2009年08月27日
後期旧石器~縄文時代の日本の植生と食糧事情 3
前回に引き続き今回は縄文時代の地域性に焦点を当てて、縄文時代の食料事情を探ってみたいと思います 😀
1万6500年間の長きにわたり、縄文文化は森と海の狭間で日本列島各地に花開きましたが、日本列島はその南北に細長い島国の特性から、その食料事情は地域性によって違いがありました。縄文中期までは、なんと大きく九つの文化圏があったとされています。
「九つも!?」
そうなんです。縄文時代は一くくりに縄文文化とイメージされますが、実は日本列島のどの地域でも同質のものだったのではなく、現在と同じように気候風土に合わせた地域性を備えた文化群だったんですね。(情報共有の進んだ現在でも地方によって方言や、ご当地料理がまだまだ残ってるくらいですからその方が自然ですね。)
それでは今回はご縄文ご当地食材のご紹介です。それぞれの地域在住の縄文の人々は主にどんなものを食べていたのでしょう?
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縄文早期~中期までの日本列島の気候と植生
図は当時の植生MAP↑↓<図をクリックすると拡大します>
9つの縄文文化圏
「石狩低地以東の北海道/アイヌモシリ 文化圏」 <海獣>
エゾマツやトドマツといった針葉樹が優勢な地域です。トチノキやクリが分布していない点も他地域との大きな違いです。木の実はほとんどとれません。しかし、トド、アザラシ、オットセイという寒流系の海獣が豊富であり、それらが食材の多くを占めていました。また、それらを捕獲する為の回転式離頭銛という独特の道具がこれらの地域では発達しました。
「北海道/アイヌモシリ西南部および東北北部」 文化圏 <木の実・陸上動物・海獣>
石狩低地以東と異なり、植生が落葉樹林帯です。ミズナラ、コナラ、クルミ、クリ、トチノキといった堅果類の採集が盛んに行われました。回転式離頭銛による海獣捕獲も行われましたが、カモシカやイノシシなどの陸上のほ乳類の狩猟も行った点に、石狩以東との違いがあります。
「東北南部」文化圏 <木の実・陸上動物・大型魚・魚貝類・イルカ>
動物性の食料としては陸上のシカ、イノシシ、海からはカツオ、マグロ、サメ、イルカを主に利用していました。魚貝類。前2者とは異なり、この文化圏の沖合は暖流が優越する為、寒流系の海獣狩猟は行われませんでした。
食材的にはとても豊かな地域ですね。
「関東」文化圏 <木の実・魚・貝>
照葉樹林帯の植物性食料と内湾性の漁労がこの文化圏の特徴です。特に貝塚については日本列島全体の貝塚のうちおよそ6割がこの文化圏のものです。陸上の動物性食料としてはシカとイノシシが中心。海からはハマグリ、アサリを採取した他、スズキやクロダイも多く食しました。これらの海産物は内湾で捕獲されるものであり、土器を錘とした網による漁業を行っていたようです。
「北陸」文化圏 <木の実・シカ・イノシシ・クマ>
シカ、イノシシ、ツキノワグマが主な狩猟対象でした。植生は落葉広葉樹(トチノキ、ナラ)で木の実もあります。、豪雪地帯である為に他の文化圏と比べて家屋は大型化しました。
「東海・甲信」文化圏 <木の実・イモ・ユリネ・シカ・イノシシ>
狩猟対象はシカとイノシシで、植生は落葉広葉樹で木の実も豊富ですが、ヤマイモやユリネなども食用としました。打製石斧の使用も特徴の一つです。
「加賀・能登・越前・伊勢湾沿岸・中国・四国・豊前・豊後」文化圏 <木の実・シカ・イノシシ>
狩猟対象はシカとイノシシで、植生は落葉広葉樹に照葉樹(シイ、カシ)も加わります。漁業面では切目石錘(石を加工して作った網用の錘)の使用が特徴ですが、これは関東の土器片による錘の技術が伝播して出現したものと考えられています。
「九州(豊前・豊後を除く)」文化圏 <木の実・魚・シカ・イノシシ>
狩猟対象はシカとイノシシ。植生は照葉樹林帯。最大の特徴は九州島と朝鮮半島の間に広がる多島海を舞台とした外洋性の漁労活動です。西北九州型結合釣り針や石鋸が特徴的な漁具です。
結合釣り針とは複数の部材を縛り合わせた大型の釣り針で、同じ発想のものは古代ポリネシアでも用いられていましたが、この文化圏のそれは朝鮮半島東岸のオサンリ型結合釣り針と一部分布域が重なっていると分析されています。
しかし、九州南部は縄文早期末に喜界カルデラの大噴火があった為、壊滅的な被害を受けてほぼ全滅したと考えられています。
「トカラ列島以南」文化圏 <魚・ウミガメ・ジュゴン>
植生は照葉樹林帯ですが、木の実はあまりとれません。動物性タンパク質としてウミガメやジュゴンを食用としていました。珊瑚礁内での漁労も特徴であり、漁具としてはシャコ貝やタカラガイなどの貝殻を網漁の錘に用いました。九州文化圏との交流もあったようです。
縄文文化の食料依存率
上図は縄文人の食料資源依存率@ですが、各文化圏によってその依存比率には相応の違いがあったのは間違いないようですね。また、中でも特に関東以北~北海道の東北北部までの縄文文化圏では比較的、海の幸・山の幸の食材にとても恵まれていた地域と言えます。
縄文人は木の実ばっかり食べていたイメージがありますが、思いのほか豊富で贅沢な食材を幅広く食していたようですね 😀
- posted by kasahara at : 2009年08月27日 | コメント (5件)| トラックバック (0)
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comments
新しいシリーズ始まりましたね。
>社会秩序の崩壊⇒新秩序形成のためには、崩壊状況にある旧秩序の根底にある婚姻制度自体の歴史変遷における実態を、捉え直し考える必要があると考えます。
同感です。婚姻制度は、男女関係に限らず親子の関係、教育面、老人の役割など様々な場面に関連します。
この追求は今後の新秩序の構築には欠かせません。まず、歴史構造を明らかにしていきましょう。
>さいこうさん
現代の晩婚・未婚・離婚、またセックスレス・少子化問題等、問題は山済みです。現在の男女関係は既存の婚姻制度(一対婚)にしか収束先がない状況ですが、実態として様々な問題を生んでいます。
歴史構造を押さえなおし、現在の婚姻制度を深く掘り下げてみたいと思います。
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