の佐野千遥氏は次のように指摘している。「現代西洋医学は、人体が一日に必要とするエネルギー量を食事から摂取する2300~2500kcalだけと考えているが、人間の体は例えば室温6℃の中で体温を36℃に保つ為だけでも57500~62500kcalが必要。このエネルギーはどこで生み出されているのか、現代科学は説明できない。」

とりわけ、恒温動物(哺乳類・鳥類)はどのようにして、体温を維持しているのか?
まず、生物学の定説はどうなっているのか?
結論から言えば、よくわかっていないという現状らしい。京大化学研究所梅田教授講演「地球の体温、私の体温」

比較的有力とされている説は、次のようものである。東邦大学理学部生物学科「体温はなぜ37℃なのか」から引用。
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外部の熱源に頼って体温を上げる変温性の動物から、体内の熱生産によって高い体温を恒常的に維持する内温生への進化に関する最も信憑性の高い説明は、1979年にアメリカのベネットとルーベンによって提唱された。体温を高く維持すること自体よりも、まずは有酸素呼吸能を高めて運動機能を向上(スピードと持久力)させることに対して自然選択が作用する、このような自然選択によって上昇した最大代謝率(有酸素能)が基礎代謝率を引き上げ、体温維持の熱生産を発達させる、というもの。

しかし、体温を高く保つためにはエネルギーが必要で、哺乳類は、食物を異化する際に生じるエネルギーを熱源として体温を維持するために、大量の食物を摂取している。一方、爬虫類は、食物から熱を得る割合が少ない代わりに、太陽に直接体をさらして(日光浴)体温を上げる。例えば、同じ体重(1kg)のネズミとトカゲは活動時にほぼ同じ体温(37℃)を保っていますが、そのために、1時間当たりの消費エネルギーは、ネズミ(約2400キロカロリー)が、トカゲ(540キロカロリー)の4倍になる。

高い運動能力(スピードと持久力)は、筋収縮にエネルギーを提供するATP(アデノシン三リン酸)の高い供給能によって支えられているが、それを可能にするのがミトコンドリアの酸素呼吸である。ブドウ糖1モルの酸化によって、36モルのATPが生産される。

オーストラリアのハルバートとエルスらは、哺乳類のミトコンドリアはATP生産、熱生産の面で爬虫類よりも性能が良いのかどうか、もしミトコンドリアの性能に差がなかったら、哺乳類の細胞にはミトコンドリアがより多く含まれているのかどうかを調べた。

哺乳類が爬虫類よりも優れたミトコンドリアを持っているのではなくて、哺乳類はその内臓(肝臓や心臓)に爬虫類の5倍以上の密度でミトコンドリアを持っているとのこと。さらに肝心な点は、 筋細胞のミトコンドリアの密度は哺乳類と爬虫類の間で差がなかったという点。筋肉を構成する細胞の大半は筋繊維で占められているが、筋細胞にミトコンドリアを詰め込もうとすると、スペースに限りがあるため、筋繊維の量を減らさなければならない。哺乳類たちは、高い運動能力のために必要なATPを筋肉内で生産するのではなく、内臓の細胞に詰め込んだミトコンドリアによってまかなうように設計されてきた。要するに、内温性動物におけるスピードと持久力を担うATP生産と体内での熱生産は、内臓に増やされたミトコンドリアが担当し、強い心肺機能を使って血流を通じて全身に分配している、という説である。
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つまり、哺乳類が恒温体温を維持しているのは、①変温動物(爬虫類)よりも大量の食物を摂取する、②内臓に爬虫類の5倍の密度でミトコンドリアを持っているということだが、この説明では佐野千遥氏の指摘に対する答にはなっていない。
つまり、体温36度を保つには6万キロカロリー:食物摂取0.25万キロカロリーで、そこには24倍もの差があるからである。

 

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2019年07月16日

【佐野千遥説】太陽や地球と生命体の相似

スミルノフ物理学派の佐野千遥氏は地球空洞説を提唱している。以下、「地球空洞説を正規物理学理論で論証」の要旨。

北極の大穴 エッサ7号、3号が撮影

【左】南極の大穴 【右】北極の大穴

電流を流したコイルの双極磁場内側空間は負の透磁率の世界であり、電流を流した円環コイルの内側空間は負の誘電率・負の透磁率の世界であり、そこにはS極、N極磁気単極子が常駐できる。

どんな物体も自転すると双極磁場が自転軸の周りに発生し、自転軸の周りの円筒空間は負の透磁率、負の誘電率になる。そこに常駐するS極磁気単極子とN極磁気単極子間の斥力で空洞になる。こうして、地球や太陽の内部には、生命体と同じ様に負の誘電率・負の透磁率の空間が存在する。正確には、自転軸の周りに負の誘電率・負の透磁率の円筒状空間が存在する。地球内部の円筒形空間は負の誘電率・負の透磁率であるために、中心から外に向かって光エネルギーを常に発している。従って、常に太陽が輝いている様に見え、また、また、その円筒空間内では、低温化するS極系磁気単極子と高温化するN極系磁気単極子が釣り合って、寒くもなく暑くもなく温暖である。(「正統派」現代物理学の高温説は誤りである)。

太陽の北極・南極には、内部の負の誘電率・負の透磁率の円筒状空間に繋がる大穴が空いている。負の質量同士間の斥力が原因で、負の質量部分が北極から太陽表面に浮いてきたものが黒点(低温)であり、そこから新惑星が打ち上げられる。南極から外部に出て来たN極磁気単極子が輝点(高温)である。黒点・輝点から出たS極・N極磁気単極子が合体してプラズマや太陽風をつくる。太陽の回りの部分では、エネルギーの発散のために負の質量がエネルギーを失って正の質量(=物質)が出現するが、中心の負質量がその周囲の正質量を引力で引き寄せる。中心に負の質量を持つ太陽が解体しないのはそのためである。

地球内部の円筒空間は負の誘電率・負の透磁率なので、中心から外に向かって光エネルギーを発している(→常に太陽が輝いているように見える)。北極の穴から出たS極磁気単極子は磁気系の作用で、温度が低く黒い光を発する。南極の穴から出たN極磁気単極子は電気系の作用で、温度が高く白い光を発する。
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ここで注目すべきは、「地球、太陽の内部には、生命体と同じ様に負の誘電率・負の透磁率の空間が存在する」という点である。つまり、生命体は地球や太陽の相似象であるということである。

