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2009年05月27日

タイの山岳少数部族「アカ族」について

世界の性意識シリーズ、今回も引き続きタイから「山岳少数民族アカ族」について紹介します。
 「アカ族」はタイ北部の山岳地帯に暮らす少数民族で、日本と同じ稲作文化、精霊信仰を持ち草木染めなどカラフルな色の民族衣装を着て生活しています。
 顔などは日本人そっくりで、村の入口には鳥居を思わせる門があり、お歯黒の習慣を持っているなど日本と共通のルーツを思わせます。一方で、婚姻制度は父系制で、代々父親の名の一部をとって子供に命名していく「父子連名法」により、各自が50代以上にわたる祖先の系譜を暗記しているなど、母系制度が色濃く残っていた日本の農村とは異なる文化も見られます。


 

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■アカ族の村 : リンク

 人口約50,000人。メーサイを中心としたチェンラーイ県にほぼ集中して約120の村がある。標高1,000m以上の高地の山頂近くの斜面にへばりつくようにして集落を形成する。高床式の家に住み、男女の部屋が別々なのが特徴。
 女性の民族衣装は、銀貨や銀細工、ビーズ等をあしらったカブトの様な重い帽子を被り、黒いミニスカートに脚絆という出で立ちで、帽子は作業中もおろか就寝時もこのままだ。帽子を脱ぐと悪霊が頭から入ってしまうそうだ。アカ族の女性は温和で素朴、優しくてサービス精神に富み、働き者で知られる。
   
 アカ族は最も奇妙な習慣をもつ山の民で、あらゆる物に精霊が宿ると信じている典型的なアミニズムである。村の霊、山の霊、光や風にも霊が宿るという。水の霊を恐れるために水浴をも嫌う。
   
 村の入口には、日本の鳥居と同様の門が築かれ、木製の男根と女性器の偶像が村の神様として祀られている。これは悪霊や疫病から村人を守り、子孫の繁栄や穀物の豊作を祈願するものである。奇祭として知られる村の大ブランコ乗りの儀礼は、豊作を祈って稲穂が風に揺れるブランコにイメージさせる 「親感呪術」 という説と、身体を振ることで体内に住む悪霊を振り払う説と、昔アカ族の村に女の子が生まれなかった頃、森の中でブランコに乗った妖精を見つけて村に連れてきたことをお祝いするという説があり、祈祷とお清めの場でブタを殺して4日間儀礼を行う。
   
 アカ族はいわゆるフリーセックスで、自由恋愛の民族で、どの村にも男が娘を抱く広場、ハントする場所がある。若い男女は毎日ここに集まり、黄昏の刻から親交を深め、目出度く成立したカップルは闇に包まれた森の茂みの中に消えて行く。ただし、双生児が生まれた場合は悲惨で、その赤ん坊は不吉なものとして殺さねばならない。生んだカップルも村を追い出され、出産した家は焼き払われる。

■アカ族の家族 : リンク

 アカ族は普通、男性で十七歳から二十歳、女性は十四歳から十七歳ぐらいまでの間に結婚する。集落の中には若者が集まる広場があり、竹や木で作ったベンチがしつらえられ、夜になると若い男女が集まってきて自由に語り合う。特に農閑期や祭礼時には、夜更けまで騒いだり、愛を語り合ったりして、それが結婚相手をみつける絶好の機会となる。アカ族の恋愛は比較的自由で、結婚前に複数の異性と婚前交渉を重ねることもまれではなく、恋を語る少女たちも実にオープンで、屈託がない。結婚に際しても、特に親の同意を必要とせず、本人同士の合意によって決定される。
  父系制のアカ族とって、男子が生まれることは必要不可欠である。生まれてきた子供が女児ばかりの場合、家系がとだえることになり、恥ずべきこととされる。私の知り合いのアカ族のおじさんは六人の子供がいるが、みな女の子ばかりなので、世間の視線は冷たく、内心肩身の狭い思いをしている。アカ族では、男児に恵まれない場合、妻に原因があるとされ、亭主は第二夫人を娶る権利があるとされる。そうでなくてもアカ族では、財力のある男性は第一夫人の同意が得られた場合に限り、複数の妻をもつことができる。しかし、アカ族の社会でも、第一夫人以下のヒエラルキーは厳然としてあり、夫の愛情の質量とは無関係に、母屋に居住を許されるのは第一夫人だけである。第二夫人以下は仮小屋などを建てて別居することになる。第一夫人のみが正式な妻として社会的に認知され、その妻の同意がない限り、離婚も容易ではない。第一夫人の権利と威厳はこうして保たれる。結婚前の恋愛は自由だが、家庭をもち、一人前の成人として認められるようになれば、共同体の社会的秩序と体面を維持しなければならないのである。これを犯したものは、それなりの制裁が待っている。

 精霊信仰、おおらかな性意識という農耕民族的な暮らしぶりと、父系制という遊牧民族的な風習が融合したアカ族の文化は彼らの出自にその秘密がありそうです。
 
 アカ族がタイにやってきたのはそれほど昔のことではなく、20世紀初めころとされています。中国雲南省から、ビルマ、シャン州を経由して、タイ北方の山岳部へやって来たらしい。彼らの起源は中国で羌(チャン族)と呼ばれた遊牧民族というのが有力です。長く漢族、チベット族という二大部族の支配下にあり、一時期「西夏国」という国を建てたりしましたが1227年に滅亡、二大民族に同化していったようです。その後一部の集団は同化を逃れ、南下していった末裔がアカ族なのではないでしょうか。当初は遊牧部族的な風習を持っていた彼らが、次第に農耕へと生活手段を変化させてゆく中で、精霊信仰を獲得していったが、父系制だけは残存させたという推察ができます。
 父系制が残った理由として、(これは私の想像ですが)南下逃亡して来たチャン族の生き残りは男ばかりの集団で、周辺部族からの略奪婚によって集団を維持してきた時期があったからではないでしょうか。
 アカ族を有名にした風習に「ブランコ祭り」というのがあります。年に一度、民族衣装を着た女性が巨大なブランコに乗って遊ぶというものですが、それには下記のような由来があるそうです。 

