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2010年05月15日

日本婚姻史2~その5:夜這いの解体と一夫一婦制の確立2

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かつて、日本に存在した「夜這い」。これまで・・・・・・
日本婚姻史2~その1:夜這い婚とは? 
日本婚姻史2~その2:地域の教育組織「若衆」「若者組」「娘組」 
日本婚姻史2~その3:夜這(オコモリ)は女性から若衆への期待
日本婚姻史2~その4:夜這いの解体と一夫一婦制の確立1
と見てきました。
これまでの記事でわかってきたのは、夜這いが、日本の村落共同体にとって実に適応的な男女関係規範であり、役割規範であり、若者の教育の場であったということです。夜這いは、村落共同体を存続させうる実践的なな答えとして日本中に存在しました。
しかし、日本の農村社会に長らく根付いてきた夜這いも、歴史の変化とともに変わっていきます。今日は、明治期の社会変化が村落共同体にどのような影響を与えたのかを扱います。

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夜這いの解体と一夫一婦制の確立2
<明治時代 一夫一婦制実施>
明治になって男女の結婚関係にも国家権力が介入するようになり、法令的な届出と戸籍記載による公認方式がとられ、一夫一婦制が実施された。これによって事実として結婚していても、登記しないと結婚とは認めず、「内縁」関係として私的に承認することになったが、こうした男と女の「法律」的慣行は、もともと日本の民俗としては存在せず、ただ国家権力によって導入されたものにすぎない。私たちの古い性民俗は多重的であって、単層的、つまり単一の法定的結婚様式をとらなかったのである。このことを理解しないと、夜這いその他の性民俗の性格がわからないだろう。

上記の戸籍記載に関する法律=戸籍法は明治4年(1871年)に整備されています。
当初の戸籍法は不備が多く国民の実態を把握するには足りなかったようですが、明治政府が設立当初に法整備していることから、その位置づけが重要なものであったことがうかがえます。
しかし、赤松啓介が「単一の法定的結婚様式をとらなかったのである」と指摘しているように、この法律は、村落共同体には馴染まないものだったと言えるでしょう。現在の私たちは、結婚をするなら役所に届出(婚姻届)を出すことを当然と思っていますが、明治初期の村落共同体には、そのような概念が存在しなかったということです。
ところが、明治政府の近代化政策=市場化政策によって、事態は激変していきます。

夜這いの解体と一夫一婦制の確立2
<明治時代 資本主義侵入>
電灯の普及と民家の構造変化も、夜這いの廃絶のために打撃を与えたのは確かだが、やはり資本主義の侵入、商品流通の社会構造の変革が根本的素因と思われる。
明治政府は、封建領主ですらしなかったような、まさに掠奪的地租を賦課して農村を荒廃に導いたのである。それは予定されたことで、いわゆる資本の原始蓄積、産業の資本造出のための手段であることは明らかであった。かくして土地を奪われた農民は都市へ流出し、産業資本のために安価な労働力を提供する貧民として定着する。ムラには、相互扶助の伝統があった。しかし土地を自ら放棄し、都市へ欠落ちしなければならなかった人たちは、出身の郷村とも絶縁するようにして都市へ逃亡する。低賃金による酷使と重労働、災害による死傷、都市の一隅への集中、貧民街の成立、こうして労働者、貧民の子女は遊廓その他へ売り渡され、残った妻たちも潜行的売春で漸く露命をつなぐという図式ができた。多くの親たちの中には、進んで子供を売り渡した者もあっただろう。しかし、その意識がどうであれ、娘や子供を年季奉公で売り渡し、遂には妻にまで売春させねば生きてられないような、荒廃した世界を富国強兵とか、万国無比の国体の影で築き上げた独占資本と国家との責任は、さらに重大なものであったといわねばならぬ。

国家繁栄の代償として、農民たちが悲惨な目にあったことが記されています。
どうゆう構造でそんなことになったのか。この当時の明治政府の政策とその意図について、詳しい記述がるいネットにありました。

明治初期の国家政策と共同体の崩壊 【その1】
明治初期における国家政策はどうであったか?

■■国家収入の安定化が喫緊の課題
明治新政府にとって、欧米列強に伍するため国家財政を安定させることが急務であった。そのためには安定した税収=封建的諸制度の改革は必須であり、その税によって殖産興業・富国強兵を図ろうとした。
次に、殖産興業のためには、誰を資本投資家にするか、誰を労働力の担い手にするかも、重要な課題だった。
具体的に言えば、当時は地租が国家収入の90%を占めており、地租の近代化と、農村に依存する封建制からの脱却⇒産業構造の近代化が求められていた。
■■地租改正の経緯
1870(明治3)年6月、薩摩の大久保利通(41歳)・松方正義(36歳)と長州の井上馨(36歳)らは、地租改正意見を提出。
1871(明治4)年9月、「田畑勝手作」が許可され、利潤追求のためにどのような作物も栽培可能に。
12月、華族・士族・卒族に職業の自由を公認。
1872(明治5)年2月、地価を定めるために、「田畑永代売買」の解禁を布告。その内容は、次の通り。
(1)地目・反別・地価を記入した地券(土地所有権確認書)を発行し、年貢負担者(地主・自作農)に交付。その結果、封建的領有制が解体。
(2)地価は、田畑面積・収穫高・平均米価等による土地価格。
(3)土地は、不動産として所有権を明確化され、ここに土地の私有制度が確立。
1873(明治6)年7月、地租改正条例公布。徴税の主役を農民とし、江戸時代の歳入を減じないという方針で、その骨子を決定。
(1)課税基準は、江戸時代の石高(玄米収穫高)を廃止し、地価とする。
(2)納税法は、江戸時代の現物納を廃止し、金納とする。
(3)税率は、地価の100分の3(3%)とし、地租の3分の1を民費として金納し、地方税に充てる。
(4)税率は、豊凶に関係なく一定とする。
(5)納税者は、江戸時代の耕作者を廃止し、地券の所有権者(地主)から取り立てる。
 
