2010年03月03日
日本婚姻史1~その4:日本の交叉婚の特殊性
前々回と前回にわたって、縄文時代の婚姻制【兄妹総偶婚⇒交叉総偶婚】の流れを、気候風土や集団内墓地の埋葬形態などから解明してきました。
【総偶婚】 集団ごとの男達と女達が分け隔てなく交わりあう婚姻様式。 約1万年前、採集・漁労部族はこの総偶婚によって(期待・応合充足を破壊する)性闘争を完璧に解消し、自我回路をほぼ完全に封印していた。日本においては村内婚(夜這い婚)の形で、昭和30年代頃まで農村部で存続していた。 『るいネット定義集』より引用
前回、世界の交叉総偶婚を婚姻形態を図解でも紹介しましたが、日本の交叉総偶婚の婚姻形態は世界の交叉総偶婚の中でも少し変わっているようです。
今回は、日本の縄文時代の交叉総偶婚とはどういったものだったのか?その特殊性について紹介したいと思います。
★日本の交叉総偶婚【クナド婚】とは?
■クナドとは?
クナグという古語は性交を意味します。(『トツグ、マク、クナグ』参照)
「允恭紀」にマクナギ、「霊異記」に婚合をクナガヒ、「今昔」にクナグ、「続古事談」に「妻をば人にクナガレて」などという表現があります。つまりクナドとはクナギドコロ、すなわち婚所を意味します。
■クナド婚とは?
クナドの神なるものは、数ヵ村共有のヒロバや入会山や交通の要路(いわゆるヤチマタや物々交換の市場)や村の入口に祭ってある石神であるが、その性格は一面が交通の神、他面が性の神という複雑さをもっています。
クナドは文字通り神前共婚の場所ですが、そのことによって他群と交通し結びつくことになる場所でもあります。原始段階では性交は同族化を意味します。排他的な異族の間では性の交歓だけが(ときには性器の見せ合いだけでも)和平への道であり、理解への道であり、村つくり、国つくりの道でもあったようです。
詳しくは、『日本婚姻史3 族外婚』を参照
祭事の折など、数ヵ村共有のヒロバ(広場)に集まり、男達と女達が分け隔てなく交わりあう交叉総偶婚という婚姻形態を取っていたようです。
★海外の交叉総偶婚とは厳格に規範化された婚姻制度
交叉総偶婚(族外婚)の典型はオーストラリアのアボリジニ先住民族に見られます。、A群の全男子はB群の全女子と夫婦、B群の全男子はA群の全女子と夫婦というものです。有名なカミラロイのように四群からなるもの、八群からなるものなどいろいろあるが、基本的には二群式が原則です。
上図のように、海外の交叉総偶婚とは厳格に規範化された婚姻制度となっています。
★なぜ交叉総偶婚という厳格な規範化がなされたのか?
ここは仮説ですが、日本と違い他民族や他人種との同類闘争の中で、集団統合の観点から軋轢を避け厳格が規範化がなされたのかも知れません。
日本の場合、弥生時代に入るまで、他民族との接触がなかったため、日本独自の交叉総偶婚が成立したのかもしれません。
★日本の独自の交叉総偶婚【クナド婚】は、おおらかな婚姻制度
日本では、二群単位とは限らず、二群でも三群でもが集落をなし、その中央に祭祀施設のあるヒロバをもち、そこをクナド(神前の公開婚所)とし、集落の全男女が相あつまって共婚行事をもつことによって、族外婚段階を経過したと考えられます。日本は特殊で、実母子間の禁婚のみが顕著で、父系(父・娘)や兄妹の禁婚は元来なかったとされています。交叉婚は厳密には兄妹婚のタブー(勿論父・娘もタブー)をもって成立しますが(世界史的にはそう)、日本は複数群のヒロバでの共婚ですから、兄妹婚黙認の交叉婚と考えているわけです。それまでの氏族内兄妹婚からすると、他氏族と交わるわけですから一見兄妹婚タブーと映りますが、厳密に貫徹するためには、兄妹同士が当たる可能性のある共婚にはならないのでは、というのが根拠です。他氏族との交わりが優先されたのは確かでしょうが、何ともルーズな婚姻制だと思います。
(るいネット「日本の交叉婚の特殊性」より引用)
日本の交叉総偶婚は兄妹婚黙認の【拡大総偶婚】とでもいうべき世界史的にも非常に希な形態です。
集団の人数が増えても、充足・集団統合から婚姻形態が決められ、縄文人の共同性や期待応望によるみんなの充足に重きが置かれていた事がわかります。
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以上が、縄文時代の婚姻制度でした。
しかし、渡来人が入ってきた弥生時代は、【拡大総偶婚⇒対偶婚(一対一の関係)】へ劇的に変わって行きます。この変化には、私有意識や私権観念が流入してきた事を意味すると思われます。
次回は、弥生時代の婚姻制度を追求していきます。
ご期待ください
- by yidaki
- at 09:51

comments
>日本の交叉総偶婚は兄妹婚黙認の【拡大総偶婚】とでもいうべき世界史的にも非常に希な形態です。
>集団の人数が増えても、充足・集団統合から婚姻形態が決められ、縄文人の共同性や期待応望によるみんなの充足に重きが置かれていた事がわかります。
結婚は自分課題と思い込んでいたのですが、 日本では、婚姻制度も、集団のみんなが充足できるかどうに重きを置いて、決められていたのですね。
コメントありがとうございます。
この縄文時代には現代のような一対婚規範(一夫一婦制)など当然なく、婚姻も集団課題としてみんなが充足できる形に収束した婚姻制度だったのだと思います。
日本における婚姻制度の大きな変化は、弥生時代になってからのようです。弥生時代に入ると、私権観念や私有意識が芽生えてきます。
次回を楽しみにしててください。
日本にも本当に厳格な交叉婚があったのか、以前から疑問でした。
夜這いがずっと続いてきたことを考えると、村内婚、つまり兄妹婚の延長のように思えます。
歌垣の風習のほうがむしろ交叉婚(またはクナド婚?)に近いように思いますが、これは縄文時代からあったのか、大陸から持ち込まれたのか、疑問が残っています。
>大杉さん
お久しぶりです。
「歌垣」について仲間で話し合いました。
naotoさんが、『日本婚姻史1~その5:弥生時代前期の婚姻制度【持ち込まれた私婚制】』で、「歌垣」について触れてくれましたが、日本では「歌垣」を原形として、「妻問婚」が誕生したと考えるのがすっきりしそうです。
そう考えると、弥生時代に入ってから、大陸から持ち込まれたものだと考えられます。