2022年04月13日
共認機能の獲得以来、初めて「孤独感」に苛まれた原初人類
(画像はこちらからお借りしました)
合図と言葉の違いは、再現性(再現の欠乏)にあるのではないかという仮説を、以前の記事で扱いました。
そしてその「再現の必要(欠乏)」は、洞窟の外に出た男達が、未知なる対象である動植物や自然現象を、洞窟に戻り集団内で共有する必要(欠乏)から生じたのではないかというのが、前回の仮説です。
今回は、前回の予告通り、では、女たちに再現の必要性は生じたのか。生じたとすれば、それはなぜなのかの追求に入っていきたいと思います。
前提となるのは、洞窟時代、すなわち弓矢が発明されて堂々とお天道様の下を歩けるようになる1.2万年前頃まで、女たちは、ほとんど洞窟の外=未知なる世界に出ることはなかったという点です。
男たちが、洞窟の外で捉えた対象や摂理を、それらを見聞きしていない仲間に伝えることから再現の必要が生じたとしたら、そのような女たちにとって、未知対象を共有するための再現の必要性は、生じにくいと考えられます。
では、それ以外に、女だからこその、再現の欠乏(必要性)が生じる別の理由が果たしてあったのでしょうか。
それとも、女たちは一貫して、再現欠乏よりも、一体化欠乏に導かれ一体化回路をひたすら発達させてきたのでしょうか。
それを明らかにするためにも、いったん大きく時代を遡って、足の指が先祖返りして地上に降りざるを得なくなった原初人類のメスの欠乏に同化してみたいと思います。
- posted by nisi at : 2022年04月13日 | コメント (0件)| トラックバック (0)