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2009年08月17日

日本の「人間依存性」、西洋の「人間非依存性」

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『もうひとつの日本への旅―モノとワザの原点を探る/川田順造』中央公論社

ワザによって外界にはたらきかけてゆく主体的身体としてのヒト。ワザがはたらく対象であり道具でもあるモノ。ワザを媒介とするヒトとモノの関わり方への考察をとおして、稲作以前の列島文化の深層を、南海からの視点で照射する、創見に満ちた日本文化論



今日は、先日読んだこの本から「日本」と「西洋」の違いを紹介します。
川田順造さんは、西アフリカのブルキナファソに住むモシ族の文字を持たない社会を研究した『無文字社会の歴史』 など著書で知られる文化人類学者。あのクロード・レヴィ=ストロースに師事した人です。
この本では、文化によって条件づけられた、からだの使い方である「身体技法」に着目し、日本と西洋の違いが分析されています。
たえとば、
ノコギリで木を切るとき、日本では引いて切る。一方、西洋では押して切る。
たとえば、
日本の天秤棒。棒の両端に、水桶など荷物を下げ、真ん中を肩で担ぐ。膝を曲げ、腰で調子をとって、棒の両端の軽く撓(しな)う上下動で荷の重みを吸い取らせる。重要なのは「腰」。一方、同じ仕事をするのに、西洋では、上体を起こし、肩と腕の力で荷重を支える。棒は撓ったりしない。「道具」はより複雑で、堅固である。重要なのは「肩と腕」。
このような「身体技法」の日本と西洋の違いは何か?それは日本の「二重の意味での人間依存性」西洋の「二重の意味での人間非依存性」という違いに現れます。
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◆文化の「求心性」と「遠心性」
川田氏の師であるクロード・レヴィ=ストロースは、日本人の身体の使い方や文化の特徴を「求心的」として、西洋の「遠心的」と対比します。
先ほどのノコギリで木を切るときの、日本では引いて切るが西洋では押して切る、といった身体の使い方における違いのほか、言語表現にも違いが見られます。
たとえば、タクシーで行く先を告げるとき、日本では広い地名から初めて、順次狭く限定して運転手に言いますが、パリでは、まず地番をいい、通りの名、区の名というようにだんだん広げていきます。また、郵便の宛名の書き方も、日本では県名など広いほうから始めて終わりに番地を書き、個人名は最後にきますが、西洋では個人名から始めてだんだん広がって行くことなどの書き方にも、「求心的」対「遠心的」の対比が見られます。
この手紙の宛先に見られるような日本と西洋の違いは、個人に認知や自己主張を優先する西洋地域や集団への帰属を重視する日本という、社会の中での自己認識や人間関係のあり方に関わっているのかも知れません。
◆技術文化の指向性に見る日本と西洋
この「求心性」対「遠心性」という違いを、モノ・ワザ・ハタラキという視点で見たのが『日本の「二重の意味での人間依存性」』と『西洋の「二重の意味での人間非依存性」』という対比です。
日本の「二重の意味での人間依存性」
1.複雑な道具立てや装置に頼らず、人間の巧みさによって、道具なしか、簡単な道具を多様に使って作業をする
素足で鞴を漕いだり作業対象を固定するとか、二本の棒きれに過ぎない箸を、使う人の巧みさで、多機能に使い分ける。単純なモノを人間のワザで複雑に使いこなす、いわば「道具の人間化」。
2.よりよい結果を得るために、人力を惜しみなく投入する
定められた狭い水田から最大限の収穫をあげるために、労働生産性は無視して、限られた水田に人力を惜しみなく投入し、土地生産性を最大にしょうとする労働観や、朝は霜を踏んで野良に行き、夕べは星をいただいて帰るといわれた日本人の勤勉性に現われる。
西洋の「二重の意味での人間非依存性」
1.個人の巧みさに頼らず、誰がやっても同じようなよい結果が得られるように道具ないし装置を工夫する
日本人なら素手でさっさとやってしまいそうな簡単なことをするのに、いろいろな道具を使う。籠を編んだり縄を掬ったりするのにも道具立てがあり、その代わり上手下手なしに、速く、一定の品質のものができる。個人のワザに頼らずに、より確実で大きな成果を挙げられるように道具を工夫する、いわば「道具の脱人間化」。
2.できるだけ人力を省き、畜力や風水力など人間以外のエネルギーを利用して、より大きな結果を得る
人力をできるだけ省いて、畜力や風水力を利用する。西洋の農耕・牧畜の源泉である西アジア・メソポタミアの人類史上最も古く形成された農牧複合、西アジアから東部地中海世界に発達した牛の畜力や風水車の利用、やや下って古代ギリシャ・ローマ時代に盛んになった馬に牽かせた高速の車など。エネルギーのもとが、畜力や風水力から化石燃料のエネルギーに変わっても、基本的には連続した変化・発達であり、ホース・パワーは、馬車からガソリン・エンジンの自動車まで共通の概念。
◆この違いはどこから来るのか?
以上、日本の「人間依存性」、西洋の「人間非依存性」という違いを書籍『もうひとつの日本への旅―モノとワザの原点を探る』から紹介しました。いかがでしたか?うなづけるところが多いのではないのでしょうか。
この日本の「人間依存性」の基層には、人類の本性である「共同性」にあるように思います。(共同性については注目投稿の『人類の本性は共同性にある 』を参照ください)共同性の根本にある相手と自分を同一視する働きは、共同体の仲間に留まらず、自然、道具など幅広い対象に向けら、日本特有の自然観、生命観、労働観を作り上げてきたのだと思います。
ただし、現在の日本では西洋の「人間非依存性」にどっぷりとつかり、古来から受け継がれてきた「人間依存性」や「共同性」を見失っているように思います。今一度、見直す必要がありそうですね。

