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2010年04月20日

日本語の成り立ち(文字編)9~ト辞と殷王朝の風土・文化的背景~

10.gif日本語の成り立ち(文字編)8~ことばから文字へ~において、
文字はもと神と交渉し、神をあらわすためのものであった。そしてそれは同時に、神の代位者である王の権威の確立を助けるものであった。
とあり、
日本語の成り立ち(文字編)7~漢字の起源~では、
文字(漢字)の起源は殷代における甲骨文字にある。
とあるので、
本稿では続いて、甲骨文字が作られた目的、つまり貞ト(ていぼく:うらない)および王の権威付けの在りようを紹介し、殷王朝の風土的・文化的背景を明らかにしたいと思います。
右図は、殷武丁期刻辞牛肩胛骨。東京大学総合研究博物館よりお借りしました。
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ト辞の本質
般庚(ばんこう・安陽の小屯に都を遷した王・前1384年)にはじまる甲骨文字は、漢字として最も古い資料であり、漢字は貞トのために作られたと考えられる。ト辞は第1期の般庚より殷末帝辛(いわゆる紂王、前1112年)に至るまで273年にわたっている。
image202.jpg図1には、右から

「雨ふらざるか」「其れ雨ふらんと。之の夕、允(まこと)に…」「今夕、其れ雨ふらんか」「象を獲んか」

などの諸辞が刻されている。象を捕獲するについて、合わせて晴雨をトしたものである。(当時は象が野生していたのである。)
卜(うらな)いには、獣骨のほか亀の腹甲をも用いた。手足の出る甲橋(こうきょう)の部分をきり開いて、その左右に肯定・否定両形式のト辞をしるし、その裏側に鑽(さん)とよばれる縦の溝、その傍らに灼(しゃく)とよばれる丸いスリバチ形の穴を鑿(ほ)り、その部分を強く灼(や)くと、鑽(さん)の表面には縦線、灼の表面には横線が走る。(その形を文字としたものが「(ぼく)」である。)
image010.jpg図2の亀版には、右方に

「丙辰(ひのえたつ)トして、南(なん:ト辞では南の右偏に「殳」をつける)貞(と)ふ。我は黍年(しょねん)を受(さづ)けられんか」

左方に

「丙辰トして、南貞ふ。我は其れ黍年を受けられざるか。四月」

という占トの辞を刻し、それぞれ5ケ所に鑽灼(さんしょく)のあとがト字形にあらわれている。一から五の数字がしるしてあり、5回連トしているのである。問題の重要性によっては、さらにト数の多いこともある。
ト辞には、その性質上内容の単純なものが多く、その文はおおむね定型的である。貞トは、卜うということよりも、むしろ一つの儀礼として行なわれたと考えられる。しかしときには、かなり複雑な文章をなすものがあって、下図には長文の三辞を刻しており、いずれも旬末に次の一旬10日間の吉凶をトしている。いわゆるト旬の辞である。
image018.jpg三辞のうち最初のものは

「癸酉(みずのととり)の日、貞人の南がトして、次の一旬に異変がないかをトした。王はこれに二つの判断を示した。一つは異常がないが、もう一つのト兆については、兪(ゆ)に祟(たたり)があるであろう。うなされることがあろうと。五日目の丁酉(ひのととり)の日、王が祖王の中丁をまつりしているとき、あやうく祭壇からおちそうになった。聖の祭地にあるときのことである。十月」

ト旬は、のちには王が次の一旬の時間を祓う定例の儀礼となったが、古くは実際に占トのために行なわれた。占トの結果は、王が巫祝長(ふしゅくちょう)として、自ら判断を下した。そしてその判断は、このように必ず事実となってその正しさが証明されるのである。
そこには疑いもなく、巫祝長としての王の占断に誤りがなかったことを、記録としてとどめようとする意識がある。これらの刻辞には、ほとんど赭(あか)の色料が塗りこまれており、重要なものには朱を加えている。このような聖化の方法がとられるのは、巫祝長としての王の神聖性を顕示するためであろう。
古代にあっては、ことばはことだまとして霊的な力をもつものであった。しかしことばは、そこにとどめることのできないものである。高められてきた王の神聖性を証示するためにも、ことだまの呪能をいっそう効果的なものとし、維持させるためにも、文字が必要であった。文字は、ことだまの呪能をそこに含め、持続させるものとして生まれた
またそれを通じて、王の神聖化に奉仕するものとして作られたのであった。神話にささえられていた王朝の権威が、現実の王の神聖性の上にその比重を移したとき、文字が必要とされたのであった。
古代文字の造型
象形文字は図形を主とする文字であるが、その立意を知ることは容易ではなく、考古学的知見や同系の文字の構造を比較することではじめて知られる。以下にいくつか見たい。
image005.jpgimage022.jpgは、鉞(まさかり)の頭部が王権を示す象徴的な儀器であることから、この字をもって王を示すことになった。
この王の字形とよく似た玉製の鉞や、あるいは象嵌(ぞうがん)や文様を多く施した非日常的な青銅の鉞頭が数例発見されている。

image006.jpg image008.jpg士の身分を示すは、同じく兵器の刀部を儀器化した器の象形である。
父権を示すは斧をもつ形にかかれ、金文ではときに鉞をもつ形で示されている。

image012.jpg image014.jpg複合文字であるは、禾を頭に戴いている人の形。禾は稲魂(いなだま:稲の霊、稲の神)をあらわし、これを著けて稲魂に扮した人が祈年(としごい)の舞いをする姿であろう。
これと同系のものに委がある。は禾と女との会意の字で、稲魂を象徴する舞人であろう。
祈年の儀礼には、その生殖力を刺激する呪的な意味から、男女による模擬儀礼がひろく行なわれている。したがって年と委とは、稲作儀礼において、稲魂に扮する男女二神の舞う姿を示したものとみられる。それで年は年穀の稔りを意味し、また委は収穫を積み上げる意にも用いる。

