2010年05月05日
日本語の成り立ち(文字編)11~殷の家族関係~
日本語の成り立ち(文字編)10~神話と呪術~に続いて殷の家族関係を、まず系図からみることにします。
殷の系図 →右図。クリックすると大きくなります。
第一系は神様で自然神が主。たとえば相土などは土地の神様、冥は暗黒という神様というように、天地の創成、日月昼夜の移り変わりを神話的な系譜として記したもの。
第二系から、大きな字は[史記]の殷本紀に書かれている系譜で、小さい字で横に書いてあるのが甲骨文に出てくる名だが、4万片ほどの甲骨文でこの系図は実証されている。
このように祖先の系譜とは別に神話があって、それが王統譜につながり組み込まれて、絶対王朝が生まれた。
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系図にみえる名前のつけ方や、王位を継承する順位、干支の用い方などから、継続上二つのクラスがあり、甲乙のクラス、次に丙丁のクラスが継ぐというように、交替の形で行なわれたと推定される。相互に王位継承が行なわれることから、王統の間で近親婚、つまりイトコ婚が行なわれていることを予想させる。
交替婚であって直系でなかった証拠に、ある王様が亡くなると、その次は兄弟相続をしているが、そのときにト辞を扱う貞人といわれる人が全員かわり、ト辞の形式が全部変わる。
普通の王位継承なら、先王の組織を大部分承け継ぐのが一般的だが、全員入れ替わってしまうのは、二つのグループがあって、次はこちらが相続するというように用意されている状態でなければできない。(この点は、日本の王室の継続法に非常によく似ている。)
親族称謂と家族関係
婚姻の形態や親族称謂の分化は、家族制度の展開を示す有力な指標とされる。
大体、親族称謂は、未開社会においては極めて厳密に区別されている。
モルガンの[古代社会]などをみると、それぞれの氏族の、お互いの間のよびかた、その序列的なよびかたまで大変厳しく規定されている。
のちにレヴィ=ストロースも[親族の基本構造]において、北米インディアン~汎太平洋域の未開氏族の親族称謂を詳しく調べて、組織様態の相違はあるものの、いずれも整然たる体系があることを発見した。
モルガンの調査を受けてエンゲルスは社会進化の理論に用いて唯物史観に組み入れた。いわば進化論的な解釈をした。(モルガンについては家族・婚姻に関する人類学の系譜2(モルガン社会進化主義)を参照。)
ところが、すべての民族がこの未開社会の親族関係から出発して次第に変化していったのではなくて、むしろこういった組織を持たないままに文化民族として展開してきた。
中国の殷王朝、わが国の古代王朝を見ても、そういったいわばエクソガミー(外婚制)、つまり自分の氏族関係以外から妻を娶る、しかもそれを組織的に、体系的に継続するというような形態を立証するものは何もない。
(わが国の王統譜は、王妃には大抵王族の方が加わり、それから当時の豪族から5、6人の妃が並んでいる。「入婿婚」で一代ごとに新しい妃の居所が皇居となり、男系の継統法が確立する以前の状態がずっと奈良に都が定まるまで続いた。)
殷の「三勾兵(サンコウヘイ)」(右図)という戈に似たものの刃部に先祖たちの名が記されている。
三器のうち一番下(左)から、
大兄、兄、兄、兄、兄、兄
と並び、次には、
祖、大父、大父、中父、父、父、父
とある。
父や祖父が何人も同じ列に並ぶことは考えられないので、父を何びととも定めがたいような乱婚の時代があったのであろうとの解釈もあった。しかし祖父に当たるものが何人も並ぶ血縁関係は考えようもない。
そうすると、これは祖とよばれる家筋のものが何軒かあって、その何軒かの家筋の祖を列記したものであろう。つまり単一の家族の流れではなくて、氏族を構成するいく筋もの家系があり、それを列記したものであると思われる。それは類別呼称といわれるもので、氏族内の幾筋もの家系を同じ呼び方でよんでいるのだろう。
未開社会では厳密であるところのものが、文化民族の場合はかえって厳密を欠くところがある。
これは、未開社会の場合には、例えば此方の部落からお嫁を出すと、こちらの方としては重要な生産力の担い手が一人減るわけだから、向うからも必ず一人見返りに貰わなければならない。採算が取れないので、結婚は取引の関係になる。そういう取引のような関係が何代か続くと一定の組織された形になる。
未開社会におけるこのような交替婚、その結果生まれた整然たる体系は、極めて限られた、生産的にも経済的にも社会的にも非常に限られた範囲でくり返される結婚では、バランスを保つための組織形態が生まれるということではないか。
しかし古代王朝では大きな権力を持ち広大な地域を支配するので、こういう地域の利害による取引関係の結婚はありえない。それに優位する別の原理が支配する。それは霊的な力、恐らく血によって伝承されるところの霊的な力の継承であろう。近親婚もその血統を純化すると考えていたであろう。
