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2010年04月14日

本格追求シリーズ2 世界婚姻史の構造解明(その1)「第3回 採取時代の婚姻形態 採取部族編1」

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画像は写真館さんよりお借りしました。
前回の「本格追求シリーズ2 極限時代の婚姻形態」に引き続き、今回は採取生産時代初期の婚姻様式を見ていきます。
まずは、婚姻様式の前提となる外圧状況等の把握からはじめたいと思います。
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今回は下図の赤で囲まれた部分を扱います。
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画像の確認
■採取生産時代の社会
※弓矢を発明した後の狩猟・漁労・採集生産を総称して採取生産と定義しています。
●圧力条件の大変化
弓矢の発明によって、人類は外敵と互角以上に闘うことができるようになり、洞窟に隠れ住むしかなかったほどの弱者だったそれまでに比べると、比較にならないほどに自然圧力≒外敵闘争圧力が低下します。
また、当時はまだ人口が少なかったため、人類集団同士が接することはほとんどなく、同類闘争圧力もほとんどゼロの状態です。
●生産形態と男女の婚姻形態
男はそれまでと同様、縄張り防衛=狩猟生産を担い、女は男たちによって守られた安全域で木の実や貝等を採集していました。しかし、防衛力が強化=外敵闘争圧力が弱まるのに従い、より食料が採集しやすい危険なエリアにも進出できるようになります。これにより、男の狩猟生産は次第に形骸化し、女たちの採集物が主要な食料となっていきます。つまり、男と女の生産のヒエラルキーが変化していくことになります。
この変化によって、男女の婚姻形態も変化していきます。
女は極限時代に徹底的に応望存在化⇒性的存在化する(参考:リンク)ことで発達させてきた応望収束回路により、採取生産時代においても男たちの(性的)期待に応えてきたと推測されます。
一方、男は極限時代には凄まじい外圧から性闘争どころではなく、自我を全面封鎖してきましたが、生存圧力が弱まると、集団統合力が低下し、規範収束力も低下してゆくため、次第に性欠乏が上昇してくることになります。
よって、採取生産に移行した大多数の集団において、首雄集中婚は崩れ、乱交制へと移行していったものと推測されます。
●集団の分化と統合
・集団の拡大⇒分化
弓矢の発明によって人類の生産力は飛躍的に上昇し、その後、物理的な縄張りの範囲、集団の人数の両方が拡大していきます。集団が肥大化すると統合が困難になるため、集団を統合ができる大きさに分化する必要が出てきます。生産力は基本的に上昇し続けるため人口=集団規模も拡大し続け、集団の分化が繰り返し行われることとなります。その結果、以下の概念図のような集団形態をとることになります。
※L.H.モルガンによると、世界中の民族調査結果から3列3段のピラミッド編成が一般的であるとのことなので、概念図も3列3段で表現しています。
※最末端の単位集団のうち、血縁を基準に分割された単位集団を氏族と呼んでいます。
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・分化の基準
採取生産の時代には、まだ専門(職能)分化が進んでいないため、集団の分化においては血縁がその基準となっていたと考えて間違いないでしょう。その場合、乱交化している状況では父親は誰かわからず、血縁関係は実際に子どもを産む女の方から辿らなければわからないため、必然的に母系社会となります。
■婚姻制:乱交制から兄妹婚へ
前述のように、採取生産への移行により、婚姻制は乱交制へと転換し、同時に集団規模の拡大に伴って集団が分化していきます。
この分化の基準が血縁となり、かつ分化後の集団においても乱交制が継続されることによって、結果として単位集団内での乱交=兄妹婚となっていったと考えられます。
この兄妹婚の事例には、以下のようなものがあります。「『婚姻論』付 世界の各部族の婚姻形態」より引用して紹介します。
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【ベネズエラの先住民】(写真はリンクよりお借りしました)

●ベネズエラ海岸地方の諸部族
最初に訪れた航海者の記録によると、160 人を収容する共有の大家屋に住み、望むだけの妻を娶り、夫を迎え、欲するがままに相互に棄てるが、それを少しも不正とは思っておらず、嫉妬も存在しない。
※集団が分割される直前(兄妹婚に至る前)の乱交期と推定される。

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ゴーギャンによる「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」(画像はリンクよりお借りしました)

●ポリネシア
マレー制度の事例で、集団内において実の兄弟姉妹の雑婚が行われていたことを示す。全ての血縁関係を、両親、子供、祖父母、孫、兄弟姉妹の5つの語で表現し、父母の兄弟姉妹は全て自分の父母、その子供たちは全て自分の子供、その子供たちは全て自分の孫とされる。即ち、男にとって姉妹とは、全て自分の妻であると同時に兄弟の妻であり、自分の子と兄弟の子を判別するのは不可能であるから、全て自分の子供となる。女の場合には、自分の子供と姉妹の子供の識別が可能であるが、実母と継母は区別されないので、全て自分の子供となる。
※兄妹婚の典型事例。但し、実態は班内乱交であり、中心的には兄妹婚であるが、父子婚・母子婚もあったと考えられる。

●発見当時のハワイ・トンガ
発見当時は、実の兄弟姉妹間の婚姻が行われており、交叉婚に移行した後も、兄弟の妻、妻の姉妹を“我が妻”と呼び、夫の兄弟を“我が夫”と呼ぶ慣習が残っていた。当時の宣教師は、「多夫多妻、姦通、不義、近親相姦、嬰子殺し、夫妻・子・親の遺棄等が頻繁に行われている」と語っているが、婚姻関係を結んでいる大集団を、食糧の確保と相互防衛のために小家族に細分化し、各人はその小家族を随意に転移したことから、外見上、遺棄が多発しているように観察されたのであろう。

次回は兄妹婚以降の婚姻形態について構造化、紹介していきます。

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