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2008年08月14日

大正ロマンの「恋愛至上主義」  ~日本人は初めて「結婚」を「個人」の目的とした~

「恋愛」って言葉も、明治時代の輸入品 「LOVE」の翻訳語です。
それまで、日本人は 「LOVE」を知らなかったのです。
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映画「タイタニック」からお借りしています。
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江戸時代の男女関係~結婚は、どうだったのでしょう?
武士層は、政略結婚(家と家との関係)による一対婚で儒教の規範で厳格でした。
大衆(殆どが、農民・漁民)は
若い男女は解放的な性を楽しんだ。:結婚前の男女が、若人宿・娘宿などで寝泊りして、性的な関係を複数と結んだ上で相手を決めては結婚した。また、夜這い文化は昭和時代まで地方に残った。
結婚は、現実生活。:結婚に薔薇色の幻想イメージなど全くなく、生きて行く為の生活手段であった。嫁は出産の期待もされているが、それ以上に労働力として期待されて生産(家)の場に入っていく、現代の「就職」に近いイメージである。
明治時代~大正時代になると、欧米思想~ 「LOVE」=「恋愛」が輸入される。
大正期に登場した知識人たちは、明治に輸入・翻訳された「恋愛」で、男女関係を再定義し始めます。
恋愛至上主義  ウキペディアより

日本においては、明治時代の北村透谷の思想が恋愛至上主義のはしりである。北村は、「厭世詩家と女性」で、「恋愛は人生の秘鑰(秘密を解く鍵)なり、恋愛ありて後人生あり、恋愛を描き去りたらむには人生何の色味かあらむ」と主張し、恋愛至上主義の立場を鮮明にした。
透谷の思想はニューイングランドから渡ったものであり、キリスト教徒である北村が、恋愛に自由と理想を求めたことがこの言説の背景にあった。

大正時代、厨川白村はエレン・ケイの影響を強く受け、『近代の恋愛観』を著し、「恋愛は悠久永遠の生命の力がこもる」という言葉が当時の若者を魅了した。恋愛のない見合い結婚を「売春結婚」であり「畜生道」にすぎないと非難、日本には古来より「恋愛至上」の思想があると主張し、恋愛結婚を理想化して話題になった。
恋愛至上主義は、精神的な恋愛を神聖視して、肉体的な恋愛は否定する。そのような恋愛を至上のものとするため、かならずしも結婚に拘泥しない。情熱が切れれば分かれなければならない。また、パートナーを得るかどうかも関係が無い。たとえ片思いであっても、心の底からの「情熱こそがすべて」であるのが恋愛至上主義である。

いかにも、キリスト教徒的な観念論である。「個人」を中心にすえて、恋愛を幻想化させている。
恋愛は、自分の人生の至上の幸せ・活力である。
恋愛の結果として結婚に至るべきである。
恋愛は精神的なもので、肉体的な恋愛を否定。
と言う事らしい。
当時(大正時代)の背景は、
市場が急成長して、金持ちが出現(貧富の差が出来る)。
社会の抑圧・市場からの搾取から、「個人」を解放すべきである。
「個人」が「自由」にを得る事で豊かで幸せな社会に成れる。
このような欧米思想を下敷きにして、私権獲得競争に突入していく活力的な時代である。
このような西洋思想「個人」「自由」の延長線上に 「恋愛」があった。
その時代に、「恋愛至上主義」が、ピッタリだったのだ。
江戸時代の農家で、女は働き手として期待されて仲間内での役割(地位)が有った。
明治~大正となり、都市生活は女を生産(役割)から切り離し「主婦」として家庭に閉じ込めてしまった。
女性は収入を稼ぐ賃金労働者の男に帰属する存在と成り、「結婚」は金持ち男性を獲得する事が目的となってしまった。
「自由恋愛」は金持ちの男を獲得する競争であると直接表現されては、実も蓋も無い。しかし、西洋で先行して作られていた欺瞞観念があった「自由恋愛」が、すばらしい事であると幻想化して、納得する為の観念思想 「恋愛至上主義」である。
しかし、この時代に、その欺瞞性に気が付いていた人もいた。
「売春を隠す恋愛結婚イデオロギー」にて、『売る身体/買う身体―セックスワーク論の射程』 田崎英明[編著]の書評から

恋愛は至上なものと謳いながら、やっていることは売春。本当に恋愛したいと思うのなら、女性も自立できる経済力を身につけなければならないはずである。だけど女性は男の経済力にすがりついたまま、消費生活の甘い蜜を吸おうとしている。ここに恋愛至上主義の最大のウソと欺瞞を見い出さざるをえないのである。
こういうことはこの本を読むと、大正の知識人にとっては共通認識であったというのは驚きである。厨川白村、与謝野晶子、山川菊栄、堺利彦、といった人たちが結婚は売春であると明快に捉えていた(菅野聡美の論文より)。

大正ロマンの時代に刻印された「恋愛至上主義」「自由恋愛」などの男女関係の欺瞞観念を、平成まで私達は引きずってしまう。
しかし、経済的に男に帰属する存在でなってきた現在、「恋愛至上主義」の呪縛が放たれてきた。そのことが事が、晩婚、未婚の原因かもしれません。
本当の男女関係に戻れる時代になってきた

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