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2018年02月15日

ベーシックインカムで男女関係も本源収束へと転換する

◆私権第一から、社会の役に立つ生き方への大転換
この大暴落を受けて世界的な大不況が訪れると、これまで信じてきたお金の意味を、人々はあらためて考え、やがては「脱私権」へと収束していく。国家は不況をうけて、所得導入制度(ベーシックインカム)へと踏み切る。これが脱私権と相まって、経済のシステムだけでなく、人々の労働観を大きく転換させていくことになる。

ベーシックインカム制度下にあれば、人々は多種多様な職業選択が可能となるだけでなく、自分の欠乏に応じたお金の使い方が可能になる。本源収束の意識潮流は、「役に立ちたい」という役割欠乏から能力欠乏を生起させる。それは手に職といった職能を超え、私権国家にかわる新たな社会の統合に必要な認識=新しい理論構築へと収束していくだろう。もちろん企業の良し悪しも、如何に社会に役に立っているか、というモノサシで皆が測ることになる。つまり、社会のあらゆる活動は「どれだけ皆の役に立っているか」が評価軸となっていく。(リンク

 

 

ベーシックインカムはすでに世界中で導入実験がされており、破局を契機に導入されることはほぼ規定路線となりつつある。
実際に導入されると、人々の労働観、価値観はどのように変わるだろうか?
働かなくても食っていけるわけだから、働かずに遊んで暮らす人ばかりになる、怠け者の国になる、、、
果たしてそうだろうか?
人間は共認存在である。
課題共認⇒役割共認⇒評価共認⇒共認充足。
集団の社会の課題を受け、役割を期待され、全うしていくなかで社会の評価軸が定まり、共認充足が得られていくもの。
自分ひとり好き勝手暮らすなかでは、決して共認充足など得られない。
制度導入直後は遊んで暮らす人も多かろうが、次第に「何か違う」「何か足りない」と思い始めるに違いない。
それが役割欠乏だ。
人間誰しも集団の、社会の期待を受けたいもの、役割を受けたいもの、期待と役割を受けて応えたいと思うものだ。
それが一番の活力源になるから、それが一番の存在理由になるからだ。
だから、何か社会の集団の「役に立ちたい」という役割欠乏が生起し、力を付けようと能力欠乏が生起する。
その先端は、新しい社会を牽引していく新観念の創造であり、理論構築であり、
そんな潮流の中で定まっていく評価軸は「どれだけ皆の社会の役に立っているか」であることは間違いない。

 

さて、そんな未来が到来するとなるとワクワクするが、
評価軸が「役に立っているかどうか」に定まっていけば、自ずと人物評価としても「追求力、人間力」へと定まっていく。
そんな状況においては、男女関係(男女間の評価)も自ずと変わっていくのではないだろうか。
ベーシックインカム導入時の議論をした先日の実現塾では、
「働かずに引きこもって暮らす」と答えた学生に、「そんな男は願い下げだ」と女性が答えたという。
至極、当たり前の判断だろうと思われる。
社会的な評価軸と同様に、女が男を選ぶ選択基準も変わっていくだろう。
お金が意味を持たなくなる時代、どれだけ社会のため皆のために役に立っているか追求しているかが問われる時代。
私権が衰弱し、先が見えずに男は自信喪失状態にあったが、照準が定まり、若い男から自信回復していくだろう。
これによって私権価値を背景にした自我の性関係も淘汰され、本源的な男女関係が再生されていくのではないか。

 

ベーシックインカムは私権社会と決別し、本源社会、共同体社会へと大転換していくチャンスになりそうだ!

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2018年02月01日

和傘の構造に似る天皇制?

『移ろうままに』「落合莞爾史観(1)『日本教の聖者・西郷隆盛と天皇制社会主義』より」から転載する。

落合史観の根底にある「政体」と「國體」を理解しなければならない。国家と呼ばれる特定社会の統治権を掌握する政治機関、つまり「時の政府」が「政体」であるのに対し、その根底にあって、「国」という共同体そのもの、まるごとの在り様が「國體」である。

落合氏は「國體」と「政体」を和傘にたとえて説明している。

「わが列島社会は、太古から、キミ(君)—オミ(臣)—タミ(民)が垂直に階層をなす構造をタテとし、各種の職能を保有するカバネが並列にならふ構造をヨコとする格子構造を成してきました。

和傘を開いて見上げると、真ん中に「頭ロクロ』かあり、そこから放射状に広がる「親骨」に「平紙」が張られています。「親骨」の中ほどの「頭ロクロ」寄りに「中節」があり、ここと「手元ロクロ」を「小骨」が繋いでいます。広がった「平紙」が日本社会で、「中節」の外側がタミ、内側がオミです。頭ロクロはもちろん天皇です。雨を訪ぐ機能としてはここまでで充分で、これが日本の「政体」なのです。

ところが相傘の構造は立体的で、「頭ロクロ」から「平紙」に直交して下がる『柄竹(えだけ)」が『手元ロクロ」を貫いています。可動性の「手元ロクロ」を「柄竹」に添って上下すると、その動きが「小骨」から「中節」を中継して「親骨」に伝わり、「頭ロクロ」を軸として「平紙」が開閉するのです。

要するに、雨水を遮断する和傘の機能は、「親骨」に張られた「平紐」の平面的な広がりで得られるのですが、そのためには「柄竹」をしっかり握って「手元ロクロ」を上下に操作せねばならず、結局[柄竹」と「手元ロクロ」と「小骨」の立体構造(体)が和傘の機能(用)を発揮させているのです。

この「柄竹」が國體天皇、「手元ロクロ」が國體奉公衆の棟梁で、その動きを「小骨」の國體奉公衆たちが「親骨」すなわち政体オミ衆に伝えるのです。「平紙」はむろんタミ(人民)です。」

和傘の構造と日本社会.jpg

「職能を異にしたカバネ(族種集団)がそれぞれの特性を保持しながら、他のカバネと協業して社会活動を営む集合体の中心に天皇がおられる。これが列島社会の理想的な在り方で、これを「國體」と呼びます。」

「他文明・他地域は知らず日本列島においては、古来カバネ(職能族種)による分業・協業を根本的な社会体制とする社会思想が成立していますから、カバネのキミの命令とあらば、あたかも企業内の人事異動のごとく、タミの移住が円滑に行われてきたことです。この点が、人民の地域活動に関して日本社会が他国と著しく異なるところです。」

「國體を、「至上の政治・社会理念」と心得て、いかなる社会変動があろうとも絶対に護持しようとする考え方が國體思想です。
國體にとっての最大の危機は、何と言っても列島社会の分裂です。建国以来、孜孜として積み上げてきた國體天皇と先人の努力が大きく損なわれる国家分裂は、国難これに過ぎるものはありません。」

「日本では二千年も前から國體の理念を「天皇制社会主義」として、常にこれを護持してきたのです。
國體の理念と政体の都合とが矛盾することは、しばしばありました。いや、むしろ両者は常に矛盾をはらんでいるのです。なぜなら、和傘は開くことで役立ちますが、広げたときには強風に弱く、傘を守ろうとすれば、手元ロクロを下げて傘を閉じなければならぬ場合も訪れるからです。

