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2017年11月16日

現在も進む、皇国日本への洗脳教育

国家における公教育の目的は、国家に都合のよい人材をつくりあげる事である。
その意味において、国家=安倍政権が最もやりたいことは憲法改正であり、
学校教育で染め上げ、憲法改正に向けた世論形成を行なっている。
すでに2006年、教育基本法が全面的に改正された。
このような動きを裏でささえているのが「日本会議」である。
肝心の子供たちの追求心や活力とは無関係に、教育の場が国家謀略の舞台に使われている。

 

リンクより
安倍政権の黒幕とされる日本会議
会員約4万人。国会議員290人。
地方議員1800人。地方支部250。
日本会議の誕生は1960年代、長崎大に安藤巌と椛島有三の2人の「成長の家」信者が入学してきたことから始まる。

2人は1960年代の左翼全盛時代、学園正常化運動に取り組む。
彼らは長崎大の自治会選挙に勝利し、「国立大初」とされる民族派の自治会が誕生した。
そして、民族派学生の全国的統一組織の結成へとのりだす。
1968年、九州学生自治体連絡協議会を結成。
1969年には、右派学生の連合体である全国学生自治体連絡協議会(全国学協)を結成。
1970年、民族派社会人組織「日本青年協議会」(日青協)が結成された。
この団体がのちに日本会議事務局へと発展する。

さらに、神社・仏教・新宗教・文化人ら結集して「日本を守る会」(1974年結成)を立ち上げた。
「日本を守る会」は1981年には「日本を守る国民会議」へと発展し、さらに「日本会議」が結成される。

国民会議がその次に取組んだのは「教育正常化運動」である。
1997年「新しい歴史教科書をつくる会」が発足した。
この「つくる会」がその後の「歴史戦」を主導してきた。
新しい歴史教科書をつくり、その採択運動を展開する。
(つくる会はその後、「つくる会」と「日本教育再生機構」に分裂し、2種類の歴史・公民などの教科書を作成している)。

2000年、首相の諮問機関である「教育国民会議」が設置されると、「新しい教育基本法を求める会」を結成。
「地方から中央へ」と元号法制化運動にならって教育基本法改正を求める運動を展開する。
2004年には教育基本法の「早期改正を求める意見書」が、33都県236市町村で採択された。
教育基本法は2006年12月に全面的に改正された。
18条からなる改正法には「伝統と文化の尊重」「道徳心」「家庭教育」などが盛り込まれ、日本会議関係者は運動の成果を喜んだ。
日本会議の教育正常化運動は憲法改正のためである。
新教育基本法で愛国心や伝統の尊重、公共の精神など国民を教育し直し、本当に日本の国にふさわしい憲法改正のための世論を形成していくというものだ。

前述したように1997年に日本会議は結成された。
結成の背景には1990年代初めの自民党一党支配の崩壊、1995年の「村山談話」、
そして公明党・創価学会の政権参加などがあったとされる。
日本会議の母体はかつての「成長の家」関係者である。
成長の家から日青協へ、そして国民会議を経て日本会議へ。
皇国日本、強い日本を標榜する戦前回帰の極右のトンデモ組織が、安倍政権の黒幕までのし上がってきた。

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2017年11月03日

草原に適応して人類が誕生したという草原説は、既に撤回されている

アフリカ大地溝帯によって、その東側が乾燥して草原となり、草原に適応して人類が登場したという草原説が、人類登場の現員としてほぼ定説化していた。ところが、1982年に提唱された、この有名な学説は、既に提唱者自身が撤回したとのことである。

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『個別指導塾「FORWARD」塾長のBlog』「直立二足歩行する人類の発祥、有名な仮説が崩れていた」

アフリカに「大地溝帯」またの名を「グレート・リフト・バレー」という地形があります。アフリカ東部を南北に縦断する長大な「谷」で、wikipediaによれば総延長(分岐を継ぎ足した長さ?)7,000キロ、幅は数十キロに及びます。アフリカ大陸の真下、地震の震源となるプレートなどよりもはるかに深い地球の深部、マントルの中に、高温の上昇流が存在し、それがアフリカ大陸を徐々に引き裂いた結果、生み出された地形です。

この「大地溝帯」実は人類の発祥と関係があるという仮説があり、説得力があるというので人気を博しておりました。曰く、アフリカ東部に生じた大地溝帯両側の山脈(火山活動なども活発になるので谷の両側は一般的にかなり隆起する)が大西洋からの湿った風を阻害するためアフリカ東部が乾燥し、森林が減退した。その結果、そこに住んでいた類人猿が木から木へうつるために大地を歩かざるを得なくなり、より長距離の歩行に適した直立二足歩行を身に付け、完全に空いた手は道具を扱うようになり、脳が発達して現在の人類が誕生した……と。これを有名な映画の「ウェストサイドストーリー」をもじって「イーストサイドストーリー」と言うんだそうです。wikipediaによれば「フランスの人類学者、イブ・コパンが1982年に提唱した」とのこと。

非常に有名な説で、小中学生向けの優しい科学本などにも(従って中学入試問題などにも)頻繁に引用され、ほぼ真実であるかのように、まことしやかに語られてきました。

が、近年この話の前提がことごとく崩れてしまい、コパン自身も撤回宣言を出したそうです。

wikipediaの「イーストサイドストーリー」の項目を参考に書き続けますが、ヒトが二足歩行を身に付けたのは600万年前頃と考えられており、大地溝帯の隆起が生じたのは800万年前……と、思いきや、800万年前に起きた隆起は小さなもので、本格的に隆起したのは400万年前くらいだと考えられるようになったそうです。
さらに、アフリカ東部の乾燥化は(当初想定されていた800万年前の話か、しっかり隆起した400万年前の話か、ちょっとよく分かりませんが……たぶん800-600万年前の話?)さほど進まず、森林は十分あったとのこと。
そして決定打は、そもそもアフリカ東部ではなくアフリカ西部から、二足歩行する上に、恐らく現生人類につながる祖先と思しき化石が見つかってしまった事です。「2002年にアフリカ西部であるチャドで600-700万年前と考えられるトューマイ猿人の化石が発見された」とのこと。このトューマイ猿人が生活していた環境は、「魚やワニの化石」が残っている事から推測して、湿潤な環境だったらしい。

