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2017年05月19日

日本の学術が考える「教育改革」

「21世紀の教養と教養教育 」と題し、日本学術会議が議論を重ね、大学教育についての提言をまとめている。
2010年の内容であり少々古いが、日本の学術界がどのように現状を認識し未来を築こうとしているのか、興味深い。

 

日本の展望―学術からの提言2010
グローバル化の進む21世紀初頭の現在、地球環境・生態系破壊の危険性や、地域紛争・テロ、新型感染症、金融危機といった問題など、予測のつかない困難が人間・国家・人類社会を襲っている。他方、世界各国は、グローバルな経済競争のなかで自国の豊かさの維持・向上を図り、それぞれの社会内における種々の対立や貧困・差別などを解決しつつ、多文化共生・多民族共生とローカルな文化・社会の活性化を持続的に確保し促進するという課題や、それらの課題への適切な対応と活力ある豊かな市民社会の展開を図るという課題に直面している。
世界各国と人類社会が共通に直面しているこうした現代のさまざまな問題と課題は、それらに対応しうる知識・知性・教養の向上を切実に求めている。その知識・知性・教養とは、異質なもの(個人・民族・国家や宗教・文化)の間での相互信頼と協力・協働を促進し、それらの問題や課題の性質・構造を見極め、合理的かつ適切な解決方法を構想し実行していく基盤となるものである。しかるに、その基盤となるべき教養は低下していると言われ、その再構築が喫緊の課題だと指摘されている。

人類社会が直面している様々な課題に対し、どのように答を出し、未来をつくっていくのか。
答を出すためには、それに対応しうる知識・知性・教養の向上が必要であり、低下した教養の再構築が必要であると言う。
しかし今現在、新たな社会構築に向けた有効な新理論はどこからも誰からも出てこない状況。
それは何故なのか?
そもそも冒頭の様々な問題はどのように生まれてきたのか?
基盤となる教養が低下したのは何故なのか?
社会の要請に対し、学術はどう応えていくのかが問われているだけだが、、、

20世紀半ば以降、例えば、生活水準の向上をもたらしてきた科学技術・経済の発展が地球環境・生態系の破壊などの危機を引き起こすというように、人間の営みが交叉反転し矛盾した結果をもたらすという事態が目立つようになった。自由・人権の拡大、自我の解放と個の確立や「豊かさ」の追求をはじめとする「近代(モダン)のプロジェクト」への信頼が揺らぎ、そのプロジェクトを支え先導してきた科学技術や「知」の在り方が問い直されるようになってきた(この知の在り方に関わる変化を「知の地殻変動」と呼ぶ)。この問い直しは、その根底において、価値と倫理の再編・再構築を迫っている。自己中心・自国中心・強者中心の生き方・考え方や社会の在り方ではなく、多様性と自他の違いを認め尊重しつつ、相互信頼と連帯・協働の輪を拡げていくことのできる生き方・考え方と社会の在り方を求めている。この求めに応えうる倫理の再構築とその倫理に裏打ちされた教養の形成を図っていくことが重要である。

市場社会をリードしてきたのは、自由・人権の拡大、自我の解放、個の確立といった近代思想であることは間違いない。
その結果、地球環境・生態系の破壊などの危機を引き起こした以上、社会を牽引してきた近代思想が間違っていたと言わざるを得ない。まず、この点の総括が必要ではないか。

「るいネット」より
大転換期の予感と事実の追求
>「人々は、これまで無数の常識(規範とか観念。現在もっとも支配的な観念は、自由とか個人とか人権だと云って良いでしょう)に則って家庭生活を営み、あるいは経済生活を営んできました。しかしその結果が、先進国における全面的な行き詰まり(世界バブル・財政破綻・環境破壊・精神破壊)であり、崩壊の危機であるとすれば、それらを導いてきた常識群の根幹部が(従って、大部分の常識が)根本的に間違っているからだと考えるしかありません。おそらく人類は今、全文明史を覆すほどの大転換期に入ったのではないでしょうか。 」<

そう、近代への信頼が揺らいだとか、知の地殻変動といった位相の問題ではない。
全文明史を覆すほどの大転換期である。
近代思想を含め、これまでの常識では全く答を出せないということ。
全文明史を遡って、人類史の構造を解明しないと答えは見えないということを意味している。

古典的な「教養」は、広い意味での階級社会を基盤にして、エリート性を含意しつつも人格の陶冶を含む啓蒙主義的な理念として構築されてきた。そして、特に19世紀後半以降の産業社会と市民社会の進展を背景にして、近代的な産業社会・市民社会(政治社会)に参入し、そこで成功するにふさわしい知的・文化的素養や倫理・規範を身につけていることとして観念され評価されるようになった。言い換えれば、教養は、エリート性を維持しつつ、「近代=産業=市民社会」において成功するための重要なパスポートとして機能してきた。そして、この間、その理念と機能は、「教養主義」によって維持され展開してきた。この伝統は、日本を含む先進諸国では、経済の高度成長と高等教育の大衆化が急速に進んだ1970年頃までは、エリート性を徐々に低下させてきたとはいえ、個人的成功の要件として機能し、その機能にも裏打ちされた「大衆的教養主義」として曲がりなりにも維持されてきた。

しかし1970年代後半以降、「教養主義の没落」「教養主義の終焉」とも言われる変化が起こり、その変化に対する危機意識が表明されるようになった。その変化と危機意識の背景には、次のような社会と大学教育の変化があった。前述のようなグローバル化の進展やメディアの地殻変動に伴って、国際的な経済競争の激化と産業構造・企業活動・仕事世界の流動化・複雑化、豊かな情報消費社会の進展とライフスタイル・価値観の多様化などが進んだからであり、もう一方で、大学教育のさらなる大衆化と学問・研究の専門分化・高度化に伴って、学生の学力や学習意欲・興味関心の多様化と専門教育・実学教育のウェートを高める傾向が目立つようになったからである。かくして1980年代半ば以降、大学教育の質向上や「卓越性の追求」をスローガンに掲げた改革と、一般教育・教養教育の見直しと再興・再構築を目指す改革の動きが活発化することになった。

1970年を境とした変化は、国際的な経済競争の激化と産業構造・企業活動・仕事世界の流動化・複雑化、豊かな情報消費社会の進展とライフスタイル・価値観の多様化、、などといった変化の類なのだろうか。

