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2010年06月12日

日本婚姻史2~その9:これからの社会~男女・集団・活力~

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日本婚姻史2として、これまで・・・・・・
日本婚姻史2~その1:夜這い婚とは?
日本婚姻史2~その2:地域の教育組織「若衆」「若者組」「娘組」
日本婚姻史2~その3:夜這(オコモリ)は女性から若衆への期待
日本婚姻史2~その4:夜這いの解体と一夫一婦制の確立1
日本婚姻史2~その5:夜這いの解体と一夫一婦制の確立2
日本婚姻史2~その6:夜這いの解体と一夫一婦制の確立3
日本婚姻史2~その7:夜這いの解体と一夫一婦制の確立4
日本婚姻史2~その8:赤松啓介と言う人
以上8つのシリーズ記事として書かせていただきました。今日は、その最後になります。
あらためて見てみると、前半(その1~その3)の「夜這い」を中心にした考察は、ことごとく「集団」に帰結していました。すなわち、村落共同体ひいては農村社会を成立たせる有効なシステムとして「夜這い」はあったということです。したがって、形(やりかた)は違えど全国的に見られたらしい。
ともすると、性的な側面が強調され話題の中心になりそうなところですが、それは本質ではない。「夜這い」は、農村集団に育ち生きる人の教育であり、役割であり、和合のもとに活力を維持する答えであったことがわかりました。
後半(その4~その7)の考察は、上記のような村落共同体がなぜ・どのようにして解体されたか、という内容でした。
明治~大正~昭和~戦後と、段階的に国家権力が共同体社会に介入し、分解していきます。特に大きかったのが明治時代の資本主義の導入。富国強兵を標榜する明治政府は、意図的に資本家をつくり出し、人口の大半を占めていた農民を労働者=搾取対象としていきます。集団から個人へ、共有から私有へ、貧富の格差拡大と共に人々の意識の根本が大きく変わり、現在に至ります
現在の私たちは、かつての夜這い等の性風俗に大きな断層というか、別世界のように感じるわけですが、それは、わずか100年余り(場合によっては数十年)の激変の裏返しです。富国を成した日本社会が失って忘れ去ったものは何だったのか。そんなことを考えさせられました。
さて、それでは今日の記事です。前回の記事、民俗学者「赤松啓介」を足がかりに、今後の展望を見ていきたいと思います。
じゃ、いつものやつをお願いします。

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■赤松啓介の言いたかったこと
赤松啓介は、大衆の「性」に切り込んでいった稀有な存在です。その著作は“驚くべき日本人の性風俗”というかたちで紹介されることが多いです。一歩深めて、日本人のおおらかな性を入口に語られることもあります(⇒参考:「赤松啓介~大衆の大らかな「性」を伝えたかった学者~」)。しかし、それではまだ表面的な理解であると思います。以下、るいネットの最近の投稿から引用します。
『赤松啓介に見る実現思考』

赤松民俗学は、共同体の深層に迫る性の描写が特徴的であるが、彼はいかにしてこの境地に至ったのか?
一般的には、常民を対象としそこから深く踏み込もうとしなかった柳田民俗学へのアンチテーゼとする論説が多いが、この見方は不十分だと感じる。
赤松啓介の追究の根源は、おそらく時代を取り巻く状況を深く知るための追究にあるのではないか。
明治以降の日本は富国強兵と殖産興業にあけくれ、それまで豊かだった村落社会は急激に崩壊し、貧富の差は拡大する。
こうして誕生した階級社会に問題意識を抱く、特に下級層の一部は反のエネルギーに傾倒してゆく。
赤松啓介も同様であり、戦前のまだ非合法の日本共産党に入党、治安維持法で検挙され収監された経験を持つ。
しかし赤松啓介の追究は、このような階級闘争に価値を見出し、明け暮れることではなく、今この状況がどうして起きているか、原因は何なのかの追究に向かう。「非常民」の実態を、さらにはそれ以前の性風俗を知るためのフィールドワークがその延長線上にあるということだろう。
「差別の民俗学」の中で、マルクス的な階級闘争の理論的根拠を提出する目的があることを赤松啓介自身が述べているが、本家のマルクスや、それまでの民俗学が欠落させてきたor無視してきた「性」という問題に真っ向から取り組み、事実構造に肉薄することになったのは、彼の実現思考のなせる業であろう。
【参考】
よむ・きく・あるく
松岡正剛の千夜千冊

