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2009年08月14日

集団から個人へ ~集団喪失と女性~

taiheiji04.jpg
前回のシリーズ記事「終戦直後~現在の日本:恋愛結婚と離婚率の増加の関係」で戦後日本の結婚(出会い)の変化、離婚率の増加等のデータを示しました。
今日は、戦後から現代まで、女性の心身に焦点を当ててみます。
婚姻史と共同体社会を扱う本ブログでは、ちょっと番外的な記事かもしれませんが、集団生活が個人生活に置き換わっていく時代の変遷は、女性の身体にどのような影響を及ぼしたのでしょうか。

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■前提条件
終戦直後の日本は、第一次産業に従事する人口が就業人口全体の約50%(49~53%)であったといわれています。農林水産業は、一人では出来ませんから、終戦直後の日本は、まだ集団性の強い村落共同体が色濃く残っていた社会であったわけです。
その後、経済成長と歩調をあわせて、都市生活者が増えてきます。地方の村々から遠く離れた都会に出て、第二次産業、第三次産業に就く人がどんどん増えてくるわけです(現在の第一次産業人口は、全就業人口の14.4%。第二次、第三次産業がそれぞれ、34.0%、51.6%となっています)。
村落共同体から離れて都市に集まった人々は、集団と完全に決別した個人として都市生活を営みます。生まれた場所・育った環境等に全く共通性がない個人の集まり。幼い時分から顔見知りで気が知れた人は、誰もいません。そこでは、顔見知りの中で生活する「安心感」は失われたことでしょう。見知らぬ人に囲まれて「警戒心」が先立つようになっていきます・・・・・・。
■女性の身体変化~月経不順~
突然ですが、ここに、昭和28年当時の女性の月経不順率を示したデータがあります。

~出典:『日本人の性生活』より~
戦直後(昭和28年)の当時は、先述のように、村落共同体が色濃く残存する社会。その一方で、都市に住まう人々も当然ながらいました。
つまり、この時期は、現在では失われた村落共同体と、現在に近い都市生活が並存する非常に珍しい時期であったわけです。したがって、同じ時代で全く違う二つの生活が推し量れる貴重なデータと思います。
で、そんな事を考えながらデータを見てみると・・・・・・
山手・下町といった都市部では、女性の月経不順率は20%近い値を示しているのに対して、農村・山村では10%以下2倍以上の差があることがわかります。対象は同じ日本人ですから、この差は生活環境による違いとみて間違いないでしょう。
■月経不順と心身のストレス
月経不順と心身のストレスは、密接に関係しています。
女性の排卵には、脳の視床下部からゴナドトロピン放出ホルモンが放出され、それが脳下垂体を刺激して排卵を起こす黄体形成ホルモンと卵胞刺激ホルモンを分泌させるという一連の働きが必要です。
視床下部、脳下垂体は、私たちの本能を司る脳幹に位置します。自律神経の中枢です。現代人がストレスから自律神経失調になることからわかるように、心身の影響は自律神経に強く作用します。これと同じ理由で、心身ストレスが、自律神経に影響し交感神経・副交感神経のバランスを狂わせると、月経不順や無月経、ひいては不妊になります
これを裏付けるため、知り合いの女性や女房に話を聞いたんですが、ほぼ全員が心身ストレスの影響が少なくとも月経に対しては顕著に現われると答えました。彼女達は過酷な肉体労働をしている人たちではありません。普通の主婦や会社員です。したがって、現代女性の月経不順の多くは、身体的なストレス(疲労)の影響より、精神的なストレス(心)の影響を強く受けていると推察します。
■現在の女性の妊娠出産に関わる健康状態
昭和28年当時の女性に対して、現在の女性はどうなのでしょうか?そのデータがこれです。
↓↓↓↓↓