佐野千遥氏は次のように述べている。
「負の誘電率・負の透磁率の空間では、外から中へ入り込むエネルギーよりも、中から外へ出て来るエネルギーの方が恒常的に大きい。負の誘電率・負の透磁率を内部空間に実現した蛍やUFOは、内部から自発的に青白い光を発する。この青白い光が発熱しないのは、それは負の誘電率の空間では負の電気抵抗となり、電流が流れても発熱反応とならず、吸熱反応となるためである。
※秩序レベル(方向性、構造)が高い物は低温であり、秩序レベルが低い物(構造が崩壊し、方向性を失った物)は高温である。そして、方向性を持ったエネルギーが方向性を失った熱エネルギーへと変換される過程が、エントロピー増大過程である。」

「現代西洋医学は、人体が一日に必要とするエネルギー量を食事から摂取する2300~2500kcalだけと考えているが、人間の体は例えば室温6℃の中で体温を36℃に保つ為だけでも57500~62500kcalが必要。このエネルギーはどこで生み出されているのか、現代科学は説明できない。」

「生命体は全てその体から常温プラズマを発している。プラズマとは通常は、例えば固体の金属を熱するとドロドロの液体となり、更に熱すると気体となり、更に熱すると各原子の原子核と軌道電子がばらばらになった状態のプラズマとなる。この原子核と軌道電子がばらばらになった状態が生物の体の周りに起こっているのである。この猛烈なエネルギーは何処から来るのか?」

「生命体は宇宙からエーテル(エネルギーや情報)を取り込み、反エントロピー過程を増大させる。
太陽がエーテルを取り込んでエネルギー=質量の補充をしているのと同様に、生命体も必要に応じてエーテルを取り込んでエネルギーに資する。質量の大きな原子のミネラル類が生命体の体の中でエーテルを取り込む役割を負っている。また、日光を受けるとリノール酸・リノレン酸→エイコペンタエン酸(EPA)・DHA→エイコサノイド・ディフェンシンと変化するが、このエイコサノイド・ディフェンシンも、大量取り込まれたエーテル・エネルギーを駆使してホメオスタシス(体の平衡が崩されるとそれを体系的に元に戻す機能のこと)・免疫系をマネージすると考えられる。」
「貴方の科学に対する疑問が目から鱗」の要旨)

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2019年07月15日

生命と物質の共進化⇒安定化に向う物質と変異に向かう生命のバランス

地球の歴史において、生物は著しい進化を遂げ、環境は激しく変動してきた。生物と環境はそれぞれ独立に変化してきたのではなく、環境が生命の誕生も含めて生命に影響を及ぼすとともに、生物も環境に大きな影響を及ぼしてきた。これが「生命と環境の共進化」という説である。
これまでは、「鉱物の世界」と「生物の世界」とは別に動いていると、誰もが暗黙のうちに考えていたが、地上に存在する大半の鉱物は生命体が生じた結果できたもので、地上に存在するおよそ 4500 の鉱物のうち、約3分の2は、大酸化イベント以降に酸素を多く含む水と前から存在していた鉱物の相互作用により、地殻の浅い部分で形成されたことが、分かってきた。
つまり、鉱物は生物を変え、逆に生物も鉱物を変えるという共依存関係にあり、地球進化とは、「岩石圏と生物圏の共進化」と呼べるダイナミックなものなものだった。

国立研究開発法人農業環境技術研究所「農業と環境 No.186 (2015年10月1日)」本の紹介 351: 地球進化46億年の物語 -「青い惑星」はいかにしてできたのか-、 ロバート・ヘイゼン 著、講談社2014年5月)より転載する。

鉱物を解析することで太古の地球に関する数多くの情報が得られることからわかるように、生物学と地質学は密接に絡み合っている。それにもかかわらず、地質学は生物学とはほとんど関係ないとされ、鉱物学はなぜか長い間、壮大な地球の歴史と切り離されて教えられてきたという。しかし鉱物は生物を変え、逆に生物も鉱物を変えるという共依存関係にあり、岩石圏と生物圏は共進化を遂げてきたとする。

地球上の生命の起源において、鉱物は大きな役割を果たしたと考える。太古の時代、生命の素材となるアミノ酸、糖類、脂質といった分子は、炭素を持つ分子とエネルギー源のある環境ならどこでも、ある程度の量が生産されていた。その中で脂質以外の合成された有機分子はほとんど自己組織化されないが、それらは鉱物の表面に付着している。個体の鉱物には分子を選択、凝集、組織化するといった力があり、そのような力を持つ鉱物が、生命の発生に中心的な力を果たしたのではないかと考える。

地球が生まれてまだ間もないころ、酸化還元反応でエネルギーが生じていたが、そのペースはゆっくりしたものであった。誕生した生命体は、こうした酸化還元反応をより効率よくおこなうようになった。微生物はその後次第に反応のスピードを上げていく。地球誕生から20億年が経過しても、地表あるいはその近くで生命体が存在したために鉱物に何らかの影響が生じたという現象は見られなかったが、微生物は、生命が生まれていなかった場合よりも多くの酸化鉄、石灰岩、硫酸塩、リン酸塩を生み出し、こうして次の段階への準備が進んでいく。こうして起こったのが、大酸化イベントである。

25億年以上前の地球には、基本的に酸素(O2)はなかった。酸素発生型の光合成をおこなう細菌(シアノバクテリウム)の出現により、24億年前から22億年前の間に大きな変化が起こり、大気の酸素濃度は現在のレベルの1%以上にまで増えた。この不可逆的な変化により、岩石と鉱物も含む地球の地表近くの環境は大きく変わり、さらに劇的な変化に道を開いていった。

鉱物の世界は生物の世界とは別に動いていると、何百年にわたり誰もが暗黙のうちに考えていた。それに対して著者は、地上に存在する大半の鉱物は生命体が生じた結果できたものであり、「岩石圏と生物圏の共進化」 という説を提唱した。地上に存在するおよそ 4500 の鉱物のうち、約3分の2は、大酸化イベント以降に酸素を多く含む水と前から存在していた鉱物の相互作用により、地殻の浅い部分で形成されたからである。

大酸化イベントの後の10億年(18億5000万年~8億5000万年前)は、目覚ましい生物の進化も見られず、地球史上退屈な時代といわれている。その理由を、以下のように説明する。大気中の酸素が1%に増加しても、それが海洋に反映するまでには長い時間を要した。その一方で、陸地では酸素により風化と酸化が進み、大量の硫黄が海へと流入。海洋は酸素と鉄が乏しく硫黄(硫化水素)が多い状態で安定し(キャンフィールドの海)、その状態が10億年続いた。しかし逆に、この10億年間は、気候や生物のフィードバック、すべてが完璧な、調和のとれたバランスを保っていた、地球史上まれな安定した時代でもあった。