赤松啓介は、農村のおおらかな一面を記録する一方、その裏側も詳述しています。「外から夜這いに来た奴を見張りの若衆が見つけると、捕まえて裸にして、集団リンチで半殺しにする」という記録もその一つ。人間の一面として否定しえない縄張り争い、性をめぐる争い、蔑視、差別等のドロドロとした実態にむしろ目を向けているのです。
人間という存在を決して美化することなく、近代思想が(意図的に)忌避してきた切り口で、人間集団の事実を追求する。赤松啓介は、都合の悪いことに蓋をした詭弁の論理では社会を変える(=彼の言葉では階級闘争)ことは出来ないとわかっていた人なのです。
現在の私たちが赤松啓介から学ぶべきは、このような生々しい事実追求の姿勢だと考えます。そして「どうしていくか」を肯定的・前進的に考える実現思考が必要であると考えます。
■これからの社会~男女・集団・活力~
これからの社会をどうしていくか・・・。当然、赤松啓介の時代にそのまま逆戻りすることは答えになりません。現代的な視点で個人を、集団を、捉えなおしていくことが必要と思います。
そこで、特に重要になってくる「集団をどうする?」という問題について、一つのヒントを引用をさせて頂き終わりにしようと思います。今の状態でどのようにしたら今後十年 活力を維持できるか?考えながら読んで頂ければ幸いです。
以下ブログ「共同体類グループの挑戦」の記事「『男女役割共認が企業を変える』9~求められているのは「安心できる集団の再生」~」より引用させていただきます。

3/28日なんでや劇場で提示されたように、これから10年はいかに活力を上げていくかが、企業にとって重要な課題となっていきます。そして、そのカギを握るのは、女性の充足力を基盤とした「充足・肯定空間」の形成。
そのためには、単に業務上の役割分担ではなく、女性として、充足存在としての女性の役割を共認していく必要があります(そうでなければ、女性達は安心して充足存在の役割に収束できない)。
(省略)
性的存在=充足存在になることが、仕事でも社会でも、みんなが一番期待してくれていることであり、それが最大の役割なんだと気付けば、女の心は開放され安定する。
まず、女性にとっては充足存在であることが最大の役割期待であり、言い換えれば「仕事」であるように思います。
(省略)
極端にいえば、充足存在である女性がいれば、それだけでその場(空間)では女性と中心とした会話が生まれる。男同士のチームなどでは、それだけでも大きな進歩。会話が生まれれば、お互いの状況や課題、方針などへのやり取りへとつながって行きやすくなります。
まさに、重要な「仕事」です。
そして、女性達が、そういった充足存在であり続けるためには、充足存在としての役割規範だけでなく、それを支える安心基盤としての「集団」が不可欠となります。
(省略)
よって、企業において女性の充足性が十分に発揮されるためには、まず、「企業が安心できる集団となるにはどうする?」を考えなくてはいけないのだと思われます。
3.求められているのは、男女役割共認を軸とした「集団の再生」
ここまで、「企業を活性化していくにはどうする?」「企業という集団は今後、どうなっていくのか?」ということを考えてきました。そして、その「答え(可能性)」は、女性の充足性を最大の価値として認識し、充足存在としての女性を軸に活力を再生していくということでした。
さらに、そこから先は、闘争存在としての「男(=あらゆる状況判断を分析して方針を立て、その方針に則って先頭にたってみんなを導く)」と、充足存在としての「女(=集団内の調和を図り、結束力を高め、みんなの活力を上げていく)」とが、役割分担し、共に支え合っていくことで適応、進化してきたという人類本来の集団の在り方にもつながっていくように思います。
今後、国家、学校、家族といった既存の集団の統合不全がますます顕著になっていくと思われます。その段階で、企業が求められるのはそういった社会や集団をどう統合するかという社会(集団)統合期待であり、企業が担う役割とは、新たな集団の可能性を示すことなのではないでしょうか?
最終的に企業には、男女役割共認を軸として人類本来の本源集団(生産と生殖課題を包摂)を再生していくことが期待されるのではないでしょうか?そして、そのための政策課題として、生産と生殖に関係する制度(労働制度、婚姻制度)をどう変えていくかということが必要となります。

長文失礼いたしました。ここまでお読み頂き誠にありがとうございました。

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■「稲作は残忍性や不平等性を含んで日本煮に伝播してきた。」は、初めて聞きびっくりしました。
稲作は、村落共同体の基本生産手段で平和的な生産手段だと信じていました。
しかし、確かにエジプトや中国など本格的な農業には、土木なども含めて集団力が必要であり武力集団国家の成立(≒身分制度)とセットになっている様に思いました。
そう考えると、日本において稲作農業にて、村落共同体(惣村)を編出して、武力集団でない共同体で、稲作を取り入れたということは画期的な、包容力:改善しながら『飲み込んでいく』力だと思いました。

  • 猪飼野
  • 2010年10月20日 15:52

犬山城

oojijisunです,青春18切符で行きます お城巡りを準備中です、参考になります。

共同体社会と人類婚姻史 | 縄文文明こそ日本文明

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