2008年09月20日
阿波地方の「夜這い婚」~盆踊りと「ボボイチ」
このブログでもよくとりあげられている「夜這い婚」ですが、今日は徳島県・阿波地方のかつての村落共同体にみられた「夜這い婚」を紹介します。
徳島県立図書館HPの「デジタルライブラリ」のコーナーで、阿波学会の発行している『阿波学会紀要』の見ることが出来ます。。
阿波学会とは、県内の総合学術調査を行うために、徳島県立図書館が中心になって徳島県内30の学術団体を糾合した学会連合。毎年1市町村を対象として調査を行い、その成果は12月に対象市町村で開かれる発表会で報告されると同時に、『阿波学会紀要』として刊行されています。『阿波学会紀要』は、聞取り調査・文献調査などにより、かつての徳島県の村落の様子を記録した資料です。第1号の発行が1954年、最新号は2007年に発行された第53号です。
紀要には「婚姻習俗」に関する調査報告が8件あるのですが、興味深いことにどの調査にも「ヨバイ」の風習があっとこが当たり前のように書かれています。かつての阿波地方の村落共同体では「夜這い婚」は普遍的な婚姻様式であったようです。
今日は、郷土研究発表会紀要第22号(1976発行)『神山町周辺の婚姻習俗』から「夜這い婚」の記録を紹介します。神山町周辺には、「ヨバイ」のほか、盆踊りで行われる「ボボイチ」と呼ばれる性規範があったようです。
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神山町は徳島県の中央部に位置します。
この地方においても、明治・大正ごろまでは、村内婚が殆んどで、ついで、徳島市や石井町方面との通婚が多くみられる。
また、婚姻形式は、近年までは見合結婚が70%以上で、最近になって恋愛結婚が次第に多くなりつつあることは、他の地域と同じである。
そして、村内婚から遠方婚への発達テンポにおいても特異性はみられない。
結婚に至るまでの世話人である仲人については、いわゆる職業仲人はなく、村の有志や知人が行う例が多い。
しかし、この地方における仲人役は、並大抵の苦労ではなかったとみえて、「仲人は一枚莚の毛が切れるまで通う。」といわれたほどである。
明治、大正のころ、講中若連中の代表者が、婚礼の「肝入り」として、婚礼万端の世話をする風習があったが、これは、新郎新婦の「床入り」の世話まで介入するという出すぎた行為が非難されて、長くは続かなかった。
ボボイチ
婚姻成立過程における「ヨバイ」の風習は全県的におこなわれていた。「ヨバイ」は、ヨボウ、即ち「続けて呼ぶ」ことを意味するもので、村内婚を基盤としていた聟入婚、及び、足入れ婚の時代においては、正常な求婚手段であった。しかし、近年に至り「夜這」と解せられ、猥雑な行為とみる風潮ができ、大正の自由主義時代を境として、昭和の戦時体制下における道徳規範によって消滅した。
しかし、現在、「ヨバイ」の呼名はみられなくなってはいるが、自由恋愛の名のもとに異性交遊は、木質的には昔も今も変らないのではなかろうか。
このことに関して、民俗資料として注目したいのは、神山地方に極く最近まであったといわれる「ボボイチ」の風習である。
神山町の焼山寺の例祭におこなわれた輪踊り(まる踊りともいう)の中にその風習がみられた。
「ボボイチ」とは、「ボボ市」のことであろう。上古の時代においては、娘が祭日に、神仏に操を捧げる風習があった。それが後に境内における祭日の催物として、盆踊りの中に具現されたのが、焼山寺のボボイチである。
これは、具体的に言うと、踊の輪の中に、腰や肩に手抜をつけて踊っている娘は、「私は、どなた様にも愛を捧げる用意ができております。」という。OKの印であったといわれる。
或る人は、「ヨバイ」、「ボボイチ」と、「カタグ」を性交渉の三態と呼んでいるが、総体的にみて、阿波の北方は「ヨバイ」の風習がつよく、「阿波の北方女のヨバイ、男らしくして、ねやで待つ」とうたわれたほどである。また、県南では、阿土国境の宍喰町においては、「嫁さんカタギ」(嫁盗みともいう)の風習が盛んであった。そして、「ボボイチ」の風習は、中央部の山村にみられるところに特色がある。
(阿波学会紀要:郷土研究発表会紀要第22号より一部引用、強調は引用者)
足入れ婚は、結婚すると、昼間は婿(むこ)の家で働き、夜は実家(じっか)へ帰り、婿は夜になると嫁(よめ)の実家へ通うといった婚姻様式です。子供ができてから、婿の家に移るのが一般的で、その際の儀式を「足入れ」といったようです。これは妻問い婚→嫁入り婚への移行の中間形態でしょうか。
あと「カタグ」については記載がないのですが、どんなものだったのでしょうか?気になります。また、他の地域には「嫁さんカタギ(嫁盗み)」の風習があるようですのでこちらも調べてみたいところです。
盆踊りという村落共同体の行事の中に「ボボイチ」という性規範が組み込まれていたというのは興味深いですね。「ヨバイ」「ボボイチ」といった性規範は共同体維持に必要なものであり、みなに開かれたものであったようです。(さいこう)
- posted by sachiare at : 2008年09月20日 | コメント (3件)| トラックバック (0)
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comments
図解が非常に興味深いです。
時代ごとの外圧の変化により、婚姻制度を適応させてきていると言う図解がなるほどと納得です。
現代におけるが外圧が、「統合不全」とあるのが、少し分かりにくい気がします。
統合不全⇒収束不全⇒人収束・認識収束⇒恋愛幻想消滅⇒結婚する意味を見出せず
昭和初期の大恐慌時や、オイルショック時の大変な時代だったのですが、今回の世界恐慌(?)は、それとどのように違うのでしょうか?
コメントありがとうございます!
現代の外圧が「統合不全」というのは、確かにわかりにくいです。単純化しすぎました(^_^;)
とは言いつつ、現代の外圧は今までの外圧(私権圧力)とは違って、観念でしか捉えられないわかりにくい?ものだとも言えます。
例えば、性の問題としてあげられるのが「少子化」や「環境ホルモン」がそうであるように、社会の構造を捉えられなければ見えてこない問題なのです。
そして、その潮流が今の勉強収束や能力収束に繋がっていると言っても過言ではないでしょう。
男の女捨象(性捨象)は、「政権力に嫌気がさしている」という意識を超えて、「もうそれどころではない」といったところが本音なのではないでしょうか?
今後、市場の縮小を背景とした、男女の性のあり方(再生)に注目です!
※尚、「昭和初期の大恐慌と今の世界恐慌の違い」・・・は、るいネットに記事がありましたので参考にしてください。↓
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=183622
共同体社会と人類婚姻史 | 「日本の婚姻制度(近代)の変遷」~まとめ~
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