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2009年05月31日

中山太郎の「日本婚姻史」から~共同婚~☆10☆「小糠三合持ったら婿に往くな」

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 早いもので5月ももう終わりですね
 さて、みなさんは『小糠三合持ったら婿に往くな』という言葉をきいたことがありますか?
 私はこの本を読んで初めて知ったのですが、「男は、僅かでも財産があるならば、他家への入り婿や養子などをしないで独立して一家を立てるべきであるということ。婿はとかく気苦労が多いということ。」という意味だそうです。
 入り婿や婿養子に気苦労が多いのは想像できるのですが、村落共同体が機能していた時代に村外からやってきたお婿さんや、村の若衆仲間から外れて婚姻関係を結んだお婿さんには、かなり大きな苦労=「婿いじめ」があったようです。
 今回はその「婿いじめ」についてご紹介します。(※原文では「聟」の字が当てられていますが、ここでは「婿」で表します。)
☆画像は、婿いじめの名残と思われるお祭、福島県に残る「岡山の水かけ祭り」です。こちらからお借りしました。
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まずは、婿いじめが共同婚の名残であるという筆者の考えを引用します。

第七節 婿いじめは共同婚の遺制である
 部落の共有であるべき女子が、ある定まれる一人の男子に独占されるについては、その女子にも男子にも、部落から相当の制裁を加えられることは当然の帰結であって、それが女子にとっては幾人かの男子に許すべき義務となり、男子にとっては『婿いじめ』の制裁であることは既述したが、ここには如何にして婿(私は記事の混雑を避けるため便宜上他村から来た者を入婿といい、自村にいて嫁を迎える者を新婿といい両者を区別した)が虐待されたかに就いてその類例を挙げ、これに関して多少の私見を加えるとする。
  『小糠三合持ったら婿に往くな』とは、近年まで全国に行われた俚諺(りげん)である。私の故郷などでも私の少年の頃には、入婿の社会的地位は頗る気の毒なものであった。正月とか春秋二季の氏神祭とか、この外臨時に開かれる村集会の場合にも、掃除役とか祭礼の幡持とかいう卑役は入婿に課されるのが習いであって、殊に村集会の折には入婿は必ず燗番とて当所にあって酒の燗を勤めることに定まっていた。それは入婿の家の門地が高かろうが、入婿それ自身が教養ある人物であろうが、そんな事には一切かかわりなく、単に入婿であるがために、甘んじてこれ等の卑役に服さなければならなかったのである。
 従って入婿となって五六年の間は、集会の席では村民と同一の座敷に居ることを禁じられ、酒を飲むにも薹所の隅で盗むようにして飲むことを余儀なくされていた。朝夕の往来にも入婿が生えぬきの村民に遇った場合には、先ず被っている手拭をとって挨拶しなければならなかった。若しこれに反するようなことがあれば『婿のくせに』と忽ち村内の不人気を買い、何ぞの機会で報復されるのは常となっていた。小糠三合は愚かなこと、少しでも気概のある者には、入婿としての試練には耐えられぬのが実情であった。
 然しながら斯かる婿虐待を目して、単純なる村民の嫉妬とか、又は新入者に対する古参者の横暴とか評し去るのは決して当を得たものではない。婚姻進化の立場から言えば、前に述べたように共同婚制の違反者としての制裁の意義が農耕に加わっていると同時に、殊に入婿にあっては血統の純粋を乱す者としての制裁が添加されていたことを注意せねばならぬ。由来、我国太古の村落は、氏神を中心として―然もその氏神と血筋でつながれた人々の集合で組織され、村民たるの資格は共同の信仰を有し、共同の墓地を有し、更に共通の慣習を有していた人々のみに限られていたのである。然るにかかる村落の一員となるべく、異なれる氏神を奉じ、異なれる信仰や慣習に養われた他村の者が、入婿として加わるということは、氏神より分け伝えた精粋なる血液を濁す異端者として待遇せなければならなかったのである。これが婿いじめの最初の思想である
 而してこのことを証拠立てるものは、入婿して或る年限を経過すると土地っ子と同様の待遇を受け、又は婿一代の間は兎に角として、その婿の子の代になれば生え抜きの者と何等異なることなき資格を認められる土俗である。氏神の制度が崩壊して産土神制度が確立するようになってからは、婿虐待も大いに緩和されたのは当然のことであるが、それでも在りし昔の習俗は明治期に至るもなお厳然として存していたのである。

