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2009年08月05日

終戦直後~現在の日本:恋愛結婚って何だったの?

 戦前から終戦直後辺りまでの、結婚観や性生活に関する投稿が続いていますが、今回は戦後から高度成長期を経て今に至る結婚観、恋愛意識の変化について調べてみたいと思います。

 【戦後の家族変化再考一配偶者選択、性別役割分業をめぐって(安藤由美)】よりリンク
「出典:琉球大学法文学部紀要人間科学第10号2002年9月」
○未婚化・晩婚化の進展

日本では、高度経済成長が終わった1970年代後半以降、未婚率の上昇が著
しい。そして、とくに出産適齢期にある年齢層の女性の未婚率の上昇が少子化をもたらしているといわれている。実際にデータをみると、20歳代後半から30歳代前半の年齢層で、未婚率の上昇が著しい。

○配偶者選択の方式の変化:恋愛結婚の一般化

周知のように、戦後日本における配偶者選択の大勢は、協定婚から自由婚へとシフトした。一般には、これは見合い婚から恋愛婚への変化であるといわれる。実際、統計データをみると、1960年代後半に恋愛婚が見合い婚を上回り、さらに上昇の一途をたどり、現在では、見合い婚は1割にも満たない。これをさきの未婚率の上昇と照らし合わせると、恋愛結婚制度が一般化した現在にいたって、未婚率が上がってきたことになる。いったい、この傾向はどのように解釈できるだろうか。

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○戦後の自由婚は恋愛婚であったか?

 単に「恋愛婚」と回答された調査結果をみて、すぐにこれを、
ことばの真の意味での恋愛結婚と見なすことには少々疑問がある。というのは、もし本当に結婚が夫婦間の恋愛感情を元にしているのであれば、恋愛感情がなくなったら結婚を破棄するということがもっと起こってよいはずである。
恋愛結婚の本場であるアメリカでは、確かに離婚率も高い。また、結婚年数が経過した夫婦間で恋愛感’情がさめることに対する危機感は非常に大きいものがある。一方、日本の夫婦の場合にはそのような危機感はあまりないばかりか、むしろ、やがて夫婦間の恋愛感情がさめることが当然視されているきらいさえある。離婚率もアメリカなどに比べてはるかに低い。
筆者からみれば、戦後の恋愛結婚制度というのは、ひとつの言説といってよいものである。そして、専門家も社会調査担当者も一般の人びとも、少なからぬ影響をそこから受けてきた。実態としては、今われわれが恋愛結婚とよんでいるものは、実は、非「見合い婚」ともいうべきものである。もっと厳密にいえば、つまり、親きょうだいや親戚の言いなりになるのではなく、当事者同士で決めた結婚という意味で、自由婚である。

 
確かに、恋愛=結婚という認識が形成されていれば、お互いの恋愛感情が冷めれば、即離婚となっても良さそうです。
ですが、高度成長期に急増した恋愛結婚カップルは今ほど離婚率は高くありませんでした。
○恋愛結婚言説の誕生

 戦後日本においてなぜ実際にはさまざまな内部的動機づけがあり得るであろう自由結婚が、なぜ恋愛結婚という鎧をまとったかについて考えてみるのは興味深い。
戦前の結婚は、親や親戚の意思が優先する協定婚であろうと、村落内で比較的自由に相手を選ぶ自由婚であろうと、社会階層・身分内の通婚が規範的であった。しかし、戦後、そうした結婚のあり方は、社会の階層差・不平等を温存・助長するものとしてきらわれたというのが、恋愛に基づく自由婚が支持されるようになった理由であろう。愛は階層差を乗りこえるという文学的モチーフが、一般の人びとにフィードバックされたといってもよいだろう。
だから、個人の自由意思で結婚相手を選べるようになった若い人たちは、相手との社会経済的な釣り合いを注意深く見定めていても、それを表に出すことははばかられたのであった。

 戦後、右肩上がりに伸びていった恋愛結婚とは、『恋愛』というなにやら崇高に聞こえる観念の中に『自由・私権』といった個人主義的な思いを巧妙に隠した【自我結婚】とも言うべき形態を糊塗する役割を担わされていたのではないでしょうか。

 高度経済成長期、結婚相手と知り合う場所は、その多くが職場であった。これをたんに、村落内規範に規制された結婚から、育った社会的背景が異なる者同士による自由な結婚への変化とみることはたしかに正しいが、相手の学歴、経済力、仕事の将来性などの項目によって、注意深くスクリーニングされた相手選びが、とくに女性の側でおこなわれていたと考えられる。
恋愛は、いわば、そうした合理的な配偶者選択をくるむオブラートのような役目を果たしたともいえる。個人の人権尊重という思想をかかげて戦後の復興がはじまったとき、アメリカを通して入ってきた恋愛結婚イデオロギーは、個人を抑圧・拘束から救う救世主として迎えられた。
結婚や職業の選択といった、個人の人生上の決定をその当事者の意思にゆだねること、そして、とくに、結婚については、恋愛という究極の個人的感情に基づきつつ結婚相手を決めるやり方は、個人の尊重という価値実現の具体策となった。

