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2010年07月20日

単一起源説vs多地域起源説を切開するvol.9

■シリーズ「単一起源説vs多地域起源説を切開する」の総まとめです。
元々このシリーズは、Vol.3で扱った『DNA解析の結果『ネアンデルタール人、現生人類と交配?』というセンセーショナルなニュースが報道されたこと端を発しています。
それは、同エントリーで紹介したように、同じくDNA解析の結果混血は無かったと、2年前に報道されたばかりだったからです。
★何でだろう??
という素人の素朴な疑問から、Vol 456では、その根拠になっている『DNA解析って何?』を調べ、さらにその根拠となっている『分子時計』や『分子進化系統樹』について調べてみました。
その結果から、『先端技術に潜む罠』vol7という認識に至り、さらには、そもそも『その論争に意味はあるのか?』ということが、我々DNA解析の素人が行き着いた思いです。
★現在の学術界において、何かが欠落しているのではないか?
について、考えてみたいと思います。

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以下、 『新たなグランドセオリーとしての実現論1-グランドセオリーとは何か』
から引用します。

・社会を分析する学問にはいろいろな個別領域があります。性、家族、宗教、政治、経済、サブカルチャーなどなど、実に様々な個別領域がありますが、その個別領域のどれをとっても例外なく適用できるようなタイプの一般理論、これを「グランド・セオリー」と言います。(一般理論、ゼネラル・セオリーといわれることもあります。)
・今、大学のみならず、在野の研究者・評論家も含めて、いわゆるグランド・セオリーの研究者と言われる人間はほとんどいないという状態です。グランド・セオリーに関する書物や教科書がないということは、そういうことを追求する者がいない、ほとんど絶滅してしまったことに理由があります。
・社会に関する諸学は、極めて広大な領域を覆っているので、細分化はまぬがれないという部分があると思います。しかし、分野ごとにタコツボ的になっている状況ゆえに、非常に稚拙で、ずさんな時代遅れの議論が相変わらず権威の衣をまとったまま流通するということが起こっています。このことは、専門分化とはまた別の問題です。
・学者や評論家といわれる人々は、それぞれ自分自身の専門領域を持っており、専門家である以上そういう範囲の中ではそれなりに理論を展開できます。ところが、そういう自分のタコツボの中で吸収してきた知識を、的確な状況認識を欠いたまま、他の領域に拡大して喋り散らすということが起こっているのではないでしょうか。もっと言えば、自分の専門領域の射程と限界を知らないままに、肩書きや名前だけで喋っている、明らかにそうした状況が蔓延しています。

狭い職能意識や自分の利益(地位、名誉、お金)という、いわば‘自分発’の発想では、いつまでも答えがでないと考えます。従って‘みんな発’の視点に立った統合理論が求められます。
★では、どうしたらよいか?
『素人の社会活動19 素人と創造』

・本当の創造は、素人が担ってきた(言葉を作ったのも、火を使ったのも、弓矢や舟を作ったのも、栽培や飼育を始めたのも、銅や鉄を精錬したのも、また壁画を描いたり、工芸品を作ってきたのも素人である)。真に偉大な思想(統合観念)を創ったのも素人であって、専門の神官や学者が、真に新しい価値を作り出した例は極めて少ない。実現論も又、素人が創ったものである。
・また、彼の身辺には、彼の創出した言葉に極めて近い潜在思念に基づいて新しい行動をした先駆者(これも素人)、更に彼らの周りには、その様な潜在思念を孕んだ人々(当然素人)が、多数存在している。要するに、これら素人たちの潜在思念が可能性収束したその一つの実現態として、彼の創造物が生まれただけである。
・換言すれば、彼は仲間=素人なのであり、仲間=素人が生み出した、有益なものだからこそ、人々が評価し、共認する訳である。従って、大多数の人々が、仲間(の内の誰か)が作り出した言葉を共認し、それに導かれて結集し、闘うことに、何の問題も在りはしない。

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スエーデンという国は社会福祉の最先端国として日本の知識人は、プラス側で捉えられている。
しかし、集団をとことん崩壊してしまって、若者は働く意欲が無く非行に走るものも多く、社会変革は大失敗だという実態の声も多い。
その延長線上に、離婚することへの対策として、お試し婚があるようですね。
集団制度を徹底的に崩壊させて、最後の夫婦関係も、崩壊させてしまうような、個人主義の最先端の文化が、学者が言うような、目指すべき先端事例といえるのでしょうか。
もっと集団や仲間や夫婦関係が充足できる社会つくりを目標にしたいものです。
ですから、私はスエーデンは反面教師としての事例として、理解したいともっています。

  • 猪飼野
  • 2010年12月4日 22:23

猪飼野さん、コメントありがとうございます。
「反面教師としての事例」、なるほど。
確かに日本もなんとなくそんな流れに乗っているかのようですが、婚外子の数の少なさを見ても、明らかにスウェーデンの結婚に対する考え方とは違いを感じますね。
私たちの感覚からすると、籍の入っていない両親の間で生まれた子供や、片親だけの子供が増えるって、なにか不自然な感じがします。

  • saah
  • 2010年12月5日 20:49

共同体社会と人類婚姻史 | 現在、世界の婚姻形態は、どう成っているのでしょう?Vol.3 ~スウェーデン編~

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