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2012年12月30日

宗教からみた男女関係 ~武力支配国家の誕生と古代宗教の登場

みなさんこんにちは。
2012年も残すところあと1日ですね。
本年、当ブログでは9月から12月末まで、【宗教から見た男女関係】シリーズとして、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教そして仏教についての分析を行いながら、それぞれの宗教における男女関係についての追求を行ってきました。
今回はそのまとめとなります。
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武力支配国家の誕生と古代宗教の登場

ユダヤ教、仏教、そして儒教は2600年前の同時期に登場し、その300~400年後にそれぞれの地域で統一国家が誕生します。
武力支配国家誕生の前には大規模な戦乱が繰り替えされ、これが古代宗教を誕生させる要因となりました。

それまでの部族連合国家では守護神信仰や神話の共認によって統合されていたが、部族間の緊張圧力や交易や連合、さらには服属部族をどう支配するかといった課題に対しては、部族間の意思疎通が不可欠であり、その部族の中でしか通用しない守護神や神話では統合できない。部族を超えた普遍性のある観念が必要になった。こうして各部族の潜在意識のレベルで社会統合機運が上昇し、それを鋭敏にキャッチして、守護神や神話を超えた、より普遍的な観念(古代宗教)を作り出したのが、釈迦や孔子やユダヤ教の預言者たちである。
るいネットより

部族や単一集団を超えた、普遍性のある観念として古代宗教が生み出されたことにより、始めて超集団的な国家の統合が可能になりました。そういう意味で、これらの古代宗教は人類最初の「社会統合観念」として登場したと言えます。
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ただし、各地域、大きくは西洋と東洋でその統一観念の中身と収束先が違っています。
ユダヤ・ローマを中心とする中近東~西洋地域では、乾燥化による食料圧力が厳しかった為に、戦乱・略奪の程度が激しく、本源集団としての共同体もとことん破壊されていきます。このような中で人工集団(多くは共同体の解体の末に形成された盗賊集団や奴隷集団)が形成され、これを統合する為に構築されたのが、戒律に厳格で自分達を正当化・特別視する思想=ユダヤ教→キリスト教です。これらの宗教は、絶対性の象徴として唯一神を策定しながら、(精神基盤としての共同体が破壊されている為に)非現実的な終末思想を持っているのが大きな特徴です。
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乾燥化の激しい中近東地域における遊牧
一方で、インド~中国と言った東洋地域では、乾燥化の程度と部族的特色から、西洋に比較して略奪・戦乱の程度は緩く、略奪闘争=皆殺しというよりは覇権闘争=支配・服属的な色合いが強くなり、共同体集団が残存していきます。
このため、これらの地域で生まれた古代宗教(儒教・仏教)は、儒教の礼節や仏教の八正道など、現実世界における関係規範や行動規範に収束しているのが特徴です。
(ただし仏教では、古来から根着いている「輪廻」思想とアーリア人による生涯固定の身分制度「カースト制」が存在する現実を変えられなかったために、無常観念という現実否定意識にも収束している。)
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湿潤なモンゴル~中国西北部における遊牧

本源集団・本源共認を破壊して自我に収束した西洋人は、非現実の世界に失われた本源価値を(架空観念として)再構築するしかなく、かつそれが自我に基づくものであるが故に独善的・排他的な絶対観念(ex. 唯一絶対神)への思い込み信仰となるしかなかったのに対して、本源的集団と本源的共認が残存している東洋人の方は、本源規範を私権秩序と整合させることによって現実世界を律しようとした訳である。
実現論より

このように同じ時期に登場した古代宗教でも、東洋と西洋ではその収束軸が大きく違っています。
なお、少し遅れて登場したイスラム教は、ユダヤ・キリスト教と同じ「アブラハムの宗教の系譜」に位置つけられていますが、その内容は東洋的な関係規範・行動規範と同様に本源的な集団原理に根ざしています。
これは、イスラムが、「部族集団が残存している中で、市場化による秩序破壊を食い止める為に形成された思想体系・規範体系」である為と言えます。
以上、まとめて見ると、古代宗教は武力支配国家誕生の中で形成された人類最初の「社会統合観念」であるが、その収束先は集団原理・共同体集団の残存度によって、大きく違っている。とまとめることが出来ます。

