2009年02月05日
中山太郎の「日本婚姻史」から~共同婚~☆5☆七夕はタネハタ?
こんにちは。立春もすぎて、寒い中にも春の兆しが感じられるようになってきましたね
さて、今回お届けするのは、前回の最後に出てきた、「神の名による配偶者の選定」の事例です。神前で行われていた、比較的風流 なものをご紹介します。
では、つづきを読む前に応援をお願いします いつもありがとうございます
次に、こうした高媒の信仰による婚姻の方法を列挙していく。
★常陸帯の神事という配偶選定法
常陸の国の鹿嶋神宮で行なわれた『常陸帯の神事』と称する配偶者の選定方は、神判成婚の代表的土俗である。しかし執行された時代があまりに大昔のため二三の異説も存在するが、ここでは奥義抄による。東路の道のはてなる常陸帯 かことばかりも逢はんとぞ思ふ
(上略)常陸の国には男女のなからいを占わんとて、苧というものを帯にして、一つには我名を書き、一つには男の名を書きて、彼の神の御前にて祝詞申て、帯を折り返して中を隠して、末を禰宜に結ばするなり。それにわろかるべきなからひは放れ放れに結ばれ、よかるべきは掛け帯のようにまるに結びつながはるるを、さもと思う男なれば、やがて掛け帯のようにうちかけつ、山菅占などするようなり云々。
鹿嶋神宮の神前で帯を用いて男女の縁を結んだ土俗があったことは事実と見て差し支えないようである。古くはかがいの行なわれた筑波に近い鹿嶋の地でこの神事が行なわれたのは、その一派生と考えるべきである。
この神事が一段と通俗化したものと信ずべき土俗がある。
信濃の国地溲澤
土の色が甚だ黒く、その水で布の色を染めることができたので、昔は村内の男女が毎年五月五日に木綿布を染め、それによって婚姻を成しこれを「地溲祭」と称した。布の染色の類似したものを神慮にかなったとして結婚したものと考えられる。
自分の名前と男の名前を書いた帯を神官に結んでもらい、輪になれば神に認められたことになるとか、布の染まり方が近い男女が夫婦となるなんて、まるでかわいい占いのようですが、当時の人々は真剣だったのでしょうね。
★七夕に現われたる神判成婚の思想
我国における七夕祭りの行事は、奈良朝頃に支那の星祭と附会され習合されてしまったので、全く我国固有の古意を失うに至ったが、古く七夕は『タネハタ』であって、秋稲の豊饒を祈る呪術として田圃の中で男女が交会して祭儀とした土俗に出発しているのである。従って七夕祭は性的神事であり、農業祭である証拠は夥しいくらいにあるが、この俗信から当然導かれるものとして、七夕祭に際して男女の良縁を祈り、或いはこれを定めることが行なわれていたのである。
常陸の国龍ヶ崎地方
縁遠い男女は七夕の朝に落ちた赤い色紙を、人知れぬよう拾って持っていると、その年の内に良縁があるというのが前者の例で、後者の例は次のように筑前の旧志略に記してある。
筑前の国大嶋
星の宮というところがあり、北は彦星の宮、南は織女の宮、両社の間の川を天の川と称す。婚礼の望みありて女を得んと欲する人は、川北の彦星の宮に祈る。七月一日より七日の夜半に至り、近郷の男女群集して昼夜の神事厳重なり。
川の中に二つの棚を構え、名香を焚き灯明をかかげ、瓜果物神酒等を供え、竿のはしに五色の糸をかけ、梶の葉に歌をかいて手向け、琴笛等を列ね、盆に水を湛えて星の影をうつし、若し男女の望みある者は、その名前を短冊に記し、彦星の棚には男の短冊を置き、織女の棚には女の短冊をつらね、七日の夜に必ず風ありて彼の短冊を川水に吹き流す。若し婚縁の神慮にかなうものは、男女の短冊盆の水に並び浮かぶ、これを『縁定めの神事』と呼ぶ。古今の歌に『秋風の吹きにし日より久方の、天の河原にたたぬ日はなし』とは、この神事を詠んだという。
支那風の星祭の行事が濃厚に加味されているけれど、なお高媒の俗信に基く神判成婚の跡が偲ばれるのである。この結婚法は、神社中心の性的神事―雑魚寝、種貰いその他の事まで属するが、雑魚寝その他については各々節を設けて記述することにした。★神社の祭典を利用した各地の嫁選み
上総の国大喜多町の夷隅神社の大祭
男女はこの日を晴れと着飾って参詣する。この祭礼が男女の縁を結ぶ機会となる。祭礼後、男の方から媒酌人を定めて婚礼を申込み、正式の婚礼が挙げられる。
羽後の国長根町の日吉神社
例祭の日には嫁入りざかりの婦女は盛装して参拝し、しかも社前において数回着衣をあらためて綺羅を競う習わしがある。成年の男子を持つ父母は、この祭典を利用して将来の嫁を選択することになっている。
神社の祭礼や仏像の開帳などが、嫁選びの機会に利用されていることは、今でも地方に行なわれているが、その古い思想は高媒の俗信に負うところが多いのである。★神社に参拝することが結婚の一要件
羽後の国金澤町の八幡神社
例祭の夜には、仙北の北浦と称する村落の処女は社に詣で一夜の参詣をする。これを『お通夜』という。この夜は掛け歌といって昔の歌垣に似たものを男女が歌い夜を徹するが、処女はこのお通夜をしなければ嫁入りせぬ習慣となっている。
因幡の国の濱
婚約が成立すると男女は双方の父兄と仲介人に連れられて婚約旅行をする。この旅行中に双方の性質や趣味を熟知し、縁談が成立すると吉日に男女揃って村の氏神社へ参詣し、社前で鬘を結び、その皮を無名指(=薬指)に結びつけて誓いとする。さらに自宅で式礼を行なって婚姻する。
これらは共に古代の遺風を残した結婚法として珍しい資料である。
集団のみんなが認める婚姻から、神様が認める婚姻への変化がわかります。ただ、ここではまだ、みんなが認めることと神様が認めることに、大きな差はないように思います。この神様の位置に座るものが、「家父長」→「個人の好き嫌い」と変わっていくのが、近代~現代の婚姻制と言えますね。
では、次回はちょっとびっくり な事例をご紹介します。お楽しみに
- posted by mori-ma at : 2009年02月05日 | コメント (6件)| トラックバック (0)
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comments
>共認機能の発達に伴って、手話では伝えきれない強い思いが、音声を自由に操れるように、危険を冒して、のどの位置を下げるような進化を促したのでしょうね。
人類がどうやって観念機能を発達させてきたかに興味があったので、とってもスッキリです♪
それにしても、共認機能を獲得した人類にとっては、生命の危険を冒して身体機能を進化させてまで、観念機能を発達させて、より深いを作っていくことが重要だったんですね。
すげーーー
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