つまり、人類が立ち上がった頃、山はそんなに隆起しなかったし、どこもそんなに乾燥していなかったし、そもそもその舞台はアフリカの東ですらなかった。コパンはトューマイ猿人発見の翌年には、潔く自説を撤回しています。長い間もてはやされた自説を即撤回したところは、学者として素晴らしい態度だと思います。そもそも、否定はされたものの、この仮説は地殻変動と環境変化と生物進化を結びつける壮大で野心的な仮説で、否定されたとは言え魅力的な仮説だったと私には思われます。コパン先生には、その魅力的な理論展開や、学者としての姿勢も含めて、改めて敬意を表したく思います。

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2017年10月27日

「何も変わらない」~低投票率が示す民主主義政治への諦め

先の衆議院選挙では自民党の圧勝に終わった。

◆選挙制度のおかしさ
朝日新聞ニュースによると、
小選挙区 自民党2672万票獲得 得票率は48%
比例区  自民党1854万票獲得 得票率は33%
全有権者に占める自民党の絶対得票率は、小選挙区で25%、比例区で17%に過ぎない。

17%の支持で3/4の議席を占有するのが、現在の議会制民主主義の姿である。

ちなみに2014年の衆議院選挙結果は以下のようなことになっている。

DMIz8M5V4AAkjAW

 

◆大量の「選挙に行かない人」
今回の選挙の投票率は53.60%、戦後2番目の低い水準らしい。(リンク

低投票率になって久しい。
時代が好転しているわけではなく、むしろ閉塞状況は高まっている。
なのに、未来を託す国政選挙に対し、選挙が行なわれるたびに低くなっていることが注目に値する。
つまり、政治が国民から期待されていないということに尽きる。

ネットを検索しても、低投票率に対する意見が山のようにある。
投票率の低下傾向 「日本中に『非政治』が蔓延している。」
なぜ若者は投票にいかないのか?
「何も変わらない」――アンケートから浮かんだ  政治に興味失う若者の「無力感」
「若者の政治離れ」のウソ

 

この図は過去の国政選挙の年代別投票率推移である。リンク
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こと若者の政治離れを耳にするが、各年代共に投票率が下がっていることが分かる。

 

◆選挙に行かない=「何も変わらない」から
J-CASTニュースは、2012年12月11日から14日までの期間、全年齢の読者を対象に「1クリック投票」アンケートをおこない、若者が政治に関心が持てない理由をさぐった。
総投票数2698のうち、3番目に多かったのは、「若者に関係のある政治が提示されないから」で、割合は15.2%だった。2番目は、「不勉強だから」で17.6%。そして、圧倒的に多かったのは、「関心をもったところで何も変わらないから」の45.1%だった。リンク

若者が政治に関する関心が低いとも言われるが、そんなことは決していないだろう。
先が見えない時代に生まれた若者達こそ、未来へのこの国の行く先を最も不安をもって感じているはず。
その不安を解消、あるいは希望をもって未来を見据えるものとして、政治は全く応えられていないということ。

3/4もの議席を獲得して、国民の支持を得たなどと勘違いしてもらっては困る。
国民がどんな思いでいるかを汲み取ってもらいたい。それこそが民主主義の姿であろう。

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2017年10月20日

教育改革~るいネットの追求投稿の紹介

行き詰まりの現代社会、誰も、どこからも新しい答え、理論が生み出される気配もない状況。
この思考停止状態(脳)を突破すべく実現塾では能力論が追求され、
現在の学校教育における強制教育が子供たちの脳ばかりか活力までも封鎖している張本人であることが分かった。
教育改革は未来の社会をつくっていくために今成さねばならない最も急がれる重要課題。

この間、るいネットでは学校教育に関する数多くの投稿がされている。
お題にそって、約1年間分の秀作投稿を拾ってみた。
不足している追求ポイントは無いか見ていきたい。
とりあえず、秀作群を紹介。

 

