2010年07月14日
「本格追求シリーズ3 共同体社会に学ぶ子育て」5.江戸に学ぶ人育て人づくり
共同体社会に学ぶ子育てシリーズ。本日は第5回目となります。前回までは、晩婚・少子化や児童虐待の実態などの現代の子育て問題や、親達の意識状況について焦点を当ててきましたが、その課題解決の糸口を探るべく、今日は江戸時代の子育てを学んで行こうと思います。
前回までの内容はこちらから
第1回:プロローグ
第2回:現代社会の子育て問題の実態
第3回:現代社会の子育て問題の実態2
第4回:現代社会をめぐる子育ての意識潮流
現在、僕達のチームでは、この課題に向けて様々な書籍を調査していますが、その中で今日は「江戸に学ぶ人育て人づくり」(著作小泉吉永)を扱ってみたいと思います。
江戸に学ぶ人育て人づくり
近世末~昭和前期にかけての躾の実態や、書籍、伝記から日本人特有の躾として次の共通点を上げる。
①しつけの役割は分担される
②しつけは年齢に応じて幼いときから実施すべき
③しつけは厳しくすべきである
④子どもの違反行為には制裁を伴うことがある
⑤親自らが子どもに対し模範を示す必要がある
⑥礼儀作法のしつけは厳しくなすべきである
⑦うそをつかないというのが重要な徳目である
どうでしょうか?現代とあまり変わらない?しかし、この「しつけ」の方法と、「厳しく」の意味が、どうやら現代とは大きく異なるようなのです。
◆地域での躾と人づくり
現代の核家族と違い、同じ屋根の下には、父母、祖父母、兄弟や、乳母、子守等の奉公人がいたし、ときには他人の子を預かったり、捨て子を育てたりという状況であった。また地域には、妊娠・出産から成人までの各段階での擬制的な親子関係(仮親)や読み・書き・算盤や諸芸教育における師弟関係、また子供組・若者組・娘組の年齢集団など重層的な人間関係があった。このように子供の躾や教育があらゆる機会に、様々な人との交流の中でなされていたことは極めて重要である。
このような人づくりの中で、親達は自らが模範となるだけでなく、親以外の第三者による人づくり、すなわち、子どもの社会化を仕掛けていったのである。
現代では、家庭や地域の「教育力」が低下しているとの指摘があるが、「子どもの教育に関する最終的な責任を家族という単位が一身に引き受けざるをえなくなっている」のであり、その責任を「担えきれない家庭」が目立つようになったと見ることができる。
江戸時代にも、親に値しない親や、子育てに失敗した家庭は少なくなかったが、それをフォローする人間関係があり、地域で支え合うネットワークがあった。それに対して、現代の家庭は、核家族の両親、または片親に、子どもの躾が重くのしかかり、密室化した家庭で子育て不安が過度に増幅すれば、ヒステリックな状況が生まれやすくなる。
江戸時代、子ども達への教育は、地域のみんなで行うものだったようです。子どもの社会化を仕掛けるなど、親達の子育て姿勢も、学ぶ点が多いのではないでしょうか。
このような、地域での子育て環境が整っていれば、子育ての中で最も親達を悩ます、規範教育(=躾)についても、上手く進められそうです。
集団・地域・社会が成り立つための方法や、みんなが充足するための工夫を、規範として子ども達に伝えれば良いのであって、現代のような、親達の自己判断や価値観による誤った規範を子ども達に植え付けるような危険性や不安も無くなります。
同じ地域で生活を共有している親達は、共通の規範を子ども達に教えることができたであろうし、子ども達も、地域の様々な大人達から教えられることで、健全に成長していったと考えられます。
◆欧米と日本との教育思想の違い
東洋著書の「日本人のしつけと教育」によると、外国人が理解できない日本人の教育の一つに「悪い子」への寛容があるそうだ。例えば、幼児が悪いことをすると。「○○ちゃんは良い子。良い子だからそんなことはしないでね。」と注意をする。これは外国人から見れば言語道断であり。「悪いことを確認して直させる」のが基本である。ところが日本人は、したことへの善し悪しを言わず、「良い子はどう行動するか」をそれとなく教えるのである。
東氏はその点に「子ども観」を見出す。つまり、欧米では「人は原罪を背負って生まれ、もともと悪への傾向を持っているので、これを直す必要がある」と見るのに対し、日本では伝統的に「人は美徳の性を持って生まれ、教育がそれを開花させる」と考える。
この違いはそのまま体罰観にも表れた。欧米では「心の中の悪を追い出す」ためには体罰が必要と考えた。日本では「生来の善を育んでいく」ために体罰を極力排除することを重視した。
子ども観の違いは、さらに「教え込み型」と「滲み込み型」という教育方法の違いとなっていった。欧米の教え込み型教育は、大人中心の指導型であるのに対し、日本の「滲み込み型」教育は子ども中心の見習い型教育で、子どもと触れ合いながらも大人が模範を示す点に特徴がある。「滲み込み型」は子どもの「気づき」を待つなど手間暇がかかる反面、子どもの心に深く浸透させ、じっくり育てる方法であろう。
人は原罪を持って生まれると考える欧米人と、人は美徳の性をもって生まれると考える日本人。
その思想的な背景から、こうも子育てに対する捉え方が変わってくるのかと、とても面白く感じた部分です。「厳しく」とは、大人達が誠意をもって、繰り返し繰り返し、子ども達に滲み込ませるという意味だったのです。
江戸時代の子育ては、手間暇がかかります。しかし受けた教えを、子ども達が活かしていけそうに思いませんか?罰と教えを結ぶ欧米の子育てでは、規範が負の感情を生起し、活かしていける状況にはならないと思います。
江戸時代の教えは、触れ合い=共認充足を伴って滲み込んでいきます。そのため、子ども達は「充足発」でその教えを守り、活かし、後世にも伝えていってくれたのではないでしょうか。
◆まとめ
江戸時代の子育ては、地域や社会で子ども達に役立ってほしいと願う方法のようです。みんなの中の当事者として、活きていくための人づくり。これが滲み込み型の教育方法なのではないでしょうか。
第4回でも扱ったように、現在では、本源収束の潮流から、人々の意識は、江戸時代に近い状況に転換しつつあるようです。学歴偏重や個人主義教育は影を潜め、子育てサークルや地域支援が充実してきており、お母さん達の意識は、みんなで育てる方向に進んでいるようです。
ただ、明治から現代まで続いた密室家庭化の流れにより、立ち入らない美徳も残存しており、そこが今後の大きな課題となりそうです。地域や集団に家庭を開くことのできる、安心基盤となる子育て環境の構築が、今求められています。
それを探るべく次週は、地域でどのように子育てを行っていったのか?どのように子どもを家庭から集団に出したのか?など、江戸時代の地域子育て手法について、引き続き、探索していきたいと考えています。
- posted by tani at : 2010年07月14日 | コメント (3件)| トラックバック (0)
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hermes clic clac 共同体社会と人類婚姻史 | 現在、世界の婚姻形態は、どう成っているのでしょう?Vol.2 ~フランス編~
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