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2010年01月15日

日本語の成り立ち8~弥生語の成立

日本語の成り立ち7~縄文語の復元では見事に縄文後期の縄文語が復元されましたが、続いて今回は、それを下敷きにして「弥生語の成立」を、小泉保著『縄文語の発見』(1998年)より紹介したいと思います。
1 アクセントの型と分布
 弥生語の性格を知るためには、日本全国におけるアクセントの型から検討する必要がある。
 金田一春彦氏は『国語アクセントの史的研究』(1974)の中で、現代日本語のアクセント分布図を掲げて、次のような解説を施している。
図 アクセント
111.jpg
 「日本語諸方言のアクセントは、大きく言って三の類型に分けることができる。第一は東京式、第二は京都・大阪式、第三は一型式である。
 その分布の概略は、<近畿地方を内側として一番中心に京阪式方言が分布し、東京式方言がその周辺の東西南北に行われ、一型式とその他の方言が主として東京式に接して各地に間隙を縫って分布している>という情況である。」
 要するに日本語の諸アクセントは、方言周圏論の枠組みに納まる。
   西                             東
一型式その他 (東京式 (京阪式) 東京式) 一型式その他

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2 一型式進化論
 服部四郎氏は「アクセントの変化は分化よりもむしろ統一へ向かう傾向がある」という大前提に立って、「一型アクセントすなわち無アクセントが原始日本語からもっとも甚だしい変化を遂げてできたものと見るべきではないか」と述べている。平山輝男氏と金田一氏も賛同している。
 しかし、このアクセント進化説に泣き所がある。一型アクセントの地帯は大小さまざまあって、東から西へかけて拾っていくと7地点ほどになる。
(1)奥羽南部から関東北部にかけて
(2)伊豆八丈とその属島
(3)東海静岡県大井川上流地方
(4)北陸福井県福井平野地方
(5)四国愛媛県大洲市近傍
(6)九州、鹿児島、宮崎、熊本、大分、福岡、佐賀、長崎の諸県にわたる帯状の地方、および五島列島の大部
(7)琉球のトカラ列島のうち宝島とその属島
 東北と九州の大地域は別として、八丈島、大井川の上流、福井の一部、四国の西端、トカラ列島内といった僻地に限って、なぜアクセントの型が消滅するまで早急に進化してしまったのであろうか。いや、むしろ奥地や隔絶した島であれば複雑な古形を忠実に守っていてもよいではないか。
 もし、方言周圏論の趣旨に沿えば、こうした一型式の地域こそ日本語の古層をよく保存していることになるから、ここで発想を逆転させて、一型アクセントこそ縄文語の韻律的特性であると考えれば、上に示した地域こそ純朴にその特色を守り通したことになる
3 東京アクセントの形成
 無アクセントが縄文語の実態であるとすれば、複雑な京阪アクセントは弥生語の特徴と見なすことになろう。そして、近畿地方から拡大進出する弥生語に反応して東京式のアクセントが発生したと考えることができる。
 実は、京阪アクセントと東京アクセントは組み立てがまるきり逆になっているのである。
 