■■■学校って、必要なの?
・子供たちの90%が学校に押しつぶされている。リンク
・学校は刑務所 ~子供たちが囚人になっている~ リンク
・子どもに宿題をさせると悪影響しかないことが明らかに リンク
・学校は軍隊をモデルに作られた。その強権体質が、今、子供を潰し始めた。リンク
・日本の学校に残る軍事訓練の風習 リンク
・何故こんな検定が?検定制度の何が問題か ~いらない!こんな教科書検定~・・・③ リンク
・何故こんな検定が?検定制度の何が問題か~いらない!こんな教科書検定~・・・① リンク
・教育によって日本の「無力化」を図った、GHQの日本人再教育とは? リンク
・今や大卒の有用性は殆ど無しとほぼ認知されているのに、高卒採用が広まらないわけ? リンク
・学歴が社会を壊す。 リンク
・「成績を上げろ」としか言えない教師 リンク
・学校教師に大量の宿題を出す権限が、果たしてあるのか? リンク
・教員も軍隊式の強制教育を受け養成された リンク
・教師の価値も低下して、学校は建て前中心の世界へ向かう リンク
・試験のための勉強は不要。社会の期待をつかむ、応えるための勉強が必要になってくる。リンク
・義務教育への違和感② リンク
・現在の教育では、子どもたちは現実から分離され、人格を破綻させる。 リンク
・サラリーマンに成る勉強だけで、“楽しい”ですか? リンク
・学校にいじめがあるのではなくて、学校という構造がそもそもいじめ。 リンク
・子どもの問題は大人が問題~大人の思考停止が子どもを追い詰めている。リンク
・史上最年少の14歳2ヶ月でプロ棋士、25連勝中の「天才」藤井四段はこう育った1 追求力を伸ばす子育てとは リンク
・教科を教えない塾が社会に根付く動きが・・。 リンク
・日本の学術が考える「教育改革」 リンク
・教育の核心は武力によらない「中央集権化」+江戸の寺子屋は明治の小学校と真逆であった。リンク
・フィンランド 世界で始めて全ての「科目」を廃止する リンク
・勉強とは、「①無理をすること」 ②「もともと無理があること」という意味です。リンク
・将棋を全ての子供に教えたら、この国は変わるかもしれない リンク
・学校制度の欠陥。子供を潰す為の制度でしかない。リンク
・体育指導より「外遊び」のほうが子どもの運動能力は高くなる リンク
・放課後が変わる~学校の外で広がる「新しい学びの場」リンク
・学校に通わなかったことで良かったことベスト10 リンク
・子供が不登校になって良かったことベスト10 リンク
・これからの社会をつくっていける人を育てる~義務教育に代わる新教育の可能性 リンク
・働く高校生の存在 リンク
・ここまで深刻化! 小学校高学年の学級崩壊の驚くべき実態とは? リンク
・学校時代の終焉~学校という既製の枠を越えなければ次代は築けない リンク
・脱学校原論 ② 学校の害毒 リンク
・進む大学の空洞化。入試問題も授業も受験産業にアウトソーシング。リンク
・過疎問題の本質は教育問題 リンク
・無理して学校へ行く必要はない リンク
・学校の部活動――消え失せた「自主性」と「教育の論理」リンク
・高校生就活、厳しすぎる制約 リンク
・義務教育は奴隷の生産工場 リンク
・学校は人生泥棒 リンク
・義務教育は国民をバカにするために存在する リンク
・小学1年生が、入学1週間で感じた違和感~「チャイムが私の邪魔をする」~ リンク
・義務教育制度は、フランス革命時代、近代科学の登用と国民皆兵制とセットで作られた。リンク
・「考える自由のない国―哲学対話を通して見える日本の課題」② リンク
・学校は軍隊をモデルに作られた。その強権体質が、今、子供を潰し始めた。リンク
・学校教育~労働体験に加え、能力評価軸を変える必要がある リンク
・学歴信仰の崩壊 ~大企業の1/3は出身大学名を問わなくなっている~ リンク
・学校の問題は、教え方が悪いとか、そういうことではない。何よりの問題は、「大切な時間を奪っている」ということ。リンク
・「脱学校」の潮流が始まった! リンク
・試験は当たり前?~思考力を剥奪してきた日本の試験制度 リンク
・「大卒に特別な価値はない。世界教育動向と進む学歴インフレ」リンク
・日本の学校は刑務所か軍隊のような場所だ リンク
・義務教育って必要なの? リンク
・小学校の教育に残る「軍事訓練」2/2 リンク
・小学校の教育に残る「軍事訓練」1/2 リンク
・日本で「学歴」は意味を持つか~「学歴は指標として役立たない」と企業が気づきつつある~ リンク
・なぜ勉強が嫌いになったのか?-高校生15人のメッセージ- 1年生編 リンク
・近代の学校教育制度の本質は強制教育、子どもに選択権は無い リンク
・学校教育が思考停止を作りだし、思考停止が社会を滅亡へと追いやる リンク
・入社5年目調査で判明! 大卒より評価が高い“高卒人材” リンク
・学校教育の社会的弊害(1)~日本人のほぼ全員が十数年の学校教育を受ける、その影響は計り知れない リンク
・強制的な勉強は、本来の思考を封鎖する リンク

 

■■■試験制度と暗記脳
・大学受験の合格率。1990年で55.5%、それに対して現在は93.3%。 リンク
・行き詰まる学習塾、予備校「もはやお金と時間の無駄遣い」②~詰め込み教育に変わる新しい教育とは?~ リンク
・行き詰まる学習塾、予備校「もはやお金と時間の無駄遣い」①~詰め込み教育に変わる新しい教育とは?~ リンク

 

■■■試験・身分制度の根深い害
・学校に行ってはいけない~学校が社会を壊す。リンク
・試験制度は非常に単純だが、国全体を腐らせる リンク
・中受が狂っているのは、成立基盤が「受験産業」の利益追及のみだから。リンク
・現実の問題からかけ離れた試験制度(1)リンク
・試験制度の功罪~あらゆる制度は自己目的化し、腐敗する リンク
・クラスの女子の半数がリストカット?!中高一貫の超難関校は精神病の子だらけ リンク
・いかーん、日本の若者は創造力を欲しとらん!!! リンク
・日本の教育制度と官僚組織の腐敗 リンク
・悪い教育内容のために人生を狂わされる人もいる リンク
・勉強の強制圧力が学級崩壊を引き起こす子供たちを作り上げている リンク
・なぜ教育熱心な親ほど子供を追いつめてしまうのか? リンク
・無圧力空間から脱し、半学校・半労働の教育制度にしたら? リンク
・学校教育による順応と洗脳が就活,社会不適応へと繋がっている① リンク
・「入試なし。猫も杓子も大学、の逆を行くドイツ式教育」リンク
・学歴・会社・資格に頼っている人は未来がないという現実 リンク
・日本の「教育」が行き詰まっている~日本人の野心を奪った『偏差値』と『大学教育』~①偏差値と教育 リンク
・「2020年教育改革」で潰れるのは、どんな塾か リンク
・心の成長を阻害する早期教育~「教える」のではなく「見守る」のが子育ての本質 リンク
・学歴信仰は終わった。答えを理解するだけの頭脳では、仕事に対応できない リンク
・いい学校を出て、いい会社に入って… 子どもを「成功」に追い詰めることの大きな弊害2 リンク
・いい学校を出て、いい会社に入って… 子どもを「成功」に追い詰めることの大きな弊害1 リンク