一旦緩急のある場合は、「雨に濡れることを承知で傘を閉じる」のが國體側の役割ですか、その動きは、「降り往ぐ雨の下で機能を果たすために傘を開いておきたい」政体側から邪魔されるのか当然です。國體側は、その行動の理由を政体に説明しません。國體が危機に瀕した以上、情報を公開することは直ちに外敵を利するからです。國體側の把握する外敵の情況と、これに対する施策は「特定秘密」ですが、これを公開しないことから犠牲か生じます。もとよりそれを承知の國體側は、犠牲を「大義のため」として納得しているのです。
江戸幕末の大老井伊直弼・将軍徳川慶喜・京都守護職松平容保らはまさにその例で、西郷隆盛もこれに加えるべきでしょう。

國體と政体の関係は?
「落合莞爾史観(2)『京都皇統の解禁秘史 天皇とワンワールド(国際秘密勢力) 』より
」転載。

人類社会は、政体が本質的に有する危険性をあらかじめ防止するため、「社会の健全性維持を図る」職掌を必要とすることになり、これを担う族種が生まれます。本稿はこれを『國體勢力」といい、ときに「國體」と略します。

社会に隠れて実在する國體勢力に気付いた者が誰一人いないのは、國體勢力が自ら秘密性を厳重に保持してきたからです。つまり國體は、本質的に秘密勢力なのです。國體衆(構成員)が名士として社会の表面に出ることは避けられませんが、政体暴力装置の眼をくらますため、國體職掌とは見えない表看板を掲げるので、覚られることはありません。

ワンワールドとはここの國體勢力が特定の地域社会を超えて国際的に連合して形成した集団のことです。この集団は、自らの存在を意識的に隠蔽しているため、社会的に明確な実在感がありません。
自前で金儲けをする方法を先天的に心得ているのが國體勢力の國體たる所以なのです。社会構造を巨視的に見れば、政体は國體に食わせてもらっているのです。

國體活動の目的は、政体が表面的に支配する社会構造を、その裏側から秘かに維持することでもあるのです。近世中華国家の郷紳富商たちは、政体を秩序維持のための職掌とみなし、それがたとい清朝皇室愛新覚羅家であっても、「番犬」と呼ぴました。

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2018年01月25日

教育改革~「学校に行かない」選択→有害な学校から子供たちが離れていく

「学校に行かない子供たち」と検索すると、約169万件のヒット!

少し前のいわゆる不登校ではなく、自らの意思で「学校に行かない」ことを選択している。
いろいろ理由は様々だろうが、
共通しているのは、強制される勉強に意味はない、と強烈に違和感を感じていることだろう。
もはや一言で不登校と済ますわけにはいかない状況だ。
「脱学校」、「脱強制」の潮流は、当事者の子供たちから確実に進行していく。
子供たちの置かれた状況を正しく理解し、大人達は子供たちを見守っていく必要がある。

 

いくつか記事をあげてみると、

娘が下した「学校に行かない」という選択。それから1年。子どもたちに起こった変化とは
~「学校に行きたくない」という選択は、身を守るためのSOSかも知れない

「学校には行かない」小2長男の“積極的不登校”という選択
~「学校に行く理由がわからない」積極的不登校のはじまり

子供に「学校へ行かなくてもいい」と言う重要性を経験者が語る
~学校に行きなさいという言葉は子供を追い詰めるという事実を知ろう

 

ひとつ面白い記事があったので(少々長いが)紹介する。
なにかのテレビ番組の収録だろうか、不登校の子供たちをスタジオに呼んでの大人たちとの議論。
「学校に行かない」選択をした子供たちに対する大人の意見がもう、強制そのもの。
根拠の無い大人たちの価値観、常識、屁理屈の押し付け、、、
こんな大人たちばかりだったら、ますます子供たちは大人社会を見限ってしまうだろう。

 

◆◆◆テーマ:『学校に行かない子供達を考える』◆◆◆
ナレーター:バッキー木馬
司会   :江口ともみ
コメンテイター
:ビートたけし
:テリー伊藤
:KONISHIKI
:鴻上 尚史
:ラモス・ルイ
:RIKAKO
~スタジオには学校に行かなくなった子供達7人が登場~

○ 皆さんはこの事実をご存知ですか?
学校に行かない子供達が急激に増加していることを
昨年度不登校の生徒(小・中学生合計)約12万800人 なんと、5年前の2倍!!

○ 「義務教育」これは戦後間も無い1947年
(教育基本法により義務教育が始まる)に生まれた制度で、
以前は家庭の事情で働いている子供達が多くいたが、義務教育により日本の全ての子供達が学校に行けるようになった。
ところが現在、日本の教育体制をささえてきた義務教育が崩壊の道をたどっている。

○ その原因とは、
「不登校」:1年間に30日以上学校を休むこと
つまり、子供は学校に行かないのである。
不登校者は年々増加文部省の調べでは、昨年度の不登校者の数は12万7692人。
中学生では、43人に1人(クラスに約1人)が学校に行かないのだ。

○ ところで、不登校を世間の親はどう思っているのか?

Q.不登校をどう思う?
会社員(38):ちょっと昔では考えられないですね。
会社員(43):社会の秩序を守る上で最低限度は学校に行かなきゃならんでしょうね。
主婦(54):一日も休んだこと無かったですけどね(笑)。
100人中義務教育だから行かなきゃならないと答えた人は73人。

○ 義務教育とは
子供が学校に行かなければならない、子供の義務ではなく、
子供が学校に行けるような環境を作る、大人の義務なのだ。

 

◆◆学校に行かない理由①◆◆
日本国 佐藤 誠(19)[小3より不登校]
『勉強が嫌いだし、いつだって出来る』

佐藤君
:勉強が嫌いと言うより、いつでも出来るんですよ。
それを何も選択権が無い小学校のうちから強制させられてやるものではないと思うんですけど。
自主的に勉強はやるものだと思うので、
やっぱり強制させてやらせる勉強はちょっとおかしいんじゃないかと思います。

ジルベルト・アパレシード・ベレイラ(35)/会社員/ブラジル連邦共和国
:何処からそういう考えがあなた出て来たんですかね?
何か勉強がいつでも出来るとかさ、
それはちょっといけませんよ、
あなたの親はそういうこと賛成ですか?

佐藤君
:親じゃなくて自分がそういう学校に行って「勉強はいつでも出来る」
と言うことを、学校に行かなくなったことで学んだことなんですけど。

ジルベルトさん
:ここに居る外国人はみんなよく学校に行って来たんで、
あとで絶対後悔すると思うよ。

佐藤君
:いや、その後悔は、自分で選択したものじゃないですか、
今は必要ない、やっぱり必要な時に勉強してこそ勉強なんですよ、
必要じゃない勉強は勉強じゃないと思うんです。

ジルベルトさん
:あなたの親はそれに関しては何て言ってるの?

佐藤君
:自分で選んだ道なんだから、って、、

ジルベルトさん
:だから、何も言わないの?

佐藤君
:はい。

ジルベルトさん
:あなたの親はちょっと、、、おかしいね(笑)

佐藤君
:いや、おかしくないですよ。

ジルベルトさん
:おかしいよ!

テリー伊藤
:佐藤君、お仕事はなにかやってるの?

