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2010年08月25日

「本格追求シリーズ3 共同体社会に学ぶ子育て」11 ヘヤーインディアンの社会に見る子育て観

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前回に引き続き、インディアン社会の子育て観について、「子どもの文化人類学」原ひろ子著から紹介します。本日は、ヘヤーインディアンについてです。

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◆生活環境=外圧状況
ヘヤーインディアンはカナダ北西部、北極に近いタイガの林の中で生活し、ムースやカリブなどの動物を狩猟している。この地域は、冬が長く、氷点下50度になることもまれではない。凍死と飢えの恐れに晒された凄まじい自然外圧状況下で生活している。

長い冬、氷点下50度にもなるキャンプ地で、獲物が捕れなくなると、彼らはテントをたたみ移動する。そりに乗せられ運ばれる子どもは、泣くと凍傷になる。3歳の子どもでも、ひどい凍傷にかかると鼻や耳がとれてしまうということを知っている。目的のキャンプ地に着いて、大人達はまずたき火をはじめるが、顔が半ば凍傷になりかけた子ども達は、すぐに火のそばに近づけない。凍傷部分の肉が落ちるからだ。まず雪で顔を溶かし、動いて体をほぐしてから、はじめて火のそばに寄れる。

キャンプ地でまかなえる食糧が枯渇しはじめると、まず犬ぞりの犬に食糧を与え、人は我慢をする。「いざ猟だ」というときに、犬が動けなくなるからだ。残されたウサギ一匹をスープにし、肉は一口づつ分け合い、口数少なくテントでじっとして、狩りに出た人が何か獲物を持って帰るのを、二日でも三日でも待つのである。

◆子育て観
このような状況下で、ヘヤーインディアンは集団の活力源となる解脱を非常に重要視しているが、着目すべきは「子育て」を最大の解脱充足源と捉えている点にある。

ヘヤーインディアンは「はたらく」ことと「あそぶ」こと「やすむ」ことをそれぞれ区別している。「はたらく」とは、ムースやカリブを狩猟したり、毛皮をなめしたりすること。「あそぶ」とは、おしゃべりや賭け事、ゲームをすること。「やすむ」とは、眠ったり、守護霊と交信すること。

ヘヤーの人々は、「育児」という活動を「あそぶ」の中に入れている。彼らは、「あそぶ」ことを「はたらく」ことと同等に、生きていく上で重要不可欠な活動と考えており、老若男女問わず、ほんとうに楽しんで子どもを育てている。

「はたらく」とは文字通り闘争課題・生産課題そのものであり、「あそぶ」「やすむ」は解脱であると位置付けられるが、「育児」はヘヤーインディアンにとって、「あそぶ」ことに位置付けられているのである。その意識は、子どもを「育てる」と言うよりも、「自分達が子どもに楽しませてもらっている」、厳しい外圧に対峙する上での「活力をもらっている」と言う方が的確である。
(日本人が子育てに対して抱くような)しつけ意識は全くと言っていいほど見られない。そのため、子どもに対して忠告したり、命令することは皆無のようである。子どもは大人が「育てる」「しつける」ものではなく、「厳しい自然外圧に対峙し、大人達を真似る中で自然と育っていくと認識している。このような意識でいるからこそ、「子育て」に対して妙な責任意識を抱く必要もなく、充足源として捉えられていると考えられる。
◆子どもの捉え方
ヘヤーインディアンの社会で興味深いのは、「親子のつながり」に対する意識が極めて薄く、容易に養子に出したり、また養子をもらったりする点にある。「自分で生んだ子どもは、自分で育てるのが当然だ」と言う考えは無く、子どもは部族みんなの中で育っていくと認識している。

ヘヤーインディアンは、親子のつながりを日本人ほど強く考えない。親には親の、子には子の運命があると思っている。食糧難の場合、生後すぐ養子に出す。また夫婦のきずなが弱く、別居したり、それぞれ恋人をつくって逢瀬を楽しんだりする。そんなとき、前の夫の子を嫌う場合があり、養子に出したりする。

最低限の生活必需品をそりで運んで移動生活をする彼らにとって、娯楽の種類は限られる。意外なことをしでかして、大人を驚かせたり、笑いに誘い込む子どもは、この上なく貴重な存在と考えている。夫婦の子どもが15歳をすぎて、独立したテントを持つと、二度目の育児生活に入ることも希ではない。夫婦が元気ならば赤ん坊を、少し体力の衰えている老夫婦は、5、6歳の子どもをもらう。彼らは、自分達の子と養子を分け隔て無く育てる。養子となった子がひねくれたりすることもない。

おもしろいことに、養子に出された子どもは、生みの父母を知っている。生みの父母と性関係を持つことは禁じられている。近親相姦のタブーは父母を共にする兄弟にも適用される。

一応「生みの親」と言う観念は存在し、「生みの親」とは性関係を結んではならないと言う集団規範が存在するが、生んだ方も、生まれた方も、その関係性に執着することは全くない。
先述したように子育ては最大の「充足源」であるから、子どもが成長して自立したり、子どもを亡くしたりした小集団(家族単位よりも若干広く流動性のある血縁集団)では、養子を積極的に迎える。一方で、子どもの多い小集団や子ども分の食料がまかないきれない集団では、子どもを積極的に養子に出す。このようにして、部族全体(概ね350人程度)の中で子どもは親子関係に因われることなく移動し、皆が子育ての充足を得られるような社会構造となっている。

ヘヤーインディアンの子育て観は、現代日本社会から見れば、非常に特異的に感じるが、「外圧・生産課題を通しての成長→しつけ意識は不要」「子育ては最大の充足源」「親子意識が無く、部族全体で子どもを育てる」と言った子育て観は共同体社会に共通に見られる意識である。子育て不安の増大、虐待の増加など「子育て」が行き詰まりを見せている現在、このような共同体社会に学ぶことは非常に多い。

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