2010年05月11日
日本語の成り立ち(文字編)12~殷周革命;文字の力~
『日本語の成り立ち(文字編)11』では、漢字が生まれた中国、殷(商)時代の家族関係について考察しました。
殷は王朝の神(話)と祭のもとに、服属する他部族の神(話)と祭が従うというかたちで統合された、祭政一致の『部族連合国家』であり、(家族)婚姻関係も各部族ごとの族内婚に近いものであったことがわかりました。
王家出自部族内での統合様式を、他部族との間にも適用するために、族名や神話を示す文字が部族を超えて流通しました。
前11世紀、中国大陸では、西方から族外婚(部族内・他氏族間から、部族外婚)に移行した遊牧派生の部族が中央の覇権をめざして進出してきます。そして殷は滅ぼされ西周の時代に入ります。
以後、父系私有婚はもとより、同姓不婚が支配的になることから、部族間の同類闘争を制覇・統合するには、他氏族婚・部族外婚のほうが適合的だったと言えるのかもしれません。
そうして祭政一致による部族連合では統合できなくなる時代を迎えます。
では、周はどのようにして登場し、殷にかわって中国を統合したのでしょうか?
↑↑周の第3代康王の時代につくられた「大盂鼎」という青銅器
ポチッとしてから続きをどうぞ!
以下、白川静『漢字-生い立ちとその背景』より抜粋引用
◆天命の思想
殷王朝の秩序の原理は、その神話であり、祭祀の体系であった。神話は古くからの諸氏族の信仰と伝承の上にきずかれてきたが、王朝はそれを王朝的な規模にまで拡大して、王朝存立の基礎として体系づけたのである。そこに国家神話が成立した。~(中略)~
周王朝は、その伝承から考えると、おそらく西北の牧畜族であったのではないかと思われる。~(中略)~
殷は最高神として帝を祀り、自らをその直系者と考えた。~(中略)~
周は、西方の諸族を連合して殷をうち、帝辛が再度にわたる東征によって国力を消耗しているときに、これを破って周王朝を建てた。しかし周には、殷に代わりうる神話がなかった。神話は、種族の生活の中から生まれ、久しい伝承を通じて形成されるものである。かれらは、その王朝の秩序の基礎として、新しい原理を求めなければならなかった。王たることは、ただ帝の直系者たるその系統の上にのみ存するのではない。それは帝意にかなえるもの、『天命』を受けたものに与えられるべきではないのか。天命は民意によって示される。民意をえたものこそ、天子たるべきものではないか。民意を媒介として、『天の認識』が生まれる。そこに『天命の思想』が成立する。天命の思想は、殷周の革命によって生まれ、革命の論理であるとともに、周王朝の支配の原理でもあった。~(中略)~
周はすでに帝の直系者たる神話をもたず、帝を至上神とすることはできなかった。それで周人は、帝を非人格化した一つの理念としての天を、究極のものとした。これによって、周は古い神話と断絶した。神話の世界は滅んだ。そして理性的な天がこれに代わった。それは中国の精神史の上でも、最初の革命的な転換であった。
いままで、呪的な神秘な力に支配されると考えられていたものが、すべて道徳的な、内から支えられたものとして、天意にかなうかどうかによって意味づけられ、評価されるようになった。~中略~徳の字に心が加えられるのには、帝から天への転換、人間の内面性への自覚を必要としたのである。
周の時代になって、支配(統合)観念が「神」「帝」から「天」に転換した。
これは何を意味するのだろう? 引き続き、同書からの抜粋を紹介したい。
殷は祭政的な王朝であった。一年の期間を、すべてまつりで埋めつくすことによって、支配の秩序を成就したと考えていた王朝である。まつりには、多く酒が用いられた。これは殷代の青銅器の大部分が酒器であることからも知られる。かれらは酒に酔うことによって、神と同化し、神意を楽しませうると考えていたのである。酔うことはまつりに必要な条件であった。しかし現実的な周族からみれば、これは不可解な習俗であった。天はもっと厳粛なものである。西北の山陵の地に、厳しい自然条件の中で生きた周族にとっては、これはその退廃を示す事実としか考えられなかった。殷が滅亡したのは、まつりにおける酒乱が、神意に背くものとされたからであった。~(中略)~