 

■■■学者とマスコミが人類を破滅に導く
・現代の学校教育~何で本当のことを教えないのか~ リンク

 

■■■私権原理から共認原理への大転換
・これからの世の中と子供の教育 リンク

 

■■■共同体社会の実現
・「凡人」の時代は終わる。これからは「天才」が社会をつくっていく時代。 リンク
・新しい教育法!?オランダで広まっているイエナプランとは? リンク

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2017年10月19日

アーリア人の守護神信仰~契約・盟友・友情の守護神ミトラ

西洋人の特有の「契約」観念の源流に、アーリア人のミトラ神という守護神信仰にあったようである。

『世界史の窓』「ミトラ教」によると、
古代イランのアーリア人は、ササン朝ペルシアでゾロアスター教が国教とされるまで、さまざまな神々を祀っていた。その一つがミトラ神で、友情・契約などをつかさどる太陽神であり、非常に人気が高かったらしい。

『ミトラ教ジャパン公式サイト』「ミトラ教の宗教史」 「ミトラ単一神教の神話」によると、
ミトラ教の起源は、紀元前1700年以前の中央アジアにまでさかのぼる。

●ヒッタイト・ミタンニ・カッシート時代の資料に、「ミトラはヤザタたちの長である」という記述(伝承)がある。ヤザタは、イラン系諸語で「神」を意味する。この伝承は「ミトラがヤザタたち、つまり神々の長」であったことを意味している。つまり、ミトラが西方に移住したイラン系民族の至高神であった。

●3700年前、イラン系民族(ヒッタイト、ミタンニ、カッシート)が、中央アジアから移動をはじめ、バビロニア~小アジア半島の根元の地域に移住。この時代のミトラ教を原始ミトラ教という。ミタンニ条約の碑文碑文には、「ミトラ、ヴァルナ、アリヤマン、インドラ、二柱のナーサティア神」に誓って条約を結ぶと記されている。
この碑文は、ミトラが筆頭に来ることを示している。
この碑文のミトラ神群は、ほぼ同時期のインドにおいて、アーディティヤ神群と呼ばれていた。古代インドの『リグ・ヴェーダ』によれば、アーディティヤ神群は、大女神アディティーから生まれた七柱の神々ことで、七柱の神々は、ミトラ、ヴァルナ、アリヤマン、バガ、ダクシャ、アムシャ、インドラとされている。ミトラが第一の神である。
ミタンニ・ヒッタイト・カッシートにおけるミトラ神群にも、大女神アーディディに相当する神がいたと考えられる。大女神アーディディの名前は、サンスクリット語で「無限」を意味することから、西方のミトラ神群の親神は「無限なるズルワーン」であったと推定される。

●復元された原始ミトラ教の原神話
①始めに巨大な霊鳥スィームルグがいた。スィームルグは、大女神ディヴ(=無限の女神アディティー=母ズルワーン=無極聖母)の化身である。霊鳥スィームルグが世界卵を抱き続けると、世界卵が熟した。まず島の上にあらゆる植物の起源となる聖樹(リーワス)とあらゆる動物の起源となる聖牛(ガウ)が生まれた。

②さらに世界卵が熟したとき、スィームルグの愛が世界卵の中に入った。愛は世界卵の中に入ると、少年神ミトラになった。ミトラは世界の主にして、火と太陽の神である。千の耳と万の目を持つミトラは孔雀の尾羽を広げたようなオーラに包まれて、静
かにたたずんでいた。
③ミトラは、島の中央に降り立つと、七名の神々(原アムシャスプンタ=アーディティヤ神群)が現れた。ミトラは彼らとの友情と世界の繁栄を願って、霊鳥スィームルグのために最初の供儀を執り行い、聖牛を献じ、聖樹を細かく砕いてしぼり樹液を取り出した。ミトラが供儀をおこなうと、島の上空に明るく燃える火、すなわち太陽が現れた。太陽が昇るにつれ世界卵も大きくなり、ついに三倍の大きさになった。天空の大きさが定まると、ミトラは無数の星をつくって天上に飾った。ミトラの執り行った供儀により、島と海も大きく広がり、三倍の大きさになった。ミトラは七名の神々の一人に太陽をあずけると、残りの六名に自分のまねをして真似をして、月、水星、金星、火星、木星、土星をつくるように言った。彼らがこれらの惑星をつくり終わると、ミトラは星々に合図を送った。すると、星々は運行を始めた。星々の回転にともなって、時間が生まれ、昼と夜、春夏秋冬が生まれた。