佐藤君
:いえ、やってません。無職です。

ジルベルトさん
:仕事しない、勉強しない、だから、人生は何だと思ってるの?

佐藤君
:ヒマつぶしです。

外国人
:(ブーイング)

テリー伊藤
:生活はどうなさってるんですか?

佐藤君
:いや、、親が、、

テリー伊藤
:アルバイトもやってない?

佐藤君
:アルバイトもしてません。

ジルベルトさん
:あなたはさぁ、後でどのくらい苦労するかわかってない

佐藤君
:いや、その時に苦労すればそれはそれでいいじゃないですか。

ジルベルトさん
:その考え方はやめてよそんな考え方は

鴻上 尚史
:今は暇は潰せてるの?

佐藤君
:はい、潰せてます。

鴻上 尚史
:結構充実した暇潰しなの?

佐藤君
:はい。充実してる暇つぶしですよ。本読んだりとか。

外国人
:マンガだよ!

佐藤君
:マンガです(ペコペコ)

ガーナ共和国
:マンガマンガマンガマンガマンガマンガマンガ

ニコラ・ロレッタ・ナカシマ(19)/学生/スリランカ
:勉強っていうのはいつだってできるって言ったよね?
脳っていうのは子供のうちが学びやすいんですよ。
わたしも14歳の時日本に来て、此れだけ日本語話せるのは子供だったからなんですね。
大人になってどんどん頭が固くなって来てしまったら、多分そんな思い通りには行かないと思うから、
今やっておいたほうが楽だし今やっておいたほうがいいと思います。

石井 志昂(17)[中2より不登校]
:確かに若いうちの方が解りは良いと思うんですけども、だったら強制していいのか、という問題なんですよね。
今学校に行きたくなくてこういう勉強したくないな、と思って死ぬほど苦しんでいる人もいるんですね。

ニコラさん
:なんでそんなに勉強がイヤなんですか?

石井君
:え?もう、生理的にイヤな面もあるんです。

KONISHIKI
:勉強より学校がイヤじゃないの?

石井君
:いろんな面でぼくは学校が嫌いになったんですけど、

KONISHIKI
:だって学校行ったら友達もいるし、

ニコラさん
:勉強嫌いだからって、言うけど、わたしも日本語勉強してすごい大変です。
社会とか国語とか全然ついていけなくて、こっちのセリフだよ。
学校や勉強が嫌いだから、、でも辞めてないでちゃんとがんばってるよ、
あなたたちは日本語がわかって日本に住んでるのになんで頑張らないの?

石井君
:でもそれは頑張りたいから頑張ってるんでしょ?

ニコラさん
:解ってる言語で漢字も全部解ってるのに、全部できるのになんで頑張れないのか不思議だよね。

坂本ゆい(15)[小1より不登校]
:それはあなたが日本語を学びたいと思ってるから学んでいる事であって、
私達は別に学校の勉強とか学びたいとは、

ニコラさん
:いや、はっきり言って学びたいとは思ってない。

坂本さん
:じゃ、なんで学んでるんですか?

ニコラさん
:でも学んだからって私が損はしないから学んでるわけ。自分の為になるから、いつか。

田中健一(18)[小5から不登校]
:だから、そういう自分の為に学んでるんですよね?

ニコラさん
:じゃ、自分達はどうなんですか?

田中君
:僕達は今、必要じゃないと思ってるわけですよね。

テリー伊藤
:佐藤君の気持ちも分かりますよ。
多分ね、小学校でね、勉強出来なくて、必ず通信簿が出て来るんですよね、
それがずーっと自分のコンプレックスになる。そこから別に逃げても構わないと思うんですよ。

外国人
:おかしーよ

テリー伊藤
:ちょっとまって。

ガーナ
:ちょっと待てない。言ってることおかしいんだもん。もっと良い意見を上げてよ。

テリー伊藤
:別にさ、日本で生活していく上で、
お金の勘定とかさ、食料が作れれば生活していけるわけだから。

ガーナ
:なんでそんな事に賛成してるの?それはテリーの方がおかしい。

カネコ・ルイス・アルベルト(30)/コロンビア/営業員
:やっぱり人間はですね、今やらないことはその後もやらないんですよ。無理。
そして、一番大事なことはなんだと思っているのか、それがききたいですね。

増山雄大(14)[小1より不登校]
:確かに、勉強も大切だな、と思いますけど、結局、人間としてどうであるのか、

カネコさん
:あのね、言っておきますけど、一番大切なのは時間。時間なんですよ。時間は過ぎてしまったら戻ってこない。
だから今やらないことは明日明後日になってもやらないんですよ。

増山君
:明日明後日やらないなんて、人が勝手に決めてることじゃないですか。
自分では明日やるかもしれないのに、
あなたが勝手にお前は明日明後日やらないんだ、って決め付けてるだけじゃないですか。

カネコさん
:いや、勝手に言ってないよ。ほとんど、そうなんですよ人間が。

テリー伊藤
:でも、14歳だよ。14歳であんだけ喋るのいないよ!

カネコさん
:テリーさん、だけどね、それはそうじゃなくて、

テリー伊藤
:援助交際してる高校生よりかは全然良いじゃないか!悪くないじゃないかちっとも!

カネコさん
:だからその弱さがなにもかも勉強にもなってないらしいよ、
というのは良くならない結果は、どうやって選択しようと考えなきゃいけないうちの一つなんだよ。

田中君
:不登校の人は凄く強いと思うんですよ。
何故なら学校に行かないと判断することがすごい難しい事なですね。
だってみんな学校に通ってるじゃないですか、

テリー伊藤
:そうだよ、学校に居る奴の方が弱いんだよ。

田中君
:今度親からお前はなんで学校に行かないんだ、お前はダメなヤツだ、といわれ、
今度は先生から言われ、親戚中から言われるんですよ。
友達からも言われるわけですよ、でも僕達は学校へ行かないという判断を下してるわけですよ。
凄い頑張って自分の意見を持って戦ってるわけですよ。

エドワード・サウスウィック(44)/家族教育士&ビジネスコンサルタント
:わたしは前に感心した中学生がいたのね、全然ダメんで、漢字もダメで、ドロップアウトしようとしたんです。
でもやっぱり話してみても、凄く考え方があって、意見があって、凄く頭が良いことがわかったんですね。
それで、ちょっと励ましていったら、だんだんと彼は頑張ろうとした。
勇気を出してそしてその漢字の試験はやっと頑張って受かったんですね。
そして現実の問題として、高校を卒業してないと、あのいつまでも両親から生活してもらえないでしょ、
あの、衣食住とか、そういうのはだから、せめて高校くらい卒業しないとなにもできないから、
そのくらいは頑張って卒業して。
そんなに良い実績なくてもいいんですから、

石井君
:親に育ててもらってたら駄目ですか?

エドワードさん
:いつまでもやってもらうつもりでしょうか?

石井君
:ぼくは、いつまでとは全然決まってないんですけど、その考えがすごい苦しいと思うんですよ、
例えば、小学一年生の年齢になったら小学校に入る。
中学校の年齢になったら中学校に入る、みんな決められていて、入っている。
例えば、25歳になったら働かなくちゃいけない。
30歳になったら所帯を持たないと行けない。
そういう考え方が全部、プレッシャーとなってくるわけです。でもぼくはそうじゃなくて、

テリー伊藤
:まあ、それはわかるけど、

エドワードさん
:ちょっと独立する意志はないんですか?

