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2010年03月20日

日本婚姻史1~その6:弥生時代後期の婚姻制度【支配層内で萌芽した私婚制】

初めて参加させて頂きます。今後しっかり勉強させて頂きます。
前回は、弥生時代前期の婚姻制について追求されました。今回は、その弥生時代後期から大和時代に向かう間の婚姻制について考えたいと思います。
弥生時代後期の婚姻制度を考える上で、弥生時代は何時ごろか?を考えておかなければ成りません。現在の通説では、紀元前10世紀から3世紀(邪馬台国形成前)と言われています。紀元前10世紀は、縄文時代末期から水稲(温帯ジャポニカ)導入が判明してきてます。水稲は、江南地方からの渡来人の手によって直接大陸から乃至朝鮮半島を経由して日本に流入して来たと考えられます。ただ、紀元前10世紀頃(弥生時代前期)は大陸から多くの人々は渡来せず、少数の渡来人が縄文人に受け入れられ両者が上手く融合し、縄文人の総偶婚に渡来人も順応していたのだと思います。
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〔吉野ヶ里遺跡〕

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時代が進み弥生時代の中期から後期(紀元前5世紀以降)に掛けて、大陸から大量の人々が渡来した頃から、縄文人が築き上げて来た婚姻制度が大きく変質していく事になります。多くの渡来人が日本に来ていますが、渡来の波は紀元前5世紀以降4回あるといわれています。その中でも婚姻制度に
一番大きな影響を及ぼしたのは、第一波と考えていいでしょう。
 【渡来人の動きと国内勢力①(紀元前5世紀~3世紀)】

【日本と渡来人】~概観
日本地域には多くの渡来人が来ている。渡来の波は大きく4回あるといわれるが、これには東アジア全体の動きと、日本(ここでは地域名として日本を使う)の王権の伸張、そして日本の朝鮮半島、大陸政策との関係を考えなければならない。言い換えると、王権との関係で渡来人(=帰化人)をどう考えるかということである。渡来人が日本に来たということともに、渡来人を日本に引きつける日本側の力も大きかったと言うことである。
さらに王権と関係を持った渡来人以外にも、日本に渡来した人々がいた。長野県に見られる渡来人関係の遺跡など、中央との関係では説明の付きにくいものもあるからだ。⇒長野にある高句麗系の大室古墳群リンク
【第1波 紀元前5世紀-3世紀】~中国の戦国時代発の渡来人
第1の波は紀元前5世紀から始まる波である。中国では戦国時代(403-221)で、群雄割拠の時代を迎えていた。そのため中国から朝鮮半島に移る人が多く、さらにこれに押し出されるように朝鮮半島から日本に来た人々が多くいた。彼らの持っている稲作の技術によって、日本はそれまでの縄文時代から農耕を中心の弥生時代に移行した。集落も稲作に適した平野の近くに作られるようになった。

 【負組渡来人が日本に終着した】

この図解を見て気が付くのはいずれも負けた輩が日本に漂着しているということである。
●倭国大乱で押し出されて新羅系、百済系が日本へ大量漂着
●継体天皇~任那王本人?(物部が担ぎ出す)←王が任那から逃亡?
●百済から天智勢力がヤマトへ到着←百済から背走(その後百済滅亡)       
百済勢力による巻き返し
●新羅から天武到着←新羅と唐の圧力がヤマトへ
百済勢力⇒新羅勢力へ
唯一違うのが天武のケース(天武だけは背走ではなく管理の為に日本に赴いた)。しかしこれすら、本国である新羅から主流ではなく放り出された可能性もある。猛々しい高句麗人とて、7世紀に入ってきた輩はすでに国土を奪われて日本にたどり着いた敗賊である。
無血革命に近い形で日本の中央集権が成され、そのまま律令制へ移行していった流れは隣国の血なまぐさい歴史から見れば特異でもある。
その理由のひとつに大和は負け組み渡来人が作った国という見方はできるのではないか?負け組みと言えば聞こえはよくないが、私権社会の負け組みである。裏返せば渡来人とて、私権性の低い民族の集積がその後の戦いを好まない日本人の体質を作っていった。
これだけの大量渡来人を受け入れながらも数的に圧倒的に少ない縄文人の体質を現在まで温存できているのは、渡来人と縄文人の間に相通じるものがあったのではないか。
つまり、日本人の形成とは縄文人の渡来人受け入れの歴史であると同時に渡来人の縄文体質への融合の歴史でもあったのだ。
ここでも言われている通り、渡来した人々は中国の戦国時代(私権の争い)の戦いの敗者が中国を逃れて渡来と考えられます。私権闘争の経験を持つ渡来人が私権意識を強固に持って来た事は確実で、その大量の人々の流入よって、私権制度を基礎にした私婚制(父系一対婚)を拡大し強固な制度確立に向かったのだと考えられます。

