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2010年12月29日

ローマ時代の女性は、どのようになってしまったのか?

ヨーロッパの一対婚の始まりと、キリスト教の性否定観念
をテーマにヨーロッパの歴史を婚姻制の視点から4回扱ってきました。
西洋人(白人)はいつからどの様にして『一対婚』に転換していったのか
古代ヨーロッパ:ギリシャに農耕伝達~クレタ文明滅亡→ミケーネ文明
古代ヨーロッパ:ミケーネ文明→海の民→古代リリシア停滞期(暗黒時代)へ
気候変動による民族移動→女原理から男原理へ→略奪から観念収束→欺瞞観念による都市国家→滅亡へ
これまでの結果、古代ヨーロッパの婚姻制を俯瞰してみると、次のようになります。
①ミノア文化=母系文化で、平和的繁栄【群婚?】
②ミケーネ文化=掠奪民族に侵略されて父系文化になる。【掠奪婚】
③ギリシャ=掠奪がシステム化され奴隷活用の都市国家。【掠奪婚 ⇒ 一夫一婦・妾制】
(※女=世継ぎの子供を生む道具)
つまり、『一対婚』はいつからどの様にして?の回答は、
掠奪部族の侵略により、戦勝品の分配がルール化される。戦勝品の一つが『女』であり、『掠奪婚』となる。
そして、支配者層は地位・身分の継承、つまり世継ぎの課題として女に自分の子供(息子)を産ませる必要性が高まります。よって女には不倫のタブーが課される。が、男は正妻以外の女を持っても良いと言う男の都合の良い婚姻制度です。これがこの時代の掠奪婚から変化した【一夫一婦制】です。
多くの書籍では、これをもって【一夫一婦制】の始まりと言っているのですが、そういえるのでしょうか?
掠奪してきた女性の中から、他の男に種付けをされないように一人の正妻(跡継ぎを産ませる為に、他の男に触らせない女性)を決めて、囲っているだけと思るからです。、掠奪婚(女性は戦勝品)から、女性は私権闘争の獲得品(私有婚)と変わっただけで、実態はあまり変わっていないように見えます。よって、ギリシャでの婚姻制度は、【一夫一婦・妾制】と呼びたいと思います。
男も女も相手は一人という純粋な【一夫一婦制】は、キリスト教の誕生を待たないとなりません。

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【一夫一婦・妾制】のまま、時代はローマ時代に進みます。
ローマ時代はギリシャ文化を引き継いでいますのでそのギリシャはどのような文化だったのかを確認しておきます。
ギリシャの都市国家は、掠奪闘争が激化して集団を崩壊された生き残りが、集まって新たな掠奪集団を構築して出来た都市。
その思想は、拠り所となる母集団をなくした掠奪集団は、ルール無しのならづ者達だが「利益」の分配共認を統合軸として集団を再統合した。
掠奪闘争を続けるうちに、征服時に皆殺ししてしまうのではなく「奴隷」としてこき使う奴隷制都市国家のシステムを発明し構築。地中海貿易の市場拡大と共に繁栄した。
その後、歴史の流れとしては、ギリシャの都市国家は、ペルシャの攻撃、アテネ・スパルタの対立、シリア帝国の成立などの揉まれて混乱します。
すごく大ざぱにみると、ギリシャ都市たちは、大混乱して、その中の都市:ローマが急拡大して巨大帝国を設立した、となります。
ローマ時代と成るのに、都市国家の集まりギリシャに比べて、広大な帝国のローマが作りえたのは何故でしょうか?
ローマは何故世界帝国に拡大しえたのか①観念統合が上手かった
(掠奪集団たちで国家を作るので、権力が集中してしまわない共和制など工夫が上手かった)
②属国の支配システム(属国の支配者層にローマ市民権を与える。)
③ギリシャに引き続き、「奴隷制文化」で国家を発展させた
④支配層(掠奪文化)の飽くなき欲求に、国家拡大し続けて戦勝品や奴隷の確保することで応えた。
⇒都市国家から世界帝国に発展⇒ローマに富が集中
そして、人類史上最悪の「堕落文化:ローマ」が発生する事になります。
少し長くなりますが、その富の集中と最悪の堕落ぶりを引用します。
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帝国に集まる膨大な富
 ローマが一個の都市国家から世界帝国に発展していくに従って、帝国には膨大な富が集まってくるようになった。その富の集積の第一の原因は戦争であり、相手国から獲得した膨大な賠償金や戦利金(品)、捕虜の売却益(奴隷として売却した)がその源だった。さらに、占領し、属州とした地から徴収した税金や鉱山収入が、相当の利益をもたらしてくれた。
 ローマ国家の国庫には、そのようにして莫大な富が集積していったのであるが、それ以上に、領土拡大は一部のローマ市民個人に多額の財産をもたらす結果となった。そして、そのような海外からの莫大な収入によって、ローマ市に住んでいるローマ市民は、前五八年以降、国家から無料で小麦の配給を受けられるほど物質的に満たされていた。
 では、以上のような豊潤な物質的生活を保障されていたローマ国家の支配層や一般市民は、どのような日常生活を送っていたのだろうか?果たして彼らは直接労働から解放されてあり余った時間を、精神的・文化的活動に費やし、物心ともに豊かな理想社会の建設に向かっていたといえるだろうか?