しかし、8億5000万年前にいくつかの変化が始まってバランスが崩れ、気候が変わる転換点を超え、7億4000万年前には、地球は空前絶後の気候不安定な時代に突入した。新原生代(原生代の末ころ)に、氷河が赤道まで広がる全球凍結(スノーボール)がおそらく3回発生。スノーボール現象の終わりには反動で灼熱(しゃくねつ)のホットハウス状態に豹変(ひょうへん)し、両者が繰り返すサイクルが始まった。極端な暑さと寒さを繰り返す中、海岸では風化が進み、リンなどの栄養素が大量に生成し、浅海では藻類が繁殖。その結果大気中の酸素濃度は上昇した。

風化によって形成される粘土鉱物は、新原生代に大幅に増加したことが考えられる。さらに沿岸部での微生物の増殖は粘土の形成を大幅に増加させ、有機物と結合して炭素の埋設が進むことで大気中の酸素量の増加をもたらした。その結果、およそ6億5000万年前には現代に近いレベルまで酸素濃度が増加。複雑な多細胞生物が生まれ、6億年前ころには動物にとって有利な生態系に変化し、カンブリア紀の進化の大爆発へと続いた。

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鉱物(物質)の大半は生命が作り出してきた。このことから、物質と生命の関係において、次のような仮説が成立する。

【仮説】物質には安定化のベクトルが働いており、生命には変異のベクトルが働いている。両者がバランスすることで地球環境が成り立っている。

実際、物質の化学反応は、不安定なものが安定化する現象である。例えば、鉄が錆びるのは、鉄が単体のままいるよりも錆(酸化鉄)になったほうが安定だからである。逆に、安定なものが不安定へ向かうことは滅多にない。非常に安定な物質はほとんど化学反応しない。

生物自体は安定性を保持しつつ、他方では変異を作り出すという極めて困難な課題を実現した存在であるが、自然界全体からみれば、物質は安定化に向かっており、生命は変異に向かっている。そして、安定化に向かう物質と変異に向かう生命がバランスすることで地球環境は成り立っている。

 

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2019年07月07日

千島喜久男のバクテリアの自然発生の実験

1958年、千島喜久男氏はバクテリアの自然発生に成功したと発表した。その実験を紹介する。

以下、『フォッサマグナ沿線の温泉めぐり』「カタカムナ文献~生命自然発生の実験」の要約。

生命の自然発生について、1864年のパスツール対プーシェの大論争でパスツールが勝利。それ以来、生命の自然発生は否定された。

それに対して、1943年、桜沢如一は生物自然発生説について触れている。「パスツールは、フラスコの中も大自然も同じように考え、フラスコの中では細菌が発生しないことを立証したにすぎない。また、細菌の起源については一言もふれず、また考えもしない。」

1958年、岐阜大学教育学部生物学主任の千島喜久男が、バクテリアの自然発生に成功したと発表。

【千島氏の実験方法】
消毒したスライドとカバーグラスの間に無菌処理したカエルその他の血液をのせ、パラフィンで封じる。そしてそれを何日も連続して観察するというもの。
はじめは血液中の微細な顆粒や細胞破片がブラウン運動をしているのが見られた。まず、これらのものが徐々に腐敗菌に変わっていった。次に赤血球の原形質の中にウイルス様の小顆粒が生じ、やがて腐敗菌に成長し、球菌から桿菌に変わった。同様に白血球の中にも菌が発生した。ついに不活性下で親なしの桿菌が発生したのである。この菌が発生するまで約一週間、千島喜久男はその過程を位相差顕微鏡写真に撮影することに成功した。

千島博士は次のように述べている。
「これは、処理過程における汚染だとか、空気中からの芽胞の侵入などの疑問を許さない。簡単、確実、明瞭な方法である。パスツールの「不自然状態における生物自生の否定」は真実であるが、私のいう「自然状態における生物自生の肯定」もまた、真実である。パスツール説の一般化は行きすぎである。」

1963年、千島と桜沢は、フランスで講演。終了後、「私の原子転換説とあなたの新血液論とは、原理的にはまったく共通している。おたがいに真理のためにがんばりましょう」と、握手を求めてきたフランス人がいた。それは元素転換説を提唱したルイ・ケルヴランであった。

1970年 科学技術庁の顧問斎藤憲三が木灰から微生物が発生したことを発表。この実験を工業技術院微生物研究所が追試・確認し、無機物質から微生物の自然発生に関わる試験と鑑定の成績書を発表。
斎藤氏は抗生物質研究所、東京大学伝染病研究所、国立予防衛生研究所で追試を依頼したところ、それぞれ「盛んに運動する物質」「運動するもの」「微生物」の発見を認めた。そこで特許庁に出願したが、「パスツールの生物の起源の原理に反する」として受付を拒否されたため、斎藤氏が工業技術院に鑑定を依頼したもの。

【工業技術院での公式実験の方法】
『カタカムナへの道 潜象物理入門』(関川二郎著 稲田芳弘編 Ecoクリエイティブ刊)より。

まず培養基の殺菌を確認する。なら灰、ぶな灰、よもぎ灰の三種を、0.5グラムずつ白金のルツボに入れてバーナーで加熱し、650度を保って、0分、10分、30分、60分の四区分で灼熱処理する。その後、これらの草木灰を培養基に添加して、30度で1週間保持する。
その結果、木灰(ぶな、なら)の場合は灼熱時間と関係なく微生物の存在が認められ、草灰(よもぎ)の場合は10分までは微生物の存在が認められたが、あとは認められないことが解った。
尚、この実験の灼熱温度は650度であるが、パスツールの定説では「生物は、100度で60分、120度で40分以上は、耐えることができず死滅する」とされている。