このエッセーに、私が「もうひとつの日本への旅」という題をつけたのも、これまでの日本の歴史で、政治の中心からも遠く、とかく辺境の野蛮な文化として貶められてきた、ナラ林地帯の基層文化、縄文やアイヌの文化とだけでなく、アジア・太平洋地域の諸文化とも連続性をもった文化の深層に、未来へ向かっての日本の、というより人間の、隠れた可能性を探ってみたいという思いを、東北とくに岩手と学生時代から縁のあった私が、抱きつづけてきたためだ。
『もうひとつの日本への旅―モノとワザの原点を探る』より

これをヒントに日本人の意識、日本の文化がどのように形成されたのか、その深層に迫ってみたいところですね。(さいこう)

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comments

韓国の慶一大という偉い大学の総長を勤められているイ・ナムギョ先生に依れば、日本語の語源は全て韓国に根があるそうです。日本語にあって韓国語にない言葉は、韓国語の化石のようなもの、とのこと。
——————–
日本列島に弥生文化をもたらしたのは洛東江(ナクトンガン)上流の伽椰(カヤ)族の言葉、すなわち古代慶尚道方言から始まったもの
君と僕は金と朴
君が代は「キム家の世の中」
韓国語の「アワッテ」が「アワテル」
「『くだらない』は『百済ない』、クダラは奈良に比べて『大きな国』の意味
「クェンチャン」が「ぎょうさん」、「タムプク」が「たっぷり」
日本語の「挑む」は韓国語の「イ・トムビダ」
「そっくり」は「サグリ」
韓国語で正月が来るのを「一日一日(ハルハル)」と指折り数えたが、この「一日一日」が日本に渡って「ハルバル(はるばる)」となり「とても遠く」という意味になる
韓国語の「トルダボ」や「トルボ」が日本に渡って連音化し、「トロボ(どろぼう)」になった
正月が変わった言葉、オセチ
日本人が気分の良いとき発する「コリャコリャ、チョイナチョイナ」は古代韓国語
日本天皇の性が「金海金氏」
「マツリ(祭)」の由来は「マッドゥドリ」
日本語の「ステキ(素敵)」は渡来人歓迎の意
「天神通り」は渡来人の住居跡
「サムライの語源は、言うまでもなくサウラビ」

  • LEE
  • 2009年11月28日 13:26

LEEさん、コメントありがとうございます。
ただ韓国起源説はいただけないですね。ウキペディアでも嘲笑されています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E5%8D%97%E6%95%99
韓国起源説は日本語だけに止まらず、メソポタミヤ文明やインカ文明などあらゆる文化にわたっているようで、まともに取り上げない方がいいでしょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E8%B5%B7%E6%BA%90%E8%AA%AC

  • 2009年11月28日 17:56

私も少し調べてみましたが『朝鮮起源説』は未だにあちこちで囁かれているんですね!?ビックリ!!
同祖論=単層説とも言うようですが、シンプルでわかりやすいところが、大衆受けする所以かも…
ただし、「受容れる名人」とも言える日本人が、あまたある周辺諸地域&民族の言語の中で、たった1つの言語だけから国語を形成してきたとは考えにくいですね。
縄文以来ずーっと鎖国してきたなら話は別ですが…

  • nandeyanen
  • 2009年12月10日 21:22

nandeyanenさん、コメントありがとうございます。
確かにいろんな言語を持った縄文人がいたと思いますが、何世代もかけて共通言語に収束する方向で動いたと考えられます。
各地域独特の方言はあったにしろ、コミュニケーションできないままで放置せず、何とか分かり合えるよう互いに吸収し合ったのではないでしょうか。

  • 2009年12月11日 23:01

こうして見ると、前田以前と以後では離脱メンバーの扱いがまったく異なるんだねぇ。

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