明治の近代化以降、西洋の近代思想を輸入し、国家を挙げて市場拡大に躍起になった。
誰もが豊かさを求め、近代思想をバイブルとし、勉強に励み、受験戦争を勝ち抜き、市場の牽引車になっていった。
日本においては1970年頃、ついに豊かさを実現した。つまり、豊かさ追求の方程式は成立しなくなった。
かつては、時代の要請は先進国の仲間入り、豊かさ追求にあった。だからこそ、それに応じた学術が必要とされたに過ぎない。そうである以上、今現在の社会の要請は何か、人々の期待は何か、そこに応えていくのが学術の役割であり、教育の存在意義である。

「21世紀の教養と教養教育」は大学教育のカリキュラムへと提言が続くが、
まずもって学術界を牽引してきた学者自らが、その拠って立つ思想を総括し、人類史に遡り社会構造を解明し、今後の社会をつくっていく新たな理論構築をすべきであろう。それ無しにこれまで同様、近代思想を大事にしたままの教育を続けても全くもって意味がないどころか、ますます迷宮に入るだけである。

 

 

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2017年05月18日

一神教(キリスト教・イスラム教)とシャーマニズム

『スピリチュアリズム普及会第3公式サイト』「5)教理宗教下における“神秘主義”――神・超越者との神秘的合一を目指す組織宗教内の異端児」の一部要約です。

●教理組織宗教の形成と、教理による霊的現象の抑圧
古代以前には全世界でアニミズム・シャーマニズムという「霊的存在への信仰」行われていた。その後、部族宗教・民族宗教という古代宗教が形成され、続いて教理宗教の創始者(教祖)が現れ、自らの啓示や悟りを広める集団をつくる。霊的啓示や悟りは「教義」となり、教団拡大の原動力となった。教義をつくる過程で、啓示の内容は宗教組織にとって都合のよい内容に変化させられ、創始者を神格化するためにしばしば捏造が行われた。

「教祖・教義・組織」という3つの要素を整えた教理組織宗教は、「シャーマン」を中心とする小規模な宗教社会や「祭司」を中心とする古代宗教社会に向けて布教活動を展開し、それらを勢力下におさめてゆく。それら教理組織宗教の中で「キリスト教・イスラム教」が巨大な一神教の教理組織宗教が現れ、アジアでは「仏教」が広大な地域に宗教版図を形成した。

そうした「教理組織宗教」は、アニミズム・シャーマニズムという原始宗教や、祭司を頂点とする部族・民族宗教とは比較にならないほど強い支配力と拘束力を持った。宗教組織(教団)の教えと指導が絶対的なものとなり、すべての信者が従うこととされ、教団に反した見解や、教団の指導範囲を越えた宗教活動は禁止された。特にシャーマン的人間の語る啓示は、しばしば教理宗教の教義や指導者の考え方と食い違うため、教団はシャーマニズム的動きを徹底して弾圧した。教理組織宗教は、教理による信仰の支配によって「シャーマニズム的心霊現象」を押さえ込んだのである。

ところが教団側がどれほど信者を規制しても、人間にもともと備わる「霊能力」それ自体を無きものにはできない。鋭い霊能力を持った人間・シャーマン(霊媒)的素質を持つ人間を中心に「神秘現象」が自然発生する。こうした神秘体験に基づく信仰的なあり方を、教理宗教における知性に基づく通常の信仰と対比して「神秘主義」と言う。教理組織宗教はそうしたシャーマン(霊能者)や神秘現象に対して、より強硬に臨むことになり、とりわけ近代以降は神秘主義に対する蔑視が強くなり、謎めいたもの・不思議なものは何もかも神秘主義の中に組み込まれるようになってしまった。

●キリスト教の「異端」と神秘主義
キリスト教がイエスという霊能力を持ったシャーマン的人物から始まったことは事実であるが、キリスト教では、イエスの奇跡は、イエスという一人の人間だけに可能なものであったと主張する。イエスは「神の一人子」だから奇跡が実現したと言うのである。他の人間がイエスと同じような心霊的現象・神秘的現象を引き起こすことを決して認めない。

キリスト教が教理組織宗教として拡大してからは、霊的能力のある人間や神秘体験者を「サタンの手先」、心霊現象を「サタンの仕業」として徹底的に排斥するようになり、キリスト教会は、神秘主義者や霊能者を「異端」として弾圧した。
中世末期から近世初期にかけて、「異端」とされたものの中には初期のグノーシス派や中世のカタリ派がある。これらはキリスト教会から激しい弾圧を受け、歴史の表舞台から消滅した。またフランチェスコ会から発生した聖霊派も、キリスト教会から異端として処断されている。13世紀にマイスター・エックハルトがドイツ神秘主義を確立し、キリスト教神学にはない神との合一性を説いたが、その神秘思想も1329年に異端宣告を受けた。中世から近世にかけて(*実際にはつい最近まで)行われた「魔女狩り」は、キリスト教組織によるシャーマニズム文化・心霊現象への弾圧である。

●一神教の神秘主義の特徴――エクスタシー状態での、超越者・絶対者との合一体験
一般のシャーマニズムでは精霊や死霊・先祖霊など様々な霊的存在が信仰の対象とされるが、キリスト教下の神秘主義では「唯一神」だけが対象とされ、その神との霊的一体化を目指す。キリスト教の神秘体験者の多くも、伝統的なシャーマンと同様にトランス状態に入るが、その
神秘体験は常に「神との合一化・絶対者との一体化」と語られる。

こうした神との合一体験には、さまざまな「心霊現象」が付随している。
例えば、入神状態(トランス)下でイエスや天使に出会うという体験(幻視・霊視現象)や、聖痕が身体上に現れるが、キリスト教の神秘主義では、そうした心霊現象よりも「神との合一」という現象に重要性を認める。スピリチュアリズムからすれば、神との一体感覚を持つという神秘体験はあくまで心霊現象の一つにすぎないが、一神教の場合には、神への意識が強い分だけ「神との合一体験」が他の心霊現象よりも重視される。

この「神との合一体験」という心霊現象は、同じ一神教のイスラム教にも存在する。その代表が「スーフィズム」である。イスラム教の神秘主義スーフィズムでは、絶対者(神)との合一化・一体化が、最も重要な神秘体験とされる。イスラムの神秘主義は、9世紀頃から「スーフィー」と呼ばれる神秘家たちによって進められた運動で、修行によってアッラーの神と神秘的合一・一体化を果たすことを究極の目的としている。

