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2009年01月24日

初期人類の置かれた外敵圧力(2)~「狩られるヒト」

『初期人類の置かれた外敵圧力(1)』では、初期人類の置かれた外敵圧力について、化石証拠から探ってみました。今回は、現世霊長類の外敵圧力状況も踏まえ考えてみます。
今回は、ドナ・ハート、ロバート・W・サスマン著「ヒトは食べられて進化した」(2007 化学同人)を参考に紹介します。(記事「ヒトは食べられて進化した」で紹介)
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この本は、初期人類が「トラ,ライオン,ヒョウ,ピューマ,クマ,オオカミ,ハイエナ,ヘビ,ワニ,ワシなど数々の肉食動物に補食されていた脆弱な生き物だった」ことを、,化石証拠と霊長類研究の成果などをもとに展開している本です。参考文献・論文が詳しく記載されていないのが非常に残念ですが、初期人類の外敵圧力を探るには参考になります。

この本の中で、「初期人類の住処はどこだったのか?」について、興味深い仮説が紹介されています。
『ヒヒと初期ヒト科は洞窟を寝床にしていた』
という古人類学者のC・K・ブレイン(C.K.Brain 1981「The Hunters or the hunted?」で初期人類が狩猟されていた証拠について詳細に展開、「狩られるヒト」という造語をつくった人物)の説です。
この説は、るいネット:『実現論』『足の指が先祖返りして、それ以前の獣たちと同様、足で枝を掴むことが出来なくなったカタワのサル=人類は、樹上に棲めるという本能上の武器を失った結果、想像を絶する様な過酷な自然圧力・外敵圧力に直面。人類はつい一万年前まで、まともに地上を歩くことが出来ず洞窟に隠れ棲むしかない様な、凄まじい外圧に晒されていた。』と整合する興味深い説です。このC・K・ブレインの説を紹介します。
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※以下、「ヒトは食べられて進化した」より要約引用
◆南アフリカのスワートクランズ、クロムドライ、スタークフォンテン(参考記事:リンク1リンク2
といった洞窟は、初期人類の化石遺跡群でよく知られるが、そこから見つかった初期人類の骨の化石は、ヒヒ類の化石と一緒に出土する。
では、いったいどのような経緯で初期人類とヒヒ類の化石が洞窟に入り込む羽目になったのか?
一番よくある説明は、『洞窟の入り口付近には地下水が流れていて何本も木が生えていた、という仮定に基づく。ヒョウが獲物を木の上に引きずり上げる。他の捕食者に横取りされないためだ。ヒョウが死体にしゃぶりつくにつれて、木から頭骨や骨がこぼれ落ちる。そうして、こぼれ落ちた頭骨や骨が洞窟の中に転がり、そのまま残った』という説。
他方、古人類学者のC・K・ブレインは次のような仮説を提唱している。『ヒヒと初期人類は洞窟を寝床にしていた。ヒョウを始めとするネコ科動物はこの洞窟でヒヒや初期ヒト科を殺したあと、洞窟のさらに奥へと引きずり込んで食べていた。その残りがどんどん溜まっていった。』
◆現在のケニアのサスワ山溶岩洞窟で見られる状況は、南アフリカでの古生物学記録と一致し、ブレインの仮説におおいなる信憑性を与えている。サウス山はヒヒがお気に入りの泊まり場で、この一帯を行き交うヒョウの多くはこういった霊長類を食べて生きている。
現在のケニアには何百万何年も前の南アフリカでの光景が再現されているかのような洞窟がある。サスワ山だ。サスワ山の洞窟にはヒヒが安息の地を求めてやってくるものの、それほど安全というわけではない。ヒヒがこの場所を使うのはもっぱら夜で、仲間が終結し大集団をつくって眠る泊まり場としてであり、通常ヒヒが好む崖や木とは対照的な場所だ。一方、ヒョウのほうでも洞窟を格好の狙い所と心得ている。サスワ山周辺のヒョウは洞窟のヒヒを頼りに何代も生きつないでいる。
◆この場所でブレインはある実験をおこなった。
洞窟を泊まり場としているヒヒの群れが、自分たちの真っ只中に現われた捕食者に対してどのような反応を示すのか、試してみた。ブレイン自身が洞窟の奥に身を潜め、ヒヒたちが眠りについたあと不意に姿を現した。ヒヒたちはいつもどおり行動した。人間という危機が進入してきてからも、大混乱にはなったけれども、暗い洞窟から立ち去らなかったのだ。洞窟の中に隠れていた捕食者は難なくご馳走にありつけたという仮説はまんざら外れていない。
憶測の域を出ないけれど、サスワ山のヒョウは洞窟捕食の特徴をきちんと捉えていて、巧妙な狩をしたと考えられる。地下の部屋に飛び込み、地獄絵さながらの大混乱を起こしてしまったら、結局はヒヒたちがその洞窟から去ってしまう羽目になるかもしれない。けれども、ヒヒたちの裏をかいて、(木々の中に身を潜めて眠っているヒヒを襲うのと同じやり方で)群れの端にいる一頭にこっそり近づくすばやく襲ったとしたら、その犠牲者だけを連れて地下道の奥のほうに引っ込み、目的を遂げられたはずだ。いっとき大騒ぎになるかもしれないが、ヒヒ(あるいは初期ヒト科)たちはたいてい堪忍してやり過ごす。このように慎重に収穫する方法は、南アフリカの洞窟に残されたヒト科とヒヒの化石を説明するためにブレインが考えた仮説と一致する。
※以上、要約引用(なお、ヒヒの種類は書籍に明記がなく不明)