古代宗教に見る男女関係

次に古代宗教における男女関係ですが、これも集団原理の残存度と性的自我の捉え方で、中身が大きく違ってきます。
〇ユダヤ教 
・ユダヤ教内部での近親婚を重視。性は集団を拡大する為の生殖行為(やや義務的?)。
・父系制一夫多妻で遊牧部族の婚姻制度を色濃く残している。
・他民族に対しては排他的で強姦さえ問題としていない。
→戒律と近親婚の徹底によって、(人工)集団内は性的自我を制御して集団性を維持。
他部族に対する性的自我は観念で正当化
〇キリスト教
・キリストの誕生から始まり、徹頭徹尾性否定。「セックスは罪深い」もの
・ゲルマンの婚姻制度に宗教的性否定意識を結びつけた一対婚制度を確立
→暴走する性的自我を極端な宗教規範と人工的婚姻制度によって無理やり制御。
(実態は聖職者の間でも不倫や重婚が横行。市場化によって更に加速。)
〇イスラム教
・集団原理に基づいた男女役割共認が重要視され、性は活力源として肯定視。
・戦争下での寡婦の扶助と男女の不均等化を防止する為の一夫多妻制
・ヒジャーブ等によって無益な性闘争・性的自我を防止
→本源的な集団原理に根ざした男女関係。性的自我は社会規範で抑制。
〇仏教
・バラモン教から引き継いだ男性原理。「性否定」と言うよりも徹底的な「性欲封鎖」。
・後期仏教(密教)では土着宗教の性の肯定視を取り入れ、解脱に至る道筋ともされた。
→性闘争・性的自我を宗教規範による「性欲封鎖」によって制御しようとするも、
(性に肯定的な東洋の土地的に)無理が生じ、後期は性の肯定に転換。
教義と矛盾が生じる。
このように見てくると、どの地域・宗教においても、略奪闘争の原因となり、集団を解体させる要因となる性闘争・性的自我を、宗教規範によってどのように抑制するかが主題となってきたことが解ります。
しかしながら、特に共同体の解体の果てに作られた人工集団において、宗教規範・観念で無理やり性的自我を制御することには限界があることは明白です。特に無理やり性的自我を制御してきたキリスト教社会においては、多くの社会的矛盾と混乱を生じてきました。
西洋社会における様々な性的倒錯や性犯罪の横行は、この現れと言えるでしょう。
(仏教も限界に辿りついたが、集団性が残っていたこと+土着宗教に性に対する肯定視が残されていた為に、上手く「融合」した。これは日本も同じ構造)
重要なのは、宗教規範・観念で性的自我を制御するのではなく、共同体集団の再生を図り、その中で性規範を確立していくことであると思われます。
そういう意味で見ると、(未開部族など社会統合観念を必要としなかった社会を除いて)イスラム社会が最も範となる社会システムと統合観念・社会規範を確立した社会であると感じられます。現在の日本から見ても、学ぶべき点は非常に多いと思います。

まとめと来年度の展開

以上、【世界の神話から見た男女の性】に引き続き、【宗教から見た男女関係】シリーズをお送りしてきましたが、いかがだったでしょうか。
同じ時期に登場した古代宗教でも、共同体集団の残存度によって、教義の中身も男女関係のありようも大きく違ってくると言うのは大きな気づきでした。
この気づきは、これからの日本社会を考えていく上でも、非常に重要になってくると思われます。
さて、これで本シリーズは終了となります。
現在、新年からの新シリーズとして2種類のテーマを考えていますので、お楽しみに 8)
それでは、本年も「共同体社会と人類婚姻史」ブログをご愛読いただき、ありがとうございました。
新年も引き続きよろしくお願いいたします 😀
PS>2012年最後に【世界の神話から見える男女の性】シリーズのおまけとして、仏教における「煩悩」についてお送りする予定です。こちらもお楽しみに~

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