タケシ
:生まれたくて生まれたわけじゃないって?

石井君
:ぼくは生まれたくて生まれたわけじゃないんですよ。

RIKAKO
:なんで?

石井君
:だって、親に産んでもらったわけですよね?

ラモス
:みんなそう、お前おかしいよ。

たけし
:生まれたくて生まれたわけじゃないんだったら死ねば良いじゃん。

石井君
:死ねるチャンスはいくらでもあったわけですよね、
でも生きてるわけですよね、だから自分で考えて生きてるわけですよ。

ラモス
:お前そんなこと言ったら偉くないよ、バカだよ。

たけし
:それは宗教的にえらい問題があってなぁ、、

ノイマン・クリストフ(32)/大学院生/ドイツ
:子供に聞く遊びたいか勉強したいか、
もちろん子供の大半は遊びたいと答えるから勉強したくないだけは全然すごい意見だとは思わない。
本当は学校というものはとても良いものだと思います。それちゃんとしましょうよ。
昔、例えば19世紀とかにその学校という義務教育が無かったね、
その時に日本の社会でもどいつの社会でもその金持ちの人達は学校へ行って
後で例えばあの商売やったり、政府に入ったり、その人達は良い生活ができる。
その学校に行ってない人は普通の農民で貧乏で全然良い生活出来なかった。
その学校はチャンスをあげるところですから、とってもいいと思います。
それで、昔は例えば小学校だけ行けば良かったね、
けど今の社会はとても複雑ですよ。
今の社会のメンバーになりたかったら、今の社会から特や利をもらいたかったら、
本当に高校まで行かないといけないですよ。
例えば日本人が漢字がちゃんと読めるために9年間が必要ですね。高校生はまだ新聞よめないですよ。
だから高校まで行かないと、
後で自分の仕事の契約とかも読めないじゃないですか。
だから、社会に振り回されないように絶対学校へ行って下さい。

テリー伊藤
:彼たちが5年後にですね、凄い金持ちになったら皆さんどういう論理構成で責めるの?

外国人
:(騒ぐ)

テリー伊藤
:わかんねーじゃねーかよ、そんなことは。

オーストラリア
:頭使わないとただのスポンジになるよ。

テリー伊藤
:頭使ってないわけじゃないんだって。方法論が違うだけじゃないか。

たけし
:こちらの人達(不登校の皆さん)から考えてみれば、金持ちがそんなに凄いことなのかって思わない?

不登校の皆さん
:思う

たけし
:なんで金持ってることがそんな価値があることなのか?っていう感覚もあるわけ。
その考え方が学歴とかいろんな考え方が入って来るわけで、
学歴があってちゃんとやってきて金持ちになるっていう生活が、
日本人が昔から考え出したレベルが嫌いなわけじゃん、ようするに。
日本の社会で生活する、外国もそうだけど、自動車運転するには免許が必要なわけで、
免許持たずに運転させろ、と言ってはいけないだけであって、それだけの話だよ。

テリー伊藤
:あなたね、高校は出た方がいいって言ったね。実際問題として、そういう考え方は怖いんですよ。
何故かって言うと、中学しか出てない人に対してどういう考え方なの?
そりゃ差別だって。じゃぁ、ね、みんなが高校出るでしょ、
今度は大学出てないとアイツは駄目だって言ってるようなもんだって。

キング・オパル(27)/元ラジオDJ/アメリカ合衆国
:テリーさんの言ってることほんま、もぉ、おかしいわ。だって、ほらちゃうねん、
この子達仕事もしてないねん、どうやって人の付き合いわかるん。だって俺だって学校嫌いだったから、、

テリー伊藤
:10代で仕事してない奴一杯いるじゃないか。

キングさん
:それあかんねん。だって、学校行かへんのなら仕事した方がいいよ。

テリー伊藤
:自分なりに勉強してるんだから。いいじゃないか、別に。
例えば25歳とか30歳だったら怒るよ。いいじゃないか別に。
14歳の奴になんで仕事を強制するよ。

キングさん
:テリーさんみたいな大人がおったら、
例えば子供が誰かこの中で金持ちになったらどないするとか、
俺のニューヨークではな、俺の友達学校行かへんかった人は5年たってから金持ちなったで。
ドラッグディーラーになって、犯罪者なって。まだ犯罪者ならへんかったからよかった。なぁ?

外国人
:((拍手))

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2018年01月16日

私権社会から本源社会への革命的転換、その主役は子ども達

>かくして、生きる活力もない、自ら考える頭もない人間であふれ、社会は全面的に活力を失った。
このような閉塞状況が真っ先に顕在化するのが若者であり子供たちである。
このままでは社会は滅亡するしかない。
強制圧力にしか反応しない思考停止人間、無気力人間を生産する学校教育を直ちに変革しなければならない。
教育革命待ったなし!(前回の投稿

 

◆国家の権力基盤
このような危機的状況に対し、国家は何をしているのか?
例えば、働き方改革。時短や報酬、職場環境などのガワばかりを問題にし、肝心の働き手の活力など、主体意識などお構いなしだ。
国家は、活力のある未来の社会像など、全くもって示せていない。
彼らは自らが支配者として存在していたいだけ、地位を守りたいだけ、既得権益を温存したいだけ、
だからいくら国民の支持が得られなくとも不正選挙の暴挙をもってして必死にしがみつく。
国家権力の暴走も見せかけの民主主義によって封じ込められる。

こんな酷い状況であっても暴動が起きるわけでもなく日本人は大人しい。
それは、江戸時代以前より、お上が支配する世界とは別に、現実の共同体社会の中で生きてきたからだ。
元々日本人は、お上とは無関係に豊かな自治共同体社会を自分たちで築いていた。
その共同体、および共同性を否定し、国家に従順に従う下僕にせしめたのが近代学校教育である。
教師を絶対的な存在とし、教科書が絶対の答えであると、繰り返し刷り込んでいく。
当然のように教科書には国家にとって都合の良いことしか書かれていない。

国家権力の基盤は、資本でも法制でもなく勿論軍事力でもない、国家権力に従順な国民であり、
国家にとって都合の良い、余計なことを考えない思考停止人間を大量生産してきた学校教育にあることは間違いない。

 

◆脱学校が顕在化
そして今子供たちの間で脱学校という、新しい不登校が登場してきた。
全く意味のない勉強を延々とやり続ける違和感、不整合感、虚無感からくる活力衰弱がついに我慢の限界に達したということだ。
脱学校の潮流と同時に、教えない学校、教えない塾が人気を得、確実に成果を上げている。
従来の学校教育の枠組みを取り外し、子供たちの思考を解放してあげた途端に、追求活力が芽生えている。

元来、人間は生まれながらにして天才なのだ。
目も見えず、耳も聞こえず、なにも喋れない赤ん坊の成長スピードを見れば明らかだろう。
将棋の藤井四段も、芥川賞作家の又吉も、学校教育の枠組みから逃れた異端児の中から登場した。
人類の人類たるところは自由に組み替え可能な観念機能にあるが、その人類固有の機能を封鎖しているのが学校教育であり、国家権力の基盤である。