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2017年05月12日

「聖職」とは国家がつくりあげた絶対者としての教員像

前回記事では教員の労働実態から、疲弊している教育現場の二ユースを紹介したが、
今回、あらためて「教員はどのようにして作られてきたのか」について調べてみた。
かつては「聖職」と呼ばれた先生が、どのようにして現在のような教員になったのだろうか。

現在日本の初等・中等教育レベルの学校 で働く教員の数は、
幼稚園:約11万人、小学校42万人、中学校25万人、後期中等教育24万人、合計約102万人に達する。
その数は、例えば、医師数16万7千人、薬剤師25万人、警察官28万8千人、自衛官24万人、看護師95万人などを上回っており、単一の専門的職業集団としては、日本でも最大規模のものとなっている。

教員数が100万人を超えているとは驚いた。
 単に教科書に書いていることを教えるだけならAIで十分可能、大量の教員は不要である。
 100万人もの人材が何を担い、どのように活かしていくのか、AI時代の大きな課題だ。

 

◆江戸時代の伝統的教師像
・幕府や多くの藩は、武士階級の子弟を対象に、主として中国の古典(儒教)を教育するための専門的な教育機関(昌平坂学問所、藩校)を設立していた。漢学、国学、そして幕末期には蘭学や洋学を教える民間のアカデミー(私塾)が各地に数を増やしていた。
・私塾は、身分・階級を問わずすべての者に対して開かれ、有名塾は全国から門人を集めた。また庶民に読み書きと実用的な生活技能を教える教育機関(寺子屋)が都市部だけでなく農村部においてもかなり広く普及を見せていた。
・藩校では武士階層の学者が教師をつとめた。
・民間の私塾や寺子屋では、武士(中・下層、浪人)、僧侶、神官、医師、学識ある富農などが教育にあたった。
・寺子屋、特に江戸や大阪のような都市部の寺子屋では、平民師匠の比率も高く、また女師匠もめずらしいものではなかった。

私塾や寺子屋は、民衆の間から生活の必要に応じて自然発生したもので、公的に設置され民衆に押しつけられた機関ではない。強いられた機関でないから、人格実力に根ざす威信をもたない個人が師匠たることは、あり得なかった。お師匠さんは、神官僧侶医師庄屋など尊敬される職業を本務としたから、師匠職を必ずしも金銭的報酬の尺度で考えなかった。彼らは多く土着の人であった。土地の人たちとの関係は、打算的でなく、義理人情的であり、一次集団的親密さをもっていた」

教員は、かつては「師匠」と呼ばれていたようだ。
 共同体規範がしっかり機能していた地域集団において、師匠と呼ばれる存在だけが人に教えることが出来たのだろう。
「聖職」と言われていた原点がここにあるのかと思ったが、なんだか違うような気がしてきた。

 

◆近代学校の下での教職の出現
明治維新の後、近代国家の建設をめざして国の主導による公教育として学校教育が開始される。
すなわち、国家的要請によって学校の在り方が決定され、その基準から教員としての必要な資質も決定された。
近代学校の教師は、寺子屋師匠のように誰でもが自由に開業できるものではなくなった。
その名称も、師匠から教員へと転換されることとなった。
「教職は標準化され、近代化されたが、反面、画一化され統制化されなければならなかった」

近代学校での教員には、国が掲げる文明開化や殖産興業の目標にそって、国の定める(欧米流の近代的)教育課程を教えるという「公務」を担うことが期待される。ちなみに、1873 年以来第二次世界大戦後の教育改革にいたるまるで、小学校の正規の教員の職名には「訓導」「准訓導」という名称が用いられた。

 

◆教員養成の開始
学制発布に先立ち、1872年、政府は、米国から教員養成の専門家(マリオン・スコット)を招聘して、東京師範学校を設立する。スコットは、すべての設備や教材を米国から輸入し、米国の公立学校で活用されている教授法(一斉教授法)を生徒たちに教え込んだ。さらに、師範学校は、教科書の翻訳、新しい教育課程の編成、教員や児童向けのハンドブックの作成などを行い日本の初等教育に大きな影響をおよぼす。

1870年代末までには、各県に少なくとも1~2校の県立師範学校が設立されていた。
師範学校での教員養成がはじまったが、その卒業生は限られており、実際には、寺子屋の師匠がそのまま教員に横すべりしたり、明治維新で職を失った士族、読み書き能力のある神官、僧侶などが教員となった。
新しい公立学校の教員は、近代国家建設のため国民を啓蒙する担い手となることを期待されたが、新しい教育課程や教科は、寺子屋で教えられていたものとは大きく異なっていた。西欧流の学校教育の理解、近代的な教授法の修得ということでは、初期の学校教員の実態はいまだに貧弱なものがあった。

 

◆森文相の教員養成論
1885 年、内閣制度が 導入され、伊藤博文が初代首相に任命される。
伊藤により米国、英国などで外交官を 経験していた開明主義者の官僚、森有礼が 初代文部大臣に任命される。
西欧化による国民の啓蒙を続行しつつ、天皇を中心とした日本人としての国民意識形成と倫理的行動原理を育成強化するというという重要な 課題と、明治初期から目前の必要をみたすために応急的、試行錯誤的に進められてきた教育事業を整理して、一貫した教育体系を作り上げる課題が森有礼に課せられた。
この森文相によって、1886年に「小学校令」「中学校令」「帝国大学令」「師範学校令」が公布され、この後の日本教育発展の基盤となる教育制度の基本的骨格が形成されることになる。

森文相は、国民教育における初等学校教員の重要性を認識しており、師範学校の役割を重視した。
森の制定した師範学校令において注目されることは、法令の条文でわざわざ、未来の教員に「順良」「信愛」「威重」という三つの気質ないしは徳性を植えつけることをめざすと書き込んでいることである。
師範学校の生徒が身につけるべき理想的な資質は、「順良、信愛、威重」すなわち、上長の命令に従属すること、同僚に愛情あふれた信頼を寄せること、児童の行動や態度を重々しく威厳をもって統制するということにされたのである。

未来の教員に徹底して国家的イデオロギー(国民道徳と天皇への忠誠)を注入することを目指す。
生徒は、兵式体操で身体を訓練し、また全員が寄宿舎生活をして帰属意識や集団的規律を身につけた特有の人物像が形成されることになる。