こうして、それまで反社会的な意味合いを帯びていた恋愛が結婚という公式の制度と結びつけられることによって、思想的転換の表舞台に引っ張り出されたのであった。社会学の用語でいえば、帰属主義的な社会から業績主義的社会への転換が図られたのである。

われわれの眼にふれる社会調査を企画・実施した担当者も、新しい結婚方式に「恋愛結婚」というラベルをつけて調査をおこない、人びともその分類を受け入れて調査に回答したのだと思われる。

 こうした、お互いの『自我』に基づいた結婚は、私権圧力(=貧困の圧力)が高かった時代は、私権の確保という課題があるため、互いの恋愛感情が薄れても簡単に離婚することはありません。
しかし、いったん豊かさ(私権)を確保してしまうと結婚を継続させる引力が互いの恋愛感情だけになります。これが、離婚率上昇につながっているのだと思います。

○恋愛と結婚の関係の現状

 いったい、これまで恋愛結婚の体裁を装ってきた自由結婚の内実はどのようなものになっていくのだろうか。恋愛が内実化していくのだろうか。それとも、さまざまな内実をともなって、結婚の動機づけは多様化していくのだろうか。
高度経済期を過ぎてから恋愛と結婚との再分離がおこってきているといわれている。
すなわち、結婚につながらない恋愛が一般的になったというわけである。しかし、恋愛結婚言説の観点から解釈するなら、今までは、そもそも合理的な判断を必要とする結婚と、非合理的な恋愛が、一定の社会的条件の下で融合していたかのようにみえていたのが、それぞれぼんらいの姿を現したといえないだろうか。
これを、比嶮的にいうならば、ぼんらい水と油のように混ざり合わないものが、たまたま戦後の大きな社会変動というミキサーの中でマヨネーズのように乳化していたのが、その流れが止まって、ふたたび分離してきたというところだろうか。
しかし、実際、日本において欧米よりも離婚率が低いのは、日本の家族には、情緒性よりももっと重要な基礎があることの証左ではないだろうか。
それにもかかわらず、家族の結合における情緒性のみを家族価値として過度に強調することは、かえって壊れやすい家族を作り出すことになるのではないか。
若い人たちがそう簡単に結婚に踏み切らないのは、どこかで情緒主義がたんなる神話で、うさんくさいものと感じているからではないだろうか。あるいは、それは合理的な配偶者選択がしにくくなった不透明な現代社会における、かれ(かのじよ)らの自衛的行動かもしれない。

>高度経済期を過ぎてから恋愛と結婚との再分離がおこってきているといわれている。
>実際、日本において欧米よりも離婚率が低いのは、日本の家族には、情緒性よりももっと重要な基礎があることの証左ではないだろうか。
>若い人たちがそう簡単に結婚に踏み切らないのは、どこかで情緒主義がたんなる神話で、うさんくさいものと感じているからではないだろうか。

このあたりに、豊かさが実現されて男女関係に自我が無くなっていく日本、単なる恋愛感情だけでなく男女お互いの役割に充足できている日本、これまでの自我に基づく男女関係がおかしいと思い始めている日本、が垣間見えて、なんだか可能性が感じられます。

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サルは、原猿時代に獲得した共認機能(→知能)を真猿時代にさらに発達させていきます。

「チンパンジーの知性:ジェーン・グドール女史」(ブログ:壺齋閑話)
より、
>道具の操り方など知的能力の取得は、世代間の伝達によることも詳しくわかってきた。幼いチンパンジーは親や先輩の仕草を見ながら、自然と能力を身につけていく。簡単な能力は1歳頃までに身に付け、複雑なものは3歳半乃至5歳頃までに身につける。6歳乃至7歳頃までに身につけないと、一生無能のまま終わる。人間の子どもの学習過程と相似ているといえる。<
優れた記憶力をはじめ、道具を操る能力とその世代間伝達、他者との共同、自制心、仲間同士のいたわりあいなどコミュニケーション能力、その知性の発達度に改めて驚かされます。共認機能(同化機能)をフル活用して適応している、まさに共認動物なのだと感じます。

  • echo
  • 2009年11月12日 21:22

 相手の意識や欠乏を察知する共感機能は、最近の脳科学の研究からも女性の方が高いと言われているみたいです。
共感する女脳、システム化する男脳
それも人間だけでなく、サルのメスにも共感機能が高い傾向があると言われています。共感の生理学と病理学
そうだとすると、真猿時代の雌雄解脱共認形成時に強化されたのではないでしょうか。

  • The Ginyu Force
  • 2009年11月12日 21:32

>echoさん
コメントありがとうございます。
先日、
「人間の高い言語能力はチンパンジーと遺伝子わずか1個の差」(http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20091112-OYT1T00736.htm)という記事がありました。
人とチンパンジーとの言語能力の差は大きいとされていますが、その原因がわずかな遺伝子で大きく変わるという事が明らかになれば、もはや共認機能に大差は無いと言っていいのでは?と思いました。
今後も注目です。

  • minene71
  • 2009年11月17日 22:44

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