 

◆現実となった革命
私権社会から本源社会への革命的転換において、最も邪魔になるのが国家の存在である。
そして革命の主役となるのは巷の社会活動家ではない、我慢の限界に達した子ども達である。
つまり、国家権力の基盤である学校教育が、革命の主戦場となるということ。
教科書、教師、教室、学校の枠を外し自由に子供たちの興味関心にまかせれば見違えるように活き活きしてくる。

無能、思考停止から、天才、社会創造へ、180度の転換。
元々子供たちは天才なんだ、そこに気付き導くのが大人の役割、革命といってもただそれだけのこと。
従来のただ反対、否定するだけの暴力的革命とは全く異なる、可能性に溢れた革命だ。
その革命を支える基盤が、国家が否定し封鎖した元来日本人がもっている共同性、共同体の形成にあるのも間違いない。

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2018年01月11日

私権社会から本源社会への大転換、その本流は教育革命

◆「仕方なく生きている」子ども達
生きる意欲を失った若者たちが増えている、という話を聞いたのは2015年の暮れだったろうか。
勉強はもちろん、部活にも、仲間づきあいにも意欲が湧かず、何の為に生きているのか分からないまま「仕方なく生きている」子ども達。

かつて1970年代には三無主義の若者が登場した。
貧困の克服~私権獲得を活力源にしていたが、70年の豊かさ実現により根底の私権活力自体が衰弱、生きる課題を失ったからだ。
それまでの時代を牽引し、学生運動も後押ししていた(全てを否定する)近代思想も、豊かさ実現により否定対象を失い、思想自体が輝きを失い、意味を持たなくなった。

 

◆囲い込む母親
しかし、無気力・無関心・無責任の三無主義世代の若者も抗えなかったのは、その頃から急速に増してくる受験戦争による勉強圧力であった。豊かさ実現は、同時に村落共同体の消滅と核家族化への移行を意味する。核家族における家庭の課題はといえば旦那の出世と子どもの成長だけだ。とりわけ母親の生きがいは子どもが全て、子どもの出来不出来が母親の評価を決する。かくして母親の囲い込みから勉強圧力がのしかかり受験熱が過熱していく。この構造は今現在も続いている。

 

◆役に立たない勉強を強いる学校
当然のように学校もまた、試験の点数を取るためだけの勉強を強い、予備校化していく。
明けても暮れてもテスト、テスト、、受験の結果が学校の評価を決するからだ。
お題目の「生きる力」の獲得とは裏腹に、暗記することが勉強となり、思考力は衰弱するばかり。
かくして思考停止の若者が大量生産されていく。当然、実社会では使い物にならない。

 

◆悲鳴をあげる子ども達
豊かさを実現した70年に、すでに私権活力は衰弱に向かっている。

しかし、Q:「いい生活→いい大学」という目標が、子供の勉強意欲に繋がると思いますか?、Q:大学を出れば、安定した生活が送れると思いますか? という世論調査(リンク)に、当然のようにネット調査では9割以上が否定しているのに対し、聞き取り調査では一定数の賛同者がいるように、これは実社会の現実を知らない母親か、母親の刷り込みだろうか。

根底の私権活力は衰弱しているにも拘らず、勉強すればいい生活が待っているという幻想だけを刷り込まれ、やりたくもない勉強を仕方なく続けてきた子ども達。バブルもはじけた90年代には「自分探し」がブームとなり、00年代には「やりたいことが見つからない」若者が増え、とりあえずの安定志向~資格取得がブームになったが、ここにきてついに限界に達し、「仕方なく生きる」子供たちが登場した。
契機となったのは11年の福島原発事故、12年の不正選挙。
お上とエリートによる事実隠ぺい、不正工作は身分序列と学歴信仰に終止符を打つには充分な出来事だった。

 

◆社会の全面的な活力低下
「仕方なく生きている」のは何も子ども達ばかりではない。
さかのぼれば三無主義の世代(今で言う50代)まで、同じような状況かもしれない。
自ら主体的に考えること、追求することをせず、ただ教科書に書いていることを、教師に、親に言われるままに詰め込んできただけである。

かくして、生きる活力もない、自ら考える頭もない人間であふれ、社会は全面的に活力を失った。
このような閉塞状況が真っ先に顕在化するのが若者であり子供たちである。
このままでは社会は滅亡するしかない。
(試験の)強制圧力にしか反応しない思考停止人間、無気力人間を生産する張本人、学校教育を直ちに変革しなければならない。
教育革命待ったなし!

(つづく)

 

 

 

 

 

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2018年01月11日

秦氏は6世紀前半の日本の人口の約5%を占めていた氏族集団?

『遊心逍遙記』「『謎の渡来人 秦氏』水谷千秋 文春新書」を編集したもの。

●秦氏とは、山背国を本拠とする秦氏本宗家(族長)を中心に、単一の血族だけではなくゆるやかな氏族連合を形成した集団。そして秦氏は、秦人(朝鮮半島からの移住民)、秦人部・秦部(共に倭人の農民)を包含する。秦氏の本宗家は、中国を祖国とする秦の遺民と称する人々。秦氏については、秦の始皇帝の子孫、弓月の君の渡来説や、朝鮮半島慶尚北道蔚珍郡(海曲県の古名が波旦[ハタ])からの渡来説など諸説ある。

●著者の水谷氏は「中国の秦の遺民と称する人々を中心に、新羅・百済など朝鮮半島各地の人々も含まれていたもの」と推測し、6世紀前半頃の日本の人口の約5%を占めていたと推論。日本の古代において最も多くの人口と広い分布を誇る氏族が秦氏である。山背国を本拠地に、北は下野・上野国から南は豊前・筑後国にまたがる。加藤謙吉氏の調査によれば、34ヵ国89部に及ぶ。
その人口の多さが秦氏の経済力の源泉であり、農業、漁業、鉱業、土木などの技術面に秀で、殖産興業の民という生き方を貫いている集団。

●政治的な局面では秦河勝とその後の数人を除き、意識的に一線を画するという方針をとった。政治と距離を置くことで、当時の最大の氏族規模に増殖し、経済的な側面から隠然たる影響力を持った。秦河勝以外、特定の王族や豪族と密着した関係を築くことなく、中央の政治と距離を置き、経済的な基盤形成に徹した。秦氏は摂津、播磨、豊前、若狭へと増殖し展開してゆき、経済的・実利的にその存続基盤を拡大していった。

●秦氏は最初、大和朝津間・腋上(現在の御所市)に定着し、5世紀後半から末ころに本拠を置くようになる。山背への移住は葛城氏の衰退に伴うことと関係する。賀茂氏(鴨氏)も同様である。
秦氏には様々な系統がある。著者は『日本書紀』雄略天皇15年条にみえる秦酒公(秦造酒)を事実上の初代と推定する。太秦を本拠とした秦氏本宗家である。広隆寺を建てる秦河勝の本拠になる。葛野郡の嵯峨野一帯が重要な居地となる。
一方、山背国紀伊郡深草の地には深草秦氏が居て、秦大津父の伝承の地である。稲荷山を奉斎し、伏見稲荷神社の創立に繋がっていく。