未婚女性の場合に限られますが、月経不順率は概ね15%程度です。これは、昭和28年当時の全体値と変わりません。
しかし、これによって浮き彫りになるのは、昭和28年当時の農村・山村の月経不順率の低さ(8%程度)です。かつての村落共同体に暮らしていた女性は、現代人女性の半分以下の割合しか月経に関する問題を抱えていません。逆に言うと、妊娠・出産に関して今よりも倍以上健康であったということです。
■考察
女性の月経を事例としてあげるのは、ちょっとはばかられました。が、心身ストレス、特に「心」の影響を色濃く反映する部分として注目してみました。
結果として、かつての村落共同体に暮らす女性が、現在よりはるかに健康であっただろうと推察するに至りました。
なぜ、現在よりきつい肉体労働を行っていたかつての女性たちが、現代人女性より健康なのか?・・・この原因は、「集団の喪失」にあると考えます。
全てが個人発、個人課題に置き換わった現在に対して、私たち人類が集団生活を行ってきた歴史は、はるかに長い。比率にすると、日本人の場合は戦後65年に対して数百万年。99.9999% 私たちは集団とともにありました。その長い間、飢餓や疫病など(身体的ストレス)におびえつつも、集団の皆から安心感や充足感を得て、互いに「心」を充たし合って生活し、それを頼りに生きてきたわけです。したがって、本能を司る脳幹もその影響のもとで、自律神経(交感神経・副交感神経)のバランスを確立してきたと考えます。
現在では、過去の村落共同体、すなわち、集団があることで得られる安心感や充足感は、もはや体験することはありません。しかし、過去のデータから察するに、心も体も充たされていたであろう時代が、ついこの間まであったのは事実。集団動物である私たちにとっての集団の大切さを物語る事実でしょう。
・・・・・・物言わぬ自律神経の変調。
その一例である女性たちの月経不順が、失われた集団への憧憬と欠乏に映るのは私だけでしょうか?

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comments

>子どもは、現実社会の制約(受験制度など)を受けず、・・・
これは実現論で言うと以下の通りになりますね。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=100&c=1&t=1#04
生物群も、サル類も、複雑な系統樹に分化=進化しているが、その中で始原単細胞から人類を結ぶ直線上に塗り重ねられてきた遺伝子群(の内、現在も有効な遺伝子群)は、単細胞時代の遺伝子を含めて全て現在形において、作動している。そして、それら塗り重ねられてきた諸機能(or 諸本能)は、最も深い位置にあって私たち人間の意識や行動の土台を形成している。(換言すれば、それら無意識の次元で作動する諸機能は、決して人間の意識と無縁ではない。)

  • R
  • 2009年11月24日 13:25

>今回、「人」の遊びを中心考えましたが、他のほ乳類でも同じ様な事が言えるのでしょうか?<
考えてみたのですが、他の動物にはそのような行動(一部は同じとも思えるものも有りますが)は思い当たりませんでした。
とすると、そういう進化の追体験としての遊びを人類だけが行うのはなぜかという疑問がわきますね。
考えられるのは、人類は外圧に適応できるだけの武器となる本能を持ち合わせていないので(人類の持っている本能では他の動物にも負けるので)、過去の生物進化の過程で得た全ての本能を再統合し、その上で共認や観念を使っているのかな?と思いました。

  • 鯉太郎
  • 2009年11月24日 13:35

>人類のDNAに残されている、魚類から両生類、鳥類、は虫類、原始ほ乳類から猿、人への進化の課程の記憶と結びつけた仮説です。(http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=219443)
例えば、
生まれてすぐの赤ちゃんは、水中に入れると自動的に呼吸を止めて、目を開けて泳ぐ格好をするそうです。
(動画→リンク:http://nikohapi.blog105.fc2.com/blog-entry-1203.html)
これは、遺伝子に書き込まれた進化過程の記憶とされ、知恵(観念)が付く前ゆえに出来るのだと言われています。
呼吸を止める事ができるのは、子宮内に満たされる羊水での保育過程の記憶とも言われますが、外圧に即座に適応するための本能なのでしょう。
他にも人類の進化過程の中で、外圧適応するために備われた本能があると思われますが、それらは全て人類の共認→観念機能を豊かに作動させるベースとなっているのだと思います。

