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2006年11月06日

貿易・通商は略奪闘争を経て始まった

現在に繋がる貿易や通商の始まりと、交易の始まりは何か断層があるように感じます。
交易の始まりの時点では、部族間でお互いに必要となるものを補完しあう、助け合うための行為ではないかと思われますが、貿易・通商では、少しでも有利な取引とするように駆け引きが前提としてあり、互いの私益の妥協点として取引が決まっていく関係なのではないでしょうか。

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中村忠之氏のサイト「森と人の地球史」 第4章 狩猟から遊牧 採集から農耕へ 
http://joumontn.com/mori&hito/index.html
の中で、「商」について面白い分析がありましたので紹介します。

>要約すれば、「商」とは、狩猟の民による移動という位置のエルギーによって生まれた「足の文化」であり、「工」とは、森の採集の民による匠の技という、質的変化のエネルギーによって生まれた「手の文化」だということになる。狩猟の民の提供する余剰の獣肉・乳製品や毛皮などがかれらによって運ばれ、採集の民の土器や木工品や装身具、石鏃をはじめとする石器類それに骨製の針や糸、木の実や根菜類など余剰の収穫物との(物々交換に始まる)交易に用いられた。ここに狩猟→遊牧=足の民=交易、採集→農耕=手の民=モノ造りという文化が定着するのである。
> ここで明白にしたいことは、モノ造り=工の原点は「性善説」であり、交易=商の原点は「性悪説」だという厳然たる原理である。「工」は(原則として)いいものを造らないと排除される運命にある。悪評が立てば命取りになりかねないし、ちょっとした瑕瑾(きず)でも買い叩かれ値切られる運命にある。一方「商」は、その原点に売り手と買い手の損益があって、(生きるためにも)売り手は少しでも高く、買い手は少しでも安くという駆け引き抜きでは成立しないし、売り手と買い手の間に介在する「通商」に携わる物は、そうした労苦や費用に見合うだけの利益を得る必要がある。すなわち価格とは、中間費用を包含した駆け引きの妥協点にほかならない。通商(trade)の本来の意味は「騙す」にある所以である。

狩猟→遊牧となった部族は移動を繰り返す中で、どの地域にどのような特産品があるかといった情報を知り得ていたと考えられます。交易には移動を前提とする遊牧部族の介在があったのだと思います。
それに加えて、自集団発の私益意識が芽生えるに従って、補完しあう関係から次第に「取引関係」へと変わっていったのではないかと思います。
さらに、略奪闘争を経て私有意識が顕在化した後に、単なる取引から利益を前提とした駆け引きや騙しあいの通商・貿易へと変化していったのでは、と思います。
by KS

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