image017.jpg image020.jpg「文字」のは文身(いれずみ)を意味する。文は人の胸部に、文身を加えた象形の字である。おそらく屍体を聖化するための儀式として加えられたものであろう。だから先祖をいうとき、文祖・文考・文母のように、この字を加えてよぶのである。
は、家廟の中に子の立つ形を示している。子が生まれて一定の期間が過ぎると新しい家族として先祖に報告し、家廟に参拝させる加入式が行われる。そのときよび名を定めるが、そのよび名が字、すなわちアザナである。
文身にも加入式の意味があった。子が生まれるといそいで額に墨などで文身をかく。産の上部は額の文身である。成人を彦という。彡は額の文身の美しさを示す記号的な字である。それを施す部分を顔という。死体に加える文身もまた、祖神として、祖霊の一人となることを意味する加入式であった。
これらのことは、古代文字の形象が、それぞれの儀礼や習俗、古代的な観念の上に成立するものであり、その造型のうちに厳密な意味が含められていることを示している。
漢字の故郷
漢字の成立した風土的・文化的背景を、文字の形象あるいはその構造からみてみよう。
が文身の俗を背景として成立したものなら、その文化は古代において文身俗の行なわれた地域、つまり東アジアを中心とする太平洋沿海諸民族のものであろう。文身の俗は内陸には存しない。
が穀霊であり、稲魂を祀る農耕儀礼が字の背後にあるとするならば、そのような農耕儀礼の分布する東南アジア一帯の文化がその基盤にあると考えられよう。
財宝の観念がによって示され、その貝が子安貝の形象を示す事実からいえば、子安貝の流通する範囲をその文化圏として考えるべきであろう。
もし北方のシャーマニズムの観念が、巫祝の俗を示す諸字によって推測されるならば、それらとの交渉も考えるべきであろうし、呪詛儀礼の一つとして斬首祭梟(さいきょう)、すなわち首祭りの俗が放や県・辺の本字である懸・邊などの字形によって知られるならば、後までもその俗の行なわれていた東南アジア諸族との関係を無視することはできない。
が、古くは月ではなく潮水を示す水の形に従うものであったことからすれば、その字は潮の干満の知識をもつ沿海民族の手に成るものであり、また南方を示すが、古くは南人とよばれていた苗族の聖器である鼓の形であるのは、当時江淮(こうわい)の間でこの南人と接触をもつものによって、この字が南を示す文字として選択されたとすべきであろう。
これらのことから、漢字がもと沿海族である殷人の手に成るものであり、この文化圏固有のものであることを確かめうるであろう。
(引用文献) 白川静『漢字-生い立ちとその背景-』 『常用字解』

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comments

>これは非常にインディアンらしくて面白いですね。産まれてすぐに「泣くことが重大な罪」であることを教えこまれると言うのはまさに集団としての外圧適応なんですね。
と言う部分に一番驚きました。赤ちゃんは泣いて当たり前の存在と思っていましたが、確かに、自然外圧の中で「泣く」と言うのはもの凄く危険を伴う行為。
それを、赤ん坊の頃から「罪」であると徹底させるのは、本当に感心させられます。
子育てと言うのは、外圧適応上も非常に重要なことであると言うのを、痛感する内容でした。

  • KAZUMA
  • 2010年8月21日 19:37

>どれも目新しいものはなく、どこかで聞いたような話ばかり。逆に言うと共同体では世界の何処であっても、子育ての違いに大差はないのでは?
引用文を読んで私も同じように感じました。子育ては本来、集団課題なのだと思います。

  • tani
  • 2010年8月21日 19:39

>部族のみんなが見ている前で、氷のように冷たい河の流れに首まで浸されたり、顔に冷たい水をひっかけられたりもしました。そうやって子ども達は、たいへんばつの悪い思いを味わされるのです。
>北西部太平洋岸のネイティブ・ピープルのある部族では、悪いことをした子どもをこらしめる為に、自分の家の前に顔を黒く塗って立たせておくこともありました。他の子ども達が集まってきて笑い者にするので、その子どもは非常にきまりの悪い思いを体験しました。
こうやってうまく周りを使ってしつけをしていたんですね。確かに、お互いが信頼しあっている関係の中では親だけが叱るよりも有効ですね。

  • dou
  • 2010年8月21日 19:43

>声をあげて泣くと、その声で獲物が逃げてしまい、結果的には一族を飢餓におとしいれかねないですし、万一、敵に不用意にその声を聞かれでもしたら、致命的な攻撃を受けないとも限りません。
インディアンの外圧適応しようとする姿勢を感じました。
子供は外圧を感じながら育てていくことで、対象もひろがっていくのでしょうかね。

  • hikaru
  • 2010年8月21日 19:44

>母親は誕生してまもない赤ちゃんがはじめて声をあげて泣き出しそうになったその時から、やさしく鼻をつまんで、泣かないようにしつけをはじめるのです。赤ちゃんもじきに、いつが泣いてはいけないときなのかをさとるようになります。<
安全な日本の環境の中では、「赤ちゃんは泣くのが仕事」と言われますが、集団が存続していくためには「赤ちゃんを泣かないように躾ける。」
今までの子育てシリースの投稿を見ても、
本来、子育てとは「集団課題」だと思いました。

  • yooten
  • 2010年8月21日 19:44

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