『日本を守るのに右も左もない』「アーリア人のミトラ信仰」
ミトラ神は、古代アーリア民族の信仰した7柱神の中の最高神。ミトラ信仰の起源は、6000年前の中央アジア(現在のカザフスタン)にまで遡るが、原始ミトラ教の形をとるのは、3700年前ころらしい。
ミトラ神とは、インド・アーリア人、イラン・アーリア人が分かれる以前の時代にまで遡る古い神格で、その名は本来「契約」を意味する。 また、契約によって結ばれた「盟友」をも意味し、友情・友愛の守護神とされるようになった。
ミトラ神は、ヴァルナ神とは表裏一体を成す。ミトラ神が契約を祝福し、ヴァルナ神が契約の履行を監視し、背いた者には罰を与えるという。
雨が降ると草木がいっせいに芽生え出る。古代インド人は、これを水の神ヴァルナの天地創造と呼んだ。ヴァルナ崇拝は、雨に代表される自然力をいわゆる共感魔術により分けてもらうことで、自然を支配する力を持とうという発想と結びついている。ヴァルナ崇拝のテーマは、自然に対する人間の優位性の確保である。ところが、人間がある程度自然を支配するようになると、人間は自然の上に安定的に君臨するようになった。この結果、自然克服魔術(呪術)の重要性は減り、人間同士の関係、すなわち社会契約(友情)の重要性が高まった。これにともない、ヴァルナの地位は下がり、ミトラが上位の神になった。

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2017年10月12日

教育イノベーション事例~世界最難関・ミネルバ大学とは

創立4年目にしてハーバード大学を蹴ってまで行くというミネルバ大学とは?
キャンパスを持たずに世界7都市を渡り歩く大学とは?
100%アクティブ・ラーニングを提供する「未来の大学」とは?

話題のミネルバ大学について、この秋から初の日本人学生となった学生の記事から紹介。

 

「世界最難関・ミネルバ大学初の日本人学生として」 より

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はじめまして、日原翔です。この5月にカナダの高校を卒業して、9月よりミネルバ大学というアメリカの4年制大学へ進学します。この連載では、ミネルバ大での生活や仲間たちとの交流について共有していきたいと思っていますので、よろしくお願いします。

ミネルバ大学はキャンパスを持たず、授業はすべてオンラインですが、学生は4年間で世界の7都市を渡り歩いて寮で共同生活をします。創立4年目にして、多くの学生の人気を集め、いまやハーバード大学以上の難関ともいわれています。

ミネルバ大学では、私が初めての日本人学生になります。まだ日本語での情報があまりありませんので、このコラムで少しでも皆さんにミネルバ大学についてお伝えできればと考えています。

 

“知識”よりも”知恵”と”好奇心”
世の中は今、目まぐるしい速さで変化を遂げています。5年前の常識が、今日は通じない。今日の常識は、来年には通じていないでしょう。人工知能は次々と世界一のプロ棋士たちを破り、コンビニやファストフードなどでの会計も無人化されています。ポスト真実文化は急速に台頭し、世界中の政治に大きな波を起こしています。ネットショッピングの代名詞であったアマゾンも、高級食品スーパーのホールフーズを買収した今、リアル店舗での生鮮食品流通を制する日も遠くありません。

一方、変わり続ける社会の中で、教育というものはほとんど進化していません。学習効果の薄い講義型授業が未だに大部分を占め、生徒の考える力よりも詰め込んだ知識を大学は評価し続けています。皆さんも「日本の教育は遅れている」と一度は聞いたことあると思います。しかし、大学の講義風景(写真)を見ると、世界最高峰と言われているような大学とてこの例外ではないことが分かります。世界的に教育は社会の変化に取り残されてしまっています。

今日の常識は明日の常識ならず —- そんな世の中で大切なのは、上書きされ続ける一時的な”知識”以上に、”知恵”と、学び続ける”好奇心”ではないでしょうか。”Sapientia Critica(批判的知恵)”という校訓にもある通り、常に考え続ける力をミネルバ大学は重視しています。

 

才能が集まる仕組み
現在はどこの大学でも、世界中から才能と実力のある学生を集めたいと考えています。もちろん、ミネルバ大学も例外ではありません。しかし、ミネルバがこの点において既存の他大学と最も異なるのは、それを文字通り実行しているという点です。次回詳しく紹介いたしますが、ミネルバ大学への出願には人種や国籍以外にも、学生の多様性を確保するための仕組みが凝らされています。一般学生には無関係なスポーツチームや、無駄な施設などの費用をかけず、学費を抑えていることも学生の多様性に繋がっています。

 

世界中を旅するカリキュラム
ミネルバ大学のカリキュラムでなんといっても魅力的なのは、4年間かけて文字通り世界中を渡り歩くという点でしょう。学期が変わるごとに生活も変わり、学びも変わる。そんな刺激的な環境で成長することができます。常識に挑戦し、変化を先導せんとするミネルバ生にはもってこいのカリキュラムだと思います。

1年目 – サンフランシスコ (米国)
2年目 – ソウル (韓国)、ハイデラバード (インド)
3年目 – ベルリン (ドイツ)、 ブエノスアイレス (アルゼンチン)
4年目 – ロンドン (英国)、 台北 (台湾)

また、都市ごとに学びのテーマがあり、抽象論ではなく実際に各都市で学ぶ事柄は大きく変わります。これらの異文化を移り渡ることで実際に世の中の複雑さを学び、そこでどのように問題解決していくか、という力をミネルバ生は身につけていきます。

同級生たちとは寮生活を共にし、一緒に動き回る4年間を通して、大学ならではの絆や友情は十分育まれます。授業も知らない人と一方的な講義を受けるのではなく、互いによく知っている学生同士の少人数ゼミなので、効果的なディスカッションが行えるのです。

 

駆け足になってしまいましたが、ミネルバ大学の魅力、少しは伝わりましたでしょうか。多様な生徒達に囲まれ、世界中を旅しながら知恵を学ぶ。私はそこに惹かれました。卒業生もまだいない大学なので、ミネルバへの進学を”リスク”と捉える方も多いでしょう。むしろそれが多数で、普通だと思います。

