2007年07月18日
東洋と西洋 ~日本語と英語~
東洋と西洋。
当然、地域によって使われている言語が違います。
その上で、コミュニケーションというのは、相手がいてはじめて成り立つものと考えてみると、言語(表現)にはその背景となる相手との関係性が端的に現われるものだ、と解釈できます。
そんな観点から、日本語と英語の違いに対して考察している面白いサイトを見つけました。
本文をみる前に、いつものヤツをお願いします。
以下、「これだけ違う、日本語と英語」からの引用です。
『これだけ違う、日本語と英語』
1. あいまいな日本語表現と明確をめざす英語表現
~中略~
日本語という言語を考察した場合、日本人の「沈黙は金なり」といった考え方が大きく反映されていると言ってもいいでしょう。言語学者である金田一春彦氏は、その著書『日本人の言語表現』のなかで、
「日本人の言語生活の特色として、まず第一に注意すべきは、話さないこと、書かないことをよしとする精神があるということである。」
というふうに述べておられます。
~中略~
その背景には、農耕民族としての共同体を形成し、そのなかで、個人というものが「集団に埋もれた個」のようなカタチで存在してきた日本人社会の特質、あるいは、古くから存在した「ことだま信仰」など、古代人の言葉に対する畏怖といった要素が考えられます。
~中略~
以下、そういった表現パターンをいくつか挙げてみます。(なお、下記の分類や分類名は、このサイトにおいて、便宜上、定義しているだけで、一般的に認められたものではありません。)
1. ぼかし
「あの件については、あれでいいですね?」「ああ、そのように取り計らってくれ」など、「あれ」とか「これ」といった「こそあど」言葉を使う表現、「~と思われます」や「~と考えられます」、あるいは、「~と言ってもいいでしょう」といった語尾をにごす表現や、「~ではないかと思います」などのはっきりと断定しないような表現がよく使われます。
2. なぞらえ
自分の意見を第三者(それも権威ある人物など)や書物などの存在を借りて間接的に表現しようとする方法です。日本語では、責任回避の心理が大きく働いているのに対して、英語では、自説をより強調するために使われるのが大きな違いです。また、「前例がない」というときの「前例」も同様です。
3. うちけし
いったん述べた自分の意見をいちおう「否定(打ち消し)」しておくという心理に基づいた表現を言います。「…なんちゃって」などの本気なのか冗談なのかわからないような語尾や、「自慢じゃないが」というときの「~じゃないが」といった否定表現、また、褒められると、「いやいや、そんなことはありません」と、やはり、いちおうは、打ち消してみせるという傾向があります。
~中略~
一方、英語をはじめとするヨーロッパ言語では、言葉は異民族と対峙するための「武器」であり、生死を分ける「手段」でもあり、「できれば発言したくない」どころか、発言できないということは(生きる)チャンスを与えられないということだったかもしれません。まさに、「沈黙」ではなく、「雄弁」こそが「金」であったわけです。
つまり、武器として鍛えられてきた言語ですから、あいまいで不明瞭であるということは致命的です。また、日本人は心の奥で密かに「難解でわからないもの」を有難がったりする心理もあると言われますが、英語圏の人にとっては、こういった「あいまいさ」や「不明瞭さ」に対する許容範囲は極めて狭いと思われます。公平さや誠実さがないと思われるかもしれません。逆に、英語のメッセージを日本語化する場合は、すべて訳出しないで「あいまい」な部分をわざと残しておくことが日本人の感覚に、よりマッチしたものになる場合もあります。輸入物のテレビショッピングのCMなどを見てもわかりますが、同じことを何度も何度も繰り返し、しかも、早口でまくしたてる、あのせわしないトークには、普通の日本人なら「くどさ」や「潤いのなさ」を感じます。日本人は「察する」ということを知っていますから、語られてはいないが、たぶんこの商品にはこんな特長もあるのではないか、といったことを自分で調べたり、発見したりするのが好きなのではないかと思うのです。