ゆたかな農耕社会を基礎として成立し、まつりを季節的なリズムとしていとなみ、多くの神々とともに生きてきた東方の古代(殷)王朝は、牧畜的な社会を基礎とし、周囲の遊牧族との果敢な闘争を生き抜いてきた周族からみれば、それはまさに神話の中に眠る社会であった。
道徳的な観念が、周に至って高められてきた理由の一つとして、次のような事実を指摘することもできよう。周はもと、殷の一諸侯にすぎなかった。その支配はわずかに陝西北部の山陵の地帯から、い水に及ぶ範囲にとどまっている。武力をもって殷王朝を崩壊させることには成功したが、古代王朝のもつ潜在的な実力は、なお侮りがたいものがある。~(中略)~沿海の夷系に属すると思われるこの王朝には、なお夷系諸族のゆるぎない支持があった。これに対して、周を首領とする西北の夏系諸族は、統一のない連合体にすぎない。数百年にわたる殷王朝の統一事業が、一朝にして覆滅しうるものでないことは、周人もよく知悉しているところであった。~(中略)~
周は後進の国であった。十分な青銅器文化もなく、文字も殷から教えられたものである。~(中略)~
西周の文化は(殷からの)帰化族によって支えられ、展開し、次第に周の礼楽文化を形成していったものといえよう。~(中略)~その中にあって、周人の創造に帰すべきものがあるとすれば、それは『天の思想』である。そしてこの思想革命は意識の変革をもたらし、文字についても従来の語義の内容に、かなりの変革を与えたことは、否めない事実である。
使う文字は同じ漢字でも、「天という認識」によって、人々の意識が変わっていく。
殷までの「神-帝」は、超越存在でありながら、人格化・実体化できる観念だったのに対し、「天」は完全に架空で抽象的な観念である。「徳」などと併せて、その後の儒教など古代思想に繋がる「価値観念」「規範観念」の発祥と言えるのではなかろうか?
「大盂鼎」という青銅器に刻まれた金文“丕顯文王受天有大令”大いに顕かなる文王天の有する大令(たいめい)受(さず)けられ(訳;文王はその徳によって天命を授かり周王になった)
さらに白川静氏が後述した『続文字講話』より抜粋引用する。
~(前略)~周の国家理念は儒教的な理念として、思想の体系として展開するのです。殷の文化は、その儒教に否定的な態度をとる老荘の思想、道教の思想として展開する。否定的な哲学として展開する。中国には、そういうふうに古い時代において、二つの典型的なタイプが交代してあらわれた。これは彼らに非常に大きな思想的基盤を与えたであろう。~(中略)~
我々は思索を通じ言葉を通じてものを考える、ものを建設していくわけですから、その大本が狂えば万事が狂うてしまうことになる。それで殷周革命のいわばかくされたる理由として、周が文字を獲得したことによって、周辺の諸民族に対する優越的な地位を獲得した。その結果おそらく眇たる西方の少数民族にすぎなかったと思われる周が、殷を滅ぼすことができたのだろう~(中略)~
天の神というものは、一つの王朝の先祖というような形で存在するものではなく、もっと一般的で普遍的な、抽象的なものとして存在する。それは上天にあるものであるから天である。
実像を模した象形文字として漢字が誕生し数百年で、抽象~架空~価値~規範観念が発達?していく。
ことばと文字は観念進化の原動力なのかも知れません。
- posted by nandeyanen at : 2010年05月11日 | コメント (4件)| トラックバック (0)
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comments
■2600年前に起こった大混乱。
つまり、征服によって発生した多民族国家をどうしてまとめるのかと言う社会の大混乱によって、社会統合を求める機運に応えたのが「宗教」
■現代の社会大混乱はそれに匹敵する、2600年ぶりの社会の転換期!!
少し前に「100年に1回の経済不況」とアメリカが言い出しましたが、2600年に1回の大変革である、と言う認識は新鮮でした。
現在、そしてこれから私権崩壊に向かって転げ落ちていく米・中・欧は混乱の極地に陥るでしょうね。
そんな時、すでに私権統合から脱却して秩序維持している日本のみが、唯一の道しるべになるのだということですね。
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