カタカムナの提唱者楢崎皐月氏は千島氏の自然発生説について、次のように述べている。
新血液理論は物と心と生命とを統一する原理に基づく科学になる可能性がある。それは知識を混乱に導くだけの現代物理学、ひいては宗教学一般とは正反対の理論である。だが、そのためには、これだけでは不充分であり、さらに一歩、進めなければならない。新理論は血液からビールスへ、生命の微小性を告げている。その生命の微小化が、原子量子の段階まで、さらに時空の微粒にまで進めるとともに、時空の微粒から量子原子微小体、さらに血液に至るまでの、生命の可逆性を追求する必要がある。これらの機序が験証されない限り、感受性の鈍い石頭の科学者たちは頑強に、抵抗を示すであろう。
(「健康日本」1971年8月号「物質と生命の自然発生・新血液理論と楢崎皐月氏」「新理論に期待する楢崎氏の見解」と題する記事に掲載。)

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2019年07月02日

【竹内美継説】原核生物と真核生物は別系統で進化した

中心小体論画像

竹内美継氏が『中心小体論』 の中で、次のような説を提起している。上図はそこから転載したもの。
その骨子は次の2点である。
【1】原核生物が進化して真核生物になったのではない。それぞれが中心小体から別々に進化したものである。
【2】従って、原核生物の群体と真核生物の多細胞化も別のものである。

【1】原核細胞、原核生物が真核生物になったという常識は誤りである。

中心小体にはA系統とB系統があり、A系統が原始真核生物となり、B系統は原核生物になった。
A系統は中心小体という細菌(モネラ)の所持する細胞膜(チューブリン膜)の外側に第二次細胞膜を所持し、これは真核細胞膜となった。一方、B系統は第二次細胞膜を所持していない。

B系統は細胞膜と細胞質が一つしかないので、二つの「生への意志」を所持することができなかった。そのため多細胞化・有性生殖に向かえず、細胞の巨大化と無性生殖の方向に向かい原核細胞となった。 A系統は二重の細胞膜と細胞質を持つことになり、一つの細胞の中に二つの「生への意志」を所持することができたので、多細胞化・有性生殖に向かった。
第二次細胞膜を所持する原始真核細胞に、一対の中心小体が共生したことで雌雄分化が始まった。

つまり、中心小体(類)という生命体の祖先が第二次細胞膜を所持したことにより、(1)原始真核生物→(2)原生生物→(3)始原生殖細胞に階層進化→(4)始原生殖細胞が記憶を蓄積し、現在の真核生物となったのである。 原始真核細胞の主体である中心小体類は、真核細胞に対する支配力が相対的に小さくなり、真核細胞の始原生殖細胞が独立性を所持するようになって、結果的に中心小体は始原生殖細胞に全権を委任するようになった。その記憶装置が核であり、その中にRNA・DNA、染色体がある。

現在の生物学は、細胞を生命の最小基本単位とし、細胞の支配者は核であり、核の中にRNA、DNAの集合から成るゲノムがあり、このゲノムの中に全ての情報があり、生命を原子・分子の自己集合なる概念で説明し得るとしているが、核は中心小体の外部記憶装置であり、RNA・DNAは生命体が誕生した後に所持した記録文字にすぎない。

【2】真核細胞の多細胞化と細胞の分化はなぜ起こったか?

真核生物の多細胞と原核生物の群体体制は意味が違う。群体体制を所持している原核生物もいるが、分化はしない。現在の生物学では、真核生物がなぜ多細胞であるかを重要視していない。同様に、原核生物が群体体制をとりながら、なぜ分化しなかったのかの説明がない。

(イ)原核生物の細胞膜は第一次細胞膜(原始原核生物が所持した膜が進化したもの)である。細胞同士の接着(コンパクション)は起きない。

(ロ)原始原核生物の細胞=原核細胞は、それぞれが独立した生への意志を所持する生命体である。従って、原核生物は多細胞生物になれなかった。

(ハ)原始真核生物の細胞膜は第二次細胞膜であった。細胞同士の接着が起きた。

(ニ)原始真核生物の第二次細胞膜内に一対の中心小体が共生していた。

これにより、原始真核生物は多細胞生物になる必要条件を所持した。群体体制(一対以上)をとった原始真核生物(実体は中心小体)のうちから、第二次細胞膜が接着状態を起こした群体(一対以上)が生じ、この時、実体(中心小体)が接着状態を記憶した。それが多細胞化である。

※従来の学説では、中心小体やミトコンドリアや葉緑体が真核細胞に存在する理由として共生説(別系統の生命体が原始真核生物に取り込まれ、共生することになった)をとっているが、これにも同意できない。
共生説は、なぜ原始真核生物が誕生したかを説明していないし、独立した「生への意志」を持つ生命体Aに、系統の異なる別の独立した「生への意志」を所持する生命体Bが共生し、一つの生命体になったという考え方は安易である。また、共生説は遺伝子転移説=遺伝子の優位性によりモザイク遺伝子が一つの生命体になったとされているが、単なる記録文字であるDNAに優位性はない。共生説・遺伝子転移説は、DNA・RNA神話による辻褄合わせにすぎない。

 

 

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2019年06月30日

千島学説による生命・細胞・血球の起源2~赤血球と原生生物との類似性

●最初の生物について、千島喜久男は次のように述べている。

「生物の進化過程には履歴反復性がある。生命は歴史的所産であり、その歴史は反復して繰り返されるという重要な根本原理を基礎として研究するとき、生命の起源の探求に対しても大いに役立つものだと確信する」
『新生命医学会』「生命・細胞・血球の起源⑤【10】細胞の起源と微生物との共生現象」より

地球上に初めて出現した生物が、葉緑素をもち自ら養分を合成する植物だったか、或いは自然に合成される有機物が存在し、その上に発生してその有機物を摂取し成育する他養性のものであったかはまだ解明されていない。また、最初の生物がバクテリアであったか、それとも藻類であったかも未解明である。

千島喜久男は、物質代謝の方法については有機物上に藻類が発生したという他養説をとる。即ち、有機物を母体として細菌が自然発生するという説である。
また生命形態については藻類よりバクテリアが先に発生したというバクテリア説を支持している。藻類が現れる前に、肉眼では観察できなかったバクテリアがずっと先に発生していた筈だとしている。実際、藻類の化石中に細菌が含まれているという証拠があり、細菌が藻類よりも原始的で、細菌→藻類へ進化するという千島の主張が正しいということを暗示している。

●生殖細胞と原生生物との類似
生物体中で最も根本的な存在である赤血球と生殖細胞とが原生生物その他の下等生物に似た性格をもっている。

卵子はアメーバの休止期に、精子は鞭毛虫或いは帽針状腐敗菌に似た形をもっており、生殖細胞は分化した多細胞生物が再び原始の状態に戻ったものだと考えられる。生殖細胞と下等微生物との形態や習性に類似点があることは単なる偶然の一致ではない。生殖細胞は多細胞生物発生という原始状態に戻り、過去の歴史を反復する段階にあるものである。