しかし私には、これが”リスク”よりも”チャンス”に感じられました。何より、そんな”リスク”をとってしまうような人達と一緒に学んだらどんな刺激があるのか、今からワクワクしています。

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2017年09月28日

個人主義の果てに結婚・出産・育児(集団課題)が『個人の自由選択』へ

結婚・出産・育児の問題の根本には、子を産み育てることが「個人の自由選択」になっていることが挙げられる。
(このような論調の記事は見たことが無かったが、初めて見かけたので紹介したい。)

「個人の自由選択」の背景には、共同体集団の解体と、恋愛の自由、個人の自由を促進した近代思想がある。
明治政府による共同体破壊、近代思想の輸入から250年、高度経済成長による共同体崩壊からはたかが60年、
人類500万年の歴史は、集団適応の時代であった。
結婚・出産・育児などという生殖課題は、当たり前だが最も重要な集団課題であった。
個人が第一の時代など、たかだか数十年に過ぎず、その意味で人類史上異常な状態であるということ。
「種の存続」という生物にとっての根本課題が、「個人の自由」に脅かされているのが、近代思想に導かれた現代という時代である。

近代的な結婚観に基づく“目的論的な家族像”の衰退と個人の自由選択に任された“結婚・出産・育児”の問題

ある人にとっては出産育児の決断はそれほど悩むべき問題ではなく、むしろ自分が父親・母親となって子どもを持つことを『人生の主要な目的』だと考えています。ある人にとっては出産育児の決定は深刻な悩むべき問題となり、自分が父親・母親となって子どもを持つことを『人生の重要な選択』だと考えているかもしれません。
出産育児を『人生の主要な目的』と捉えるかそれとも『人生の重要な選択』と捉えるかは小さな違いに見えても、実際には非常に大きな心理的態度と性的アイデンティティの違いがあります。

高度経済成長期までの日本の標準的世帯では、性別役割分担(男は仕事・女は家庭)のある『近代的家族観』が生きており、結婚・出産・育児というのは誰もがいずれは経験すべき『人生の主要な目的』と位置づけられていました。男女平等の客観的な追求は『社会的性差と結びついた出産・育児による格差』をどう解釈すべきなのかという非常に困難な課題に直面しています。

自然界の生物の多くは『自己の遺伝子保存』を究極の目的としていますから、人間のように妊娠出産をするかしないかを主体的に選択することなどはあり得ませんが、経済生活と認識水準を向上させた人類は自意識の拡大や育児コストの増大によって、出産・育児を人生計画の一部に組み込むようになり行動選択の対象とするようになりました。ヒト以外の動物では異性を選ぶ性選択と生殖(繁殖戦略)は直結していますが、人間には『恋愛・性愛・結婚・父親と母親』という関係性の違いがあり、特定の異性を性的パートナーとして選択しても必ずしも子どもを作るわけではありません。

父親・母親・子から構成される近代的家族が社会の構成単位であった時代には、近代的家族を形成してそれを再生産することが目的化しているので、出産育児を決断することの迷いは殆ど無かったと考えられます。出産育児を『人生の主要な目的』と捕える考え方とは、今している勉強や仕事は最終的には結婚をして家族を作り子どもを育てるための手段であるとする考え方であり、『結婚・家族・出産育児・子どもの自立(=社会の再生産)』というのが人生の究極の課題となります。発達心理学の各種発達理論やライフサイクル論も、基本的にはこの近代的家族観を前提としており、『結婚・出産・育児』が社会的自立のための重要なライフイベントとして定義されていたこともありました。

地域共同体が衰退の危機にある現代社会では、社会の最小構成単位としての家族(世帯)は、最後の最後に残されたゲマインシャフト(情緒的人間集団)とも言えますから、近代家族を失うことは精神的安楽の場や自己アイデンティティの一部を喪失することを意味します。守るべき家族がいるからつらい仕事を頑張れるという人も少なくありませんから、資本主義社会における労働のモチベーションと家族(帰れる場所・情的な人間集団)というのはかなり密接な関係があります。シングルマザーが子どもを育てるという選択肢そのものは尊重すべきであり法的な不平等などは無くすべきですが、家族そのものが存在しないのがデフォルトと考えられるほどに、人間の精神は個人主義化していないというのが現実ですから、今後も少子化(高齢化)問題と合わせて近代家族の再生産と停滞の問題は繰り返し現れてくると考えられます。

他人に必要以上に干渉しない現代の自由主義社会は、結婚・労働・出産・育児を『個人の自由な選択の結果』と位置づけることにより、個人を結婚・家族形成にまつわる社会的圧力(世間の眼差し)から大きく解放しましたが、人々に共有される『家族の再生産の物語』を喪失しかかっているとも言えます。戦後に伝統的な“イエ制度”が解体されたことで、多くの個人は家(家系)を残すという束縛から逃れましたが、家系(血統)を残すという共有幻想としての目的を失ったことで、一定の年齢で結婚しなければならないという社会的義務が消滅したとも言えます。個人とイエ(家系)の分離が進んだ結果、結婚を必然的なものと見なす前提で作られた『お見合い結婚』の衰退が起こり、後は、個人の主観的な幸福や好きな異性の選択、経済的な生活設計の問題、育児しやすい環境の用意としての結婚(婚姻制度)が残ることになったわけです。

近代以前の社会(共同体)では、結婚して子どもを産み育てることが、人生の主要な目的であり共同体維持(防衛)のための社会的責務でもあったので『家族(子ども)の再生産の物語』に特別な意味づけや解釈は必要ありませんでした。しかし、近代以降の社会では『経済生活の発展・認識能力(情報環境)の拡張・人権と個人主義』により、結婚・出産・育児が『個人の自由な選択』の問題となり、個人個人が『自分の人生の物語』の中で家族や育児の価値を実感しなければならなくなりました。このことは、冒頭に書いた、出産育児を『人生の主要な目的』として全面的に受け容れることができるか、出産育児を『人生の重要な選択』として様々な人生設計を予測しながら思い悩むかの違いにもつながってきますが、『母親・父親としての役割を担う自分』をどのくらい肯定的に受容できるのかという自己アイデンティティとも関係しています。

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2017年09月22日

教育イノベーション事例~学校から飛び出し、生きた社会課題を担う!