 少し長いですが、ほぼそのまま引用しました。「婿いじめ」が、よそ者に冷たく当たる単なる「いじめ」ではなく、もともとは共同婚という皆が認めた規範の違反者への制裁であったこと。だからこそ、一定の期間受け入れ我慢すれば、土地の者と同じ扱いに変化するということ。そして、なぜそこまでよそ者を区別するかというと、同じ氏神を信仰し、同じ習慣で暮らす共同体の人々のつながりを、何よりもみなが大切にしているからこそ。
 貧困の圧力が厳然としてある時代に村落共同体を守っていくのは、それだけ大変なことだったのだと思います。田んぼの水利争いで殺し合いが起きたりした時代ですから、苦労して守ってきた共同体に、よそ者がいきなりやってきて暮らすには、ペナルティがあるのは当然ということです。逆に、これだけの制裁があるのなら、入婿や婿養子は滅多になかったのではないかとも思います。
 では、具体事例を紹介します。

★神事に仮托して行われた入婿いじめ(引用者注:仮託=他の物にかこつけること。ことよせること。)
 婿いじめが神事に托して、又は神の名によって行われたということは、この土俗が単なる村民の嫉妬や悪戯でなかったことがうかがわれる。

下総国猿嶋郡水堀村
 大腹くっちゃう明神というのがある。大昔の三月初午の日に利根川の出水で大木が流れ着いたのを、村民が飽食して同音に『おお腹くちいな、えんさらほう』と囃しながら引揚げて産土神に祀った。毎年その日になるとこの古木を神輿として村内の新婿にかつがせるが、祭の前日に社の池の泥をとり周りに積んで置き、当日になると神輿を池中にかきいれ、村民は池の周囲に立並び、異口同音に『おお腹くっちゃう、えんさいぼう、いつもこうなら、よかんべい』と囃しつつ、泥を掴んで池から昇ろうとする婿を目がけて投げつける。こうして散々婿をいじめると、婿の妻が出て村民に詫びて許してもらい、利根川で神輿を洗い祭が終わるのである。

常陸国稲敷郡舟島村竹来の懸社阿彌神社
 例祭は毎年正月三日に行われるが、この村では前年の祭礼後に来た新婿の若者入りをこの折に挙げるので、先ず旧い若者たち一同は拝殿に堵列する。新婿は組合の人に伴われて社前にすすむ途中、左右に居並ぶ若者達が件の新婿を押し合いて押しぬく。殊に婦人関係などのある者は遺恨晴らしに猛烈に押し回す。その上に胴上げなどに遇うと袴も羽織も滅茶苦茶にされ這々(ほうほう)の目に逢わされる。氏子連の話ではこれをしなければ神前の扉が開かぬということである。

常陸国真壁郡大寶村
 産土神の祭の座に、初めて連なる者には新婿が多い、そしてこの者には並山盛の外に別段の大山盛の飯が出る。祭に用いる飯椀は大抵子供の天窓(=あたま)ほどある。山盛と言えば並とは言いながら、見た目には助かるまじき心地さえするに、大山盛は杓子に水をつけて捻り捻り餅のように固めて一尺(約30cm)ほど盛りあげる。面つき気にくわぬ新入りの婿と睨まれると、一尺ほど盛りたる椀を横にねせ、膳の隅よりはすかいに飯を捻りつけて食わされる。一飯升をかてにする農男も、流石に晴れの場とて食いつくしかねてほろほろと泣く者もある。いよいよ食いかねると中老立会で、罰盃とて甘酒を親椀で十五杯飲ませる。

下野国芳賀郡山室村鶴田
 雨乞地蔵と称する尺余の石像がある。大旱(ひでり)の折には村内の若者が集まり雨乞いするのに、その石地蔵を荒縄で縛りあげ田畑の差別なく大勢で引きずり回し、最後にこれを鎮守社の御手洗の川淵に引き往き、水深丈余の水底に投げ入れては引きあげる行事がある。これも若者一同が労力をする筈であるのに、土地っ子の若者は手を抜き、婿だけがその労力を費やすように仕向けられ、婿が淵へ飛び込んで底に潜り、石像を抱き上げて水面に浮かび出るのを待ち受けて若者等は、四方八方から手で水を打ちかけ息をも吐かせぬ。婿は苦しまぎれに石像を放して水底に落下させると、次に別の婿が代わって同一の事を繰返し、日没になって漸く終わるのである。常に村民の憎しみをうけている婿には、打ちかける水に泥や砂や石が交じるということである。

武蔵野国南埼玉郡稲間村上栢間
 毎年正月二十五日に産土神の例祭がある。その儀式の一つとして若者たちが打集まり、拝殿の中央に大きな火炉を構え、天井板が焦げかかれば水を打ちかけつつさかんに焚き火をなし、一同駆け足でこれを回るのである。このとき火炉に接近して回らねばならぬのは即ち婿達であって、若者に憎まれている婿は実に惨憺たる憂き目に合わされるそうである。