父権家族と姓組織は遊牧族から
父権家族の典型的な形態は遊牧族においてみることができる。
また西方の諸族の間には明らかに姓組織があり、その通婚関係が一定していた。姫(き)・羌(きょう)二姓の関係はその代表的なもので、相互に通婚の関係を維持している。一定の氏族の間では通婚を禁ずるエクソガミー、すなわち同姓不婚の原則は、周のものである。
殷などの東夷の沿海諸族の間には、その明確な遺制を求めることは困難である。
婦人の座
子に入嫁したものを婦というが、殷代には婦好・婦妌のように、婦はその出自の家の名を以てよばれる。夫の姓に従わぬことは今と同じである。
婦の初文は帚(ふ)とかかれ、寝の字形からも知られるように、神殿を清めるための束茅(かや)の類である。寝は神(祖霊)の安んずるところ、帚は酒をふりそそぎ、その芳香をもって祭壇を清めた。
婦人のつとめは、宗廟の祭祀にいそしむにあるとされたのは、新たに入嫁したその氏族神に加入の許可を受けなければならないためだが、あるいは古く母系制の時代に発するものかも知れない。
また婦好のごときは、軍旅を従え征旅に赴く例などもある。婦人自ら出軍したかどうかは別としても、これは婦人の実家が、王室に対してこのような軍事的義務を負うていたものと考えられ、しかもそれが婦人の名において行なわれるところに、母系制の遺存というべき問題がある。
マリノフスキーの報告するトロブリアンド族の社会では、ウリグブとよばれる俗があって、実家がその婚嫁先に対して種々の義務を負う、いわゆる聚嫁婚(しゅうかこん)の形態があるという。それは通婚による他氏族支配の一形態である。
殷王室の多子と、これに婚嫁するいわゆる多婦という関係においても、この聚嫁婚的な支配関係は成立しうる。親族呼称のうちに群別呼称が用いられ、また多子・多婦・多生のような集合的名称が多く行なわれていることは、殷の親族構成が、大家族的な組織を基本にして成立つものであることを示している。
(引用文献:白川静『文字講話1』、『漢字の世界2』、『漢字-生い立ちとその背景-』
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中国や日本の古代王朝は、兄妹婚から発展したイトコ婚の段階と考えられるが、イトコ婚と言っても、モルガンのいうところの厳密な交叉婚(部族内・他氏族間)ではなく、氏族内・他家系間(つまり兄弟間)とも言うべき、兄妹婚に非常に近いものである。(日本の交叉婚の特殊性はこちらを参照。)
それに対して未開部族の交叉婚は、ある意味で袋小路に入った半閉鎖社会における交換・平衡システムといえるかもしれません。
前11世紀、中国大陸では、西方から族外婚(部族内・他氏族間から、部族外婚)へ移行した遊牧派生の部族が中央の覇権をめざして進出してきます。そして殷は滅ぼされ西周の時代に移行します。
以後、父系私有婚はもとより、同姓不婚が支配的になることから、部族間の同類闘争を制覇・統合するには、他氏族婚・部族外婚のほうが適合的だったと言えるのかもしれません。
そして祭政一致による部族連合ではもやは統合できなくなる時代を迎えます。
では、西周はどのようにして登場したか?次回をお楽しみに
- posted by okatti at : 2010年05月05日 | コメント (6件)| トラックバック (0)
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comments
“人類は外圧適応態”この認識は当たり前のようでいて非常に重要だと思う。
私自身、子どもを持って考えるよく悩むのは、危険(外圧)に晒すべきか?遠ざけるべきか?と言うこと。
外圧に対峙することでしか成長しない、と言うことは分かっているはずなのに、遠ざけることをしていることも多い。
ヘヤーの子どもに対する肯定視見習いたいと思う。
人が何かを学ぶ、ものにするには、そのときの主圧力たる外圧に向き合わせることが不可欠である、そしてそれは現在でも十分に可能であり、同類圧力=何らかの生産集団や社会に向き合うことが重要になると言うのは、なるほど!と思いました。
「共同体社会に子育てを学ぶ」と言うことは、このように、その子育て観から普遍構造を見いだしていくことなのかもしれないですね。
>人が何かを学ぶ、ものにするには、そのときの主圧力たる外圧に向き合わせることが不可欠である。
主圧力たる同類圧力に向き合うという視点からはそれでは甚だ不十分です。少なくとも何らかの生産集団、場合によっては社会という対象に向き合うことでのみ、同類圧力から子どもが学ぶことができるのではないでしょうか。
同感です。
主圧力から隔絶した状態で、何をまなんでいくことができるのか?もしくは役に立つのか?
主圧力が、自然圧力から同類圧力に変わった点。同類圧力に対応していくには、対象を拡げていく点。に納得です。
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