●赤血球と原生生物との類似
現代の血液学では赤血球は最高度に分化した細胞だと定義づけしているが、千島喜久男は「赤血球は生殖細胞より一層に原始的で細胞以前のもの」と述べている。

赤血球がまだ原生生物的形質を多分にもっているという証拠は、カバースライド法で両棲類、鳥類や哺乳類などの生きた赤血球を観察することで理解できる。

    

【1】カエルの赤血球は一部が細長く延長し、その先端は鞭毛状になって緩やかな鞭毛運動を示す。(図1)
また赤血球の表面にはしばしば鞭毛状の突起を生ずる。
ニワトリやウサギ、ヒトといった哺乳類の赤血球を体外に取り出すと、ときに飴の金平糖のように変化する。(図2)
浸透圧が異なった状態が加わるとこのような変化は一層はっきりするが、全血液そのままでも往々にしてこのような現象を見ることができ。突起は鞭毛虫の鞭毛に相当するものだと千島は述べている。ミンティンは原生生物の繊毛は進化論的に鞭毛に先行するものだと述べているが、金平糖状赤血球の突起が鞭毛に該当し、アメーバ状運動をする白血球はその後から現れるという千島の観察はミンティンの説にも合致している。しかも、このような変化は血管内を流れている赤血球では生じない。血流の停止、或いは体外に取り出した時はじめて見られる現象である。しかし、オタマジャクシの尾部毛細管を生きたまま観察していると、赤血球が毛細管壁を通過する際に、鞭毛状の突起を出して管壁を穿孔し赤血球内容がこの小さな孔を通って血管外に出ると、それは白血球に変わるという不思議な現象を見せる。

赤血球が原生生物に似た行動を示すのは、赤血球が白血球に分化する途中及び白血球に変わってからである。

【2】各種動物の赤血球は始め円盤状だが血流が停止すると同時に球形に姿を変える。これは卵子やアメーバの保護嚢に似て一種の原始状態への復帰と考えられる。哺乳類の赤血球の球形化と金平糖状変化はあい伴って起きる。

【3】白血球が偽足を出してバクテリアその他を貪喰するかのような行動を示したり、アメーバ状の運動をすることは周知のことであるが、これは形態、機能ともにアメーバと同じだと言える。生体内のアメーバと言えるだろう。

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2019年06月30日

千島学説による生命・細胞・血球の起源1~封殺された細胞新生説やバクテリア自然発生説

生物学の定説では、細胞は分裂によってしか増殖しない(自然発生しない)とされているが、千島学説は細胞新生説やバクテリアの自然発生説を唱えている。それが事実だとしたら、生命の起源や進化史の前提が大きく変わることになる。

『新生命医学会』「生命・細胞・血球の起源③【7】細胞生物学の提唱【8】初期細胞新生説時代」より。

●封殺された細胞の自然発生説→細胞分裂説一色に
1838-1839年、ドイツのシュライデンやスクワンは生物体は細胞から構成されていると提唱、細胞学の基礎を樹立した。同時に、彼らは細胞新生説であった。ところが、細胞の自然発生説を極度に軽視する現在の生物学者や細胞学者はシュライデンたちの説を完全に棄却してしまった。

ウイルヒョウは1858年、シュライデンたちの細胞新生説を否定し、有糸分裂による細胞連続説をたて、今も信奉されている『細胞は細胞から』を主張した。
ワイズマンはウイルヒョウ流の細胞説を強調、遺伝と細胞の関連を説明。その生殖質連続説はその後における遺伝学説の主流となり現在に至っている。この説は遺伝学のみならず、生物学全般に対しても強い影響を与えた。
1900年 メンデルの法則が再発見され、モンゴメリーやボバリーはメンデルの法則を細胞分裂と細胞核の行動に結びつけ、ワイズマン流の染色体学説を正しいものとして説明した。

しかし、封殺された細胞新生説やバクテリアの自然発生説を再評価する必要がある。

現代の発生学は受精卵の卵分割、発生初期の細胞分裂像が生涯にわたって続くものと仮定し、それが真実の現象だと信じている。しかし、胎生6ケ月以降、さらに出生後は細胞分裂は全くなしに体細胞は増殖していることは常識になっている。

これからは生科学のあらゆる分科に正しい細胞概念を浸透させるため、また細胞を基礎とした生命現象の統一的把握のために、新しい細胞生物学の必要性を千島は提唱している。

新しい細胞生物学の樹立のために、細胞分裂に対する過大評価を早急に改める必要がある。それには先ず、定型的な細胞核が凡ての細胞に存在するという考えから脱却しなければならない。高等動物の細胞はともかくとして、バクテリア、単細胞藻類、酵母などに定型的な細胞核が存在するか否かについて、現在においても諸説が入り乱れている。千島喜久男も観察の結果として大きな疑問が残ると述べている。高等生物の細胞においても細胞発生の一定段階では核の存在が明確でない場合がある。さらに核分裂が細胞増殖の唯一の方法だという考えには大変な無理が伴っている。

正常状態では細胞分裂像が見られる機会が余りにも稀なため、種々の細胞分裂誘発剤(ナイトロジェンマスタード、カイネチン、その他)や物理的処置(放射線照射)によって、またカラー顕微鏡写真用の非常に強い光源の照射によって分裂像を観察できたと報告するものが多い。このような化学物質や放射線、光などが細胞分裂を誘発することは確かだが、生命体の自然状態における活動を研究するというのが本来の科学であって、人為的に自然の現象を従来の定説に当てはまるよう操作するのでは研究の意味が失せてしまう。これからの生物学は、いわゆる細胞分裂に対する固定観念を改め、根本的な再検討を加えなければ、一層の行き詰まりに至ることは必定である。

『新生命医学会』「生命・細胞・血球の起源④【9】細菌の起源」より。

●原生物界と前生物界
連続的である自然や生物を人為的に分類する無理がある。千島喜久男は定型的な細胞構造をもっていない、バクテリアや菌類、単細胞藻類などを一括して原生物界(動物界、植物界の共同祖先界)とする説をとる。そして、バクテリア界の下次段階として前生物界を設け、リケッチアやウイルスをこれに含めるのも一方法ではないかと提案している。

