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2009年05月30日

民族芸能の祖=海人

縄文人の渡来ルートとしては、南方系、半島系、北方系の3ルートが考えられています。
それらの重合度合いは、日本の中でも異なっており、それが風習の違いとなって受け継がれていると思います。
今回は、基層のひとつである「海人」に焦点をあてて、南方説を補足したいと思います。
海人とは、海を主なる生業の舞台とし,河川,湖沼で素潜(すもぐ)りする漁民をはじめ,釣漁,網漁,塩焼き,水上輸送・航海にたずさわる人々をいいます。
以下、「海人」を参照・編集させて頂きました。
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【系統と分布】

日本民族の形成過程のなかで,かなり明瞭にあとづけられるのは南方系であり,インド・チャイニーズ系とインドネシア系に大別されよう。
前者は,古典にみえる阿曇(あずみ)系およびその傍系である住吉系漁労民で,中国南部の髪越(びんえつ)地方の漂海民の系統をひき,東シナ海を北上し,山東半島から遼東半島,さらに朝鮮半島西海岸を南下し,多島海,済州島方面を経て玄界裁に達する経路をたどったと推定される。
後者は,宗像(むなかた)系海人と呼ばれ,フィリピン付近海域から黒潮の流れに沿ってバシー海峡,台湾,沖縄,奄美諸島などサンゴ礁の発達した島嶼(とうしよ)を伝って南九州に達したと考えられ,古典にいう隼人(はやと)系に属する。
両系の種族が日本へ達した前後関係は明らかでないが,玄界裁で交差し,混血も行われたであろう。
阿曇・住吉系はしばらく北九州海域を根拠地とし,のち,瀬戸内海中心にその沿岸と島々,さらに鳴門海峡を出て紀州沿岸を回り,深く伊勢湾に入り込み伊勢海人として一大中心点を構成し,さらに外洋に出て東海道沿岸から伊豆半島ならびに七島の島々に拠点をつくった。
それより房総半島から常陸沿岸にかけて分布した。
彼らは航海に長じ,漁労をも兼ねる海人集団とみられる。
これに対し,宗像系海人は,もっぱら手づかみ漁,弓射漁,刺突漁など潜水漁を得意とした。
本拠を筑前宗像郡鐘ヶ崎に置き,筑後,肥前,壱岐,対馬,豊後の沿岸に進出,さらに日本海側では向津具半島の大浦,出雲半島と東進,但馬,丹波,丹後から若狭湾に入り,なお能登半島,越中,越後,佐渡に渡り,羽後の男鹿半島に及んだ。
両系統とも,なかには河川を登上し内陸部へ進み陸化したものもあった。
彼らの定住地の跡には,その記念碑ともいうべき関連地名が残されている。
海部そのままの名や,4~5世紀のころ,朝廷から海人族を宰領する役割を担った阿曇氏に関係あるものが目立つ。

【日本の海士と海女】

記紀以降の古文献に散見される〈あま〉という呼称は,《和名抄》に〈白水郎,和名,阿万〉とあり,《万葉集》などに〈海人〉とも表現され,海とかかわりをもって暮しをたてている漁労者や製塩に従事する人々一般を含んでいた。
しかし,しだいに〈あま〉という言葉が裸潜水漁労者だけに限定して使われるとともに,その中でも男女を区別した言葉や文字が用いられるようになった。
鎌倉時代のはじめ,西行の《山家集》の歌中に,〈年経たる浦の海士人言問はん波を潜(かず)きて幾世過にき〉とみえ,このころすでに男の裸潜水漁労者と〈海女〉を区別して表現していたことがわかる。
男女〈あま〉の使い分けは,江戸時代になるとさらに明瞭で,《和漢三才図会》は,裸潜水漁労者すべてを蜑人(あま)または白水郎(あま)とし,男を海士(あま),女を潜女(かずきめ)というが,〈海士〉は日本だけの呼称だとしている。
さらに,《肥前州産物図考》(1784)中に,海士の項があり,〈鮑を取る事大概図のごとし。浦によりて男海士有,女蜑有,もっこ褌をして腰に越鉄という物を指す也〉とみえる。
こうして,裸潜水漁労者の男女の区別は言葉や文字によりしだいに定着し,現代では〈あま〉のうち,男を海士,女を海女と表示するのが普通になっている。
海士の特性は,もりやかぎを持って潜り,魚類やエビ,亀などを捕獲する伝統を今日に伝えていることで,この点が海女の貝や藻などの採取にとどまることと異なる。
《魏志倭人伝》に〈今倭水人,好沈没捕魚蛤〉とあることは,倭の水人が〈海士〉であることを裏書きする。

