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2008年10月11日

【図解】DNAでたどる日本人の成り立ち

本ブログではこれまで、崎谷満著『DNAでたどる日本人10万年の旅』を基に、「日本人の成り立ち」の投稿で、その成立過程がまとめられました。
改めてY染色体系統、流入時期、故地を整理すると下記のようになります。
C3  2万年~1.8万年前  シベリア・極東
D2  1.5万年~4000年前  華北
C1  1.2万年~1万年前  南方島嶼?
   1.2万年~1万年前  ウラル
O3   4000年~2400年前 黄河流域
O2b  2400年~1850年前 長江流域 
O3e  1850年~1280年前 黄河流域
☆彼らは、何故日本列島にやってきたのか!?
その謎を探るべく、東アジア全体の視点から年表風に図解化を試みてみました。
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(↑クリックすると拡大します)
上記図解と「日本人の成り立ち1」を元に、Y染色体の系統毎の移動要因を整理してみます。
C3
>C3系統は、後期旧石器時代晩期にシベリアで細石刃文化を担ったヒト集団で、2万年前にサハリン経由で北海道・本州に至る経路と、中国東北部→朝鮮半島を経由して九州・本州に至る経路の二つからやってきた。
※2万年前は最も寒冷化の進んだ時期であり、獲物を追ってサハリン経由で南下してきたことが主要因だと考えられます。
D2
>D系統はユーラシア大陸東部に限局する分布を示し、D2系統は日本列島のみに特異的に見られる(朝鮮半島ではほぼ消滅してしまった)。新石器時代に華北→朝鮮半島を経て九州に達し、その後本州を経て北海道まで達する。縄文文化の中心的な担い手と考えられる。
※時期的には略奪戦争の始まる以前であり、人類拡散の一環として生存域拡大の流れであると考えられます。
C1
>C1系統は日本にのみ見られ、移動ルートも不明。航海術と貝文土器を携えて新石器時代早期に日本列島の南部に達した貝文文化の民と考えられ、南方島嶼部から黒潮に乗って北上してきた可能性が想定される。
※沖縄で発見された南方系の新人(湊川人)の存在を考えると、所謂黒潮ルートと呼ばれる日本列島の流入が早期から存在していたと考えられます。

>N系統の分岐は比較的新しく8800~6900年前で、分布はユーラシア北西部のウラル系に特徴的な系統。一部は華北から朝鮮半島→日本へ達したが、彼らの意義については今後の検討が必要。
O3
>O3系統は華北の漢民族に特に高い集積を示し、その周辺に向かってなだらかに低下しながら、チベット、モンゴル、満州、さらに華南、東南アジア、朝鮮半島から日本列島へと、言語境界を越えていろいろな民族の間に広がっている。
※黄河流域は黄河文明以降、夏→殷(商)→西周と支配地域を拡大していきます。戦争による難民の離散が日本にも及んだと考えられます。
O2b
>O2系統は華南の長江文明を担った人々で、春秋戦国時代(2700~2200年前)、華北の黄河文明の膨張を受け、呉の滅亡(前473年)、越の滅亡(前334年頃)によって四散していった。
南西へ移動し東南アジアへ広がった人々がO2a系統(一部O2b系統)の越人、北東へ向かい山東半島から朝鮮半島、さらに九州へ渡って行った人々がO2b系統の“倭人”と推定される。つまり、2400年前頃から日本列島に入ってきた渡来系弥生人がO2b系統。
O3e
>O3系統の亜型であるO3e系統は漢民族に特異性が高く、シナ・チベット語族にも広く認められる。東京で9%である。古墳時代、飛鳥時代、奈良時代を通して、日本列島では黄河文明の影響が強くなってきた。黄河文明を担う漢民族O3系統、特にO3e系統が少数ながら流入してきたことが推定される。
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読んでくれてありがとう。
年表風に図解化(ビジュアル化)したことで、日本人の起源に関する理解の一助になれば幸いです。(マツヒデ)

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