2010年12月10日
黄河中流域の仰韶・龍山文化-遺跡と婚姻制-
新石器時代前期から後期(9000年前~4000年前)にかけての渭河流域・黄河中流域における集落と墓葬から、集団規模や集団単位・婚姻制を見ます。(参考:宮本一夫著『中国の歴史01 神話から歴史へ』)
下の『新石器時代の時代区分と編年』で、今回扱う時代区分と地域を確認してください。
<要約>
新石器時代前期(9000年前~7000年前)
【9000年前~8200年前まで急激に温暖化し、以後7000年前までやや寒冷化】
単位集団で集団内婚・母系制。後半は単位集団の拡大・二分化
新石器時代中期(7000年前~5000年前)
【7000年前~6500年前まで温暖化、ピーク後ほぼ維持】
姜寨遺跡前期(7000年前~6500年前)は双分制
姜寨遺跡中期(6500年前~6000年前)は四半族による双分制。他集団からの婚入(男女の偏りなし)も見られる
姜寨遺跡後期(6000年前~5600年前)は集団規模の拡大から分村化
史家遺跡段階(5600年前~)からは分村化した集団を統合強化するための血縁単位の集団合葬墓が出現。祖先祭祀による同族意識を集団統合の紐帯とする。父系制に移行すると同時に、一対婚化も進展する。
新石器時代後期(5000年前~4000年前)
【5000年前~3000年前まで乾燥冷涼化】
城址集落が出現、世襲的な首長制社会に発展
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『黄河中流域の新石器時代主要遺跡』は下図のとおりです。
新石器時代前期(9000年前~7000年前)
河南省新鄭(シンテイ)市郊外の裴李崗(ハイリコウ)墓地を例にとると(右図参照)、土器の型式から大きく二時期に墓地が変遷していく。
古い段階の墓地群が低丘陵の東側斜面、新しい段階になると西側斜面にも墓地群が拡大しており、単位集団が二分化して拡大した。集団規模は数十人を単位する程度と考えられる。
墓の副葬品として、男性には畑の土起しや開墾・土木作業に使われる石鏟(セキサン)と呼ばれる石鋤(スキ)が、女性にはアワ・キビを製粉する磨盤・磨棒が対応しており、性別による労働分担が存在していたことが伺える。
このような性別分担は世界の民族例においても広く認められ、性別分担を基本とした組織体制が想定できる。
副葬品としてはこれら以外に土器なども加えられ、墓ごとの多寡が存在しているが、これは被葬者の生前の社会的な地位と関係していよう。この場合男女差はなく、むしろ女性墓の方が厚く葬られる場合が多い。
新石器時代中期(7000年前~5000年前)
陝西省臨潼(リントウ)県姜寨(キョウサイ)遺跡
この地域では6500年前頃には環壕集落が出現している。この頃は最も高温湿潤な時期であり、環境的には農耕がより進展していった段階。
住居群を同時期と見ると上図のように5群で構成されるが、少なくとも三時期に区分できる。(右図の上から1:姜寨遺跡前期、2:中期、3:後期。)
1 姜寨遺跡前期(7000年前~6500年前)には環濠は存在せず、住居入口が相対するように二つの住居群が列状に並んでおり、二つの単位集団から集落が構成されていた。
同集団内での婚姻が禁止される外婚規制のようなものが働き、二集団(半族)間での婚姻関係が想定される。
2 姜寨遺跡中期(6500年前~6000年前)に初めて環濠が掘られ集落を取り囲む。
環濠は集落外からの野獣などの脅威から身を守るものであり、集落の構成員のまとまりやその意識を生み出すものでもある。
集団内がさらに半族として分かれ四つの集団が出現する。
一つの集団(半族)は大型住居を核として周りに中・小型住居が同心円状に配置されている。この四集団が基礎単位となり、安定した双分制による平等的な部族社会が構成されたと考えられる。
姜寨の環濠集落の周りには三つの墓地群が発見されており、四集団に対応した墓地(四つの内一つは河川によって破壊された)と想定される。
その中でもⅢ区墓地は注目され、A・B群は必ず乳幼児や幼児の墓葬である甕棺墓が伴うのに対して、C群には小児用甕棺は存在しない。これをもって、A・B群は出自集団の母胎をなし、C群は他集団からの外婚者と解釈する学者もいる。
3 姜寨遺跡後期(6000年前~5600年前)は状況が大きく変わる。
これまでにない大型住居とその周りの中・小型住居といった一単位の集落構成しか認められない。集団が縮小したのではなく、さらに拡大したことは、集会所として利用される大型住居が中期のものよりはるかに大きくなっていることから想定される。
他の集団は周辺に拡散して新たな拠点的な集落を形成していったと想像されるが、それを立証する材料は今のところ発見されていない。
