2008年09月13日
生産様式の進化;農耕と牧畜の起源
人類は約7百万年前にアフリカ大陸に登場し、そこから4段階にわたって他大陸移動を試み、約1万年前に地球上各地に拡散~適応してきた過程を追ってきました。この中で、人類においても【逆境こそが進化の源泉】であり、大陸を跨る大移動も、生き残りをかけての『決死行』であったことが推察できます。
この時代は「旧石器時代」と呼ばれることからもわかるとおり、木の実や貝を採ったり、骨を加工した銛(もり)で魚を漁ったり、小型の草食動物を手槍で狩ったりする『採集生産』によって食料を得ていた(後期になるとマンモスなど大型獣も狩っていたという説もある)ようです。
しかし、‘ねぐら’としていた洞窟を出て食料採集に出かけることも、いつ襲ってくるかわからない外敵に怯えながらの『決死行』に違いなかった。みな手槍など防衛のための武器を携え、見張りを立てながらの『密猟(漁)』行為に近かったのではないかと考えられます。(『初期人類は骨を食べていた』『洞窟に隠れ住んでいた初期人類たち』も参照してください)
約1.5万年前、飛び道具=弓矢を発明して、ようやく肉食獣と互角に渡り合えるようになります。
(余談ですが、槍は1本しか持ち歩くことができないので、それを投げてしまうこと=投げ槍=諦めることを喩えるのも頷けます。)
弓矢発明以降の人類は、洞窟を離れ食料採集に有利な位置に居住するようになると共に、それまでの極限時代に鍛えた観念機能を活かして【植物の栽培⇒農耕】や、【動物の飼育⇒牧畜】など、生産様式をどんどん多様に進化させていきます。
これ以降は、考古学遺跡などが発掘調査されているので、以前の“なんでや劇場”で整理した成果を紹介します。
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農耕と牧畜の起源 略年表(3万~6千年前)
- posted by nandeyanen at : 2008年09月13日 | コメント (6件)| トラックバック (0)
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comments
>朝晩の寒さや風から身を守ることが出来る住処(洞窟、岩陰など)を確保することは、初期人類にとって重要な課題の一つだったのだと思われます。
暑さ、寒さは類人猿時代は何とかなっていたので、初期人類が分岐していきなり重要課題になるように思えないのですが、如何でしょうか?
やはりその前に書いてあるように、外敵と飢餓の危機が中心になるように思います。
大杉さん、こんにちは。
そうですね。寒い環境にも適応した霊長類がいる事も考えると、初期人類にとって重要課題とまではならなかったかも知れませんね。
それよりも、外敵と飢餓の危機が中心課題だったと、絞り込んだほうがよさそうです。
実は、論文を読んで、頭が痛くなりました。
観念的で、分からないのです。
歴史学説と生物学的進化理論は区別すべきじゃないでしょうか。
母指対向を無くした人類は「かたわのサル」と捉えていますが、まともな進化プロセスを経て進化してきたのです。かたわといわれる母指対向を無くした現代人の足は、水陸両用機能を持っていて、「進化の華」だと捉えています。
陸上では、足の裏が、海上では足の甲が推進力になります。
水陸両用性能を持った足が、かたわなはずはないと考えています。
頭脳の発達ですが、チンパンジーと脳容量が違います。
脳容量が増える頭脳発達は、チンパンジーではあり得ません。ブラッドシフト機能がある海洋動物のイルカに見いださせるだけです。
ご呈示になった初期人類の化石が高地帯だけに発券される券については、アフリカの大地が、海水に浸食されたことを証明する物だと考えています。
私は、理系の自然科学で人類の進化を捉えますので、理系の進化理論と、ロマンに満ちた歴史学説は全く別にすべきだと思います。異常が疑問です
北アフリカというのをきいて何を思いつきますか?
何も思いつかない・ぴんと来ないという人はいいサイトがあります。
http://www.north-of-africa.com
このサイトで情報通になれるかも…。
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