●細菌に細胞的構造はあるか?
生物の構成単位は細胞であるというのが現在の生物学における常識になっている。そして細菌は生物であるとされているが、生物だとしたら細菌は果たして細胞なのかという疑問が生じる。千島喜久男は細菌が定型的な細胞構造を持つという説には多くの疑問があるとしている。細胞がより高等な生物に分化するという可能性については認めている。

●細菌に核はあるのか?
その結論は出ていないが、千島喜久男は、次のように述べている。「細菌増殖は分裂によってのみ起きるというのは間違った考え。動植物細胞は凡てDNAを含む定型的な核ばかりではない。鳥類、哺乳類、両棲類、昆虫その他の動物でも、高等植物の細胞でも、いつも定型的(化学的にも形態的にも)な核をもつとは限らない。言い換えれば、生理的ウイルス→細菌→動植物細胞という過程をたどる核合成過程は、細胞の核質を形成する過程として動植物に共通の現象である」。

多くの研究者が動植物の細胞核に共通した核の存在を主張しているが、これについても千島喜久男は彼らが提示している図を見ても「いわゆる分散核の域を出ないものであり、また細胞分裂像だとしている図も両端染色性菌の範囲を出ないもので、当然に紡錘糸や染色体などは示されていない」としてその妥当性を否定している。

正統派の研究者たちは細菌の核は一般の細胞核と同様に分裂すると主張しているが、それはウイルヒョウの正統細胞学の原理を細菌の世界にまで適用しようとしているため。自然状態では決して細菌の細胞は分裂するものではないことを千島喜久男は確認している。細菌は有機物質から自然に発生し、また細菌はいつまでも細菌のまま存在するのではなく、融合と分化によってより高次の生物へと進化するのが通常の発育過程である。

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2019年06月27日

有性生殖(2倍体)に至るまでの変異促進機能の進化過程

2倍体生物は、性の仕組み(有性生殖)を持つと同時に死の仕組みを持つ。
2倍体生物では多様な遺伝子セットを持った個体が生まれるが、異常のある遺伝子が消えずに子孫に蓄積してしまうというリスクも孕む。そこで「死」という仕組みが登場した。
有性生殖(2倍体)と死の仕組み」

40億年前生命が誕生してから20億年後、20~15億年前にこの仕組みが登場した。
そこに至るまでの変異促進機能の進化過程は次の通り。
『るいネット』「変異促進機能という概念で生物史を読み解く」から転載。

【1】 生物進化の根元にあり、始原生物に近いる耐熱菌(原核生物)
《単純分裂=無性生殖》

始原生命体に近い耐熱菌の遺伝子は、この後に進化した大腸菌などの遺伝子に比べて、半分以下の小さなもの。そして、そのほとんど(92%)が現在も設計図として機能している。ここでは、生命誕生間もない時期に、ただ命をつなぐことが最大課題で、有り合わせの材料を無駄なく使用し、簡単に分裂できることで適応した。

【2】 その後進化した原核生物(大腸菌など)
《単純分裂=無性生殖が主だが、接合により遺伝子注入という変異促進機能を持つ、雌雄同体》

耐熱菌に比べ、普段は使用しない遺伝子をたくさん持っている。この遺伝子の代表は、プラスミド(やファージ)と呼ばれ、細菌の分裂増殖を担う染色体遺伝子とは別れて存在し、サイズも染色体遺伝子よりかなり小さい。これにより、外圧適応のために、変異要素としての遺伝子を他集団と共有。遺伝子交換の方法は、接合と呼ばれる、他集団個体への遺伝子注入や、環境水中に溶存態の断片DNAを利用などがある。

【3】 真核単細胞生物(ゾウリムシなど)
《単純分裂=無性生殖が主だが、接合により遺伝子交配という変異促進機能を持つ、雌雄同体》

真核細胞になり、原核細胞に比べはるかに複雑になるが、単純分裂で増殖。しかし、500回程度の分裂しかできない。細胞内には、大核=代謝専用、小核=遺伝子交換専用の2つの核をもち、他の個体と接合により、減数分裂した小核遺伝子の交配を行い、それを複数転写して大核遺伝子を総入れ替えすることで変異を実現する。そうすると、また500回分裂できるようになる。

【4】 真核単細胞生物(クラミドモナス)
《単純分裂=無性生殖が主だが、同型配偶子による遺伝子交配という変異促進機能を持つ》

もともと、減数分裂をした状態の1倍体遺伝子を持つ個体。普段は単純分裂だが、他個体と合体し2倍体の接合子をつくり遺伝子交配、発芽して減数分裂を行って複数個体を作ることもできる。基本的に全てが生殖細胞(有性生殖も無性生殖も行える)とも見ることができる。

【5】 真核単細胞生物の群体(プレオドリナ)
《単純分裂=無性生殖が主だが、異形配偶子による遺伝子交配という変異促進機能を持つ》

クラミドモナスが、100個程度集まった群体。一部の細胞が生殖細胞になるが、どの細胞ででも生殖細胞になれるという意味で、生殖細胞専門の細胞が出来たわけではない。この生殖細胞は大きく栄養を溜めた雌型配偶子と運動能力の高い雄型配偶子に別れ、それらが接合子を作り遺伝子交配を行う。この配偶子は、運動能力の差はあるが双方とも移動能力を持ち合わせている。

【6】 真核単細胞生物の群体(ボルボックス)
《単純分裂=無性生殖が主だが、精子と卵子による遺伝子交配という変異促進機能を持つ》

クラミドモナスが、1000~10000個程度集まった群体。それぞれの細胞が細い糸で連絡しあうという多細胞に近い機能をもつ。ただし、一部の細胞が生殖細胞になるが、どの細胞ででも生殖細胞になれるという意味で、生殖細胞専門の細胞が出来たわけではないので、群体に分類されている。

ここでは、栄養を溜めため運動能力の無い卵子と、運動能力は高いが極めて小さい精子が誕生し、遺伝子交配を行う。

※これ以降、多細胞化して、体細胞と生殖細胞が明確に分化する殖産分化にいたるが、この段階では体細胞は明確に分化しては無く、どれも生殖細胞とも言える。

また、変異促進機能は有性生殖の原型でもあり、多細胞化に先立ってこのような機能が獲得されたことにより、明確な雌雄分化ができるようになったとも言える。

これ以外に、ウィルスによる変異促進機能は、原核生物から真核生物まで普遍的に存在する。

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2019年06月27日

有性生殖(2倍体)と死の仕組み

年をとると必ず死を向かえる。ゾウもネズミも時が経てばその命がつきる。その一方、不死と考えられる生物もいる。寿命は一部の生物が進化によって獲得したものなのだ。では、死ぬことはどんなメリットがあるというのだろうか?
実は、寿命をもつ生物には、「性別をもつ」というもう1つの共通点がある。生物史において、「性」が出現したとき、「死」も生物に備わったのだ。

