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2010年04月15日

日本婚姻史2~その2:地域の教育組織「若衆」「若者組」「娘組」

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前回の日本婚姻史2~その1:夜這い婚とは?に続きまして、2回目の今日は、地域の教育組織「若衆」「若者組」「娘組」について紹介したいと思います。
一定年齢から一定期間加入する「若衆」「若者組」「娘組」などの集団が各地に存在していました。これらはいずれも同世代の青少年が集団生活や共同作業を通して教育・訓練される社会教育組織であったようです。
男女の性を集団の課題としてシステム化している点など、今後の集団のあり方についてアプローチする上で重要な視点になると思います。
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■若衆になるとは?
統合サイト:るいネットよりの引用です。夜這い「オコモリ」1

まず前提として、ムラの男子は年齢毎に、子供組→若衆仲間→中老、という階層組織に属します。
若衆仲間には、だいたい13から15歳くらいに入り、25歳くらいに脱退するのが通常だそうです。ムラにおける若衆の役割はひとことでいえば、軍事、つまり山野や川の防衛と他のムラとのけんかです。(その他にもムラの行事や生産活動もおこないますが)
つまり、若衆はムラを守るという重要な役目をもつ、一人前の男として認められる存在であり、同時にその責を負うのです。そうした若衆を性的にも一人前にしてやる行事、それが「オコモリ」です。他のことは男の年長者から教わるとしても、性(セックス)について一人前になるためには、どうしても女性の協力が必要になるわけです。
ちょっと俗ないいかたをすれば、「筆おろし」の儀式ですね。

統合サイト:るいネットよりの引用です。夜這い「オコモリ」2

さて、「オコモリ」ですが、地域によってやりかたはあるものの平均的なところでいえば、後家さんがその役割を担うことが多かったようです(数が足りない場合は主婦が充てられる)。それも40歳前後の性的に習熟した者が選ばれ、その年に若衆入りする青年とくじ引きで相手を決めたそうです。
その当日は、山中の仏堂などに皆でこもり、まず本尊の前で女たちが般若心経を唱え、それを若衆たちに教える。そして、夜半過ぎになって、一組ずつ布団に入る、という具合だったそうです。そして、雑談まじりに、手取り足取りひととおりの性行為を教えてもらう。
その第1工程が終わると、今度はまた皆で般若心経や御詠歌をあげ、茶を飲みながら雑談(猥談)するのだそうです。そこで、女のほうから、夜這いの作法、女の口説き方、結婚までの心得、女体の特色、大人の性生活、出産のことなどを教えてやるそうです。
そしてまた第2工程に入り、・・・翌早朝に布団をあげて解散、というのが大筋です。
この儀式は、ムラの公式な行事であるわけですが、具体的な相手のことを他言することはタブーであったようです。
以上は、赤松啓介の「村落共同体と性的規範」を参考にしています。
明治から戦前期に各地(主に関西地方)で見られた風習の伝聞です。

若衆になるとは、地域の男として、生産活動における役割期待+性的にも一人前になることが求められていました。
この社会教育組織は、男女の性充足が地域の活力源であるといった考えから成立してきたのではないでしょうか?
それでは、若衆について、もうひと事例紹介します。
■ おこもり(筆下しと水揚げ)を経て若衆入り
日本の性分化より
引用します。

【筆下しと水揚げ】
「夜這い」を実践していた村には、「修験者(山伏)の指導」と考えられる性に関する様式がある。
勿論、村によりかなり多様な形態があり、アバウトなので、全てがこの様式ではないが、およそのところを要約すると、村の男は数え年の十三歳で初めてフンドシを締める「フンドシ祝い」、数え年の十五歳で「若い衆入り」と言う通過儀礼があり、年齢が達すると成人と見做され、「若い衆」と言う成人男子の集団への参加が許される。
この「若い衆入り」を果たすと、「筆下し」と言って、村の女が性行為を教えてくれる。
その相手は、後家、嬶(かかあ)、娘、尼僧と様々で、くじ引きなどで決められる事が多かった為、場合によっては実の母親や肉親がその相手になる事もあった。
その場合でも、ルール上相手の変更は禁じられた。
それは、「筆下し」が若者の成人を手助けし祝う宗教的儀礼だったからで、神社や寺院の堂がその舞台となった。
この辺りに、妙見信仰(真言密教)による「宗教的呪詛」の一端が垣間見える。
この「筆下し」が済むと、漸く公に「夜這い」をする事が許される。
女性の場合は初潮、或いは数え年の十三歳を節目として成人と見做され、おはぐろ祝い、またはコシマキ祝いが開かれ、暫くすると「水揚げ」となる。
この「水揚げ」、親がその相手を探し依頼する事が多かった。
「水揚げ」の相手は、村の年長者で性行為の経験が豊富な事には勿論の事、人柄が良く水揚げ後も娘の相談相手になれる後見人として、村長・村主・庄屋・名主や村役と言った資産も政治力も在る村の実力者の男性が選ばれた。
娘は、水揚げ親に性交術を実践伝授される訳で、つまり「水揚げ親制度」は、娘の将来に渡る後見人を獲得する事は勿論の事、同時に日頃のお礼の意を示す事や一家のその後をその実力者に託す為の人身御供伝説を彷彿させる「貢(みつぎ)の正当化」ではなかったのか?
その水揚げを経る事によって、その娘に対する「夜這い」が解禁となる。
これらは、信仰深い人々にとって「神の計らい」だったので有る。
「夜這い」とは、村落共同体を維持する為の有用な慣習だった。
その規則は住民達によって細かく決められていて、その取り決めは村ごとに異なる。
その差異は、「村の規模や性格によるもの」だとされている。
夜這いが解禁される基準も村によって異なるが、数え年の十五歳という年齢が一つの目安となっている。
これは、武士社会の「元服式」にも通じるから、数え年の十五歳の身体は立派に大人なのである。
自然に成熟する若い男女に、大人としての自覚(社会的責任)を身体の成長に合わせて周りがきちんと教える「理に適った」習慣である。