これまで「学校教育」について多方面から扱ってきたが、
「学校教育」をめぐる問題、課題は山積み、教育改革は社会の最重要課題の位置にある。

では具体的にどうしていくか? どのように実現していくかが問われる。
最も急がれるのは小さな子ども達を強制教育の檻から解放し、自由な追求の場をつくることであるが、
まずは先端事例から探ってみたい。

◆学校から飛び出し、生きた社会課題を担う!

九州産業大学「KSUプロジェクト型教育」の事例:リンク
○学びの舞台は、実社会の「現場」。
学部学科の枠を超え、企業や行政、地域・団体などとのコラボレーションにより新たな価値を産み出す。
教室を出て、生きた社会に飛び出す。
そのなかで答えを見つけながら学んでいく。それが、「KSUプロジェクト型教育」。
他の学部の仲間や、社会で活躍するプロと連携して、プロジェクトを立ち上げる。
そこにある課題や目標と向き合い、自ら考え、行動していく。
そうした体験をとおして、将来、社会の第一線で活躍するための「実践力」「共創力」「統率力」を身につける。

~実践力・・・「実現力」
変化の連続で、予想がつかない。従来の手法では答えが出ない。
そうした時代を生き抜くために必要なのは、「現場での実体験」。
実社会の現場とは、何なのか。
そこでは、どういうことが語られているのか。どう動けばいいのか。
これを、身をもって実感すること。この現場こそ、KSUプロジェクト型教育の舞台。
「キク・シル・ウゴク。」を合い言葉に、現場の声を聞き、現場を知り、現場で動く。
この体験をとおして実践力を養成。

~共創力・・・「G追求」
組織の全員が同じ方向を向いて、競争に打ち勝つことだけに努力する。そんな時代は終わった。
今は、グローバリズムの時代。組織や地域や国を超えて、地球規模でモノや情報をやりとりする時代。
文化も考え方も違う人たちと向き合い、ともに考え、答えを求める。
そうしたプロセスをとおして、新しい価値を創り出していく力が求められる。
KSUプロジェクト型教育では、さまざまなコラボレーションをとおして、異なる価値観をもつ人々と出会う。
そのなかで、刺激しあい、互いの力を生かしあう共創力を身につける。

~統率力・・・「仲間をまとめる力」「共認形成力」
どんなに優秀でも、ひとりの力には限界がある。
そのため、あらゆる分野で、「チーム」が注目されている。
そこで重要となるのは、チームのメンバーを鼓舞し、そのパワーを活性化させ、ひとつにまとめていく力。
すなわち、リーダーシップです。
KSUプロジェクト型教育は、大学内外のさまざまなメンバーで構成する「プロジェクトチーム」が主体。
そのなかで、目標を明確に示し、仲間の力を結集して、成功に導いていく統率力が養われる。

 

◆KSUプロジェクト型教育事例
社会とつながる、学びのかたち。

嬉野温泉活性化プロジェクト
経営学部×嬉野市×嬉野温泉観光協会

大川家具工業会と連携した家具・雑貨開発・PR映像作品の制作
芸術学部×工学部×大川家具工業会(14社)× 大川市役所

学生ブランドによるマンションリノベーションⅨ ~日本に住む外国人の部屋~
工学部×㈱三好不動産×㈱サンコーライフサポート

柳川夜の川下り照明による空間演出
芸術学部×柳川市

 

◆「元来、教育は生産者を作り出すためにある。」

つまり、生産活動と切り離された教育では意味が無い、ということ。
「学校」のあり方、「学び方」を根本的に変えていかなくてはならない。
何の生産課題も無く、現実社会から切り離された無圧力空間たる学校教育を、
生産活動を軸とした教育機関に変えなければ、根本解決にはならない。

地域産業と教育の一体化。
そうすれば、教育改革も産業再生も地域活性化のもとに地域一体で取り組んでいける皆の課題となる。
行政と、生産者と、教育者と、子ども達(家庭)とがひとつになれば、何だって出来る気がする。

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2017年09月15日

【南北朝仮説】北朝とは百済勢力であり、南朝とは後発の新羅・高麗勢力では?

北朝・南朝とは何なのか?仮説を提起したい。

孝明天皇の皇子(睦仁)とスリカエられて明治天皇になった大室寅之祐は南朝と云われている。

大室家は山口県熊毛郡田布施町麻郷の小字である鞠府(麻里府)にある。この地は平安時代の中期頃から大内氏の拠点で、高麗からの渡来民たちの末裔が住民の多くを占めていた。大内氏の傭兵となった因島村上水軍も、漕ぎ手の大部分は半島からの渡来民の末裔だった。

百済発祥の多々良姓を称した大内氏は、大内氏を頼って渡来してきた半島系民族集団を配下に置く在日居留民団の団長として存在していた。

『奇兵隊天皇と長州卒族の明治維新』(落合莞爾著 成甲社刊)「第二章 大室天皇はなぜ田布施にいたのか」「第三章 卒族たちの憧れは奇兵隊天皇」から要約する。

山陽山陰地方は古来から朝鮮半島民の流入が絶えないが、周防国は、百済王族の琳聖太子の子孫を自称する大内氏の本拠であった。平安時代頃に渡来してきた大内氏は、周防・長門を中心に支配領域を広げ、百済の琳聖太子の末裔と称した。但し、琳聖太子は架空の人物とされている。

