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2010年08月04日

「本格追求シリーズ3 共同体社会に学ぶ子育て」8.江戸時代の子育て本ブーム(?)とは?

「子育て」の視点から婚姻様式や共同体社会の社会構造について追求する本シリーズ。
前回は明治から昭和初期の子育てについて分析しましたが、今回は再び江戸時代に戻って、その子育て観について見ていきたいと思います。
kosodatesyo023.gif
江戸時代の子育て本の一つ「脇坂義堂著 撫育草」
画像は小泉吉永さんのホームページより頂きました。
江戸時代の子育て観については、これまでも2回特集してきました。
「本格追求シリーズ3 共同体社会に学ぶ子育て」5.江戸に学ぶ人育て人づくり 
「本格追求シリーズ3 共同体社会に学ぶ子育て」6.子替えの仕組み
この2つの記事は、江戸時代後期の農村における子育て観を取り上げたものでした。
今回は、都市部にも視点を広げて見ていきたいと思います。
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■江戸時代の子育て本ブーム?
現代、世にはたくさんの子育て本が溢れています。地域共同体の子育て基盤が失われ、核家族化が進むほどに子育て本の出版数は増えていると考えられますが、驚くべきことに、今を遡ることはるか昔、江戸時代にも子育て本ブーム(?)があったようです
以下は、江戸時代に発行された子育て本の一部です。
・貝原益軒著 和俗童子訓(1630年)
・香月牛山著 小児必要養生草(1710年)
・脇坂義堂著 撫育草(1796年)
この他にも、こちらを見ていただければ、非常に多くの子育て本が出されていることが解ります。
江戸の子育て書
■子育て本が必要とされる背景は?
江戸時代にこのような子育て本が出版されていたことには驚きを感じます
そこにはどのような背景が存在するのでしょうか?
まず、これら子育て本の読者は、“農村“ではないと断定できます。
農村=村落共同体においては、伝統的な子育ての智恵や規範が引き継がれており、文字通り村落みんなで子供を育てていたため、子育て本など不要でした。
例えば、「しつけ」について考えた時、村落共同体では、「(子どもは)七つまでは神のうち」と考え、7歳ごろまで子供は分別がないので、厳しくしつけるのは良くないと当たり前に考えられていました。(このため、厳しいしつけを重要視する外国人から見て、日本は非常に子供に寛容であると驚かれたと言います)
これに対して、先に紹介した子育て本では、著者によってしつけに対する考え方が全く違っています。
例えば、先に紹介した貝原益軒の和俗童子訓では、「小児をかわいがりすぎてはいけない」「むしろ厳しい態度で接するべきである」と勧めています。一方、脇坂義堂の「撫育草」では「穏和に育てるのが一番いい」「悪いことをしたときに強く折檻するより、よいことをしたときに十分にほめてやればよい」と記しています。
このようなしつけ観の違いは、著者の価値観や寄って立つ思想の違いによって生じていると考えられますが、いずれにしろ、しっかりとしたしつけ観を有していた農村にとっては、いずれの思想も無用の長物でした。
むしろ農村においては、子供は「(放って置いても)みんなの中で自然に育つ」ものであり、子育てどうする?と言った意識や、取り立てて子育てを重要視する意識も生じ得なかったと考えられます。
逆に言えば「子育て本」は、(現代と同じように)どのようにすれば子育てが上手く行くのか解らないと言う意識や、「自分の子供は立派に育てたい」と言う特別視の意識があって初めて必要とされると言えます。
これが、江戸時代において子育て本が流行した背景を考える鍵になります 😛
■共同体基盤を失った都市において子育て本が必要とされた
これら子育て本は、江戸時代前期に出版されたものもありますが、江戸中期から急激に増えています。このことから考えて、これら子育て本の主要な“読者”は、都市住人であったと考えられます。
江戸時代中期は、江戸だけでなく様々な都市が発達していく時代でした。

人と物の流れが活発になる中で、城下町・港町・宿場町・門前町・鳥居前町・鉱山町など、さまざまな性格の都市が各地に生まれた。その意味で江戸時代の日本は「都市の時代」であったという評価がある。18世紀の初めころの京都と大坂はともに40万近い人口をかかえていた。同期の江戸は、人口100万人前後に達しており、日本最大の消費都市であるばかりでなく、世界最大の都市でもあった。当時の江戸と大坂を結ぶ東海道が、18世紀には世界で一番人通りの激しい道だったといわれている。(ウィキペディア 江戸時代より)

江戸時代中期は都市が発達、また、紀伊国屋文左衛門に代表されるような豪商が発展する時代でもありました。都市における商取引の発達から商人が成長、同時に農村から家督を相続しない次男以下が奉公人として都市に集まってくる。参考 るいネット投稿:江戸時代の人口抑制について
このような中で、農村共同体のような子育て基盤を持たない層が増加し、それが子育て本需要へと繋がっていったと考えられます。このように考えると、やはり子育ては共同体基盤があって初めて安定的に行われるものであり、(どのような時代であれ)共同体基盤が失われると、子育て不安が社会に広がっていく(→子育て本需要が広がる)と考えられそうです。
■子育て本の中身は?
では、最後にこれらの子育て本の中身について見てみましょう 8)

「香月牛山著 小児必要養生草」
赤ん坊が笑い、話すような仕草をするときは、乳人(乳母)やまわりにいる人がその都度、赤ん坊に話しかけるようにすれば、赤ん坊もよく笑い、その人の真似をして話すような仕草をするものだ。このようにすれば、言葉を話しはじめるのが早いし、人見知りをせず、脳膜炎などの病気になることもない。

「貝原益軒著 和俗童子訓」
厚い衣類を着せ、乳や食事をあたえすぎると、きまって病気が多くなるものだ。薄着をさせ、食事を少なくすれば病気になることは少ない、富貴の家の子は病気が多く、体が弱い。しかし、貧賤の家の子は病気が少なく、体が強い。そうしたことからもわかるだろう。

「脇坂義堂 撫育草」
穏和に育てるのが一番いいと思う。その故は、子どもは知に暗いから、親があまりにもきびしいと、恐れて親しまず、よいことも悪いことも隠すようになる。ただ怖がるだけで、心から服従しないのだ。したがって、なにごとも穏やかにいい聞かせ、よく呑み込んで講堂できるように、穏和に育て上げるのがよい。
・悪いことをしたときに強く折檻するより、よいことをしたときに十分にほめてやれば良い。幼な心に喜び、またほめられようと自然によいことを励み、よいことをしようと思う気持ちから、自然によいことが好きになり、ついには善にいたるものだ。しかし、悪いことをしたときだけ折檻すれば、幼な心にも反発し、ただ折檻されることを恐れる。また悪いことをしたときには、これを隠して知られないようにするものだ。悪いことを隠すのは、大悪にいたるもとであり、しまいには嘘つき、悪人になるから、心から納得せず、ただ怖がらせるだけでは子どものためにならない。十分に穏和にいい聞かせ、教え育てるのがよい。

このように見てみると、非常に当たり前と感じる内容ばかりで、現代の子育て本と書いている内容は変わらないですね。
共同体においては先人達の智恵として引き継がれ、皆が当たり前に有している内容でも、共同体基盤が失われてしまえば、途端に方法論が消失する。子育てにとって、共同体基盤の存在がいかに重要かと言うことが、これら江戸時代の子育て本から感じられるように思います。
さて、本シリーズは「日本における子育て」を離れ、次回から「世界の共同体社会における子育て」へとシリーズを展開していく予定です。
お楽しみに

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