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2009年06月01日

先史時代の沖縄貝塚人は、本土縄文人とも、現代沖縄人とも繋がっていない?

最近になって『縄文人=南方起源説』の論拠ともなっている、旧石器時代の人骨“港川人”がみつかった沖縄で、これまでの「沖縄も含めた日本列島全体に通底する縄文文化」という見方に対し、色んな角度から疑問があがっているようです。
以下2009年4月3日 読売新聞 より

先史沖縄人、縄文人と一線 より小顔傾向・食は魚介類中心
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沖縄諸島で11~12世紀まで狩猟・採集文化(沖縄貝塚文化)を営んだ先史時代の沖縄人(貝塚人)をめぐる興味深い研究が進んでいる。縄文人の“直系”と考えられてきた貝塚人が、身体的にも文化的にもかなり異質で多様性のあることが、出土人骨の多角的な分析などで明らかになってきたのだ。

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2009年4月3日 読売新聞 より続き

沖縄貝塚文化は、縄文土器を共有する縄文文化の一地域圏として成立したとされている。弥生時代~平安時代相当期(貝塚時代後期)になっても、水田稲作が定着しなかったため、縄文文化の伝統が色濃く引き継がれ、貝塚人には小顔で彫りの深い縄文人の一般的な特徴がそのまま残ったと見られてきた。
先月、沖縄県西原町の県立埋蔵文化財センターで開かれた研究発表会では、こうした貝塚人に対する見方に疑問を呈する報告が相次いだ。土肥直美・琉球大准教授(形質人類学)は貝塚人の身体的形質について発表。頭部の奥行きや顔の長さが著しく短いという、本土の縄文人に見られない傾向を指摘し、「縄文人の地域性というだけでは説明しきれない」とした。
文化的な観点からも貝塚人の特徴が語られた。竹中正巳・鹿児島女子短大准教授(骨考古学)は縄文時代後・晩期の風習である抜歯について、「奄美諸島以南では対象が下あごの歯に限定されており、上下の歯を対象とする本土とは異なる」と指摘した。
米田穣・東大大学院准教授(先史人類学)は、人骨のコラーゲンに含まれる炭素と窒素の同位体比からみて貝塚人の食生活は貝や魚が中心で、漁労を営みながらクリやドングリなどの炭水化物も摂取した本土の縄文人とは違うと見る。「炭水化物であるコメを受け入れなかったのは、もともとの食性の違いからではないか。沖縄も含めた日本列島全体に通底する縄文文化、という先入観は見直されるべきだ」と言う。
遺伝子分析の結果を紹介したのは、篠田謙一・国立科学博物館研究主幹(分子生物学)。県内3遺跡の人骨20体からミトコンドリアDNAを抽出し塩基配列の型を比較したところ、多様な型が混在する中に、具志川グスク崖下(がけした)(うるま市)で縄文系とされる型、大当原貝塚(読谷村)では台湾の先住民につながる型を確認。遺跡によって構成が異なることから、「貝塚人は遺伝的には均一でない可能性がある」と述べた。
こうした集団の遺伝的ルーツや、本土との交流の濃淡などを反映したのか、貝塚文化の葬送習俗はバラエティーに富む。縄文文化で一般的な埋葬と、岩陰に遺体を安置する崖葬(がいそう)墓に大別されるが、後者の場合でも近世沖縄の洗骨に似た風葬後の集骨のほか、火葬骨、焼骨などもあり、精神文化の多様性がうかがえる。
こうした問題に関して、土肥准教授は「まだ見つかっていない先島(宮古・八重山諸島)の先史人骨が鍵になる」とみている。縄文人との関係だけでなく、沖縄諸島とは異質な東南アジア系文化を育んだ先島人との関係も視野に入れるべきだと言う。
沖縄といえば縄文人の祖先とも言われる化石人骨・港川人(1万8000年前)が知られるが、貝塚人とは1万年以上の開きがあり、また現代の沖縄人は貝塚人よりも本土の日本人に近いことが知られている。貝塚人はどこから来たのか。彼らは消えたのか。日本人の起源や琉球王国成立の謎の解明にとっても、研究の深化が待たれる。

このように『縄文人=南方起源説』が大きく揺らぐ方向の提起が相次いでいることから、その他の説の優位性が高まったと見ることができますが、日本人の起源として南方の影響がまったくなくなるわけでないので、【北方】vs【南方】というドラスティックな見方が緩和されるということかな?と捉えています。

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