かくして明治に整備された法制度により、絶対的正なる存在としての教員がつくりあげられることとなった。
この絶対的正なる存在として位置づけるべく、「聖職」なる言葉を当てはめたのではなかろうか。
すなわち、国家主義を植えつける重要な役割=染脳者として、抗うことのできない絶対者をつくり、染脳教育を推し進めるために

 

◆教授法・教授理論の探究
1887年ドイツ人ハウスクネヒトによって紹介されたヘルバルトの教授理論をベースにした「五段階教授法」(予備、提示、比較、総括、応用の五段階)が開発され、明治30年代以降、わが国の公教育の教授法の定型をつくっていった。五段階教授法は、できる限り短期間に、多くの知識や技能を児童に教え込むための効率的な教授法を模索していた教員たちに受け入れられていった。

いわゆる「詰め込み教育」は明治時代に西洋からの輸入によって開発されていた。

参考:(リンク

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2017年05月11日

仏教とシャーマニズム

「4)東北アジアの宗教の特殊性――古来からのシャーマニズム文化の存続」
「5)教理宗教下における“神秘主義”――「神・超越者との神秘的合一」を目指す組織宗教内の異端児」の要約。

古代インドの神秘主義――ウパニシャッド哲学思想
キリスト教・イスラム教といった一神教以外の宗教にも、神・超越者との合一を目指す神秘主義思想が存在する。2600年前に始まるインドのウパニシャッド哲学がその一つである。
ウパニシャッドでは、究極的な真理・神である「ブラフマン(大我)」と、個的存在としての人間の実体である「アートマン(小我)」が一体化するという「梵我一如の思想」を説く。それまでインドを支配してきたアーリア人の宗教(バラモン教)が、呪術性の強い祭儀主義・祭式万能主義的であったのに対し、ウパニシャッドは「神人合一」を目指す神秘主義思想を体系化した。バラモン教の祭祀によって神に救いを求めるのではなく、一人一人の人間が瞑想法などの宗教的な修行によって「世界の根本原理・神(ブラフマン)」と一体化して救いを得ようとする神秘主義を確立した。この思想が、その後のインド宗教思想を貫く一つの柱となる。

「ブラフマン(宇宙原理)」という絶対的存在との合一を目指すウパニシャッド神秘主義思想は、初めはタパスという難行・肉体行を修行法としたが、やがてヨーガ修行法(瞑想法・精神統一法)へと変化する。瞑想や精神統一という行を通して、神との合一という神秘体験に至れるとした。修行を通じた神人一体の神秘体験こそが、「悟り」であり「解脱」であるとされたが、一方で、瞑想以外の行法として、日常生活の道徳的行為(カルマ・ヨーガ)を重要視する立場も現れた。

ウパニシャッド思想は、ブラフマン・超越的存在者との合一体験を「悟り」であり「解脱」であるとする。このブラフマンを「法(ダルマ)」としたのがシャカであった。シャカは瞑想などの修行法を通して「法」と人間の一体化を目指し、その達成が「悟り」を得ること(覚者になること)であり、輪廻のサイクルから「解脱」することであるとした。「シャカ仏教」は、ウパニシャッド思想の延長上に位置する神秘主義宗教とも言える。

一神教の教理組織宗教では、ひたすら神を信じ、これにすがる中で救いを得ようとするが、ウパニシャッドや仏教は、信仰のあり方が根本的に違っている。修行に励んだ結果、自ら神(ブラフマン・根本原理)や法(ダルマ)と一体化する体験を通して悟り(解脱)を得て救われるとする。(*大乗仏教、特にその中の“浄土信仰”では、この大原則が根底から変化する)。

仏教の「密教」と神秘主義
仏教は神秘主義的な一面を持つが、同時に強力な思弁的・論理的・理知的な面も併せ持つ。実際、シャカの死後、弟子たちは複雑で難解な思弁の展開と精密な教理論争を行った。
一方で、仏教は知性重視の傾向を持ちつつも、見解の相違に対して比較的寛容であり、その多様性を認めてきた。キリスト教のように見解の相違を認めず、異端のレッテルを貼って迫害することはほとんどなかった。それは「密教」という強烈な神秘主義に対する姿勢にも現れている。キリスト教は神秘主義を「異端」として弾圧・排斥したが、仏教は「顕教(教理重視の方向性をとる立場)」と「密教(神秘主義)」と区分することで、神秘主義に顕教と対等な立場を与えてきた。

シャカ仏教の根本教義「法を悟ることによって成仏・解脱を目指す」。この成仏に至るプロセス自体が神秘主義的であるが、その神秘主義的側面を前面に押し出して、成仏(悟り・解脱)のための具体的な実践体系を整備し展開したのが「密教」である。「密教」という言葉には、他者にもらしてはならない秘密の教え・秘儀という意味が込められている。

5~6世紀頃、大乗仏教の一派が、ヒンドゥー教から呪術や儀礼などを取り入れて「タントリズム」という秘密仏教をつくったのが、インド密教の始まりとされる。この「タントリズム(秘密仏教)」は、仏教本来の思弁的傾向・自己修業的傾向に対し、反思弁性・反理性主義的方向性・反苦行的方向性を主張した。高度な思弁や困難な苦行の代わりに、図や像といった象徴を用いて「悟り(解脱)」が達成できるとした。

6~8世紀のインド密教が中国に伝えられて「中国密教」となり、9~11世紀のインド密教がチベットに伝えられて「チベット密教」が成立した。中国密教では、天台宗が神秘的合一性の経験を重視する瞑想修行を発展させ、そこから座禅修行を中心とする禅宗(禅仏教)が形成された。さらに日本では、中国に伝えられたインド密教を空海が学び、密教的修行によって「即身成仏」(*人間が肉身を持った現世において真理を体得し仏・覚者になること)が可能であるとする神秘主義思想を確立した。

インドにおけるタントリズムは中世には大きな思想運動になったが、それと同時期(7世紀)に、もう一つの大きな神秘主義的思想運動が発生した。それがバクティー運動である。バクティー運動は「神への献身愛(バクティー)」という宗教的情熱によって神との合一を目指す。忘我による神との一体化を目的とした熱狂的な神秘主義である。