享楽のローマ
 物質的に満たされたローマ帝国における、富裕階級の贅沢な生活ぶりは、歴史上稀に見るものであったといっても決して言い過ぎではない。その贅沢さは衣・食・住のすべてに及んでいたが、まず、衣と住について、現代イタリアの歴史家モンタネッリの言葉を借りて紹介しよう。「良家の奥方は、朝の化粧に使う時間が三時間を下らず、それに使う奴隷も六人を下らない。浴室はかみそり、はさみ、大小のブラシ、クリーム、おしろい、ポマード、油、石鹸でいっぱいである。ボッパエア(ネロ帝の皇后)は顔の皮膚の老化を防ぐためパックを発明、流行させた。牛乳風呂が毎日のこととなり、旅行に出る時は乳牛の一を引き連れる。美容食、美容体操、日光浴、マッサージなどを教える専門家がおり、新しい奇抜な髪型を工夫して評判をとる美容師もいた。
 下着は絹かリンネルで、ブラジャーが使われ出したのもこの頃である。靴下はなかったが、靴にはいろいろな工夫がこらされ、柔軟ななめし皮製で、踵は高くなり、金の刺繍を飾りに施した。
 冬は毛皮の襟巻きを用いたが、これは北方の属州、特にガリアとゲルマニアに赴任した夫や愛人の贈り物である。宝石は貴婦人たちの情熱をかきたて、四季を問わず豪華に身を飾った」、「上流の邸宅は、大庭園と大理石の柱廊が必ずあり、部屋数は四十以上、メノウ石か雪花石膏の円柱が天井を支え、天井と床はモザイクで飾り、壁には宝石が象嵌され、テーブルはレバノン杉であつらえ、脚は象牙造り、オリエントの錦織りやコリントの壷が展示され鉄製のベッドには蚊帳と数百の召使が付属していた。客一人に給仕二人、寝る時は両足から一ぺんで靴を脱がせるため、やはり二人の召使が伺候した」(インドロ・モンタネッリ著・藤沢道朗訳『ローマの歴史』)。