半島渡来人は当初は百済人だったが、やがて統一新羅人、さらには高麗人になる。平清盛も瀬戸内海の制海権を確保し、日宋貿易に本格的に進出したが、清盛は海上要員として、高麗人を多数移入した。

1363年に南朝から北朝に帰順した大内氏は、周防国大内村から山口に本拠を移す。この頃から琳聖太子の末裔を自称し始めた大内氏は、1399年に渡鮮して倭寇を討伐した功績に高麗王に対し百済の故地に領地の下賜を請願する。この請願そのものは、成就の寸前で高麗王臣の反対により不成功に終るが、このように、足利氏に仕えながら大内氏は高麗王にも秋波を送っていた。
このように大内氏は、中国地方と北九州の数カ国が大内氏を国王として分国・独立し、李氏朝鮮を宗主国に仰ぐこともあり得たのである。分国・独立の危機を感じた室町幕府にとっては、この地の高麗系住民をヤマト文化に同化させることが重要な課題だった。

実際、高麗では満州系女直族の李成桂が裏切りによって李氏朝鮮を建てていた。まず元を裏切り、双城総管府を陥落させた李成桂は、次には明の密命で、1392年に高麗を滅ぼして李氏朝鮮を建て朝鮮国王になる。大内氏が李氏朝鮮を通じる可能性もありえたのである。実際、15世紀には大内教弘は防長両国の他に筑前・豊前・肥前を合せて5カ国の守護を兼ねるが、少弐教頼と戦った時、対馬に逃げた少弐を討伐するため、対馬の部分割譲を李氏朝鮮に提案している。

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この説自体は事実であろう。
その上で、一つの仮説を提起する。
天皇家を頂点とする日本の支配階級の出自が朝鮮半島である。
まずは、百済勢が支配権に握る。支配の完成形が平安朝であり、その糸を引いていたのが秦氏である。彼ら平安貴族は専ら農民からの収奪に血道を上げる。

しかし、これで朝鮮半島からの流入は終わりではなく、その後も新羅勢や高麗勢が流入する。日本国内に領土を持たない彼らは、市場ネットワーク・芸能ネットワークを形成する。この市場・芸能ネットワークに依拠したのが南朝である。

ということは、北朝とは初期に流入して平安朝をつくった勢力(主力は百済勢)であり、南朝とはその後に流入してきた新羅勢・高麗勢ではないか。

※元々、南朝派であった大内氏は百済王族の末裔を自称しているものの、平安中期に登場したことや高麗出身者を抱えていたことから考えて、後発の高麗出自であった可能性が高い。

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2017年09月14日

現実社会を知らずして、教育をする資格はない

>大学の生き残る道は、とことん現実課題を追求する実学の場(生産機関への転換)しかない
少子化による大学経営危機に「大学=最高学府」は答を出せるのか?

 

先日、インターンの学生が話していたことが印象的だった。
「大学は研究ばかりで、現実と全く繋がっていないから面白くない、、、
 今(インターン生活)は色んな経験が出来るから、大学より全然楽しい、、、」

 

どうも、学ぶことが目的化してしまい、何のために学ぶのかの命題が全く抜け落ちている。
これでは、研究者の自己満足を学生に無理強いしていることに他ならない。
多かれ少なかれ、これが大学教育の実態なのだろう。
大学教員という特権身分が「選民意識」生み、現実とかけ離れた研究こそが学問なのだと正当化する。
そもそも現実社会を知らずに教員をしていること、教員になれること自体が問題であろう。

 

2014年の文科省の有識者会議でも、「日本の大学の大半を職業訓練校にするべきだ」という意見が出ている。
産業界からすれば真っ当な意見であろう。

 

東洋経済ONLINE

インターネット上で炎上した「G型・L型大学」の議論についてご存じだろうか。
発端は文部科学省が2014年10月に開いた有識者会議。
委員を務める経営共創基盤の冨山和彦CEOが、「日本の大学の大半を職業訓練校にするべきだ」と提言したのだ。

提言では大学をG(グローバル)型とL(ローカル)型に二分。
G型はごく一部のトップ大学・学部に限定し、グローバルに通用する極めて高度な人材輩出を目的とする。
そのほか大多数の大学・学部は、地域経済の生産性向上に資する職業訓練を行う――としている。

アカデミズム一辺倒で事実上、偏差値でしか差別化できていない日本の大学に、新たに「実学」というラインを作るべきだという主張だ。
当然ながら、大学教員からは激しい反発があった。
一方で、「社会に出て役立つ実学の方が求められている」という肯定意見も少なくない。今なぜ実学なのか。

 

・反論の中で一番多かったのは、「教員に実学を教えさせるのは、アカデミズムに対する冒涜だ」という大学教員の意見。
でも逆にこの意見こそが、実学の世界で生きていく市井の人たちに対する冒涜。

・そもそもの問題は、日本の大学教育が平均的な学歴で社会に出て行く大多数の人たちにとって役に立たないという現実。
中小企業で働く人の現実と、大学が教える内容はまったく合っていない。

・教養・教育は大学の独占物ではない
大学の授業そのものが、ネット上で無償で公開されている時代。
一般教養は大学に閉じ込めるのではなく、むしろ万人に開かれるべきです。

・教員が知識の独占者でいたいのでしょう。コアにあるのは、大学教員のものすごい選民意識。
大学人は職業訓練なんか二流、三流のものだと思っている。

 

 

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