■■地租改正の結果
(1)国家財政に占める地租の割合は、1874年(80%)、1877年地租2.5%に引き下げ(70%)、1887年所得税導入(42%)、1891年(36%)と年々減少。地租の割合の減少は、それ以外の課税対象(所得税・法人税)が生まれたこと、すなわち農村依存から脱皮し、産業構造の近代化が進んだことを意味する。
(2)年々上昇する地価に課税したり、税率を豊凶に関係なく全国一律にし、金納化することで、国家歳入が計算できるようになった。この結果、近代的租税体系が確立。
(3)税金の金納化は、現金化できる商品や付加価値の高い商品の開発・生産を促し、より資本主義化を進めることになった。
参考

租税の金納化は近代資本主義国家にとっては必須のシステムです。
古い封建制度は、現物(日本であれば米)による経済でまわっていましたが、それは完全な実体経済システム。農地と農民の生産力を上回る経済発展はほとんど見込めません。これに対して、貨幣経済を浸透させれば、いずれは中央銀行制度などを活用した借金経済への移行が可能になります。莫大な資金を必要とする産業の近代化は、これなくしてはありえない。
租税の金納化および資本家階級と労働階級の創出は、いち早く西欧諸国で実施され、帝国主義(=他国への侵略)による繁栄を実現してきました。明治政府は、この成功体験に学び、模倣しようとしたのでしょう。

明治初期の国家政策と共同体の崩壊 【その2】

■■地租改正の目的は資本家の創出
農産物収入の小作人・地主・国家の配分は以下のとおり。
      小作人   地主    国家  
1873年 32%  34.0%  34.0%
1877年 32%  47.3%  20.7%
1881年 32%  56.4%  11.6%
小作人の配分は変動ないが、国家の取り分は激減し、地主の取り分が極端に増加している。これはどういうことなのか?
当時の小作地は全耕地の3分の1。
国家は地主に対して、小作地の所有権を認めた。これをうけて小作人は、地主に対して60%以上の小作料を現物で支払うようになった。貨幣の乱発などで、物価が騰貴(インフレ化)した場合、インフレと関係のない地租で金納する地主の取り分は、ここでも増加した。
反面、自営農民は土地を手放して小作人になったり、都市の労働者となるしかなかった。そして自作農が手放した土地を地主が買い取り、肥大化していく。(肥大化した地主を寄生地主という)
以上の事象は国家が地主を保護している、すなわち、殖産興業の経営者=資本家を育成するために政府が行った政策だということを示している。
国家運営に必要な階層を政策的に作り出した結果、富国強兵のための軍需工場、軍隊、徴兵制による兵隊確保を国家は実現させていった。
■■共同体の崩壊
こうした国家政策の影響をまともに受けたのが農村=共同体である。
当時最大の課税対象となったのが、人口の大多数を占める農民だった。言い換えると農民からいかに税金を取るかが、新政府の最大の課題。
地価の一律3%という地租の設定、かつ豊凶に関係なく一定の税率は確実な税収を国家にもたらす一方で、農民を苦しめることになる。
結果、自営農民は土地を手放して小作人になったり、小作人はさらなる生活苦に陥っていった。そして彼らの一部は農村を離れるしかなくなり、都市の労働者となって“殖産興業”を下支えすることになる。
こうして、日本に息づいていた共同体は確実に崩壊してゆくのである。
参考

資本主義の導入には、資本家階級の創出が必要です。一部の資本家に冨を集中させ、殖産興業を後押しする巨額の投資を生み出す仕組みを創出しなければならない。
裏を返せば、搾取する対象がいなければ、そのようなシステムは成立しません。国民の大多数を占める農民を搾取の対象とし、漏れなく搾取する必要があります。すなわち「個人」として搾取対象を管理する必要がある(=戸籍)。村落共同体の「集団」は解体するのが得策です。
もっと大きく見れば、「個人」が「私有すること」を最大の目的とする資本主義社会にとって、「共有すること」を当たり前としている「集団」は、その思想に真っ向から対立するもの。そんなものは、いち早く解体してしおうと考えることもできます。
・・・明治政府がどこまで考えていたのかはわかりませんが、資本主義を本格導入するにあたって、もしかすると、夜這いの性規範が敵対物として見られたのかもしれません。なぜなら、市場拡大には「性を幻想化し女性のもつ性権力を上昇させること」が必須だからです。これに対して「性を集団で共有し、幻想どころか全くの日常として取り込んでいる集団」は、市場拡大の足かせにしかなりません。そんなものが日本中にあっては、将来的な市場拡大は見込めない。
もし、明治政府がそこまで考えていたのなら、市場の性質をよく認識した、ある意味で非常に賢い支配者だったのかもしれない・・・。そんなことを考えてしまいました。

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