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2011年01月28日

原始時代の社会期待(10)~共認圧力=活力が農耕への転換を促した

前回は「人類はなぜ大地を耕しはじめたか?」を扱いました。
ヤンガードリアス期という急激な寒冷化(危機)に直面し、食糧が乏しくな中、高まるみんな(集団)の生存期待に応えるために、農耕が始まりでした。意外なことに、人類は、やむををえず農耕を始めたのですね。
このように、寒冷化という自然外圧が契機になって、狩猟採取から農耕への生産様式の転換が起きたのですが、そうならば、なぜ?ヤンガードリアス期の以前の寒冷期に農耕への転換が起こらなかったのでしょうか?言い換えれば、農耕が始まった寒冷期が、ヤンガードリアス期だったのはなぜなのでしょうか?
%E3%83%92%E3%82%A8.jpgヒエ
今日は、この疑問に答えるために、改めてその時代の人類が置かれた外圧状況や社会期待について掘り下げてみます。
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農耕の本質を人工栽培とするなら採集・狩猟(縄文)時代にも存在していますし、何がしかの自然の改変も伴うことになります。事実認識の蓄積に応じて、より効率的な生産方法や道具類を発明していった結果と考えられます。

 このような事実認識の蓄積による生産様式や道具類の発明も、自然圧力だけに帰することはできず(前提となる外圧を形成しますが)、むしろ人類は同類圧力=共認圧力を主活力源として進化してきました。
(中略)
精霊信仰は、同類との間で成立する期待・応望の共認機能を自然に対して作動させて発見したものであり、さまざまな自然の摂理に関する事実観念も、本能や共認回路を充足させるために進化してきました。外敵・自然圧力をほぼ克服して、人口増による同類(縄張り)闘争圧力が最先端の課題になって以降も、共認圧力を主活力源としてきたことに変わりありません。

 採集・狩猟生産時代、人口増による同類闘争圧力に遭遇した人類は、まずは分散・移住することで闘争を回避し、更なる人口増により縄張りを接するようになっても縄張りを侵犯することなく友好関係を維持します。これ以上の人口増に対応するには生産力を上昇させるしか方法はなく、この共認圧力に先導されて栽培技術も発見された。農耕も牧畜も遊牧も、このような潜在的な同類闘争圧力に促されて発明されたと見て間違いないと思われます。
以上、「自然観ではなく集団共認破壊が原因」から引用

人類が農耕を始めるまでの状況を押さえなおしてみます。
【15000年前頃】
弓矢を発明した人類は、防衛力は飛躍的に向上させ、ようやく洞窟生活から脱し、徐々に地上へと生活の場を移します。
地上に進出した人類は、忽ち外敵を駆逐して、繁殖していきます。その結果、繁殖による集団の拡大→分化を繰り返し、同類闘争の潜在的な緊張圧力が働き始めます。ただし、採集部族や狩猟部族は、互いに贈物etc.を通じて友好関係の構築に努め、闘争を回避していました。(贈与についてはシリーズ(5) (6) (7) (8) をご覧下さい)
【13000~11000年前頃】
ヤンガードリアス期に球規模で急速に寒冷化し森林減退してきます。狩猟採集だけでは深刻な食糧不足に陥り、食料生産=農耕・牧畜を開始する必要に迫られます。
%E3%81%B2%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%9F%E3%82%93.jpgヒョウタン
このように、農耕を開始する段階では、すでに潜在的な同類闘争圧力が働いていました。この点が、それまでの寒冷期とは大きく異なる点です。
同類圧力=共認圧力が人類の主活力源です。この潜在的な同類闘争圧力=活力源が観念機能の発達を促し、それまで数百万年にわたり自然を観察・注視し続ける中で蓄積した、自然現象・植物・動物の習性等の知識を屈指することで、洞窟から出てわずかの期間に農耕を可能にしたのではないでしょうか。
だから、農耕が始まった時期は、洞窟を出て地上に進出後(→潜在的な同類闘争圧力)の寒冷期=ヤンガードリアス期だったのではないでしょうか。
%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%8A.jpgアブラナ
農耕開始を社会期待という位相で捉えた場合は、やはり「生存期待」ということになりますが、それは単に本能レベルの欠乏から生じたものではなく、共認回路で察知した「みんな期待」であり、その実現はみんなの充足=自分の充足だったから、それに応えることに万進できたのでしょう。これは、共認充足を最大のエネルギー源とした本源集団だったからこそ成し遂げられたことだとも言えそうですね。
次回は日本にスポットをあてて社会期待と農耕の関係をみていこうと思います。
※写真は「縄文人のくらし/縄文時代には畑でいろいろな作物が作られていました」さんからお借りしました。

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