 【日本婚姻史5 妻問婚~大和時代~】 

妻問婚の場と父系胎生
縄文時代のヒロバをもった環状式から、弥生時代になると住居跡が塊状式になり、古墳期前後になると大小の規模をもった竪穴群が特徴的になる。古墳期の大小規模の竪穴群は、大屋妻屋式集落とよび、ヤカラ共同体とみて、典型的な妻問婚の場に比定する。
大屋は母屋とも中つ屋ともいい、トジ・トネおよび長老たち(これらをオヤといった)の詰所であり、同時に共同祭祀や会食等の場所でもあったろう。トジ・トネは夫婦ではなく、沖縄祭治村でのネーガン(根神)とネンチュー(根人)のように、姉と弟であるのを原則とした複式族長であった。
この大屋をとりまいて、ヘヤ、クルワ、マキなどとよばれる妻屋群があったわけで、倉庫、産屋、カマ屋、若者小屋等もあったろうが、やはり代表は妻や母たちの婚姻用や育児用の小屋であったろう。(妻=ツマは大家をめぐる端の小屋という意。)
この期の基本的矛盾は、各共同体間の経済力の不均衡にあったが、有力共同体と弱小共同体との間に、征服被征服の意味をもった擬制同族化同盟がもたれ、それがひいて「氏姓時代」というヤマト大部族連合時代をもたらした。この段階の征服被征服は共同体の破壊とはならず、それを温存した擬制同族化の形で成された。
有力共同体が弱小共同体を征服して、それを擬制同族化する方式には武力も伴うが、それと同時に征平をコトムケ(言向け)、服属をマツロフ(祭る)というように、被征服者の共同体を破壊せずに存続したまま、自己側の祭祀圏にくみいれる方式や、通婚圏(原始社会では通婚圏は同族圏であった)を、大胆に拡大する方式、つまり「記・紀」「風土記」等の大国主、景行、ヤマトタケル、応神等の妻問い緒説話などに反映しているように、大族の族長らの、遠近の同族異族に対する妻問婚によって、盛んに父系観念を育成し、各妻方の妻屋に生まれた子を中心に、その一族を擬制同族化し、あるいは同盟氏族に、あるいは部民とする政策がとられた。
大化以前には、帰化人たると部民たるを問わない自由婚の習慣があったが、このことも前記の征服政策を助長した。こうして征服者も被征服者も、革命的な展開をとらないで、原始共同体(母系氏族制)の原型を、歪めはしたがもち続けて大化におよんだ。
共同体の大屋妻屋方式では、はじめは妻屋は共同体側で建てられ、オヤの管理下にあったが、赤人の歌に「伏屋建て妻問いしけむ」とあるように、庶民の間でも夫の手で妻側の屋敷に妻屋が建てられ、そこに妻と子をこめて独占する形が生まれてくる。
一人の女性が必ずしも一夫ではなく、多夫をも通わせる俗と並んで、このような一夫による独占的形態が芽生えたとことは、大氏の族長相続が父系に変わったこと、つまりこれら妻方部落の妻屋で生まれて育った子の中から、その父である大氏の族長が、自分の相続者を指定するようになったことに照応する。ここに妻屋での父系胎生と、父系母所制段階での族長相続の方式が観察される。

以上の婚姻制度は、ここで分析されている通り族長相続方式を基本に支配層のみに支持されました。そしてその後の私有婚制が現在まで続いてきたのです。ただ全ての人々がその私婚認識に収束したのではなくて、一般庶民は昭和30年位までは一部の地域で「夜這い婚」が存続していた事を考えれば、延々と縄文人の総偶婚観念が残存していたのだと考えられます。
次回は、大和時代以降の婚姻制度について考えます。
婚姻制度に私有観念が組み込まれ、私権社会の基礎が築かれていきます。現代社会の婚姻制度に繋がる分析に、ご期待ください!

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comments

すいません。たくさん重要なことが書かれているとは思うのですが、引用が多いせいもあるかとは思いますが、なにやら文章が難しくてよくわかりませんでした。一般ピープルとしては、もう少し噛み砕いて説明して頂けると有難いです。

  • ABURON
  • 2010年8月17日 21:56

コメントありがとうございます。
詰め込みすぎた上に、引用文は論文用語そのままで分りにくかったかもしれません。多少は意訳したのですが、もっと噛み砕くようにしたいと思います。

  • 2010年8月19日 02:04

とっても分かりやすいです。レヴィ・ストロースは『神話論理』から手を出しましたが、『親族の基本構造』もここで勉強してから、読みたいと思います。

  • りき
  • 2010年10月20日 08:52

りきさま。コメントありがとうございます。
ここで概略を掴んでもらえると嬉しいです。
いきなり本はきついと思います。日本ではほとんど紹介されていませんが、批判的な人もいるようです。
私なりの総括はシリーズ10(↓)ですので、参考にしてください。
http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/10/000887.html

  • 2010年10月21日 16:57

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