●ここに秦氏が狩猟祭祀から農耕祭祀へと脱却を図った跡が垣間見られる。
系譜の異なる秦氏がそれぞれにその定着地の産土神や土着の信仰を採り入れ、秦氏の奉斎して行った。
上賀茂神社や下鴨神社に秦氏の影響が見られるのは、秦氏と鴨氏の融和を示す。松尾大社も秦氏の奉斎する神社である。

秦氏は地方に定着するにあたり、在来の神祇信仰に接近し、これと融和的な関係を築くことを重視。
秦氏は元からあった在来の神を祭る社と、新しく他の地域の神を勧請するというやり方を併用した。後者には、大陸から持ち伝えてきた神もいた。「韓神(からかみ)」である。
秦氏が関わる神社として取り上げられているのは、松尾大社、賀茂神社、葛野坐月読神社、蚕の社(木嶋坐天照御魂神社)、伏見稲荷、韓神、園韓神祭、平野神社。

●また、秦大津父は深草から伊勢へ商業活動をしていた。治水のプロ集団でもあり、葛野川の大堰の造成や桂川の大改修を行う。河内国茨田(まんだ)郡(現在の寝屋川市)にいた秦氏は馬を飼育。この地に太秦・秦という地名や太秦高塚古墳がある。上野加代子氏は「秦氏が水上交通の拠点としているところに妙見菩薩信仰が多く分布している」と推論している。

●秦氏は「長岡京・平安京建都の功労者」。長岡京の築かれた乙訓郡が秦物集氏という枝氏の根拠地だった。平安京の造宮職の長官を務めた藤原小黒麻呂が秦氏と姻戚関係にあった。平安京の大内裏(平安京)のあった場所が、もとは秦河勝の邸宅があったところ。桓武天皇が多くの渡来系豪族出身の女性を娶った(ただしそこに秦氏はいない)。桓武天皇の母高野新笠は渡来系豪族の娘であり、桓武朝においては、渡来系豪族が異例の抜擢・寵愛を受けた時代だった。

●室町時代には『風姿花伝』で、世阿弥が秦氏を名乗っている。

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2018年01月04日

そうだ、学校を作ろう。

新年おめでとうございます!
本年も当ブログ、よろしくお願い致します。

 

昨年は教育改革について多くの記事をあげました。
「仕方なく生きている」と言う子どもが増えている、との衝撃の報告を受けてからです。
このような活力を全面喪失した子供たちを生み出している張本人が「学校教育制度」というわけです。

今年はさらに活力喪失の実態が顕在化してくるとともに、一方で見え始めた脱学校の動きが加速するようにも思います。
具体的に目に見える形で変わってくれば、世の中の意識が見えてくれば、ようやく親の意識も変わってくるのでしょう。

教育改革待ったなし!
今年も様々な動きを追いかけていこうと思います。

 

記事をひとつ紹介します。
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そうだ、学校を作ろう。
志さえあれば、学校は、どこでもできる。同じ志を持つ者を捜せばいい。ただ、それだけだ。

学校というと、皆、授業料を払って、校舎へ行ってと思う。
そして、最後には、卒業証書をもらう。でもそれは、本当の学校の姿ではない。
学校というのは、学舎である。何かを学ぼうという意志が、学校を作っているのだ。

ならば、志さえあれば学校はできる。
授業料も校舎もいらぬ。卒業証書などさらさらいらぬ。
大体、卒業するかしないかを、他人に決められてたまるものか。学問というのは、自分が納得したときに卒業と決まっている。

同じ志を持つ者が集う場所、それが、校舎だ。
それこそ、喫茶店でも、インターネットの中でも、どこだって校舎になる。
決められた場所でなければ、勉強ができないというのは、志のない証拠だ。
場所なんてどうでも良い。
同じ志の仲間、同志がいさえすればそれで良いのだ。

師は、皆で捜そう。
師は、自分達で選ぶ。それが本当の学校の姿だ。
だから、先生がいなくとも学校はできる。友達どおし、教えあってもかまわない。

今の学校は、残念ながら、卒業をする事が、目的になってしまっている。
それでは、学校ではない。教習所だ。
同じ教習所でも自動車教習所は、免許が取れる。それだけましか。
本当の学校は、卒業証書をもらいに行くところではない。学びに行くところだ。
生きる為の術を身につけに行くところだ。

だったら、職場だってすぐに学校に変身する。板前の学校は、板場だ。
いつ卒業するかは、自分で決める。
所詮、人生に卒業はない。
ならば、本当の学校には、卒業なんてないはずだ。卒業なんて、通過点に過ぎないのだ。

だから、学校を作ろう。僕らの心の学校を・・・。

リンクより)

 

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2017年12月30日

秦氏の出自・歴史

『人文研究見聞録』「秦氏とは?(秦氏と日本)」を要約したもの。

●秦氏の出自

秦氏は、応神天皇の時代に朝鮮半島の百済国より大挙して渡来して帰化した氏族とされているが、渡来時期や先祖については諸説あり、未決着。以下、伝承や文献における秦氏の来朝履歴のまとめ。

・『徐福伝説』→ 『史記』によれば、徐福は秦始皇帝の命を受けて、東方に不老不死の霊薬を探しに行った。日本各地に残る「徐福伝説」によれば、徐福の後裔が秦氏となったとされる。

・『秦氏本系帳』(秦氏の系図)→ 第14代仲哀天皇の時代に渡来した功満王(こうまんおう)を祖とする。
・『古事記』→ 第15代応神天皇の時代に渡来したと記される。
・『日本書紀』→ 応神天皇14年(403年)に渡来した弓月君(ゆづきのきみ)を祖とする。
・『新撰姓氏録』(平安時代に編纂された古代氏族名鑑)→ 応神天皇14年(403年)に融通王(弓月君)が127県の民を率いて来朝したと記される⇒ 古代中国の秦始皇帝の末裔であるとも記載されている

●秦氏の歴史

・秦氏は、初めに豊前国(現・北九州)に入って拠点とし、後に中央政権へ進出していった。

古代中国の隋代(6世紀末~7世紀初頭)の歴史書の『隋書』には、倭国には「秦王国」とされる地域があったことが記されている。「翌年(608年)、文林郎裴清を倭国へ遣し、百済から竹嶋に到り、南に耽羅国と都斯麻国(対馬)を経て大海に出、東に一支国、竹斯国(筑紫)、また東で秦王国へと至る。その人々は華夏(中国人)と同じようで、なぜ夷州(野蛮な国)とするのか不明なり。」

要約すると、この時代に当時の中国と風習を同じくする民族が住んでいる地域があり、そこを「秦王国」と言ったということ。この記述からすると、百済国から来たとされる秦氏は、実はかつて大陸に居住していた民族であり、国々を転々としていた遊牧民族だったのではないかという仮説が浮かぶ。

その後、 大和国・山背国・河内国・摂津国などに入って土着し、土木や養蚕、機織などの技術を発揮して栄えた。

⇒ 山背国では、葛野郡(現・京都市右京区太秦)、同紀伊郡(現・京都市伏見区深草)→ 丹波国桑田郡(現・京都府亀岡市)にも進出し、湿地帯の開拓などを行った。

・雄略天皇の時代には秦酒公が秦氏の伴造として各地の秦部・秦人の統率者となり、公の姓を与えられた。 『日本書紀』によれば、秦酒公は「太秦」の姓を賜り、その名を土地の名とした。
・欽明天皇の時代には秦大津父(おおつち)が伴造となって、大蔵掾に任ぜられ、 本宗家は朝廷の財務官僚として活動。⇒ 『日本書紀』によれば、欽明天皇の夢の中で「秦大津父を大事にせよ」という神託が下ったことがキッカケ。