磐城国田村郡片曽根村舟引
 羽山神社の祭典(現時は廃止された)における婿いじめは、更に人格を無視した野蛮なるものであった。祭典は旧十一月十五日から三日間でこの折に三尺余りの木刀を作り、先を怪しげなる形に拵え入婿に持たせて太刀舞をさせる。婿は裸体となり木刀を持って舞うが、そのとき立会の多くの若者は声を揃えて『先達坊の木の××は、中にキリキリキン妙堂、あたりはキラキラ総りん塔、先達坊の木の××は、あたりはビンロ山かた、山かたの餓鬼どもは、いろりの傍にワナかけて。親爺の××ぶっちめて、かかあに事をかかせた、木にて作って×××めろ、あれしてドッコイ、ヨイトコサ』と歌う。これが終わると入婿は更に裸体のまま木刀を杖につき鳥居前に跨りて大声あげて、自分の女房の名を三度呼び『××を洗って××けて待っていろ』と唱え下山する。

伯耆国西伯郡大山村赤松
 四年に一度、即ち閏年の二月一日から凡そ一週間余りの期日に亘って荒神講を催し、この折に藁千二三百束を要して作った大きな蛇(この蛇の体には大きな睾丸が中程のところに拵えてあるのか奇なる特徴である)を村の荒神祠へ担ぎ込む奇習がある。そして担ぐのに睾丸より前部は若者連中、後部は古参の亭主連中であるが、睾丸の部分は、この四年間に同村へ来た初婿さんが担ぐことになっている。しかしこの睾丸担ぎは中々苦しい役目であり、且つ初婿の嫁さんたちが傍らにいて始終見ているきまりになっているので、恥ずかしいこともこの上ない。しかしこれを担ぐと精力が強くなって子供が早くできると言われている。
 而してかかる類例はまだ各地に亘り夥しきまでに存しているが、今は大体をあらわすにとどめて他は悉く割愛する。

 うわぁ…。お婿さん、かわいそうです 普段の行いが悪いと、よりいっそういじめられるのはどこでも同じのようですね。結構ひどい仕打ちですが、嫁さんが出てきて詫びて終わりになったり、恥ずかしいけど子宝に恵まれるよう願掛けといっしょになっていたり、ある程度頑張ればおしまいという形式が決まっているところは、共同体だからなんでしょうか。
次回も引き続き同じテーマでお送りします。
今回も最後までおつきあいいただき、ありがとうございます

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深い位相にいろんな切り口がありそうで考えさせられました。もっといろんな事例がありそうで、続きを期待したいくらいです。
切り口の一案ですが、対象世界への同化と異化、その背後に本源性保持と解体があるのかなと感じました。
中間に共同性と支配関係。
出口が人間依存(省エネ化)と物量依存かな。
他にも切り口は考えられるので、また意見ください。

  • 大杉
  • 2009年8月18日 00:25

おもしろいですね。
西洋と東洋と言うよりも、日本文化の特異性を感じます。
剣道、柔道はじめ、書道、茶道など、何でも「道」を極めて追求すると言う習性は、現代の物づくり文化につながっているようです。
物づくりで、欧米では物が作れるようになると、どのようにするとたくさんの物を作れるかを追求して儲ける事を追求します。日本人は、作れるようになった商品の質をさらに高めるにはどうすべきかを追求し始めるようです。
生きていく為の基本路線が違っているようですね。
続きを楽しみにしています。

  • アンニョン
  • 2009年8月18日 10:28

こんにちは、大杉さん。
世界への「同化」と「異化」、本源性の「保持」と「解体」。という切り口も考える糸口になりどうですね。日本人を日本人たらしめているのは何か?気になるテーマです。いろいろな切り口で考えてみたいですね。

  • さいこう
  • 2009年8月20日 23:46

こんにちは、アンニョンさん。
>物づくりで、欧米では物が作れるようになると、どのようにするとたくさんの物を作れるかを追求して儲ける事を追求します。日本人は、作れるようになった商品の質をさらに高めるにはどうすべきかを追求し始めるようです。
確かにその違いがありそうですね。気付いていない日本人の特異性はまだまだありそうです。いろいろな角度から日本人とは何か?日本人の可能性を探っていきましょう。

  • さいこう
  • 2009年8月20日 23:54

カッコいい!興味をそそりますね(^m^)

共同体社会と人類婚姻史 | 日本の「人間依存性」、西洋の「人間非依存性」

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