あいまいと明確さ。日本人がいかに「発言しないようにするか」を考え、そのための表現術を極めている間に、英語圏の人々は「いかに効果的に言葉を使い、相手を言い負かすか」の話術を鍛えながら歴史を歩んできたとも言えます。つまり、はっきり言うことを避ける傾向のある日本語で書かれたものを、そのまま英語のセンテンスにした場合、明確でわかりやすい英語にならないのは当然です。日本語と英語間の言語的変換作業として、この点は大前提として頭に置いておく必要があると思われます。
この次のページ( 2. 省略を極める日本語表現と省略できない英語表現 )で、著者さんは「日本語の言語表現は、言葉を発する側だけでなく、受ける側も積極的に参加することが求められる「2ウェイ」のコミュニケーションなのかもしれません。」と仰っています。
確かに、
日本では、親しい間柄の仲間に対して「最近、どう?」などと挨拶をしますが、英語圏の人にしてみるとそれは、挨拶などではなくいきなり疑問の対象。「誰が?」とか「何が?」とか、聞き返したくなるのかもしれません。
でも、
このように言われるまで、我々の言語が「2ウェイのコミュニケーション」であるとは意識もしませんでした。
日本語では、「察する」=「同化する」のは当然。「2ウェイ」であることが当然です。話しをしている人だけがコミュニケーションの主役なのではなく、当然、聞いている人も会話の主役。そうでなければ、コミュニケーションとは呼べない。これが普通の感覚だと思っていたのですが・・・・・・。
言語そのものの成り立ちと存在意義が全く違うのですね。
「へぇ~」と思った方、最後によろしくおねがいします。
- posted by hayabusa at : 2007年07月18日 | コメント (7件)| トラックバック (0)
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comments
婚姻制について、詳しく体系的に述べられていて、頭の整理になります。
●「嫁取婚~室町安土桃山江戸~」
↓
●「現代につながる明治以降の寄合婚」
と繋がるようですが、期待しています。
ところで、私の頭の整理がどうしても出来ないのが、
江戸時代の婚姻制なのです。
江戸時代の婚姻制は「嫁取婚」でも、
①農民(大らかな性?)
②商人(女性は強かった?)
③武家(厳格な「家」主体?)
でだいぶ違うようです。
江戸時代の文献は数多いだけに断片的には、様々な情報があるのですが、
実態はどうだったか全体を理解できる文献は無いでしょうか?
残念ながら、全体が理解できる文献があるかどうか、現段階では知りません。
『日本婚姻史』は時代の最先端の変化を押さえているので、どうしても庶民レベルは薄くなっていると思います。ただ農村では、群婚の名残である村内共婚(若者組の群婚や妻問いなど多種多様な部落内婚)が、大正頃まで遺存していたとされています。
1冊ですべてが分かるというわけにはいかないと思われますので、いろんな文献から集めてきて、全体を総合するしかないと考えています。
その意味で、いろんな文献・いろんな角度からの事実収集は貴重だと思います。
日本は古来から中国や朝鮮の影響を受けていますが結婚も何かしらの影響を受けているのでしょうか。またそれはいつの時期からですか??
教えてください。
chuchuさん、コメントありがとうございます。
大陸からの影響の最初は弥生時代で、春秋・戦国時代の戦乱を避けて、江南地方からやってきた渡来人が妻問婚を持ち込みました。
その後も何波にも渡って渡来人がやってきて、最後に朝鮮半島から大和政権を打ち立てる天皇家一派が渡来しますが、婚姻制は妻問婚を踏襲します。
ただ妻問婚は支配階級のみで、庶民層は縄文時代からの婚姻制である村内婚(その後も夜這い婚として存続)であったろうと考えられています。
さらに大化の改新では、中国の父系家父長婚の観念が制度化されますが、実態は母系のままでした。
家父長婚が登場するのは、約10世紀後の室町期、武士階級の登場を待つことになります。この点では、大陸からの直接的影響というより、国内事情を反映した変化だと思います。
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