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2008年12月16日

外圧状況から見る日本婚姻史  渡来人と妻問婚

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外圧状況から見る日本婚姻史
前回に引き続き、今回は、「日本婚姻史5 妻問婚~大和時代~」について考えてみたいと思います。 :
この時代、縄文人の集団婚は、渡来人によってもたらされた妻問婚へと変遷して行きます。
大陸から最先端の技術を持ち込んだ江渡来人達は、支配者層として日本に定着していったと考えられています。
妻問婚を持ち込んだのも彼らだろうと思われますが、しかし、最末端の庶民にまでこの妻問婚が行き渡ったかというと決してそうではありません。
上流階級こそ妻問婚そして私有婚が定着して行きますが、庶民階級では集団婚的な色合いがずっと残り続けます。

■なぜ、支配層は個人婚、私有婚を貫き通したのでしょう?
■なぜ、大多数の縄文人が続けていた集団婚に染まらなかったのでしょうか。
■逆になぜ、縄文人は妻問婚に転換しなかったのでしょうか。

今回はそこを考えてみたいと思います。

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まず、日本に渡って来た江南系の渡来人はどんな人達だったのか。
そこから考えてみたいと思います。
今から2300年ほど前、中国大陸は戦国時代にありました。
当時の江南地域は呉越の国。
彼らは戦乱を避けて、或いは追い出されて日本に逃げてきた、謂わば難民だった様です。
こうした渡来人達は鉄器や水稲技術など様々な最先端の技術を縄文日本に持ち込みますが、彼らが持ち込んだ最大の物は何と言っても「私有意識」でした。

彼らはなぜ私権意識を手放さなかったのか。なぜ縄文人の本源意識に染まらなかったのか。
それを考えるには、渡来人達の意識に同化する必要があります。
まず日本にたどり着いた彼らがどんな外圧に晒されていて、どんな意識にあったのか、そこから探って見ましょう。
彼らは日本に逃げてきたわけですが、それで安心していた訳ではありません。
彼らにして見れば日本にたどり着いたとは言え大陸の戦乱から解放されたとは思えない。
いつここも戦禍に巻き込まれるか分からない。さらには同じように流れてきた私権集団がいる。
そんな緊張感の中では、駘蕩とした縄文文化に染まる余裕など全くなかったのではないでしょうか。

つまり、日本に来たと言っても、彼らは常に大陸時代の私権闘争の外圧から全く開放されていない。
そんな中で当然私権意識を手放すはずはありません。

(私達は、日本海には国境線があってここを越えれば亡命完了、一安心といった、現在の地球儀で考えてしまいがちですが、決してそんな事はなかったと言うことです。)
では、一般の庶民はどうだったかと言えば、当然大陸からの圧力など全く感じません。
婚姻形態を転換する意味も意識も全くなかったというわけです。
日本では、母系制から父系性へ、段階的に様々な婚姻形態の変化がありますが、それは全て、その時代の外圧に規定されています。
大陸の闘争から逃げてきた渡来人=弥生人と本源集団を維持していた縄文人。同じ島国にいながらも、当受けている外圧も意識も全く違います。
これがそのまま、弥生人(支配層)と縄文人(庶民)の婚姻に対する意識に違いとして女実に顕わrているの出はないでしょうか。

この後、大化の改新と律令制の制定により、支配層から末端の庶民に至るまで、日本全てが中央集権の枠組みに入ることになります。
この環境の変化が共同体の在り方と、そして婚姻携帯に影を落として行きますが、そこの話は次回に譲りたいと思います。

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