 京阪式       東京式
「端」(高高)  ハ(低高) (一類)他に「庭、鳥など」
「橋」シ(高低)  ハ(低高) (二類)他に「石、川など」
「箸」ハ(低高)  シ(高低) (四類)他に「松、笠など」
「雨」アメ(低降)  メ(高低) (五類)他に「猿、婿など」
 京阪アクセントで高で始まる語類は東京アクセントでは低で始まるし、京阪アクセントで低で始まる語類は東京アクセントではきまって高となる。
 要するに、無アクセント地帯の話者が高文化圏の京阪アクセントと対決したとき、語頭の「高低」を「低高」と逆に受容したことになる。すなわち、一型アクセントが京阪アクセントの影響下で東京アクセントを形成したという見方である。
4 弥生語アクセントの発生
 弥生語の特性の一つは複雑なアクセント体系にあるが、こうした体系は自己発生したのか、他から移入したのかのどちらかであろう。
 金田一氏の研究により、京都平安末のアクセント体系には二拍の語について五類の型があることが明らかになった。
一類 ●● (高高)<高>  「端」
二類 ●○ (高低)<下降> シ「橋」
三類 ○○ (低低)<低>  アシ「足」
四類 ○● (低高)<上昇> ハ~ハシ「箸が」
五類 ○◎ (低降)<下降> アメ~アガ「雨が」
 これら五のタイプから、<高><低><上昇><下降>という音の変動を見取ることができる。ここに中国の四声が想起される。現代の北京語には次のような四声が認められている。
 一声     二声    三声     四声
「媽」(55) 「麻」(15) 「馬」(214) 「罵」(51)
 括弧内の1~5の数字は、音の高さを低の1から高の5へと五段階に分けたものである。
 藤堂明保氏は『中国語音韻論』(1957)の中で、北京語四声を次のように抽象している。
 一声(陰平) 二声(陽平) 三声(上声) 四声(去声)
   →      ↑       →       ↓
 藤堂氏が抽出した四声の高、上昇、低、下降は、京都平安末のアクセント体系の類別に対応しているように思われる。すると、弥生時代当初の渡来人は中国語四声を備えた言語を話していた人々ではないかという想定が生まれてくる。すなわち、渡来人は彼らの母語に不可欠な「高、低、上昇、下降」という声調を、習得している縄文語の上にかぶせて弥生語のアクセントを作り出したという見方をここに提唱したい。縄文語は本来無アクセントであったから、ここに弥生語はきわめて特異な性格を帯びるようになったと考える。
5 渡来人の言語と弥生語
 日本へ来入した渡来人は、当時日本で話されていた縄文語の方言を習得したに違いない。
 今から二千数百年前に、断続的に渡来民が山口県と九州北部に上陸し、青銅製や鉄製のすぐれた武器や用具を使用すれば、土着の縄文人を政治的に支配するのにさほど時間を要しなかったであろう。山口組と九州組の渡来人が合体して、強力な北九州渡来人集団が結成され、さらに協力的縄文人を吸収して大和族の中核が結成されたと考えられる。彼らが九州北部を制圧すると、やがて近畿へ向けて東征に乗り出したと思われる。そして、近畿を占有した時点で大和政権が確立するのである。
 したがって、北九州集団の言語が弥生語の原形ということになろう。この原弥生語はかなり混合的成分を含んでいたようである。すなわち、山口県に上陸した渡来人は裏日本縄文語を習得し、北九州に上陸した渡来人は九州縄文語を身につけたはずである。九州縄文語は琉球語との関係において、次回の投稿で解明することになるが、これら二種の縄文語が合体して弥生語の基礎をつくり、次のような複雑な母音体系が形成されたと推測される。
2222.jpg
 中舌のイはそのまま保存されたが、裏日本の中舌のウは九州の平明で唇の丸めを帯びたウに置き換えられ、裏日本の狭めのエとオは九州の母音体系の中に包み込まれてしまった。
 こうした八母音からなる弥生語について、さらに重要なことは前述したような「高、低、上昇、下降」のアクセントがこれら母音の上にかぶさったことである。
 そこで、原弥生語には次のような三組の母音ペアを含むこととなった。
 前舌「イ」(イ甲)と中舌の「イ」(イ乙)
 広い「エ」(エ甲)と狭い「エ」(エ乙)
 広い「オ」(オ甲)と狭い「オ」(オ乙)
 こうしたイ段、エ段、オ段で異なる母音を抱えた弥生語は奈良時代まで引き継がれてきて、いわゆる「上代特殊仮名遣」として残されたと説明することができよう。
6 上代特殊仮名遣
 ここで、上代特殊仮名遣について触れておかなければならない。万葉仮名は漢字を用いて日本語の音を移す工夫であるが、漢字にはおのずと制限がある。漢字音が日本語の音声に似ていなければならない。たとえば、「恋ひ」は奈良時代「コヒ」と発音されていた。そこで、「コ」と「ヒ」の音を表わすのに「古非」という漢字を当てている。「古」の漢字音は当時の日本語の「コ」に相似した音であり、「非」は「ヒ」に類似した音であったことがわかる。
 ところが、「乞ヒ」もともに「コヒ」であるが、「許比」という漢字が用いられている。「古」の漢字音と「許」の漢字音は異なる音を表わしていたらしい。「古」の方を「コの甲」、「許」の方を「コの乙」と名づけて区別し、次のようなグループの漢字が当てられている。
 
 「コの甲」には「古、故、胡、姑、枯、固、高、庫、顧、孤」のような漢字
 「コの乙」には、「許、己、巨、去、居、挙、虚、據、興」のような漢字
 こうした漢字の使用上の相違は「コの甲」と「コの乙」の音声の違いを表わしていると考えていい。この区別は「コ」に限らず、次に示すような音についても取り出すことができる。
 イ段では「キ、ミ、ギ」の三音
 エ段では「ケ、ヘ、メ、ベ」の五音
 オ段では「コ、ソ、ト、ノ、モ、ヨ、ロ、ゴ、ゾ、ド」の十音
 こうした甲類と乙類の書き分けはイ段、エ段、オ段の音節に音声的な相違があったためであるが、これについての解釈として四通りの説がある。その中で、中本正智氏(1990)の見方「イ段乙は中舌のイ、エ段乙は狭いエ、オ段乙は狭いオであったと考える。すなわち、乙類は東北方言の母音と同価である」との立場を取る。
 弥生語は奈良朝時代まで甲乙の区別を維持していたが、やがて甲類が乙類を収容し、現在のような五母音体系を確立することになる。
 子音については、九州と裏日本で大差はなく、これによって連濁現象も説明できるようになる。16世紀の琉球語に、前鼻音有声音「ンディ」や「ンギ」の存在が伺えるが、このことは子音体系がまさに裏日本縄文語のものと一致することを示している。
7 連濁について
 ハト~コバト、トリ~オヤバト、クマ~コグマ、サル~オヤザルのように、語が結合するとき、後にくる語の頭位音が清音から濁音へと交替する現象を連濁と呼んでいる。
 だが、トリ~コトリ、クマ~シロクマと連濁を起こさない場合もあり、その原因は、原則として語中音は濁音化するが、無声化母音の後という条件の下で清音となる、と説明されよう。
 こうした子音の特質はきわめて古い縄文語の特徴と考えられる。弥生語はほぼそのまま縄文語の子音体系を受け継いだ。
 弥生語が成立するにあたり、以上述べたような音韻的な特色を備えたが、形態や統語の面では大方縄文語の伝統を受け継ぎ、さほど大きな変更を加えることはなかったであろう
**********************************
たいへん長くなってしまいましたが、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
日本語の成り立ち4では、
日本語の起源は、弥生人の言語 縄文人の共認内容は、弥生人の共認内容に塗り替えられてしまった  という説を紹介しましたが、
形態や統語の面では大方縄文語の伝統を、綿々と受け継ぎ現代の言語となっていることが明らかになった以上、本当にそう言えるでしょうか。縄文人の共認内容はほぼそのまま残ったと考えた方がいいのではないでしょうか。  
では次回は、日本語の成り立ち7で復元した縄文後期の縄文語に続いて、中期以前はどうだったのかを、お届けします。

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