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2010年12月25日

シリーズ『共同体社会と本源の心』⑥ ~村落共同体の規範について~

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早いもので、シリーズ『共同体社会と本源の心』も六回目。今回は、共同体の「規範」について紹介します。
「規範」というと、規則や決まりごとということになります。が、そのようなものに対して現代人の私たちは、なんとなく「自由を束縛する疎ましいもの」といったイメージを抱くかもしれません。しかし、集団で仕事をしたり生活する以上は、なんらかの決まりごとがないとまとまらないのも事実。そのように考えると、現代に生きる私たちが間違った「規範」の捉え方をしているようにも思います。
まずは、そういった現在的な「規範」のイメージを棚上げにして、以下の引用文をお読みください。

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るいネットの投稿『村落共同体の規範について』より引用します。
■村落共同体の規範について

まず「規範」についての基本認識ですが、既に今井靖明さんにほとんど言い尽くされているとおりであると私も考えています。つまり「規範」は、集団の存続のために成員によって主体的に定められるルールであると思います。それに対して規範やルールと聞けば、反射的に自分にとってマイナスであるもの、他律的なもの(誰か自分と関係ない人がつくったもの、押し付けられるもの、縛り付けるもの)としてイメージしてしまう発想は、主体的な参加による集団形成の機会を奪われた奴隷の思考方法に他ならないと考えています。
ちなみに村落共同体における規範は、一般的にはムラオキテとムラギメに分かれるそうです。
ムラオキテというのは、継続的な公則の基本法にあたり、そうめったに変えられるものではなかったようです。一方ムラギメのほうは、具体的な執行法にあたるのですが、毎年の初参会で決められ、またムラの集会で状況に応じて随時変更されるものであったようです。
(推測ですが夜這いについていえば、機構そのものの基本はムラオキテであり、具体的な規制等についてはムラギメにあたるのでしょう。)
先人の知恵であり文化的な伝統でもあるムラオキテを継承しつつ、より具体的な事柄については、主体的な合議によるムラギメを併用していたと考えられます。
補足的に言えば、ムラにも階級や権力が全く存在していなかったわけではないでしょうが、若衆組や子ども組などの年齢別の階層組織の自主管理性が重んじられていたことなども考え合わせると、他律的な規制に従わされていたなどというのは誤った歴史認識だといえるでしょう。
またムラの規範や夜這いのルールは、それぞれのムラによってかなり多様であったようで、全く同じものはひとつとしてないとも言われていることから、私は近世の村落共同体というのは、自治性、独自性の高い共同体だったのではないかと考えています。

前提として、かつての日本の農村というのは、かなりの自治権を有していた(東洋と西洋~日本:農村の自治 『惣村』~)という事実があります。それは、お上(国家)が下々の者に自治を行うことを許していたということ。裏を返せば、下々の者が自主的に村を治めることで平安が保たれていたということになります。
全国に数え切れないほどあったであろうムラの規範が、一つとして同じものがないというところからも、中央集権的に統治されている国家とは、根本的に様相が異なることがうかがえます。
いずれにせよ、自分たちが暮らす村の決まりごとを、自分たちでつくっているわけですから、他律的な規制の遵守を強いられている感覚はほとんどないでしょう。
~続き~

そうした規範を何故遵守していたかということについて一言でいえば、集団の存続のためでしょう。おそらく当時のムラの成員のなかにも規範を疎ましく思う感情も一部存在していたとは思いますが、だからといって掟を反古にしてしまうことを正当化してしまっては、共同体は解体してしまうと分かっていたのでしょう。資本主義と国家による中央集権体制が導入される以前は労働市場も確立されていないわけですから、都市に流れて生活を営む余地もあまりなく、まして自由を謳歌することなど望めない時代であったことから、当時においては共同体が解体するということは、同時に個人も存在基盤を失うことを意味していたのではないかと思います。
こうした時代状況を背景に村落共同体は成立していたと考えられるわけですが、集団の存続が第一義であるからには、「規範」が集団の存続にとって好ましくない個人の欲望に優先するのも当然であり、その掟にどうしても従えないというのであればムラを出ていかざるを得ないというのも至極当然のことだったのでしょう。
一般に歴史は不可逆であるので、現代人が昔に逆戻りすることはありえないわけですが、「規範」は自らが主体的に参加して守っていくものであるということは、もっと普遍的に捉えられるべきことなのではないでしょうか。

かつての村落共同体は、それが生産基盤の全てであり、したがって、集団の存続が最優先であるわけです。そのような状況のもとであれば、主体的な参加によって規範をつくり守っていくというのは至極当然のことだと理解できるのではないでしょうか。これは、現在的な「規範」の捉え方とは180度異なるものです。
また、前回の記事にひきつけると、かつての「オヤとコ」という多重関係も、共同体の規範に内包されていた(したがって、現在の親子関係とは異なる)と考えられるでしょう。
最後に、私たち人間にっとて規範意識とは何か?を考察した投稿を引用します。
■規範意識の形成の土台は?

私はエゴを抑制するものとして規範(意識)という機能あるいは言葉を提起しましたが、他にも共感能力、相手との一体感、プラス視、あるいは相手から期待を感じること、そして期待に応える充足感等の様々な現象と機能があげられるでしょう。
そしてそれらが人間の主体の内部に存在することまでは確かでしょう。

ここで考えてみたいのは、言葉以前の不文律としての規範意識は何を土台にしているのかです。

規範意識が人の心の奥底から自ずと湧き上がってくる感情であり、相手のプラス視が人間の相手尊重の最も原点にあるとすれば、それは相手からの期待(を感じる機能と、それに応えることで充足を感じる機能)ではないでしょうか?

このことは赤ん坊が、幼児期の子供が母親や家族たちの表情を見ながら、物事や行動の善悪の判断を徐々に積み重ねていくことで、その後の規範意識の土台を作っていくということからの類推です。

もちろん規範意識は経験の蓄積によっても形成されるでしょう(経験認識や自然認識を元にした諸規範)。それは大脳の発達した動物から受け継いだ機能(記憶回路)を土台にしています。

しかし人間に見られる規範意識はそれとは必ずしも全てが重なるわけではないように思われます。

仮に上記の説に立つとすれば、冒頭に記したそれぞれの現象や機能は、母子のスキンシップを原点とする充足機能(取りあえず親和機能と呼びます)
→相手のプラス視
→それを土台にした、相手の期待を感じ、期待に応えようとする機能(規範意識の土台)
という関係となるのではないかと考えられます。(これら全てを共感機能と呼んでもいいかもしれません)
つまり期待に応えようとする意識が、相互に働き合うことで、規範意識の土台が形成され、更にその土台の上で観念化された社会規範を受容していくのではないでしょうか。

規範意識とは「相手の期待を感じ、期待に応えようとする機能」を原点として形成されるもの。すなわちそれは「充足」を原点にしているということになります。
規範とは、お互いの充足のために存在する本源的なものなのです。

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4大文明のひとつといわれる中国文明の、さらにその前にもこれだけたくさんの古代文明があったとは驚きです。しかもお墓の埋葬の仕方からは、わりと女性が大切にされていた様子などが伺え、今の男中心の社会とは別物だったのですね。
これに続く文明の紹介も楽しみにしています。

  • 火の鳥
  • 2011年7月12日 10:36

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