◆「死」の起源は「性」の起源でもある
人類は60兆個ほどの細胞でできた多細胞生物だ。細胞一つ一つのDNAに、自死するための手順を指示する「死の遺伝子群」が存在する。細胞はこの死の遺伝子を読み、死を実行する。このような死の仕組みは、生物の進化上、いつからあるものだろうか。

◆1倍体生物には、「死」がない

大腸菌は、遺伝子のセットを1つ持つ生物である。このような生物を「一倍体生物」という。大腸菌は、分裂によって増える。まず、分裂前に遺伝子のセットをもう1つコピーしておく。そして、分裂するときに1セットずつ分配する。分裂してできた個体が持つ遺伝子セットは、元の個体と全く同じである。
大腸菌は栄養がある限り、分裂して数を増やすことができる。分裂の限界はない。死の遺伝子を持たないため、自ら死ぬことはない。言わば、不死である。
最初の生命が誕生してからおよそ20億年の間、生物は「事故死」することはあっても、「自ら死ぬ」ことはなかったのだ。
ところが生命誕生(40~35億年前)から約20億年後(20~15億年前)、自死の仕組みを持った生物が現れた。それは、1倍体とは異なり、遺伝子のセットを二つもつ「2倍体生物」である。人類も2倍体生物である。

◆多様な遺伝子セットつくりだせる
自死することはない1倍体生物と、自死する2倍体生物。どうしてそのような違いが生まれたのだろうか?

2倍体生物のほとんどは、分裂だけで個体を増やすことはない。雄と雌が協力して、個体を増やすのだ。
雄と雌それぞれは、自分のもつ2セットの遺伝子をまぜこぜにして、そこから1セット分の遺伝子を生殖細胞(精子や卵子)におさめる。両親の生殖細胞が出会うと、2セット分の遺伝子をもつ個体(子)が生まれる。こうして生まれた子の遺伝子セットは、他の誰とも違う組成を持つことになる。
その結果、2倍体生物の場合は、遺伝子セットのバリエーションが豊富になる。これは、温度や病気に対する抵抗力などが少しずつ異なる個体が生まれることを意味する。それよって、例えば環境が一変した場合に、個体が全滅してしまう可能性を低くすることができる。
2倍体生物の生殖のしくみを「有性生殖」という。2倍体生物は、「性」を持つという点で、大腸菌のような1倍体生物とは異なっている。大腸菌のような繁殖の仕組みは「無性生殖」と呼ばれる。

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◆「死」が生まれたから、「性」が成立した
2倍体生物は、性の仕組みを持つ。そして同時に死の仕組みを持つ。性と死には、関連があるのだろうか?
有性生殖では、遺伝子をまぜこぜにするので、多様な遺伝子セットを持った個体が生まれる。このことは、さまざまな環境に適応できる個体が生まれるという点ではプラスである。しかし、遺伝子の異常な組み合わせが出現してしまうというマイナスの可能性も孕んでいる。
異常な遺伝子を持つ個体は、成長できずに死んでしまうかもしれない。しかし、2倍体生物の場合は遺伝子セットを2つ持つため、片方の遺伝子セットに異常があったとしても、もう片方が正常であれば、成長できることがある。そうすると、異常のある遺伝子は、そのまま生殖細胞に含まれて、子孫に引き継がれる可能性も出てくる。
異常のある遺伝子が消えずに子孫に蓄積していってしまうと、いつか、正常な個体を作り出すことが出来なくなる可能性で出てくる。そこで登場するのが、「死」だ。有性生殖でおかしな遺伝子の組み合わせが出来てしまったときに、それを消去する仕組み(死のプログラム)を持った生物が、いつかの時点で現れた。そうした生物が、今まで生き残り、地球上で繁栄できていると考えることもできる。

【参考】:Newton別冊『ゲノム進化論』

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2019年06月25日

江戸時代の教育~生産を中心とした共同体集団に根ざしたものだった~

明治時代に始まった教育制度がその後どのような影響を及ぼしたのかについて言及していく前に、改めて江戸時代の教育はどのようなものだったのかを紹介しておきたいと思います。リンクより

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◆藩校
江戸時代中期までは、武士の学問は、平和な時代の余技、教養といった程度に考えられていたが、中期以降は、現実の政治や経済の困難を克服するために教育を重んずる方向に各藩が傾いた。
藩校は天明・享和期(1781〜1804)に最も多く設けられた。
それは、商品経済の発展によって武士階級全搬の財政難が深刻化し、綱紀粛正のためにも、現実の問題の解決のためにも、子弟の教育を重 視するという方針に転じた。
教育内容は、基本的には儒学中心である。
為政者階級としての道徳的人間を形成することが目的であったが、少しずつ、経済実用の学を重んずる傾向に変わっていった。

◆郷学
江戸時代中期以降になると、庶民教育のために「郷学」も設立した。
郷学は、もともと家臣の学問や武芸を向上させるために設立された。言い換えれば、藩校の分校のようなものである。
しかし、1745 年(享保の改革期)以降は庶民の教育へとその目的が広がった。
その中で、民間の有志や町村(あるいは町村組合)が設立する郷学も増加していき、その形態は多様化した。
このような藩校や郷学の多様な展開を支える基礎となっていたのが寺子屋である。

◆寺子屋
その歴史は室町時代後期までさかのぼり、寺院教育を母体として発生した。寺子屋の名の由来はここから生まれた。
明治政府(文部省)が1892年に編纂した『日本教育史資料』には、明治初期における全国約15,000の寺子屋と1,500の私塾が確認できる。
ただしこのデータは調査の不十分さが指摘されており、実際にはさらに多くの寺子屋が存在していたことが明らかになっている。
このように、士・農・工・商の身分制が確立していた江戸時代の教育は、武士と庶民の教育も大きく 2 つに区分されていたが、教育の近代 化によって2つの教育がしだいに融合化されていったのである。