仏教教理のシャーマニズム化――「シャーマニズム仏教」の成立
シャカ仏教の根本教義には、自己を超えた存在(真理)との合一を目指す方向性が示されていた。しかし仏教が伝播していく過程で、土着のシャーマニズムの影響を受けたり、シャーマニズムの要素を仏教内に取り入れたり、あるいは部分的に融合するなどして、自らの宗教的本質を変質させていく。
とりわけ、中国に入ってきた仏教は、根本教理それ自体を変質させ、シャーマニズム化していく。
仏教はもともと、生きている人間が悟りを得るための宗教であり、死者の救いを目的としたものではなかった。ところが仏教は、シャーマニズムの影響を受け、「死者のための宗教・死後の救いのための宗教」に変わった。仏教では、死者は四十九日を過ぎれば“輪廻転生”するとされるから、いつまでも死者を弔うことや、まして死者の霊魂を定期的に地上に呼び戻すことは認められない。しかし中国に入った仏教は、祖霊の招魂を中心とする「シャーマニズム仏教」に変身し、それがそのまま日本に伝来する。

その後、中国では“禅宗”のみが仏教として存続し他の宗派は消滅したが、日本では仏教は、死者の救いを重点とする宗教として現在まで存続してた。日本仏教においては、寺は魂の修行をする場所ではなく、死者を祀る場所になった。シャカが説いた仏教と日本仏教は宗教教義の内容が異なるものになった。

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2017年05月03日

宗教の成立過程

宗教の成立過程は次のようなものだということです。
【2】祭政一致の守護神信仰が登場。そこではシャーマン活動は禁止され、儀式を司る神官階級に代わる。国家支配を正当化する神権政治や神話が登場。
【3】部族や国家を超える唯一神や最高神、宇宙原理が登場。
【4】仏教・儒教・ユダヤ教といった普遍的宗教が登場。 教義の体系化と教団化が進む。
2)宗教の組織化にともなうシャーマニズムの排除――原始宗教から古代宗教へ
3)“世界宗教”の誕生――宗教教理と巨大組織によるシャーマニズムの徹底排斥を要約しました。
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●物質文明の発展とともに霊能力が衰退
太古の時代にはアニミズム・シャーマニズムという心霊信仰が、あらゆる地域に共通して存在していた。当時の人々は、その後の人間の何倍も「霊能力」を発揮し、霊的世界と霊的存在を認識していた。そうした時代には、現代よりずっと多くの「霊能力者(霊媒)」がいたはずであるが、多くの人間が当たり前に持っていた「霊能力」は、人間社会の拡大と物質文明の発達とともに退化してしまった。
アミニズム・シャーマニズム以降の宗教の歴史を整理する。

●祭政一致の自然神的多神教の成立
5000前年~4000年前には、人類最初の文明がエジプト・メソポタミア・インダス・黄河地方に登場。少し遅れて、パレスチナ・小アジア・イラン・ギリシア・ローマなどにも古代文明が登場。これらの古代文明は、いずれも祭政一致を原則として、宗教を中心に形成された。それは共通して、自然界の諸力を神格化した神々を崇拝する自然神的多神教であり、その中心が太陽神信仰であった。

●宗教の組織化とシャーマンの排除
そこでは組織化がはかられ、儀式を専門に司る聖職者階級が影響力を振った。そうした組織宗教にとってシャーマンを通して教団の運
営方向とは異なるメッセージが降りたり、組織に都合の悪い託宣が下される事態を回避する必要があった。そのために組織宗教はシャーマンを排除したり、シャーマンの活動(霊媒現象)を禁止した。そして組織宗教は、霊媒(シャーマン)の代わりに祭司・神官・神職といった職業宗教者の身分を確立し、彼らには霊媒行為ではなく、儀式という宗教的行為を担当させた。

●国家の支配を正当化する宗教の形成
強大な中央集権国家では、専制支配を神意に基づくものとして正当化をはかるようになり、為政者が神の代理者となったり、神そのものとなって祭政一致の「神権政治」を進めた。また政治的支配力を強化するための一環として「神話」がつくられ、宗教は政治支配の道具として利用された。アニミズム・シャーマニズムの心霊信仰と心霊現象は、人為的な儀式と神話に取って代わられ、「民族宗教」が形成された。
日本の「神道」も、こうしたプロセスを経て形成された民族宗教である。日本でも古代には、部族ごとに霊的存在への信仰が営んでいたが、大和朝廷の勢力拡大と中央集権化にともない、各部族の信仰は、朝廷の人工的宗教(律令神道)のもとに組み込まれていった。そして、シャーマンとして「カミ(霊的存在)」との仲立ちをしてきた巫女は、その立場を奪われ(*812年「託宣禁止令」)、神社の侍女のような仕事を担当するだけの存在になってしまった。

●唯一神・最高神や宇宙原理の登場
3000年前頃に一つの転機が訪れる。イスラエル人は「唯一絶対神(ヤハウェ)」を創造者とする宗教をつくり上げた。BC2800年前からインドでは、従来のバラモン教の神話的多神教崇拝と祭式万能主義を超えて、ウパニシャッドの哲学者たちによって、宇宙を支配する原理として「ブラフマン」の概念がつくり上げられた。3000年前頃にはアフラ・マズダを最高神とする一神教ゾロアスター教が成立した(その後、ゾロアスター教は、「善悪二神教」、さらには多神教的な方向に向かう)。

●宗教思想・教理に基づく世界宗教の誕生
2800年前~2300年前には、それまでの部族宗教・民族宗教とは異なる、全人類を対象とする宗教が登場した。
中国では孔子が「儒教」が、インドではシャカが「仏教」を、マハーヴィラが「ジャイナ教」を開いた。イスラエルではイザヤやエレミヤなどの“預言者”が活躍し、ギリシアではソクラテス・プラトン・アリストテレスといった“哲学者”が輩出。

仏教・キリスト教・イスラム教という世界三大宗教は、民族宗教を超えた普遍的性格を持つ。いずれも、原始宗教や古代宗教(民族宗教)のように自然発生的につくられたものではなく、特定の創始者の悟りや啓示を出発点として形成された。創始者である“教祖”と、その教え・啓示である“教義”と、それらを支える強力な“組織”が存在し、布教活動を展開して宗教的支配権を拡大した。世界宗教は組織と版図の拡大
にともない、聖典(教義)の編集や教義の理論化・体系化を進めていき、組織制度は強化され、新しい宗教儀式や行事がつくられた。こうして教義による信仰の統制と、宗教組織と聖職者を中心とする強力な支配体制が確立された。

