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2008年01月10日

白川郷とドラヴィダに共通した長子のみ嫁取・次男以下妻問

白川郷の婚姻様式は、長子(アニ)のみ嫁取り、次男以下は妻問い(夜這い)なんですね。インド南西部ナーヤル・カーストとの共通性が気になりますね!?
今日は白川郷の補足をします。(赤松啓介『村落共同体と性的規範』より)
01763s.jpgまず次男以下の妻問い(夜這い)です。
大家族では、男も女も家を離れることを絶対に禁じていた。ツマドイは当人同士と周囲の黙認があるだけで、法的には何の規制もない。ただ彼らの間では「手ジルシ」を与えたが、内縁の契約ということだろう。しかし同じムラの男なら、手ジルシも出さないことがあったらしい。
銀のかんざし 貰うた夜さり
じつがあるなら 前掛けおくれ

「銀のかんざし」よりも「前掛け」が手ジルシになったのである。こうすると、だいたい生涯続いたようだが、ずいぶん放縦な者もいたらしい。しかし子供ができると人情つながりで、男の方からシンガイ稼ぎでいろいろと贈ったようである。
(写真は、世界遺産ひだ白川郷より。)
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大家族の住居の中にチョーダイという一室があり、家中の女はみなそこで寝させられた。男はチョーダイ以外の場所で寝るので、定まった場所がない。
チョーダイの入口近くには、ふつう家長夫婦が寝る。だから公然と認められないツマドイはできないようになっていた。
女たちが子供を多く生むほど喜んだようで、家長の子も女たちの子も待遇では別に差別はしなかった。ただ父親の明確でない旅がらすの風来坊やバクロなどの子を産むと、マカナイゴつまり私生児になり、女たちも非常に恥としたという。
アニ(長男)も妻帯する前はツマドイした。しかし必ずしも嫁にするわけではない。
嫁を迎えるのは大変で、先方は女を出したがらぬから、折り合いがつけねば「逃げていく者は仕方がない」ということになって、小さい風呂敷に身の回りの品を包んだだけで逃げ出した。
近くまで出迎えていた男側の者が家に連れて帰ったが、後からシャベリ(仲人)が娘の家に行き、仲直りができると村人を招いて祝宴を開く。この「仲直り」が祝言になるわけだが、どうしても女の家が出さぬとなると、女と打ち合わせの上でほんとうに盗み出した
山梨のドラブチやサイドラに当たるわけだが、こちらは本人同士はナジミだから実家へ帰ろうとしなかったので、どうもこうしたやり方でアニの嫁をとるのが普通であったらしい。
最近になるとだんだん華美となり、結婚式も一般の儀式に近くなったようだ。これは分家を許さないで労働力を確保しなければならなかった貧しい生活環境と関係があろう。
次男以下のツマドイって本当に原始の婚姻制ですね。インド南西部ナーヤル・カーストのドラヴイダ人同様、長男のみ父系制の婚姻制が、上から与えられたのでしょうか?

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ここまで「父系制」が徹底されているとは、何だかすごいですね。中国でも血族関係を大事にするときいたことがありますが、儒教規範の影響でしょうか?
同じ東洋なのに、日本とはすごい違いです。

  • まりも
  • 2008年3月18日 21:40

今の日本人の意識とは大変違いますね。
韓国では
『一族の家系は全て管理されており、自分の祖先を30代前まで遡ることも難しいことではない。』
を読んでいると、何百年と言う時間を超えて一族と言う集団に帰属して現在の自分が存在していると言う意識が強烈である事を理解しました。
このような価値観はナショナリズムに繋がり強い反日感情の元でもあるのでしょうか。
一方で、今の日本人は、本人が現在、存在している事実が全てと言う感覚。
時間的縦の繋がりや、空間的なよこの繋がりの意識もどちらかと言うと希薄。
しかし、集団性がないかというと、ご存知の通り群れたがる民族で、違った価値観での集団性なのでしょうか。
韓国のアイデンティティー、一族意識、民族意識は大陸の中国にも感じられ、最終的には私権集団どうしの争いにつながる価値観のように感じます。
日本の集団性は、それとは少し違う気がするのですが、、、、、。どなたか教えて下さい。

  • 猪飼野
  • 2008年3月26日 16:40

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