◆オスのヒヒは、日中は牙をむき出しにして捕食者めがけて飛びかかります。それどころか、捕食者を殺した事例もかなりの数に上るようです。しかし、そんヒヒも夜になると一転して、崖や洞窟に避難せざるを得ないようです。
なぜ、ヒヒはヒョウに襲われる可能性がある洞窟を住処にするのか?それは、洞窟は危険であるのは確かですが、他の場所よりもまだ安全な(集団の存続可能性が大きい)場所だからでしょう。身を潜めることが出る場所ならば、いざとなればオスが犠牲なってもメスたち・子どもたちを守ることもできたのではないでしょうか。
一方、カタワのサルである初期人類は、樹上に棲めるという本能上の武器を失い、外敵と同等に闘えるような牙もなく、ヒヒ類以上の外圧に晒されてたはずです。だとすれば、ヒヒ類と同様に洞窟などに隠れ住むしかなかったと考えられます。
初期人類が置かれた過酷な外圧状況を考えると、C・K・ブレインの説は検討に値します。(というより一般的な説より論理整合性は高いのでは、詳しい内容をしりたいところ、だれか「The Hunters or the hunted?」を読んだ方いませんか?)
◆ちょっと視点は変わりますが、『初期人類は骨を食べていた!vol.16<初期人類はどこに住んでいたのか!>』で紹介されているように、ヒヒの仲間(ヒヒ属:マントヒヒ、ゲラダヒヒ属:ゲラダヒヒ)には重層社会と呼ばれる、狩猟民族のバンド社会ような高度な社会を形成している点も注目です。高い外敵圧力に晒されたヒヒは共認機能に収束し、このような高度な社会を形成し、外敵圧力に適応したのかもしれません。(※他の草原性霊長類の集団性も確認する必要ありますが、)
一方、本能上の武器すら持たない初期人類は、より過酷な自然圧力・外敵圧力という逆境下で、残された共認機能を唯一の武器として、共認機能(≒知能)を更に著しく発達させた、のでは。(さいこう)

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びっくり。キリスト旧は近代におけるNO.1の普及スピード!!
そしてキリスト教は、世界侵略の最大級の武器だった!!
欧州諸国が植民地政策において、アフリカやアジアを植民地化≒奴隷にしてしまって、その上で神の前では平等ですなどと言ったのだろ。
そして、飴として奴隷にも一対婚(それによって奴隷の再生産を図る)を普及させて、現世では我慢して働きなさい。神に祈れば、天国で報われます。とか言って、奴隷に反逆させない為の宗教(観念装置)を普及させたのだ。だから、こんなにも急激に普及したのですね。

  • 猪飼野
  • 2009年4月9日 23:04

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