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2017年05月02日

学校、家庭、地域を結ぶ教育イノベーション

安部首相が「働き方改革」に力を入れるなか、学校教員の多忙な勤務状況に関するニュースがあった。

年間で5000人前後もの教員が精神疾患で休職している状態では、由々しき問題だ。
教師は児童生徒にとっては社会の入口となる存在、教員が疲弊しているようでは教育改革どころではない。
というより、教師の在り方、働き方も含めた教育改革が必要だ。
もっと言えば、学校(児童生徒・教員)、家庭(親)、地域・企業の三方良しの改革が必要。

振り返れば、江戸時代の寺子屋では三者の関係が当たり前のように、連携していた。
現在は家庭が教育機能を失い、それどころか学校に押し付け、放棄していまっている状況。
どうしてこんなことになったのか、あらためて整理しておきたい。

 

るいネットより
①市場の拡大によって、闘争の場(職場)と生殖の場(家庭)が分断された。
かつての農村社会においては、家庭は生産集団そのものであり、老人から子どもたちまで仕事役割があった。
農村から都市への流出、核家庭化の進行により、村落共同体は消滅した。
闘争と聖職の場が分離した集団というのは、生物史上かつて無かった極めて異常な状態である。

②かつ、マイホーム主義、個人主義の浸透により、家庭が絶対不可侵の聖域となったことによって、
家庭には何の圧力も働かなくなり、その結果、家庭は子供を教育する資質をほぼ全面的に喪ってしまった。

③’70年貧困の消滅に伴い私権統合が衰弱した結果、(私権)規範が衰弱。
とりわけ老人と共に農家時代の諸規範が家庭から消え去った’90年以降、親(大人)は拠り所(答え)を失い、叱る自信が無くなり、
教育不能の問題が顕在化した。

④私権衰弱により社会は深層では共認原理に移行したが、結果マスコミ(学校)による共認支配が強まり、「個性第一」「人権第一」
といった個人主義思想が刷り込まれた。
結果、親自身も叱るどころか「人それぞれ」→「自分のやりたいことは自分で探しなさい」と自己中化、無責任化した。
教育にとどまらずしつけまでも学校に押し付けるのは当たり前の風潮となった。

このような結果、家庭は圧力不在の過保護空間と化し、子供達には何の圧力も働かず、
自我肥大→集団・社会を対象化できず→学級崩壊や不登校等の秩序崩壊が進行した。

 

加えて、学校においては教科書絶対、教師絶対の圧力のなかで、子供たちは自由な思考を奪われ、テストの為の勉強に追われ、
気づいてみれば、言われたことしかできない、自ら考えることの出来ない思考停止人間が量産されることとなった。

教育をめぐる問題は、同時に家庭の問題であり、地域の問題である。
教師も含めた学校、家庭、地域を丸ごと含めた教育イノベーションが急務な課題である。

 

小中の教員、週60時間勤務 先生の悲鳴が聞こえる
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文部科学省が小中学校の教員の勤務実態調査を公表した。
全国の公立小中学校から抽出した約1万9000人の結果で、10年前との比較も示された。

小中学校とも勤務時間は延びている。
1週間の勤務時間は小学校が4時間余り延びて57時間25分、中学校でも5時間余り長くなり63時間18分だ。
忙しさに拍車がかかっている。

週約60時間もの労働実態だ。
いわゆる「過労死ライン」に達する計算となる週60時間以上の勤務は、小学校で3人に1人、中学では6割近くに上っている。

国際機関の調査では、先進諸国の中学教員は平均すると週約38時間の勤務で、日本は突出して長い。

長時間勤務の大きな要因は、授業時間数の増加と部活動指導だ。

いわゆる「ゆとり教育」で学習内容が削減された学習指導要領が改定され、
小学校低学年では週2コマ、それ以上は週1コマ授業が増えた。準備のための時間や成績をつける時間も増える。
少人数指導が広まり、先生が受け持つ授業も多くなった。

中学では休日の部活動の指導時間が倍増し、平均で2時間を超えている。
大会等に向けた指導でつきっきりになっている姿も浮かび上がる。

年間で5000人前後もの教員が精神疾患で休職しているのが現状だ。
教員増とともに、外部の支援や仕事内容の見直しが不可欠だ。
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2017年04月27日

おしゃべりは介護!

いま、高齢者福祉施設の仕事に携わっている。
永く地域で仕事をしてきたオーナーは、地元に恩返しをしたいとの気持ちから地域の人に利用していただき、
みんなで作りあげていくような施設、スペースの提供を考えている。
子供たちが遊んで学べる場所、認知症の方も利用可能なカフェ、施設の方の手作り料理を楽しめるスペース、、、

ベースとなるのは高齢者の役割を作りだすこと。
小さなことでもいい、何か人に必要とされていれば、元気になれるもの。

できれば何か育てられるといい。
花、植物、野菜など自然と戯れながら、赤ちゃんの子守をしたり、小さな子どもに読み聞かせをしたり、
若いママさんに昔ながらのおばあちゃんの手料理を教えたりと。

そんな中で気になった記事をひとつ紹介。
「おしゃべり」が目的の会のお話。

人が集まればおしゃべりに花が咲く。
人と人との関係はおしゃべりから。
いろんな世代の人が集まると、いろんな時代の話が聞けて楽しい。
いろんな地域の人が集まると、いろんな地方の話が聞けて楽しい。
いつしか聞く側から、語る側へと、自分の話に興味を持ってもらえる人がいると嬉しい。

こんな日常の場、関係が生まれていくことが前提にあるような気がした。
おしゃべりは介護! たしかにな~。
生まれてから老いるまで、何をするにしても人とのおしゃべりが基本なんだとあらためて思った。

 

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以下の文章は月刊誌『むすぶ』(2017年3月号)連載の「時代を駆ける 地域で生きる、地域をつくる」
のタイトルで掲載したものである。2回に分けて掲載する。(リンク

