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2008年01月31日

5000円札の女性肖像 誰だか知っていますか?

15101.jpg
【樋口一葉】日本の女流作家(1872-1896)樋口一葉の肖像は、日本銀行券としては女性で初めて紙幣の肖像に採用された。2004年11月1日より発行中の新五千円札に使用されている。
5000円札に載っている日本初の婦人「樋口一葉」ですが、皆さん知っていますか?
私は、昔の専業女流作家で「たけくらべ」を書いた程度しか知りませんでした。
調べてみると、当時(大正時代)の世相~男女関係などが垣間見れます。
↓↓ポッチットお願いします。

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江戸時代の末期に、樋口一葉の両親が山梨の田舎の百姓が出来ちゃった婚で、東京(江戸)へ駆け落ち!!
江戸時代は、百姓は土地に縛られて農奴のようなイメージが有る私には、そんなケースも有ったのかと驚きです。

樋口一葉の一家が揃って最も安定した生活を送っていたのは、一葉が四歳から九歳にかけて住んだ、東京帝大赤門向かいの法真寺に隣接する、大きな構えの本郷六丁目の家でした。 父則義、母たき、長女藤(ふじ)、長男泉太郎、次男虎之助、次女奈津(一葉)、三女邦子の七人家族の全員が揃っていました。藤は十七歳で結婚したものの翌年には離婚して実家に戻っていたのです。(のちに再婚)
一葉より十五歳年上の長女藤は、両親が萩原村から江戸へ出奔した時身重の母のお腹にいた子どもで、母は生活のために、生まれた藤を里子に出し、自分は本郷湯島の旗本稲葉大膳の生後間もない養女お鑛(こう)の乳母として、屋敷奉公をします。父は蕃所取調所の小使いを振り出しに、江戸での出世を夢見て、夫婦でゼロから生活の道を切り開いていきます。

・当時は生活が苦しくて「里子」に出す事があった。
・「乳母」と言う職業が、ちゃんと存続していた。
・長女は、17歳で嫁に出て、翌年には離婚!更に再婚!!(離婚は、今と同じように結構、平気だった時代。離婚に白い目が向けられるように成ったのは昭和になってからなのかも)
しかし、樋口の両親は、運の無い男女で、お金を貯めてやっと「幕臣」の身分を買ったのに、すぐさま武士の江戸時代が終わってしまいます。
taki-kuni.jpg左から妹くに、母たき、一葉 袖口から手を出さないのは士分の子女の習わしであった 「台東区と文学」樋口一葉より

私立青海学校へ入学。半年ごとに小学二級後期、小学一級前期、小学中等科第一級、小学高等科第四級と卒業します。当時の小学校は等級制のため級の終りごとの卒業でした。一葉は第四級を首席で卒業しますが、三級への進学をめぐって父母の意見が対立します。
利発的な一葉にもっと勉強させたい父親と、「女に長く学問させることは先々のために良くない、針仕事や家事見習をさせる」という母親の言い争いになり、母親の意見が勝って進学希望だった一葉は退学します。後の日記に一葉は「死ぬ計(ばかり)悲しかりしかど、学校は止めになりにけり」と悔しさをにじませています。

大正10年頃の日本は、山梨のから駆け落ちしてきた母も、「針仕事や家事見習い」をさせて嫁に出すことが、娘の幸せであるという価値観でした。
父は私立青海学校小学高等科第四級を首席で修了した一葉の才能を感じて学校にやらしたかったのですが、明治初期の家庭でも、家庭内では母の力が強かった!何時の時代でも、家庭では妻の方が強いようです!!
「台東区と文学」樋口一葉より

●明治19年:十四歳
八月、父の知人の紹介で中嶋歌子の「萩の舎」に入塾。
●明治20年:十五歳
・明治17年、長兄泉太郎が肺結核で死亡(二十四歳)。当然次兄虎之助が家督を継ぎ戸主となるべきだが、虎之助は素行不良で分籍させられおり、姉ふじは再婚していた。
●明治21年:十六歳
 なつ(一葉)が家督を相続した。父則義は、荷車請負業をはじめるが、翌年に破産状態となる。父は死期の近いことを知り、妻子の前途を案じて、渋谷三郎(許婚)になつ(一葉)と結婚するように頼んで死んだ。しかし、三郎は、樋口家の凋落の事実を知って、無理な条件を押しつけ、結果として一方的に婚約を破棄した。
●一葉は十七歳にして、戸主として一家を担う立場となり、1890年には萩の舎の内弟子として中島家に住む。その後も、母と妹と三人での針仕事や洗い張りをするなど苦しい生活を強いられる。ただし一葉自身は労働に対する蔑視が強く、針仕事や洗い張りはもっぱら母や妹がこなしていたとも言われる。

この頃は、許婚(いいなずけ)を決める事があった。しかし、三郎は一葉の家族の破綻を知り、婿養子だという事で高額の結納金を要求して、実質上断ってしまった。
itiyou-siire.jpg仕入れ帰りの一葉 滝澤徳雄画 
・仕入れは朝5時に家を出て、浅草、駒形、上野車坂、金杉、本郷、神田と廻った。途中鉄道馬車(馬車鉄)を使かった。運賃は四銭であった。「台東区と文学」樋口一葉より

●明治二十五年(1892)二十歳。処女小説「闇桜」が雑誌『武蔵野』に掲載される。その裏には当時新聞記者であった半井桃水?(なからいとうすい)との交流があったが、周囲の目もあって絶縁する。
●その後明治28年(1895年)より「たけくらべ」「大つごもり?」「にごりえ?」「十三夜」「わかれ道?」などを発表。明治29年(1896年)年の永眠までの期間は後に「奇跡の14ヶ月」と呼ばれるようになる。15歳から晩年まで綴っていた日記も近代文学の傑作といわれる。
●明治29年(1896年)11月23日、肺結核により永眠。享年24歳。

樋口一葉を調べてみると
江戸時代の両親が出来ちゃった婚で、都会に駆け落ち
母は 「針仕事や家事見習い」をさせて嫁に出すと言い学校行けず
許婚で親が結婚相手を決める
「家」を守る為に、戸主として一家を担う
貧困のために、食べていく為に作家となる
結核で、25歳で若くして亡くなる
と言う、現代とは違った、女への扱い、家制度、貧困圧力、人生は短い
など、興味深い内容でした。

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