→ 現在の淀川の治水工事として、茨田堤を築堤する際に協力した。→ 山背国においては桂川中流域、鴨川下流域を支配下におき、⇒ 山背国愛宕郡(現・京都市左京区、北区)の鴨川上流域を本拠地とした賀茂氏と関係が深かったとされる。

・用明天皇~推古天皇の時代には秦河勝(はたのかわかつ)が聖徳太子の側近となって活躍した。『聖徳太子伝暦』によれば「丁未の乱」の際に、物部軍の物部守屋の首を落としたのは秦河勝とされる
→ 荒陵に四天王寺を建立する際には、秦河勝が出資を担った。
→ 秦河勝は太秦に広隆寺を建立した。

・685年、天武天皇の八色の姓では忌寸の姓を賜与された。 忌寸のほかにも公・宿禰などを称する家系があった。

・飛鳥末期より、秦氏は多くの神社を建立した。松尾大社や伏見稲荷大社などを氏神として祀った。(伊勢神宮の建立にも関わり、財力や技術力を提供したという説もある)
→ 秦氏は、相模原にも上陸し、現在の秦野市の地域に入植。

・平安遷都に際して、葛野郡の秦氏の財力・技術力が重要だった。 平安時代には多くが惟宗氏を称するようになったが、秦氏を名乗る家系(楽家の東儀家など)も多く残った。 東家、南家などは松尾大社の社家に、西大路家、大西家などは伏見稲荷大社の社家となった。

●秦氏の関わった神社

・伊勢神宮(三重県)→現在の伊勢神宮建立(7世紀末)には、秦氏が財力や技術力を提供したとされる⇒「元伊勢」の創建にも関わったとも。

・香春神社(福岡県)→崇神天皇の時代に建立されたという古社。秦氏が古くは九州に上陸した際に建てたものとする説。

・宇佐八幡宮(福岡県)→八幡神社の総本社⇒「八幡」の「幡」は「ハタ」を指すことから秦氏の神社でする説がある。秦氏の支族である辛嶋氏の神社とも。

・松尾大社(京都府)→大山咋神(松尾大神)を祀る⇒大山咋神(おおやまくいのかみ)は秦氏の神とされる。

・伏見稲荷大社(京都府)→秦氏である秦伊侶具が創建した。

・愛宕神社(京都府)

・上賀茂神社(京都府)→賀茂氏と秦氏は関連性がある。
・下鴨神社(京都府)→賀茂氏と秦氏は関連性がある⇒下鴨神社にある糺(ただす)の池は、土用の丑の日に手足を洗う祭が行われる。かつて天皇家は、ここで禊(みそぎ)を行ったといわれる。

・木嶋坐天照御魂神社(京都府太秦)→蚕の社、木島神社とも。蚕養神社の存在から、養蚕を生業としていた秦氏との関連性が見られる。キリスト教ネストリウス派の三柱鳥居は、秦氏が持ち込んだとも

・大酒神社(京都府太秦)→広隆寺付近に鎮座する秦氏の氏神を祀る神社
・大避神社(兵庫県)→兵庫県赤穂市坂越にあり、秦河勝を祀る。対岸の生島には秦河勝の墓がある。かつては「大闢神社」と書いており、「大闢」とは中国語で「ダビデ」と読むことから「ダビデ神社」とも。

・出石神社(兵庫県豊岡市)
・子部神社(奈良県秦庄村)
・敢国神社(三重県)
・志呂志神社(滋賀県)
・兵主大社(滋賀県)
・日吉大社(滋賀県)→大山咋神(松尾大神)を祀る

・金刀比羅宮(香川県)→別名「旗宮(秦宮、はたのみや)」とも
・白山神社(本社は石川県)→白山信仰の聖地である白山を開いた「泰澄(たいちょう)」は本名を「秦泰澄」といった⇒事実、白山信仰のルーツは古代朝鮮にあるといわれる⇒一説には、白山の白とは、新羅の発音「シルラ」に由来するともいう。

・諏訪大社(長野県)
・鹿島神宮(茨城県)

●秦氏の関わった寺院

・四天王寺(大阪府)→四天王寺は、聖徳太子が創建の代表者であり、秦氏が財力や技術力を提供したとされる
・広隆寺(京都府)→秦河勝によって創建
・乙訓寺(京都府)
・宝菩観院(京都府)
・秦楽寺(奈良県)→秦楽寺(じんがくじ)の門は中国風の建築様式から、秦氏が中国系渡来人であると称していたこと。
・蟹満寺(京都府)→功満王(こうまんおう)の名に由来するといわれる蟹満寺(かにまん)。
・法輪寺(奈良県)
・安養寺(京都府)

 

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2017年12月29日

人体の器官の起源と進化(1)

ヒトは進化の産物であり、魚類、両生類、哺乳類へと進化を塗り重ねのうえに現れて。そのため、人体を構成する器官には進化の痕跡が残されていると考えられる。いったい私たちの体の器官はどうのように進化してきたののだろうか。その過程を探っていく。

◆最も起源が古い器官は腸
まずはじめに、腸の起源と進化を探っていく。
腸は体の中で最も起源が古い器官だと考えられている。そして、腸の最も原始的な姿はヒドラに見ることができる。ヒドラ(刺胞動物)は、5ミリメートルほどの筒のようが体の上端に口と触手をもつ単純な構造の水生の生物で、“全身が腸”といえる。
hydra

腸は食物が入ってくると適切な分解酵素を分泌して消化を行い、有害な物が入ってくると排出する。これは腸の“センサー細胞(基底果粒細胞)”のはたらきのかげだ。センサー細胞が上端についた毛のような突起で食物の成分を見分け、周囲に信号物質を分泌し、「この消化酵素を分解しろ!」といった指令を与える。

センサー細胞を中心とした腸のシステムは脊椎動物だけでなく、無脊椎動物の昆虫やイカ、タコ、ミミズ、更に多細胞動物として進化的に最も古いヒドラにも同じように見ることができる。

腸はその後、さまざまな消化系器官を生み出した。栄養分をたくわえる細胞が腸から分離して原始の肝臓をつくり、無顎類(ヤツメウナギなど)になると血中糖分を調節するホルモンを分泌する細胞が腸から分離し、のちに膵臓とあた。さらに魚類がアゴをもつようになったころ、植物を一時貯蔵する場として腸の前部がふくらみ、胃ができた。

また、ヒドラの腸にはセンサー細胞から情報を受け取り、周囲の組織に指令を伝える神経細胞がある。ヒドラのある種では、腸の入口、つまり口の周囲に神経細胞がハチマキのように密集している。このことから、一説では、腸の入口できた神経細胞の集合が、脊椎動物の脳の原始型だと考えられ、脳は腸から生まれたと考えられている。