普及したのは、藩校と同じく18世紀以降である。
商業が盛んになり、交通が盛んになり、交通が進み、生産や商取引に契約書、帳面類、書簡などの必要が著しく生じた。
幕府の側でも、さまざまな事柄を伝達するのに文字を用いて効果を上げようとした。
諸法度、御触書、御高札といった法令を広く領民に知らせるためにも、広く庶民が読み書きの能力を高める傾向を歓迎した。
そのため、最初は江戸、大阪といった大都市で設けられた寺小屋も幕末期には、天保年間(1830−1844年)頃からは、農村や漁村の隅々まで開かれるようになった。
寺子屋で先生役を引き受けた師匠は、必ずしも特定の知識階級ではない。数の上では、庶民が最も多い。
町年寄や隠居と呼ばれた人、庄屋や組頭にような農漁村の支配層、次いで多いのは、武士。また僧侶や神官も寺子屋を開いた。
一番見逃すことが出来ないのは、寺子屋が庶民が自らの必要から生み出した自然発生体としての組織であって、幕府や藩の側の要請に基づくものではないことである。

◆寺子屋に見られる男女別学
江戸時代の寺子屋の普及によって、現在の学校の基礎が築かれた。では、その学習は男女に差が見られるのだろうか。
これを紐解く手がかりとして、江戸時代に使われた教材に「往来物」がある。
現代の教科書の役割を果たし、様々な手習に対応するため、江戸時代中期頃から出版が盛んになった。
その内容も様々であり、読者に合わせて編集され、その種類は数千種にのぼる。
往来物の代表的なものには、『消息往来』(1843年刊行)、『庭訓往来講釈』(1845年刊行)、『商売往来』(1830~1844年刊行)などがある。

そして、数ある往来物の中には女子用に編集されたものがある。例として、『女今川』、『女庭訓往来』などがある。
これらは、もともと男子用として広く使用されていた往来物を女子用に編集したものである。
女子用に掲載された往来物の内容には以下のようなものがあげられる。
「女今川・女庭訓往来・百人一首・女大学・婚礼の次第・年中行事・出産に関すること」などである。
これらの内容からわかるとおり、男子が学問や実用的な職に関する知識を学ぶのに比べ、女子は日常生活に必要な知識や、女子的教養が主な内容である。
つまり、家庭内の女子、妻としての教養が重視されていたことがわかる。

男女の学ぶ内容の違いは、寺子屋の男女の就学率にも大きく影響していた。
女子が教育を受ける目的が家庭内において必要な教養を身につけることに偏っていたため、女子の教育が家庭内で行なわれるケースが少なく なかった。
しかし、江戸時代後期になるにつれ、地域によって差はあるものの、女子教育の必要性が高まったことから、女子の寺子の数が増 加したと考えられている。特に江戸では女子の寺子数は男子の約9割と、極めて高い就学率だった。

ほとんどの寺子屋で、男女は同じ部屋で手習を行ない、まれであるが、女子限定の寺子屋も設立された。
現在、寺子屋で手習をしている絵が描かれている書籍や襖絵が数々残っている。
それらには、同じ部屋に男子と女子とに分かれて学習している様子や男女が分かれて遊びをしていたことなどが読み取れる。
男女共学が普通で、比率としては、全国平均では男100:女25、ただし、江戸では男100:女89。
神田、日本橋、浅草などの庶民が群居するにぎやかな町、卸問屋や株式組合が盛んに活躍している地域では、男女比はほとんど同じだった。

江戸時代の社会は、武家社会の主従関係が基礎となっていたが、これが庶民の家庭にも及んでいた。
親子関係、夫婦関係も主従関係と同様に見られていた。そのため男子と女子の教育は区別して考えられていたのであろう。
一方、私塾は藩校や寺子屋とちがい、身分上の差別が少なく、武士も庶民もともに学ぶ教育機関であった。
現在の私立学校の前身あるいは母体となっているものも多い。

◆若者組による教育
伝統的な地域社会において、一定の年齢に達した地域の青年を集め、地域の規律や生活上のルールを伝える土俗的な教育組織である。
若者衆、若者仲間、若者連中など、また集まる場所を青年宿、若衆宿,若者宿,若勢宿,寝宿,泊り宿,若宿など、地域によっても様々の名
称がある。類似の風習は日本のみならず、世界各地の伝統社会に存在する。
近世において、地域社会の構成員を教育する場として確立したと考えられ、地方では明治以降も多く引き継がれていたが、公教育の普及に伴い衰退・消滅していった。

若者組への加入・脱退の決まりは大きく2つに分けられる。
1つは、その村の男子全員が加入するというタイプで、多くの場合は結婚を機に脱退する。
もう1つは各戸から1人(長男)だけが加入するというタイプで、多くの場合結婚ではなく一定の年齢に達すると脱退するというものであった。
いずれの場合も、一定年齢(10代半ばくらい)に達すると加入する。
若者組を卒業したものは、地域社会で一人前のメンバーという事になる。

年長者がリーダーとなり、後輩たちに指導を行った。
若者宿、若衆宿などといわれる拠点があり、そこに集団で寝泊りする場合も多かった。
村内の警備や様々な作業を行ったり、共同で集まり親睦を図った。
特に祭礼では、若者組のメンバーが子供組を指導して中心的に運営を行う場合が多かった。
また交際上必要となる飲酒・喫煙の指導、さらに村内の恋愛、性、結婚を管理する側面を持ち、リーダーが各自に夜這い を指示して童貞を
捨てさせることも行われた。男性の若者宿に対して同じ年頃の女性が集まる娘宿の存在する地域もあり、この場合双方の交流によって結婚相手を探すという意味があった。

◆◆江戸時代の教育
基本となるのは農業であれ商業であれ、生産を中心とした共同体集団の存在である。
子供たちも生産活動を担いながら、共同体における役割として「若者組」にて年長者から学び、生産の必要な実学を「寺子屋」で学ぶ。
若者組では男女別々に、寺子屋では壇上一緒だが学ぶ内容が役割に応じて男女で異なっている。
男子は生産を中心に担う存在として実務に関する内容を主に学び、女子は共同体を内から支える存在として日常生活の知識や共用を学ぶ。
つまり、共同体の一員としての役割が明確にあり、その役割を担うべく「若者組」では年長者が教育し、「寺子屋」では自主的に学ぶ。
そこには当然、男女の役割の違いもあり、男として女としての学びに加え、性関係をも取込んだ教育システムとして存在していた。

鍵となるのは、前提としての集団の存在、中心にある生産課題・役割といった点だろう。
このような視点で、次の明治以降の近代教育を振り返ってみる。

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