昨年10月から団地のみなさんに呼びかけて「談笑カフェ風(るん)」をはじめた。
毎回10人~15人が参加する。
いずれも年配の男性の方である。
会の目的は「おしゃべり」=乱談である。
また、人が集まる「たまり場」作りであり、仲間を作る「サロン」である。
おしゃべりで気が若返る、年を忘れる、元気がでる、ストレスが解消されてアンチエイジングにもなる。
そうなればラッキーである。
また、知らないことをいろいろ情報交換できたら、勉強になりためになる。
知力・気力・精神力ともにのばせたら、高齢化おそるべからずだ。
さらに、地域の人と交流してつながりができたらハッピーである。
風(るん)ではテーマは決めず、自分のしゃべりたいことを遠慮なくしゃべる。
人の話に尾ひれをつけ、切り替えし、切り込み、深め、広げ、豊かにする。
そんなふうにおしゃべりを楽しみたいとして出発した。
そして、会のルールとして次の五点を確認している。
①大きな声ではっきり話す。
②意見の違いを楽しむ。
③特定の政党・宗教の話は避ける。また、個人名もできるだけ避ける。
④だれでもいつでも参加できる。
⑤月一回の会報を発行する。
一番心配していたのは話題だったが、さすがに年の甲、一時間半がアッというも間に立ってしまう。

 

ともすれば地域に引きこもりがちな老人たちが集まって、談論風発で乱談を楽しむ。
それだけの会であるが、地域にとっておしゃべりは意外と大事だと思っている。
参加するみなさんが月1回の会合を楽しみにしてくれているのだ。
清水義範『ウケる!大人の会話術』を読んでいたら、
会話の根本は相手を楽しく、そして気持ちよくさせることだと書いてある。
だから会話は一種の介護だというのだ。
ナルホドと思う。
地域の老人たちが集まってしゃべくる「風(るん)」は、
支え合いでありお互いの「介護」の役割も果たしているのではないのだろうか。
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2017年04月27日

儒教は先祖崇拝シャーマニズムを土台として生まれた?

標題のような説があります。
『スピリチュアリズムの心霊現象論』「東北アジアの宗教の特殊性」を要約します。

●東北アジアの宗教の特殊性
東北アジアでは共通して、祖霊崇拝や供養が宗教的活動の中心を占めている。
インドから仏教が入ってきた時にも、東北アジア人(特に中国人)は仏教教理の根幹までも変えてしまい、先祖の霊や死霊を中心とする仏教ができ上がった。
この東北アジアの先祖(祖霊)崇拝はシャーマニズム文化の名残である。

●「儒教」というシャーマニズム宗教
中国でも古代以前から、アニミズム・シャーマニズムという霊的存在への信仰や自然崇拝や呪術が行われていた。
孔子は古代中国の原始宗教(アニミズム・シャーマニズム)に「先祖崇拝」という枠を設け、その結果、こうして中国のシャーマニズムは原始的なアニミズム・シャーマニズムから先祖崇拝を中心とする限定的シャーマニズムへと変化した。
つまり、儒教の土台は先祖霊の招魂儀式を中心とする先祖崇拝というシャーマニズムであり、シャーマニズムの上に倫理道徳や統治哲学を積み上げたものが儒教である。

古代中国では、人間は死によって魂と肉体が分離し、魂は肉体から離れると考えられていた。古代中国の「霊魂観(鬼神論)」では、死後に残された骨を死者の肉体と見なす。儒教の招魂儀式では、天から先祖の霊魂を呼び、地上に残された骨に憑依させることで霊と肉が一体化し、地上に先祖が再生する。それによって先祖は、地上で再び自分の子孫と出会い交流することができるようになると考える。これが儒教の招魂儀式の意味であり、儒教の特殊なシャーマニズムの内容である。従って、儒教では、死者の骨をとても大切なものと考え、死体は火葬ではなく土葬でなければならないとする。
これが古代中国人の霊魂観(鬼神論)であり、儒教の土台である。

孔子は「霊魂観(鬼神論)」については直接的な答えを保留し、前面に出して論じることはしなかったが、孔子は、原初のシャーマニズムを先祖崇拝を目的とした儀礼的シャーマニズムへと引き上げた。儒教の喪葬儀礼は事細かく規定されており、厳格に営まれる。孔子は、こうした先祖供養という限定的シャーマニズムの土台の上に、子孫としての生き方の規範や家族倫理・血族倫理という思想を積み上げ、先祖崇拝と親や血族に対する心がまえを理論化し、礼法をつくり上げたのである。

●一般のシャーマニズムと儒教シャーマニズムの違い
但し、儒教は、一般のシャーマニズムとは違って神がかり的な要素を排し、礼法を中心とした招魂儀式を営む。招魂儀式は、子孫としての守るべき礼法が付け加えられて倫理的儀式に引き上げられた。
シャーマニズムでは、シャーマンがトランス状態で霊的存在からのメッセージを伝えたり、シャーマンに霊的存在を取り憑かせて語らせる。一方、儒教では、子孫が祭司として先祖の霊を呼んで儀式(招魂儀式)を執り行うが、子孫がシャーマンのように神がかりになったりすることはほとんどない。
また、一般のシャーマニズムでは職業シャーマンが招魂をするが、儒教ではその役割を子孫が果たす。子孫にとって招魂儀式は最も重要な行事であり、その場には血族が一同に集まる。そこでは長子(長男)がシャーマンに代わって祭祀の中心的な役割を果たすため、儒教では長子が特に重要視される。儒教では血族の存続が第一で、血脈(血筋)が絶えることは先祖全体が救われないこと・不幸になることを意味する。こうして儒教の「先祖崇拝」と「血縁重視」は、異常なほどの熱を帯びることになった。

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2017年04月20日

社会から切り離された学校空間で道徳教育は可能なのか

道徳は長らく教科外の「活動」とされてきたが、2018年度から小中学校の「特別の教科」に格上げされるらしい。
外国人から見れば日本の道徳教育はスゴイらしいが、果たしてどうなのだろうか。

「道徳」で学ぶものは、社会における規範であり、それは共同体規範に他ならない。
共同体規範とは、人類が古くは極限時代から過酷な外圧状況に適応すべく常に「集団ためにどうする?」と追求してきた
集団の掟であり、それは皆の心の中に深く刻まれ、現代もなお心の深くにもっている不文律の規範である。
それは、あくまで集団が第一であることが前提であり、闘争課題の存在が前提である。

闘争課題もなく消費課題しかない密室空間の家庭に、道徳を教える教育機能はあるのか、
社会から切り離され闘争課題もない学校空間に、道徳を教える教育機能はあるのか、
個人主義を良しとする学校教育に、道徳を教える資格はあるのか、
人類500万年の歴史で築かれた不文律の規範を、文字面をおいかける教科書教育で体得できるのか、
道徳の習得度をたった一人の教師が評価するとは、どういうことだろうか、そもそも可能なのか、