 
■アカ族のブランコ祭り : リンク

 ブランコ祭りの由来には諸説あるが、今、アカ族の人たちに尋ねても、これはという答えは返ってこない。老人たちが断片的に記憶している神話をつなぎ合わせると次の様なことになる。
 かつて森の世界には、さまざまな民族が住んでいた。もともとこれらの民族はすべて、神様が作ったものだったが、どの民族も男ばかりで、女がいなかった。ある日、神様がそれぞれの民族の男たちを呼んで、配偶者を与えてくれた。しかしアカ族の男たちは遅刻したので、女を与えてもらえなかった。
 アカの男たちは、森の中を、女を求める歌を歌いながらさまよった。そこで見つけたのが、ブランコに乗った森の妖精であった。男たちはこの妖精を村に連れて帰り、自分たちの妻として娶った。男たちは、妖精である女たちへの慰安の意味で、年に1度ブランコを作り、女たちを楽しく遊ばせるようになった。これがブランコ祭りの始まりだというのである。なかなかロマンチックな話ではある。

 他にも「連れてきた女(妖精)がすぐに森に戻ってしまうので神様に相談したところ、「ブランコで遊ばせるようにすれば良い。」と言われ、そのようにした。というのもあります。
 略奪してきた女性に気に入ってもらおうと、色々苦労する男集団を想像してしまうのは私だけでしょうか。
 

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自然の恵みを最大限活用して1万年以上も継続したのですね。きっと豊富な知恵があったのでしょうね。
ところで最後の食糧依存率グラフですが、蛋白質グラフを見ると、植物・動物・魚介類がほぼ均等な比率なのに、熱量になると植物がダントツの比率を占めています。このギャップはどう理解すればいいのでしょうか?

  • 大杉
  • 2009年8月30日 19:33

大杉さん、コメントありがとうございます!!
>蛋白質グラフを見ると、植物・動物・魚介類がほぼ均等な比率なのに、熱量になると植物がダントツの比率を占めています。このギャップはどう理解すればいいのでしょうか?
ナイスな質問ありがとうございます☆
このギャップについてですが、大きくは縄文時代に食糧の対象としていた植物と動物によるものだと思います。
縄文時代は年間を通して食糧の8割近くが植物、動物は1割程度であったと考えられています。
その植物の中心は堅果類、そして雑穀類で、クルミやエゴマに代表されるように脂質分がとても多く、蛋白質も含む植物が多いのが特徴です。また、イモ類や栗・ドングリなどには澱粉質が多量に含まれており、縄文時代の植物食糧における糖質・脂質(カロリー摂取)比率は年間を通してとても高かったのです。
また反対に、当時の肉類は植物食糧に対して蛋白質比率はとても高いのですが、基本的に野生動物は体脂肪率が現在の家畜肉と比較して極端に低いのが特徴です(イノシシ等一部は除く)。
例えば野生の鹿の肉の脂質(脂肪分)は飼育牛肉の20%程度もありません。野生動物の肉は、実は高蛋白・低脂肪・低カロリー食品だったのです。
(魚介類は今と変わらず、高蛋白・低カロリー食品ですね。)
現代人の感覚からすると、肉は高蛋白・高カロリー、植物は低脂肪・低カロリーといったイメージがありますが、まさにこの感覚の違いこそが縄文時代と現代の食糧感覚のギャップなんですね。

  • kasahara
  • 2009年9月3日 23:25

回答、ありがとうございます。
気づき満載です。
旧石器時代の大型獣から、新石器時代(弓矢と土器)の植物食への転換が、人口増をもたらした可能性がありますね。
卑近ですが、マラソン前には肉より植物食(どんぐりやご飯など)のほうがいいのが分りました。

  • 大杉
  • 2009年9月4日 00:16

大杉さん、コメントありがとうございます!
日本の食性については、明治期に日本に来日したベルツというドイツ学者の逸話が有名ですね。
ベルツ博士は日本人の車夫の驚くべき体力と粗末な食事(西洋人から見て)をまのあたりにして食事についてある実験を試みます。
22歳と25歳の車夫を2人雇い、1人にはいつもどおりのおにぎりの食事、もう1人には体力がつくといわれていた洋食・肉の食事を摂らせて、80kgの荷物を荷車に積んで40km距離を走らせてどちらが長く続けられるかを試してみたのです。
結果は肉料理を加えた車夫は、疲労が甚だしく募り3日でダウン。
一方、いつものようにおにぎりを食べている車夫は3週間走り続けることが出来たといいます。
この経験からベルツ博士は、帰国後ドイツ国民に肉食→菜食を訴えたのです。。
日本人にとって植物食(植物性エネルギー)の利用は1万年以上の歴史をもっています。肉体的にも十分環境適応している可能性が高いですね。
日本の急速な肉食化はたかだか50年。やはり、日本人は現代でもご飯や大豆といった植物中心の和食が一番元気が出るのだと思います!

  • kasahara
  • 2009年9月10日 19:57

犬山城

oojijisunです,青春18切符で行きます お城巡りを準備中です、参考になります。

分布図をいくつか、別の切り口記事で使わせていただきました。ありがとうございました。

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