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2009年02月21日

弥生開始の実年代をめぐる“歴博vs九大の論争”

2003年の歴博の発表は、前稿『弥生時代の開始年代~再考に向けて~』で紹介した記事通り「学界からは反論も上がっており、大きな議論に発展」したようです。
岡さんの『歴博による弥生の実年代と新たな課題』にも提示されている、歴博の示した較正年代を、従来説の年代との対比年表にすると以下のようになります。
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↑[江古田原・沼袋合戦]さまよりお借りしました。
これに対し、2004年9月九大から‘反撃の狼煙’が上り、議論が過熱するのですが…
ホットな論戦の様は、クリックしてからどうぞ⇒

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以下、九大vs歴博の論争の概要について2004年9月15日の朝日新聞より引用

『弥生の始まり 歴博と九大で論争 ~紀元前10世紀か?紀元前5世紀か?~』
弥生時代の始まりをめぐる論争が再燃している。国立歴史民俗学博物館(歴博)は加速器質量分析法(AMS)を使った炭素14年代測定を進め、昨(2003)年5月、弥生開始期は従来考えられていた紀元前5世紀ころより500年もさかのぼる前10世紀という説を打ち出した。賛否両論が相次ぐなか、九州大のチームはこのほど同じ手法で弥生初頭の地層から出た鹿骨などを測定。従来の年代観を支持して歴博説を否定する見解を発表した。考古学界で続く大論争は、さらに過熱しそうな気配だ。
歴博は今年に入り、弥生早期とも縄文晩期後半とも呼ばれる山ノ寺式や夜臼式土器に付着する炭化物の実年代を求めた。これまでの成果とも総合し、縄文・弥生両時代の境を紀元前10世紀後半とする見方をさらに強めている。
一方、田中良之教授を中心とする九州大のチームは7月25日、北部九州の鹿骨と人骨をAMSによって測定した結果、歴博の推定よりずっと新しい値が得られたと韓国・釜山の国際学会で発表した。歴博説に真っ向から挑んだ。
田中教授らは、曲り田遺跡(福岡県)の夜臼式土器を含む弥生初頭の地層から出土したとされる鹿骨1点と、弥生前期末の金隈遺跡(同)から中期後半の隈遺跡(同)などの甕棺に伴う人骨19体のAMSによる測定を英・オックスフォード大に依頼。うち鹿骨と人骨7点について測定が成功し、縄文時代晩期後半(弥生時代早期)は紀元前600年ごろ、弥生前期末が紀元前400年、弥生中期前半から中頃までが紀元前400~200年、との年代を得たという。「今回の結果をみる限り、従来の年代観より古めではあるが、いずれも歴博の年代より新しい」と田中教授。
歴博側はホームページなどで反論。焦点となる獣骨について今村峯雄教授は「1点だけの測定では何も言えない」。藤尾慎一郎助教授は「獣骨は密度の低い貝塚から出たもので、貝塚自体も傾斜面につくられている。本当に夜臼式にともなうのか、判断には慎重さが求められる」。
これに対し、田中教授は再反論する。「報告者が獣骨は夜臼式土器の層から出たとしている以上、それを尊重すべきだ。参考値ではあるが、夜臼式を伴う人骨についても新しい年代が出ており、1点でものを言っているのではない」。
両者の主張は平行線をたどる。
振り返れば、歴博案の発表以来、考古学界は二分されてきた。
弥生中期後半は、北部九州の墓に年代がはっきりした鏡などの中国製青銅器が副葬されているため、従来どおり紀元前1世紀前後でまず動かない。問題はそれよりも前の早・前期や中期前半だ。反対派の主な反対理由は、もし、歴博案を認めると①土器型式の存続年代が不自然に長く延びてしまう②弥生早期の出土とされてきた鉄器が本場の中国よりも古くなる、などだ。
一方、歴博は①は今後の課題としながら、②についてはこれまでの鉄器出土状況の報告には疑問点が少なくないと主張。また、一部の研究者は、遼寧式銅剣など大陸の青銅器の拡散から考えると、弥生文化の幹となった大陸文化の日本列島への流入時期は歴博説に合致するとして賛同を表明した。
そもそも炭素14年代測定は縄文時代には使われてきたが、新しい弥生時代には誤差が多いとしてあまり利用されてこなかった経緯がある。論争はいわば、AMSという理化学的な技術と伝統的な考古学的手法との対立だったといえる。ところが今回、AMSという同じ土俵に立ちながら解釈が割れ、論争はより複雑化した。
大阪府立弥生文化博物館の金関恕館長は、「AMSの利用で炭素14年代測定はより精密になり、弥生にも使える状況になってきたと思う。ひとつの提案だが、九州大が使った獣骨を歴博も測定してみる、一方で歴博の試料を九州大も使ってみるというクロスチェックをしてみてはどうだろうか。そこから議論の糸口が生まれるかもしれない」と話している。

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comments

写真がたくさんあって、イメージしやすいですね♪
ゲラダヒヒのボスの交代は、セカンドオスとボスが闘って、セカンドオスが勝ったときということになるのでしょうか?
初期人類では、日々生き延びるのがやっとという状態なので、ボスの座を巡って争うことはなく(ボスも長生きはできないので、ボスが死んでしまうとすぐに次のボスが決まる)、そこがゲラダヒヒとは置かれた圧力が違うのかな、と思います。

  • まりも☆
  • 2009年5月21日 20:55

>まりもさん
コメントどうもです。
>ゲラダヒヒのボスの交代は、セカンドオスとボスが闘って、セカンドオスが勝ったときということになるのでしょうか?
サルの闘いって、相手を痛めつけ、力の違いを見せ付けるイメージがあるのかも知れませんが、ゲラダヒヒの場合、激しい闘いはしないようです。私欲より仲間第一的な価値観がありそうで、その辺りが人類と、なにか類似しているようで興味深いです。
ボスの座を追われても集団(バンド)内には留まり、シニアフリーランスとして共に生きるようです。ひょっとすると、シニアになってもバンドに残ることを考えると、なんだかの存在意義が、集団の中にあるのかもしれませんね。
もう少し詳しく、また調べてみますね♪コメントありがとうございます。

  • yidaki
  • 2009年5月21日 22:52

>まりもさん
質問にあった、ボスの交代劇について、非常に興味深い事象が見つかったので、
【共認機能による実現態を探る vol.1】
http://bbs.jinruisi.net/blog/2009/06/000596.html
という連作で紹介させていただきたいと思います。
読んでみてくださいね♪

  • yidaki
  • 2009年6月1日 17:56

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