■若者組とは?
論文:『年齢階梯制について -若者組を中心に-』佐藤 守氏より引用します。
 

若者組の特質は、いうまでもなく村落共同体を維持していくことと深い関係をもつものであった。すなわち、若者組は村落内の各種の労働、消防、夜警、警察、葬式などの役割を分担し、さらに入り会い林野や地先漁場の管理統制、氏神祭典行事の下請け、盆踊りなどを通じて、村落内における伝統的な行動様式の総体としての文化を受け継いでいくものであったからである。そして、そこでは、村落共同体の特質から、村八分や制裁をとおして、村の掟や仕来りに対する恭順や絶対的な服従が求められ、伝統的な行動様式の枠内でのみ、若者たちの自由が許されていたにすぎないのであった。
 村落における若者たちにとって、伝統的な行動様式に従って行動することは、その村落において生きていくための唯一の方法であったといえよう。およそ15歳の年齢になると、およそ大人の体力に近づき、その時点で若者組みに加入していくのであるが、そこでは、それまでの子どもの世界で、特に家族内や子供組で習得してきた行動様式は矛盾なく組み込まれていくことになる。なぜならば、若者組の組織や秩序は、家族共同体の延長、ないし、その擬制化された形態をとっているからである。家族共同体ないし子供組と、若者組のふたつの集団の間には、連続性ないし類似性が認められるといえよう。このように、家族から出発して村落内で相対的に完結していく社会体制においては、その範囲の狭さのために、自分の行動の結果について、はっきりと洞察することができるであろう。自分の将来の職業や性的欲求の処理についても、あらかじめ予定されたルートにしたがって行動していけば、原則的にすべて解決されていくというものであった。そこには、現代におけるような青年の不安、動揺という危機的状況は生み出されてくる余地はないといえよう。いうならば、そこでは、豪u桙e釮里茲Δ福崟椎・簑蝓廚枠・犬靴覆い塙佑┐蕕譴襦・・w)w)【国立情報学研究所 論文情報ナビゲーター(http://ci.nii.ac.jp/)内

■娘組とは?

未婚の女子からなる伝統的な年齢集団。分布は、西日本の主として沿海地方に比較的集中し、東日本には僅少であった。加入は数えの13歳ごろで、結婚によって脱退するのが一般的であった。年長者が娘頭として指導した例もあるが、不定型的集団であり、成文化された規約は存在しなかった。娘組はふつうムラ内にいくつかの娘宿をもち、夕飯後に数名の娘が寄り集まって粉ひき、藁仕事・糸繰り・針仕事などの手仕事を行い、同時にそこへ訪れる若者とのあいだに交歓が行われ、娘たちは宿親や仲間の助言や忠告のもとに将来の伴侶を選定した。つまり娘組の主要な機能は配偶者の選択にあったのであり、若者組のように氏神祭りや村仕事にたずさわることは少なかった。娘組が若者組よりも早期に衰退した一因はそこにある。なお娘専用の寝宿の例は少なかった。
〔参考文献〕有賀喜左衛門「日本婚姻史」『有賀喜左衛門著作集』第6巻、1968、未来社
瀬川清子『若者と娘をめぐる民俗』1972、未来社
平山和彦『青年集団史研究序説 上』、1978、新泉社

子供たちは、大人の仲間入りをするまでの間、様々な人々との重曹的な関係や集団の中で育てられたのであり、そこには大勢の人間が深くかかわって一人の子供を育て上げていく、網の目のような教育システムがあったのである。
今後の集団形成の参考になると思います。

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