ただし、姜寨遺跡後期が終わり集落が廃絶した後の仰韶文化史家(シカ)類型段階(5600年前~)になると、姜寨遺跡は多数の集団合葬墓からなる墓場と化する。
集団合葬墓とは複数の死体をあわせて一つの墓壙に再埋葬するもので、この時期に渭河流域では普遍化する習俗である。
陝西省渭南県史家遺跡の合葬墓
頭骨の計測値から婚姻家族による集団墓ではなく、血縁家族単位であることが明らかになっている。
集団規模の拡大から分村化する。そして元々の出自集団の故地と考える地に血縁単位の集団合葬墓をわざわざ作るのは、同族意識を再生産させる場としての役割があった。
祖先祭祀と結びつきながら再埋葬行為を行うことによって血縁的な紐帯を感じ取るものであった。
また、それぞれの墓壙に埋葬された男女数は、未婚者である青年の場合にはばらつきが見られず、既婚者である成人の場合に男性の方が多い傾向がある。
このことは、外婚制により他集団へ婚出し帰属する女性が多いことを示しており、前述の姜寨遺跡Ⅲ区墓地で、他集団の墓地と考えたC群墓地が男女の偏りがないのと異なっている。
婚姻によって女性が他集団へ嫁ぐ仰韶文化史家類型段階は、次第に男系の血縁集団が社会の基礎単位になっていった。
新石器時代中期後葉(5500年前~5000年前)の一対婚家族
一方この段階の集団は、拡大家族からなるものであることが、長屋式住居などの集落構造から明らかになっている。
河南省鄧州(トウシュウ)市八里崗(ハチリコウ)遺跡では新石器時代中期中葉には長屋式住居が出現しているが、より普遍化するのが新石器時代中期後葉の河南省淅川(セキセン)県下王崗(カオウコウ)遺跡や河南省鄭州市大河村(ダイカソン)遺跡などである。
長屋式住居(上図)とは、炉をもった部屋が連結した長屋のようなロングハウスのことで、個々の住居単位は一組の男女からなる婚姻世帯であることが、遺物の組み合わせなどから推定できる。
父系血縁集団を単位として世帯家族が拡大していくのがこの長屋式住居である。
新石器時代後期(5000年前~4000年前)
中期末期になると河南省鄭州市西山遺跡(5300年前~4700年前)に、土塁すなわち城壁で取り囲まれた城址遺跡が出現する。(西山遺跡は中国最古の城塞都市はどこか?を参照。)
城址遺跡は後期には各地で普遍化し、集落の大きさに階層差が生まれる。
例えば山西省陶寺遺跡(4500年前~3900年前)の城壁は、遺跡前期の小城が、南北1000メートル、東西560メートルで、中期の大城が、南北1500メートル、東西1800メートルに達する巨大なものである。こうした大型の城壁をもった城址遺跡を中心に、周囲にはより小さな規模の集落が存在し、有機的に結びついていると考えられている。
城址遺跡の内部も、一般的な竪穴住居や壁立ち住居以外に、基壇をもった壁立ち住居が認められ、これは二里頭文化以降の殷周時代における宮殿や宗廟の前身をなすものであり、集落内部においても階層格差が広がっていた。
さらに建物の下に人を犠牲として埋めた奠基坑(テンキコウ)が設けられる場合もあり、階級社会の出現が見てとれる。
階層格差の進展は陶寺遺跡の墓地にも見られ、700基あまりの墓葬のうち大型墓はわずか1%あまりで、中型墓が11%、小型墓が大半を占める階層的なピラミッド構造をなしている。
墓葬の大きさと副葬品はほぼ対応しており、大型墓は木棺からなり100~200点あまりの副葬品をもつ。副葬品は土器・玉器・彩色の施された木器などからなり、なかでもダ鼓と石磬(セキケイ)をもつ者がより階層上位者で甲種、持たない者を乙種に区分される。
ダ鼓と石磬は楽器であるが、殷周時代の鐘や磬の前身であって祭祀行為に使われるものであり、祭祀を司る支配者像が読み取れる。さらに階層上位者は玉鉞(ギョクエツ)などの軍事権を示す遺物をも持っており、祭祀権と軍事権をもった首長である。
祭祀権と軍事権という殷周社会の王権を構成する要素をもつ首長が、すでに新石器時代後期には存在したのである。
しかも大型甲種墓の被葬者はすべて男性であることが判明しており、男系の血縁集団を核とした階層構造がより進展している。
また、大型甲種墓と大型乙種墓はそれぞれ墓地内での埋葬場所が異なっており、まとまって配置されていることから、階層関係における安定性が示されている。
世襲的な男系血縁集団を階層関係の単位とする首長制社会に達していたのである。
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次回は、黄河下流域(山東)の大汶口・山東龍山文化を見ます。
お楽しみに~
- posted by okatti at : 2010年12月10日 | コメント (5件)| トラックバック (0)
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