このような不整合を学び追求することこそ、歴史教育であり、道徳教育ではないか。

 

◆外国人が感じた日本の「道徳教育」のすごみ(リンク

「若者の頭を教育する際、心の教育を忘れてはならない」と語ったのは世界的に有名なチベットの指導者、
ダライ・ラマだ。

現代の子どもたちが、家庭より学校でより長い時間を過ごしていることを考えれば、この考え方は意義深い。実際、米国に
おいても、日本においても、一般の小学生は6~7時間を学校で過ごす。さらに、放課後の活動を加えれば、子どもがどれ
だけ長い時間を家庭外で過ごしているかわかるだろう。

確かに、道徳教育の基盤は家庭にあるべきで、道徳を子どもに教える責任は親にある。しかし、子どもが夕方や夜間しか
家にいないのに、家庭内の教育だけでこれらの価値観を植え付けられると期待するのは非現実的だ。道徳教育において
学校は主要な役割を担っている。そこで、今回は日本と米国で道徳教育にどのような差があるのか考えてみたい。

多くの日本人は道徳教育を受けている。文部科学省は、学校のあらゆる教育活動において「道徳的な心情、判断力、実践、
態度などの道徳性を養う」を目的に掲げている。これには秩序、注意深さ、努力、公平性、人間や自然との関係における
協調性も含まれている。ガイドラインによると、週に少なくとも1時限は道徳教育に当てられる。

道徳は長らく教科外の「活動」とされてきたが、2018年度から小中学校の「特別の教科」に格上げされる。安倍政権は、
2011年に大津市の中学生がいじめを苦に自殺した事件など学校における深刻ないじめ問題を変革の理由に挙げた。
これまで教師が作っていた副教材や資料に代わり、標準教科書が使われるほか、教師は生徒一人ひとりの成績を記述し、
数値ではなく主観的に評価することになる。

 

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2017年04月13日

企業や地域との協業が、学校教育をより良く変える

「地域産業 教育 コラボ」で検索してみたら、最初に出てきたのが九州産業大学のKSUプロジェクト型教育。(リンク

見てみると実に面白そう。

現場の声を謙虚に「聞く」
現場で起きている事実の意味を「知る」
それの基づいて現場で「動く」
・・・『キク・シル・ウゴク』

変化の連続で、予想がつかない。従来の手法では答えが出ない。
そうした時代を生き抜くために必要なのは、「現場での実体験」。実社会の現場とは、何なのか。
そこでは、どういうことが語られているのか。どう動けばいいのか。これを、身をもって実感すること。
この現場こそ、KSUプロジェクト型教育の舞台。

課題は教科書の中にあるのではなく、現実に動いている現場にある。だから現場に出て聞いて知って動いて学ぶ。
「元来、教育は生産者を作り出すためにある。」
だから、現場に出て、現実を知り、事実に学ぶのは当たり前のことだ。

今後の教育は学校という檻から抜け出し社会と一体化しなければ取り残される。
最近注目を集めてきた「教育CSR」も同じ動きなのだろう。

ここ十数年にわたって、企業のCSR活動が活発になっている。
CSRとは、社会的責任(Corporate Social Responsibility)の略。
企業が社会を構成する一員としての責任を果たすために、地域の清掃活動や環境保全活動などの社会貢献を行うもの。
その中でも、最近注目を集めているのは、教育問題に特化して学校教育を支援する「教育CSR」。
その活動を日本でいち早く始めたのが、墨田区教育委員会の人物らしい。

教育CSR分野の第一人者で、学校と企業をつなぐコーディネーターとして活躍している墨田区教育委員会事務局すみだ教育研究所の
森本芳男氏のインタビュー記事を読んだ。(リンク

森本氏は、1996年に墨田中学校の校長になった頃から、
長年にわたって企業のノウハウと学校教育を結びつけようという活動を仕掛けてきたらしい。

そこで直面した問題とは、やはり地域との壁。
「地域に開いた学校」などと謳いながら、壁をつくっていたのは学校自身であった。

◆地域の人たちが後押ししてくれた
「当時は、学校崩壊が問題視されていた時代でした。
実際、赴任してみると、始業のチャイムが鳴っても、教室に生徒が入らない。やっと席についたとしても、先生の話を聞かない。
先生たちはいつも生徒たちを追いかけ回している状態で、授業になっていないクラスが多かったです。
私は悩みました。
どうすればよいのか分からず、藁をもつかむ思いで町を歩き、地域のおじいちゃんやおばあちゃんに聞いて回ったのです。」

すると、ある人が笑みを浮かべておっしゃるんです。
「町の人たちが学校に入っていけば、きっとよくなりますよ。子どもたちは町ではいい子ですから」と。

また、ある人はこう言いました。
「子どもは学校に行くと悪さをする。つまり、学校は悪さをする場所になっているんですね。
学校にいるのは先生だけ。その先生たちは絶対に手をあげない。注意をしているだけ。それでは全然収まらないでしょう。
40人の生徒に1人の先生。こっちを追いかけていたら、あっちで暴れて、あっちを追いかけたら、こっちで暴れ、
授業が成り立たないのは当たり前。なぜもっと地域の人の力を借りようとしないのですか。
地域のみんなで学校を再生させていきましょうよ」

「我々はいつでも何かお呼びがかかったら、学校に行って、子どもたちのために教育のお手伝いをさせてもらうよ。
あなたたち先生は教えるプロでしょうが、子どもたちは言うことを聞かない。近所のおばさんの言うことなら聞くんだよ。
みんな、いい子じゃん」って。本当に有難かったです。

「学校がもっと我々の言うことを聞いていたら、我々だってもっと応援してあげられたのに。
学校は地域の人たちを学校に入れようとしない。だから学校は良くならないんだ」と。
これほどまでに学校のことを思っていてくださる方がいたなんて、私はうれしくてたまりませんでした。

◆学校が変われば、社会が変わる
企業だけでなく、地元の人たちにも参加していただきたいです。
近所のおばちゃんやおじちゃんが手話を教えたり、地域の昔ばなしを語っていただいたりといった具合にです。
地域の活性化にもつながりますし、その地域のボランティアの方たちの居場所ができてくる。
すると、学校教育を通して地域社会のかかわりが変わっていくと思います。

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