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2009年12月11日

日本語の成り立ち4~二重層説2

                          画像引用元「東京大学総合研究博物館
%E7%B8%84%E6%96%87.jpg『日本語の成り立ち』シリーズの前回は、村山氏による南方語の上に北方語が積み重なってできたとする 「二重層説」の紹介でしたが、今回は北方語の上に南方語が積み重なってできたとする 「二重層説」を、川本崇雄氏の『南から来た日本語』(1978年)より紹介します。
村山氏は南島語が土着言語で、それがアルタイ化して日本語が成立したと考えておられたようですが、川本氏は南島語は基礎ではなく、後から来てむしろ上層となり、塗り重ねてしまったのだと考えておられるようです。
その理由としては、一般に文法はなかなか変わりにくいが、単語は容易に入れ替えが行なわれること
そして日本語には確実にアルタイ系と見られる単語は少なく、南島系の単語が多いことによるものでした。
しかしこれまで、南島語基礎説を否定できるような明快な理論的な裏づけがないままに時が過ぎてきました。
では、川本氏による南島語基礎説を否定できる明快な理論的な裏づけ(北方語の上に南方語が積み重なってできたとする説)とは何か 、紹介したいと思います。
その前に応援よろしくお願いします。

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★インドの二重層言語事例
川本氏は、クリシュナムティが書いた『ドラビダ語比較言語学』の中に面白い一節を発見 します。
インドは多種多様な言語の存在で有名ですが、現在はおおよそインドヨーロッパ系の言語とドラビダ系の言語の地域に二分されます。ところがインドヨーロッパ系地域に属するヒンディー語などはインドヨーロッパ語の言葉であるにも関わらず、ドラビダ語独特のrが存在し、語順も動詞の前に目的語が立つドラビダ式になっています。
こうした不思議な現実がどんな経過をたどって成立したかを、クリシュナムは歴史的事実を踏まえて理論付けています。

インドはかつてドラビダ族の国であったが、そこへインドヨーロッパ系のアーリア族が侵入し、支配階級となった。
二つの異質な言語が接触した結果、圧倒的多数のドラビダ族が少数のアーリア族の言語を修得する際に、ドラビダ的な特徴を捨て切ることが出来なかった。また少数の支配階級も自分達の正しい発音や文法を多数の民衆に徹底させる事は不可能であった。
その結果、支配階級のアーリア語自体も、世代が代わり数百年が経過するうちに、民衆(引用者注:ドラビダ人)の使うアーリア語に近いものになっていった。
現代のヒンディー語が、インドヨーロッパ系でありながら、ドラビダ語の音声的・文法的特性を具えているのはこのためである。

つまりこれを一般的に言えば、現在インドヨーロッパ系地域に属するヒンディー語とは、多数者の話す土着の言語A(ドラビダ語)の中に、文化的に優れた少数者の話す外来の言語B(アーリア語)が入っていったとき、発音・文法はAを採用する(つまりAに同化する)が、基礎語彙はBのものを保持した言語B’で構成された言語であるといえます。
★南島語は後から来た
古代日本語は基礎語彙はもちろん、圧倒的な単語が南島系ですが、文法・音韻的特徴は、南島語的なものとアルタイ語的なものとが併存しています。
従って、上記の理論に従えば、日本語の語彙はヒンディー語のように外来系のB’であることは明白ということになります。

私はこう推定します。日本列島には縄文時代の末期、アルタイ語的な言葉Aが話されていました。そこへ秀でた稲作文化を担った南島語族が言葉Bをもたらしました。土着の人々は新来の高度の文化を吸収するため、外来の言語Bを競って学びました。
外来の人も土着の人も二重言語を強いられました。自分達の部落に帰れば純粋のBまたはAを用いますが、一たん外へ出ると単語はBのものですが、Aのくせのまじった混合言語B’という共通語を使用しなければなりませんでした。
月日が流れ時代が移るにつれ、外来の人々の家庭では、老人がいくら純粋のBを使用する努力をしても、子や孫は外の同年輩の多くの人々の使用する共通語B’を好むようになります。かくして百年二百年たつうちには、外来の人たちの家にも、B’しか知らない人達が育つようになるのです。
外の世界では古くさい言語AまたはA’と、しゃれた文化語B’が長い間併存を続けます。しかし大勢には抵抗できず、やがてAもA’も亡びてしまったのです。

★共認内容は文法ではなく語彙の中にある
上記のインドの学者の理論に従えば、系統的にはA’はAに、B’はBに属します。そしてその決め手は、昔の言語学者が重視した文法ではなく、むしろ基礎語彙だと川本氏は考えています。つまり、その共認内容は文法ではなく語彙(or基本語彙)に規定されると考えておられるようです。
そのわけは“ダッシュ”付きのない祖先から受け継いでいるのは基礎語彙であり、極論すると基礎語彙しかないからです。
すなわち、稲作を持ち込んだ南島語族(弥生人)の言語が日本語の起源と捉えていることになります。
**********************************
以上、川本崇雄氏の北方基層に南島語を塗り重ねて出来た言語を日本語の起源とする重層説をまとめてみました。川本説はむしろ基本語彙を主軸とした単層説と言ってもいいのかもしれません。
しかし、日本語の起源は、弥生人の言語と考えていいのだろうか 縄文人の共認内容は、弥生人の共認内容に塗り替えられてしまったと考えていいのだろうか
疑問が残ります。
・・・・日本語の起源に関しては、この二重層説の他に、もっと複雑な多重層説を考える方もいらっしゃいます。次はこの多重層説を紹介します。

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日本における妻問婚、婿取婚、嫁取婚という変遷を私は氏族共同体が取り崩されていく過程そのものに見えるので注目しています。
つまり、それまで婚姻は、氏族共同体の内部に包摂されていたのです。
私有権の略奪競争社会になって行く過程で、集団による婚姻が、個人に奪い取られていくのです。
①妻問婚は、氏族共同体に略奪競争社会の男が共同体の『女』を奪いくるのですが、『女』も共同体から出たがらないので、仕方なく男が通ってくるさまに見えます。
②婿取婚は、逆に氏族共同体が『女』を奪いに来た男を、氏族共同体が内部に引き入れたさまに見えます。
③社会全体が私有権の略奪闘争社会になっていく中で、ついには共同体の『女』も、氏族共同体から奪われて出て行ってしまうのが、嫁取婚のようにみえます。
『婚姻』を奪われてしまった氏族共同体は、存続不能で一機に崩壊してしまい私権序列社会に移行していったのだと思います。

  • 猪飼野
  • 2010年3月25日 10:43

こんにちは、猪飼野さん。
>日本における妻問婚、婿取婚、嫁取婚という変遷を私は氏族共同体が取り崩されていく過程そのものに見えるので注目しています。
確かにそうですね。父権観念(私権観念)の顕在化とともに、氏族共同体の解体が同時に進行しているようです。
>③社会全体が私有権の略奪闘争社会になっていく中で、ついには共同体の『女』も、氏族共同体から奪われて出て行ってしまうのが、嫁取婚のようにみえます。
「嫁取婚」の本質は、私権獲得を目的とし娘をより上位の支配階級に嫁がすことではないかと思います。これは、共同性を本性とする「氏族共同体」→私権獲得・存続を第一義とする「家」へと、集団が転換したとも言えそうです。

  • さいこう
  • 2010年3月27日 22:16

共同体社会と人類婚姻史 | 日本婚姻史1~その7:大和時代以降の婚姻制度【嫁取婚(父系制私有婚)の登場】

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