【捕採物】

男女による性差分業が認められ,海士は主として海底または近くにすむタコ,エビ,ナマコ,ウニ(ガゼ),遊泳する魚類などをもりやかぎなどの漁具で捕採する。
一方,海女は,アワビ,トコブシ,サザエ,イガイ,カキ,ヤコウガイなどの貝類や,ウニ,ナマコおよび食用となるテングサ,ワカメ,エゴノリ,コンブ,アラメや,フノリ,ツノマタ,カジメなどの糊やヨード剤の原料となるもの,肥料用のホンダワラなどを対象とする。
なかでもアワビは,古代,宮廷の祭儀用に献上する熨斗(のし)鮑として,また近世中期以降中国向け輸出品の俵物として珍重された。

【潜水作業と道具】

古文献に潜水する海女を〈かずきめ〉と記すように,潜水作業をすることを志摩半島や徳島県や伊豆方面ではカズクといい,大分県でスム,その他ではモグルというところが多い。
普通,夫婦で舟を漕ぎ出し潜るフナアマ(フナドとか本アマともいう)と,桶やタンポ(浅い桶形の浮きの下にスカリ網をつるしたもの)を持参して泳いでいったり,海岸の岩礁伝いに歩いて漁場までいくカチド(ダキアマともいう)とに大別される。
潜水沈下速度をはやめ,能率をあげるために分銅を用いるようになったのは比較的新しく,志摩の国崎(くざき)では石に穴をあけて綱を通した素朴な事例が知られている。
一操作をヒトカズキとかヒトクラといい,季節や土地により異なるが,その時間は30分から1時間余,1日2~3回繰り返す。
潜水深度は20ひろ(約36m)に達するものもある。
沖縄・糸満の海士による潜水漁はとくに優れ,ボタンの原料として商品価値の高いヤコウガイやギンタカハマガイなどの貝類を素潜りにより大量に捕採する。
また,サンゴ礁の外縁域に群棲する魚類を,大規模な追網に潜水して追い込んで捕獲するのをアギャーという。
〈魚カケキ〉というかぎ状漁具やもりを持って泳ぎながら魚を突く方法は,南方から黒潮に沿って北上した海士がひろめたものらしい。
台湾の東沖合にある蘭嶼(らんしよ)(紅頭嶼)に住むヤミ族は,農耕とともに,島をとりまくサンゴ礁の好漁場で,日本でいう〈魚カケキ〉に酷似するラランと呼ぶかぎ状の漁具(全長約60cm)を使用して,潜水漁労にいそしむ。

【海人と民俗芸能・文芸】

大和朝廷が稲作農耕を主軸とする生業を基盤に成立し,律令国家が整備されていくなかで,海部(あまべ)は一種のはみ出しものの立場に置かれ,漂泊民となり諸国遍歴の旅に出るものも多かった。
中には,早くから漁労よりも卜占や芸能を身につけ,家々を回って門付を業とする集団もあった。
彼らは遊行の宗教者として,また海の信仰を背景にもつ歌謡,物語,人形劇を持ち回る芸能人傀儡(くぐつ)師でもあった。
彼らが日本芸能史上に果たした役割はきわめて大きい。

古代神話のなかに,海人たちの間に発生,伝承されてきたと思われるものがいくつかあり,それらには周辺諸民族のものとの類似が認められる。
まず,《丹後国風土記》逸文所載の〈水江の浦嶼の子〉は,中世後期に御伽草子が盛行するなかで,〈浦島太郎〉の話となって今日に伝承されている。
主要モティーフは,海神宮訪問―異郷淹留(えんりゆう)―それにまつわる禁止となっている。
そもそもこの浦嶼子説話は,宗像系潜水漁労民の間に伝承され,のちに阿曇系や住吉系漁労民にも受容されて,広域に分布するにいたったと考えられている。
中国内陸湖沼地帯での民話〈洞庭湖の竜女〉は,浦嶼子説話ときわめて似ている。
また,記紀の神代巻にある有名な〈海幸・山幸〉の交換説話の主要モティーフは,いわゆる〈失われた釣針〉型の話で,この類話はインドネシアから西部ミクロネシアにかけて濃厚な分布を示し,その変型は中国内陸水界民の間にもみられる。
これらの類似は,中国内陸部の民族移動と関係があるかもしれない。

【済州島のあま】

日本の海女のように,女性が潜水漁労に従事する例は,世界でも,隣接する韓国済州島の海女以外にはみられないといわれる。
朝鮮史書では《済州風土記》(1629)に〈潜女〉の記載がみられるが,古くは南朝鮮にひろく分布していたらしい。
現在は済州島に限られ,約9000人の潜女が操業している。
この潜女と日本の海女とは,泳ぎ方,潜水作業の方法や道具など多くの共通点が認められる。
違う点は,日本の海女は潜水に際し,サイジとかイソヘコとよぶふんどし様の腰布をつけるが,済州島の潜女は藍色の木綿製水泳着をつける。
また,捕採物は畑の肥料にする馬尾草が主であり,食用の海藻類,貝類は副次的で,農耕生活の一環として行われる。
このような農耕文化の反映を示す点は,海藻類の採れないとき行う潜水賽神に際し,神房(巫人)が粟を海中に撒布し,それが種となって海藻の芽が出るという信仰にあらわれている。