  • mine
  • 2009年11月24日 13:41

子どもの遊びは、テレビやゲームで置き換えられないと思います。
生身の人間を相手にするのと機械を通しての疑似体験では、関係能力、同化能力は育たない。一方的に発信してくるテレビやプログラムされた展開しかしないゲーム機では、限界があると言わざるを得ません。
さらに集団で行う遊びから、個人で行う遊びへ向かわせる流れは、日常の『社会』という集団生活と、逆行しているように思えてなりません。
かといって子どもの野外遊びの環境をいきなり昭和30年代初頭の姿に戻すというのも時代錯誤の感がします。
要するに昔の子どもたちが遊びを通じて何を得てきたのか、そのエッセンスを抽出して現代風にアレンジすればいい。その母体としては、既にある保育園や幼稚園、小学校があり、校庭という遊び場もある訳で、環境は揃っている。
後は指導する側が本気で取り組んでいくことだけなのではないでしょうか。

  • オールグリーン
  • 2009年11月24日 16:33

Rさんこんにちは。
進化とは、塗り重ねである。と言う概念はとても重要だと思います。
生命進化の過程で獲得した機能は、私たちの中に刻印されている。
「進化」というと古い機能を捨てて新しい機能を獲得する様に感じますが、そうではなく古い機能に新しい機能が塗り重ねられるという構造。
私たちも無意識のうちにこうした諸機能に基づいて判断、行動しているという事しょうか。

  • yama33
  • 2009年11月24日 21:38

鯉太郎さん、コメント有り難うございます!
引用した記事と同じくらい興味深い仮説だと思いました。
確かに、動物は遊びの中で生存のための本能を磨き上げますが、
人類は遊びの中で、観念機能や共認機能を磨き上げてゆく、と言う側面が有るのかもしれません。
どちらも、遊びの中で外圧への適応を体得してゆくと言う点では同じな訳で、改めて幼少期の「遊び」の大切さを感じます。

  • yama33
  • 2009年11月24日 21:49

『幼少期の遊びは、胎児期に次ぐ“生命進化”の追体験』219443
非常に興味深い仮説(多分その通りだと思います)です。しかし何故そんな事をしているのだろう?他の動物はどうなのだろう?と考えてみました。
◆他の動物との違い
 一般に動物は備わった本能で、自然外圧に適応できるように出来ています。魚は産まれた水の中で泳ぎだすし、馬や鹿は産まれて直ぐ走りだします。鳥も何ヶ月間の親による庇護の後は空を飛び出します。幼少期はその種固有の身体能力をトレーニングする事で大人に成ります。
人類以外の生物はDNAを組変えて体を進化させて、本能で自然外圧に適応できるように成っています。
一方で、人類は自然外圧に適応できるその種固有の身体的本能は持っていません。
人類は集団を形成して共認機能と観念機能を働かせる事で、その集団内に食糧の種類や獲得方法、外敵からの防御方法、男女関係などを、様々に変化させて、外圧に適応させる共認集団を作り変えながら生きてきました。
その結果、砂漠から密林ジャングル、赤道直下からシベリヤ、アラスカの極寒地域まで世界のあらゆる環境に、肉体的にはほぼ同一の種である人類が様々な生活スタイルを共認し適応してきています。
>実現論1_6_04 ヘ.人類:極限時代の観念機能 
この観念機能(特に言葉)は、サルが頼りにする表情や身振りによる共認よりも、遥かに多様で容易な共認を可能にし、共認内容の無限の組み替えを可能にする。従って、観念機能こそ、DNA進化に替わる新たな進化機能=共認機能の完成形態であると言える。
◆人類の子供とは?
人類の赤ちゃんは、とても可塑性に優れた動物のような気がします。
生まれ落ちた地、その環境がどのようなものなのか、改めて定義し直している様に思えます。砂漠地帯での乾燥下で、水は生きていく為の恵みそのものですが、寒冷地では体温を奪う恐ろしく冷たい物でもあります。つまり、生まれた環境下で、あらゆる自然外圧を生物進化の追体験の「遊び」で新たに定義し直しているように思えます。
それは、目的によって様々なソフトをローディングしていくパソコンのように思えます。
①生れ落ちた地における自然外圧を、本能レベルのDATAに刷り込んでおく。(これが、生物進化の追体験の「遊び」なのではないでしょうか)
その上で、人類固有の能力獲得に移る。
②集団生活による共認機能(≒心、同化機能)の獲得
③集団生活によって観念機能の獲得学習
①~③の育成を経て、その地に適応した固有の共認集団が出来てきたと考えています。

  • 文無し
  • 2009年11月24日 21:55

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