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2006年09月07日

樹から落ちた人類の極限的洞窟生活

こんばんは。初投稿の廣田です。
今日は、「樹から落ちたカタワのサルがどうようにして生き抜いてきたのか」をテーマに仲間と話合ったので、それを書きたいと思います。
まず、そもそも何でサルが樹に登ったのか。
それは、「ネズミに追われたから」なんです。
しかし、ネズミに追われて登ったとはいえ、そこは楽園とも呼べる場所でした。
なぜなら、樹上には外敵がおらず、木の実が豊富で、防衛力にも生産力にも優れていたからです。
しかし、突然変異による足の指の先祖返りによって、枝を掴めなくなったカタワのサルは、地上へ落ち、一気に地上最弱の動物となってしまいます(鋭い牙もなく、走りも遅いカタワのサル=人類は狸にも負ける存在だった)。

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地上最弱の人類が生き延びるには、外敵から身を守るべく、他の動物が住めないような過酷な場所=洞窟(断崖・絶壁・暗闇・湿気・崩壊の危険性)に隠れ住むしかなかったのです。ここから、人類の洞窟生活が始まりました。
人類の地上生活は想像以上に過酷なもので、例えば食べるものにしても、他の動物の食べ残しを漁ったり、骨の髄をすすったり、脳みそを食らうしかなく、またいつ外敵が襲ってくるかも分からない状況下で生活していました。
こんな悲惨な状況下におかれた人類の、生きる糧となったものは何だったのか?
それは、喜怒哀楽を分かりあったり、身を寄せ合ったり、日々の「どうする?」を共に模索したりできる共認機能にありました(共認機能は猿時代に既に手に入れていた)。
つまり、この共認機能をフルに使って、仲間同士協力しながら、それでも命からがらこの過酷な時代を生き抜いてきたのです。
そんな中で、もし仮に自分勝手なことをしでかす奴がいたとしたらどうでしょう。
まさに集団(仲間)を危機に陥れることになったと思います。
だからこそ、この時代には現代のような自分勝手な奴はいなかったと考えてほぼ、間違いないでしょう。
仮に、自分勝手な奴が1人いたとしても、そんな奴は淘汰されてしまったに違いありません。
(実際に、現代でも自己中なサルは集団からリンチされるそうです)
共認機能を唯一の武器とし、仲間で協力し合い、過酷な時代を生き抜いてきた人類だったから人類500万年の内99、9%は戦争のない時代であり、共同体社会だったのです。
だからこそ、現代の「自分さえ良ければいい。他人のことはどうでもいい」とかいう自己中は、人類の最大の敵と言っても過言ではないのです。
自己中は、人類の未来を危うくさせる人類の敵なのだということを改めて学びました。
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