◆口と肛門はもともと同じものだった
動物である限り、食べ物を取り込む“穴(孔)”は必須である。そう考えると「口」も腸と同じく非常に起源が古い器官だといるだろう。刺胞動物のヒドラやクラゲのような生物は、一つの孔が口肛門の役割をかねている。食べ物を取り入れるのも不要な物を排出するのも同じ孔で済ませている。私たちの遠い祖先も、口と肛門は同じ一つの孔だった。そして原始の腸が体の反対側にも孔をつくり、その後二つの孔が口と肛門という“分業体制”をとり、食物が一方向に流れるようになったと考えられている。

脊椎動物の発生過程にこの進化のヒントがかくされている。球状の胚(受精卵から成長した個体)はあるとき、表面の一部が内部にもぐりこむように陥入して、肛門の原型(原口)をつくる。陥入によって体内には空洞(原腸)ができ、さらにその空洞の反対側にも孔がつくられ、口の原型をつくる。これと同じようなことが、進化の過程でもおきたと考えられるのだ。

【参考:Newton別冊 ゲノム進化論】

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2017年12月28日

教育改革~日本の受験システムの不思議さ

教育改革~日本人の価値観を支配してきた受験制度

教育改革~自由な思考を封鎖するために共通一次試験が導入された

 

日本の資本主義は、労働力の信用によって基礎付けられ、
労働力の信用は、学校制度への忠誠と信用として根拠付けられてきた。
学校制度を支えたのは、学歴の価値に対する信仰であり、
学歴信仰を根拠付けたのが、受験制度である。
そして、受験制度が学生の価値を支配し、加えて日本人の価値観を深く支配してきた。

大学受験は落とすための試験である。
誰もが大学を目指すようになると、試験を難しくして振るい落とすしかなくなる。
大学受験を繰り返すごとに、入試問題は奇妙に難解さを増していく。
それに対応すべく、学校の勉強も、塾の補習も受験に照準を絞らざるを得なくなる。
そして、受験にしか役に立たない知識の習得が学校での役割となっていく。
かくして、家庭も学校も塾も大学受験に成功することが最大課題とばかりに収束していく。

その結果、大学ランキング、合格率の高い高校ランキングなど序列ができてくるが、
卒業することに全く意味の無い大学は、当然のように実社会からは全く相手にされない。

全ては、受験制度という一点において、大きく狂っている。
受験制度によって作り出される学歴信仰も、空虚な幻想に過ぎない。
空虚な受験制度に振り回される子ども達の悲鳴はとうに限界に達している。

 

 

受験の歴史」より引用

日本の受験システムの不思議さとは何だろうか。
まず要求されている知識の習得の仕方が、そこでしか役に立たないものであるということ。

 

◆大学進学率増大ともに入試問題が奇妙化していった
いつ頃から日本の大学受験の形式とは、奇妙さという意味で難解なものになっていったのだろうか。
明治の時代に、最初に大学入学試験が持たれた頃は、出題の形式も、論述を中心にして大枠の知識と本質的な理解を問うものであって、それは必ずしも歪な出題の形式は持たなかったはずである。

大学受験が繰り返され回数を増すごとに、そこでは受験志願者の数も急激に増えてくる。
大学進学を志す学生達の数は増大してくるのだ。
初期の入試形態において、入学資格の決定とは、必ずしも筆記試験の内容ではなく、むしろ下の学校の推薦状や、地域の名士の推薦や親のコネといったものが幅を利かせていたものであり、それは必ずしも平等に行われていたわけではない。しかし学校への選抜的な入試制度が一般化され、大衆化され開かれたものとなってくれば、そこでは必然的に、受験における平等の体制が求められるようになる。

明治期の受験制度、大正期の受験制度、そして昭和に入り戦前の受験の体制の段階では、受験というのは、まだまだアバウトな勘定で行われていた節は強い。受験の体制というのが、本格化し、大衆化し、そしてマスな現象を機械的に均等に裁くことによって回転するようになるのは、戦後の教育体制になってからのことである。

戦後でもまだ最初の頃は、出題形式において、わざと難しくするような、奇を衒っているような、入試の為の入試といった問題形式は、特に広まってはいない。入試の為の入試という形になって、入試問題の奇妙な形式的変化が現れるのは、団塊の世代として、ベビーブームの波によって日本で子供の数が急激に増えてきて、社会は高度成長の波に乗り、大学進学者数が増えてきた段階に生じてきたものである。

受験のための受験という形で、大量の進学希望者を捌くために、出題内容の奇妙な形式的難問化として進行した。
受験とは、極度に難しくなる、そこだけの、そこだけでしか通用しない近視眼的な知識の世界、その形式的世界を形成していった。
入試問題の形式とは、日本人が背負った奇妙な無意識的発明の形式となっていく。

 

◆欧米との違い
大学の入学試験は、受験志望者の増大によって難易度を高くしてきた。
日本の大学制度で特徴的なのは、入試の時点でその階級的なランクを殆ど決めてしまうということにある。
つまり大体18歳から20歳くらいと想定される大学入学の時点で、その後の、労働力商品としての価値を決めてしまう。

最初に価値の指数を決定してしまう。
こうして、日本の大学とは、入るのだけがやたら難しく、しかし入ったらもう勉強しなくても、学生の社会評価が特に落ちるということもなく、卒業後の労働市場に出て行くという現象が定着してしまった。

これは大学制度の近代的に発達していた欧米の大学制度とは異なるものであった。ヨーロッパの伝統的な、長い大学制度に起源をもつ欧米の大学とは、まず入学時点で、そんな難解な入試形式が課せられ、過度の、それだけのための知識競争が行われるというようなことはない。有り得ない事態である。

欧米の大学では、入学の時点では学生はアバウトに入ってくる。学生の真価として、学生の価値が決まってくるのは、大学に入ってから個人が如何に自分で勉強をしたかということであり、最終的な学生個人の価値とは、その後の本人の努力にかかっている。

故に、欧米の大学では、大学を途中で移動するということは頻繁に行われており、一流大学と呼ばれるような大学であっても、最初からそこの生徒であったということは別に意味を為さない。いろんな学校の経路でもって、下の段階から様々な通路で卒業資格を目指して、大学を渡ることによってキャリアを積み重ねるという在り方とは、普通のこととして通っている。日本のように、最初に入った大学でそのまま最終学歴を終える数が殆どだというのとは違う。

 

◆空虚な受験システム
入口のところでその後の価値も大体決めてしまうという、形式的排除の方法論において、このシステムは日本の特徴的な性質を決めてきたといえるのだ。日本の大学受験形式が、そこでは受験独特の受験の為の受験といった複雑怪奇な問題形式を、形式主義的に生み出し、しかもこの奇妙で非合理的な形式主義は、人間の形式的排除の方法として、入口だけがやたらに難関で、しかし中に入ったら中味はほぼ空虚という、キャリアの通過の方法を編み出したのだ。

最初の時点で、個人における大枠の価値付けを決めてしまう。この形式的難関だけがそこには口を開いているのであって、中に入っての出来事とは、ほぼ空虚である。やってもやらなくても卒業資格の価値においては殆ど関係ない、意味を為さないという、体制である。
しかしこの形式的空虚の体制を実現してきたという意味で、それはとても日本的に特徴的な、独特の社会システムとなり、機能していたのだ。

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