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2010年01月27日

人類の進化-1  ヒトは何種類いたのか?

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これまで私たちは、お金や地位など「私権」を追い求めることが人類の姿であり、より多くの「私権」を獲得するために勉強し、就職し、仕事をするものだと漠然と理解してきたと思います。
しかし現在私たちは、アメリカの没落、金融破綻や大企業倒産という、私権獲得の勝ち組が崩れていくのを決定的な引き金とし、私権獲得ではもはや活力が出ないという事実をはっきり認識しはじめています。
  
  
そして私権追求に替わり、人々の役に立つこと、廻りの人たちに喜んでもらえることが何よりの活力源となることを直感的に感じています。
しかし社会全体を統合するには、何となくこっちの方がよさそう、ではなく、新たな社会の統合原理をしっかりと理解し認識する必要があります。
  
  
これから私たちはどのような社会を作っていくべきなのか、新しい社会の秩序、統合原理はどうなっていくのかという未明課題を考えるには、私たち人類がどのようにして人類になり、進化していったのかという、自然の摂理、人類の摂理をしっかり理解することが欠かせないと考えます。
  
  
当ブログでは、2009年10月に「人類の起源」シリーズの追求をお送りしましたが、今回はそれに続き、人類になって以降どのように進化していったのか、「人類の進化」を追及してみたいと思います。
人類の本質とは何なのか、人類にとって決して外してはならないものは何なのか、追求していきたいと思います。
   
   
先ずは応援よろしくお願いします。

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新シリーズ「人類の進化」の第1回目の今日は、人類進化に関して書かれた「るいネット」の記事から、
【 ヒトは何種類いたのか? 「異種同時共存説」による人類進化】   阪本剛さんの投稿を紹介します。 
  
  
(以下引用)

■たった13年で倍増
 今年( 2001年)3月、ヒトの仲間が、また増えた。
 と言っても、とうの昔に絶滅した化石猿人の話だが。新しい仲間は、ケニアで発見され、ケニアントロプス・プラティオプスという。
 ちなみに新種初期人類の発表は、1999年のアウストラロピテクス・ガルヒ以来で、この間たった2年弱である。
 人類誕生以来、いったいヒト(初期人類)はどれくらいの種が登場したのだろうか。現在、地球に暮らす60億人は、すべてただ1種、ホモ・サピエンスに属する。2万数千年前に、ネアンデルタール人が滅んでから、私たちにはいとこも兄弟もいない孤児となったのだ。人類学に造詣の深いアメリカの科学ジャーナリストのロジャー・ルーウィンが1988年に書いた本は、想定初期人類種数を16種とし、知られているのはその約半数の9種、と書いていた。
 大方の見るところ、ケニアントロプス・プラティオプスは18種めの初期人類だから、たった13年で想定種数を越えたのはもちろん、一挙に倍増したことになる。しかも、研究を待つ化石が目白押しの状態の南アフリカの膨大な標本群が別に控えているから、これからもハイペースで種数は増えていくだろう。
  
  
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ケニアントロプス・プラティオプス

  

■いろんな「ヒト」的な生き物が棲み分けていた
 そう考えられるのは、現在の18種が初期人類のフルメンバーだとはとうてい思えないからだ。例えば地球上の現生生物種は、未発見のものを考えると1億種にも達するという見方がある一方、35億年前に最初の生命が生まれて以来、99%は絶滅し、生き残っているのはたった1%だとされる。すると、地球が育んだ生命は最大100億種にも達した可能性がある。この膨大な生物の多様性を考慮すると、人類だけが例外だとはとうてい考えられないのだ。
 例えば原生種でも、アフリカのサバンナにはライオンをはじめネコ科動物が6種もいる。さらに霊長目は、分類法にもよるが180-200種いる。その中でヒト科は、ホモ・サピエンスたった1種だ。この孤独な現状は、明らかに異常だ。
 さらに傍証を挙げていくと、ヒト科もその中に含まれるヒト上科(類人猿)は、3000万年前ちょっと前頃に姿を現し、その後驚くほど多様な種に適応放散した後、2000万年前以降、台頭してきた旧世界ザルに押されるかのように、一貫して勢力を後退させているという事実がある。歯だけ、下顎片だけという化石種(前者をデンタル・ホミノイドという)も含めれば、ヒト上科は数十種が知られ、しかも同時共存種はかなりの数にのぼった。
 そのうえ探査が進み、種数はなお増え続けているのだ。ひとり初期人類だけが、一時代に2、3種だけの共存だったとはとうてい思えない。
 事実、ケニアントロプス・プラティオプスの発見の報告を載せた「ネイチャー」誌で、アメリカの古人類学者ダニエル・リーバーマンは、これまでアウストラロピテクス・アファレンシスしか見つかっていなかった350万年前から320万年前に新種初期人類が見つかったことから、これ以降、5、6種を越えるヒト的な生き物が、生態的に棲み分けつつ暮らしていたに違いない、と論評している。
  
  
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ホモ・サピエンス

  
  