海人が民俗芸能・文芸の祖であるという点は、注目に値するのではないでしょうか?
警戒心を持たれることなく、日本国中をどこでも自由に遊動できる集団は、彼らと修験道者くらいではないでしょうか?
古墳時代以降における情報収集と共認操作という観点からの追及も必要かもしれません。

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comments

ロシア、昔のソビエト連邦ですね。
確かにロシアの実態は良く知らないですね。私のつたないイメージでは日露戦争、モスク、北方領土、民族舞踊(男性がしゃがみながら跳ねるやつ)くらいしか出て来ません。
キリギリスより蟻が利己主義で冷酷な悪人とはびっくり!!
ロシアで少子化?にも、びっくりです。
どのような原因でその様に成っているの?
石油高騰で発言力を増して切れいる不気味な大国なので、その実態を知りたいところです。

  • アンニョン
  • 2009年8月28日 09:26

アンニョンさん、コメントありがとうございます。
ロシアの少子化は、日本とだいぶ事情が違うようで、かなり悲惨な状況のようです。
ちょっと、調べてみるとその原因は…、
工業汚染、世界最速のエイズ流行、結核、心血管疾患、アルコールと薬物濫用、喫煙等が原因でロシア人の子供を作る身体的能力自体、男女共に著しく低下しているとのこと。
また、出産適齢の約1000万人のロシア国民は、失敗した妊娠中絶または不健康のため不妊症になっているらしい。
おまけにロシア男性の平均寿命は59歳(ロシア女性の平均寿命より14歳も低い)のも、少子化の原因となっていて、男性の寿命を縮めている第一原因はアル中(ウォッカ)と言われています。
ここまで来るとロシア大丈夫か?
と言いたくなりますが、ロシアの歴史を調べてみると、さらに悲惨な状況が見えてきます。
この辺は、次回以降にUPしたいと思いますが、世界恐慌が来ても、ロシア国民は当たり前のように乗り切ってしまう忍耐強さを持っているようです。

  • ギニュー特戦隊
  • 2009年8月28日 20:19

非常に興味深い記事です。
実は、小生、学生時代にロシア革命直後のソ連の社会主義建築について研究をしておりました。
革命の理念を掲げた建築物は、それはそれは刺激的だったのですが、混乱する国内情勢(一般住宅の極端な不足等)により結局のところ実現されずに終わったものがほとんどでした。
当時「なんで、建築なんぞが社会主義のプロパガンダになるのか?」と漠然と疑問に思っていたのですが、記事を読んでわかった気がします。また、私たち日本人には到底不可能な、斬新な発想の建築デザインが可能なのもわかった気がします。

  • hayabusa
  • 2009年8月28日 20:25

20世紀「社会主義」のスターリンをはじめとする圧政のもとでは、確かに「二枚舌」と表現される表(体制服従)と裏(体制批判)のロシア人の姿があったと言われています。
しかし最近ではよく知られるようになった話に、ロシア人の親日性があります(一方で、日本はアメリカによる洗脳により反ソ・反ロシア)。
彼らは日本のワビサビ文化や文学などに親近感を感じているようですが、そこに通底する一番の共通点は自然に対する畏敬の念ではないか、と感じています。
ドイツと日本の親近性も指摘されるように、ドイツもロシアも日本も森と共に生きてきた民族。ロシアを題材にした黒澤の映画「デルス・ウザーラ」でも自然と人間の交流が描かれますが、このあたりに通底する意識を感じています。
戦後のCIAによる親米キャンペーンが瓦解しつつある今、改めて冷静に隣国ロシアの姿を見ていく価値は非常に高いと思います。

  • 羊熊
  • 2009年8月29日 16:42

>hayabusaさんへ
コメントありがとうございます。
「蟻とキリギリス」のたとえ話だけでなく、ロシア人とはどんな人達か?
をまとめたサイトが他にもあります。
ロシア人の起源
これを読むと、ますます興味深い人達だな~と思ってしまいます。
>羊熊さんへ
コメントありがとうございます。
親日性に関しては、私も今回調べて意外に思いました。。
最近の日本ブームはある程度知っていましたが、昔から日本びいきの人が沢山いるんですね。
例えば、
ロシア人から見た日本や、
ロシア人(キルギス)と結婚した人のブログ「シルクロードから嫁が来た!!」の
173.知られざる親日国-ロシアの日本びいきは本物?-
因果鉄道999 第63駅『おせち料理はいかが?』
因果鉄道999 第67駅『嗚呼、憧れの京都航路』
等は、庶民のロシア人と生活している人の話だけに興味深いです。
>…自然に対する畏敬の念…
確かにそうかも知れません。
私もいろいろ調べてみます。

  • ギニュー特戦隊
  • 2009年8月29日 19:41

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