■出土が特定の地域に片寄るのは何故か?
 さらに現在見つかっている化石初期人類のうち、アジアのホモ・エレクトス、ヨーロッパのホモ・ハイデルベルゲンシス(この種はアフリカ起源だと思われるが)、ホモ・アンテセソール、ホモ・ネアンデルターレンシス(ネアンデルタール人)、中央アフリカのアウストラロピテクス・バーエルガザーリを除けば、すべて東アフリカと南アフリカだけで見つかっている現実は、何を意味しているのだろうか。
 古人類(猿人と初期ホモ属)の分布は東・南アフリカにのみ偏っていたという見方もあろうが、特殊な地質条件のおかげでこの地域で見つかりやすかっただけ、と考えた方がはるかに合理的である。
 つまりチャド以外は未探査の中央アフリカ、全く探査されたことのない西アフリカ、そして東アフリカの大地溝帯のはずれから南アフリカの角礫岩分布地帯までに開いた空白部まで、広大な処女地が手つかずで残されているが、ここにも猿人と初期ホモが棲んでいて、幾種類にも分岐しながら、他の初期人類同様に、子孫を残さず絶滅したという推定は決して空想ではないだろう。
 たぶん人類誕生以後、彼らは急激に適応放散し、アフリカ全土で多様に分岐し、そのほんの一部だけを現代の私たちは認識しているだけなのだろう。たとえ今後も探査が東アフリカと南アフリカに偏った状態のままだとしても、種数がさらに倍増したところで、驚くには値しない。

  
  

■ゴリラとヒトを分けた250万年前の旅立ち
 今日、私たちに最も近い大型類人猿は、種として没落のさなかにあり、特にゴリラは絶滅の危機に瀕している。では大型類人猿の仲間である初期人類だけが、なぜじり貧の親類を尻目に個体数(人口)を増やしたのか。その鍵こそ、直立二足歩行の獲得だった。直立二足歩行を始めた250万年後に、満を持するかのように初期ホモ属は石器を発明し、さらに森の途切れた土地を旅してユーラシアに進出したのである。
 ヒト上科(類人猿)のほとんどの種族は、長い歴史の間に姿を消していった。直立二足歩行を発展させなければ、わずかに歯だけを残して子孫を残さなかったデンタル・ホミノイドのように、ヒトの祖先もまた絶滅していたのかもしれない。
参考資料:河合信和のコラム
  
(以上引用終わり)
   
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ゴリラ
  

  
  
人 類は二足歩行によって道具を使えるようになり人類になったという説がありますが、人類の本質はそこなのでしょうか。
今回の投稿にあるように、様々な人類の異種がそれぞれ進化していった後、「新人」だけが生き残り、現在地球上では人類は1種しかいないという、他の一般的な生物からすれば異常ともいえる事実は何を物語っているのでしょうか。
  
通常動物は、外圧に適応するため本能に基づき肉体を変化させて別の種になって進化していきますが、人類は唯一生き残った1種のまま外圧適応=進化していったという事実は何を意味するのでしょうか。
  
ここにこそ、人類の本質があると思われます。
次回はその辺りを追及していきたいと思います。

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父系制への転換理由が、租税徴収の為と言う仮説は面白いですね。
日本で母系制が残り続けて、父系制に転換しなかった理由は、島国ゆえの外圧の低さ=序列支配徹底の必然性の薄さにあったと言うところでしょうか。
このように考えると、日本は非常に特異な構造にあって、それが日本人独特の体質にも繋がっていると考えられますね。

  • KAZUMA
  • 2010年5月29日 19:37

私権社会では、女性の仕事というものは極めて限られており(洗濯婦、掃除婦など)、女性が社会で職を持って私権を本格的に追求できるようになったのは、1970年代以降です。そのため、それまでの数千年の私権時代に、女性が私権を獲得する手段としては、性を背景とした婚姻によって私権上位の相手と結婚する、という方法しかなかったのではないかと想像します。そのあたりから、男と女の駆け引きといったものが生じるのではないかと思います。

  • daisuke
  • 2010年5月29日 19:42

一対婚と父系制への転換は、支配を強固にし税を搾取するためだった?!
なんとも衝撃的ですが、だとすると父系一対婚の現代は、国家に寄生する金貸し達にとって大変好都合ですね。支配者の論理による制度からの脱却が必要と感じました。

  • tako
  • 2010年5月29日 19:46

>次回は私権存在と化した男と女の力関係などについて見ていきます。お楽しみに
私権存在である男と女の力関係、この辺になるとかなり実感とも伴うと思うので楽しみです。

  • mrran
  • 2010年5月29日 19:47

>闘争存在である男の方が序列原理である私権原理には(本能的に)従順であり、強固でより強い私権集団をつくり出すには父系の方が都合がいいと思われます。
これらの理由から、外圧条件の厳しい西洋では父系制への転換を徹底させたのではないでしょうか。
男が私権原理には(本能的に)従順というのは、面白い。
女はどうなんでしょうか?

  • hikaru
  • 2010年5月29日 19:50

掠奪部族による一対婚制度は、その後も様々な詐欺的行為により集団をとことん解体してきたようです。
以下るいネット「一神教が世界を席巻していった過程2~キリスト教団は結婚詐欺で資産を拡大していった」より。http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=217019
>父権制の宗教の権威者たちは、財産を男の手に置くために、いたるところで古代の母系相続制度を変えていった。ヨーロッパのキリスト教の目的は財産の獲得で、異教の母系相続の制度を打倒することにあった。強制的押収と戦争によって、教会は中世初めまでに大陸の土地財産の3分の1余りを手に入れた [註32]。西暦1200年まで、ヨーロッパの一部では、まだ女性が土地所有者として名前を記録されていて、男は母の部族の名前で身元証明をした。
>10世紀までは、聖職者たちは妻なしでは「飢えと裸」に屈服することになると主張して、財産を獲得するために結婚した。教会法がその制度を改めた。それで1031年から1051年の間に一連の教皇の教令が聖職者に妻を捨て、子どもを奴隷に売るように命じた [註33]。当然、このようにして聖職者によって取得された財産や金銭は、本人の死後教会に没収されることになった。その男の法的な相続人はもはやいなくなったからである。
結婚させた上で、強制的に離婚させ、妻方の財産を一方的に没収するというのだから、これは立派な結婚詐欺である。しかも教団ぐるみの。

  • yooten
  • 2010年5月29日 19:52

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