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美食と飽食
 さて、その衣と住に対する飽くなき志向をかいまみることができだか、それに劣らず、食に対するすさまじい情熱ぶりにもまた唖然とせざるを得ない。
 ローマの宴会の豪華さについては、耳にされた方も多いだろう。ローマの宴会はだいたい四時に始まり深夜にまで及ぶ。この間延々と食べ続けるわけであるが、その量にも驚かされるが、その内容の多さ、贅沢さは現代に匹敵するかあるいはそれを上回るかもしれない。
 ローマ人の美食のために、リビアのザクロ、ガリアのハムとワイン、スペインのピクルスといったものが世界中から運ばれてきたわけであるが、それに加えて、様々な「珍味」が珍重された。例えば、ポィニコプテルス(紅鶴)の「舌」、これは、ローマの散文家セネカによって「王侯的奢侈」、「途方もない贅沢」の見本とまでいわれたという。その他反芻を行う唯一の魚類であるスカルスという魚の内蔵、ロンブスやアキペンセルという魚などが、いずれも遠方でしか捕れず手に入りにくいという希少性だけで、珍重され、「奢侈により食欲を新たにするため、宴席を有名に」(ペトロニウス著・岩崎良三訳『サテュリコン』)したと当時の散文家ペトロニウスは評している。「牡蠣や雲丹も珍重された。牡蠣はキルケーイーとか、ブリタニアの海岸とか、バイアィのルクリヌス湖などのものが貴ばれ、ルクリヌス湖のものは養殖であった。雲丹はミーセーヌムのものとされた。(中略)ボーレートゥスという蕈も珍重された高価な料理であった」(弓削達著『素顔のローマ人』)。
・・・・・・・・・・・・中略・・・・・・・・・・・・・・・・
 このような傾向は、獣肉についても同様で、豚やウサギなどの普通の肉では満足することができず、豚の乳房とか子宮などが珍重されていたが、その中でも特に孔雀は貴ばれた。ローマ人が孔雀を珍重していることについて、ローマの詩人ホラティウスは次のように皮肉っている。「……虚栄に心を奪われているからだ。珍しい鳥だというので、黄金を似て買わねばならないし、色どった尾が見事な光景を呈しているからだ。そんなことはいくら価値を添えるわけではあるまいに。……肉は鶏と大差がないのに、美しい外見の差があるために惑わされて、鶏よりも孔雀を求めようとするのか」(ホラティウス・樋口勝彦訳『サトゥライ』)
・・・・・・・・・・・・中略・・・・・・・・・・・・・・・・
 そして、これは有名な話だが、ローマ人はより味覚を貪るために、宴席で意図的に食べた物を吐くことを習慣としていた。例えば、ウィテリウス帝は、大食漢として知られ、「食事は常に三度、ときには四度にもわたって、朝食と昼食と夕食と夜更けの酒盛りを摂り、いつも嘔吐によって、どの食事も難無くこなしていた」(スエトニウス著・国原吉之助訳『ローマ皇帝伝』)といわれる。あるとき、ウィテリウス帝のローマ帰還を祝って、祝宴が供されたが、そのときには、入念に吟味された二千匹の魚と七千羽の鳥が食卓に供され、ウィテリウス帝自身が奉納した大皿には、ベラの肝臓、キジと孔雀の脳みそ、フラミンゴの舌、やつめうなぎの白子が混ぜ合わされていたという。


性的退廃
 食欲のみならず、性欲においても同様のひどい有り様であった。古代ローマ帝国においては、性的風俗も、退廃の極みといってよい状態に達していたのだ。売春、不貞、同性愛、近親相姦、異常性欲と、現代にも見られる風潮のすべてが、既にこの当時のローマ社会に蔓延していた。
 前一八年に、初代皇帝アウグストゥスは、姦通処罰法を制定しているが(もっとも制定した当の本人が姦通行為を非常に好んだという)、これは裏を返せば、そのような行為が増大していたことを示している。そして、単なる姦通にとどまらず、富裕階級の女性が売春行為を行うケースも見られるようになってきた。古代ローマの歴史家タキトゥスによるとウィステリアという政府高官の夫人が、取締官の前で「淫売の自由をしゃあしゃあと宣言した」(タキトゥス著・国原訳『年代記』)のがきっかけで、前一九年に、祖父、父、夫が騎士身分であるすべての女性に「貞操を金で売ること」すなわち売春行為を禁じる法律が制定されたという。
 このような風潮の最悪のモデルが宮廷だった。クラウディウス帝の皇后であった、メッサリーナは多数の愛人を持つことだけでは飽き足らず、「売り買いされる愛の歓楽も味わってみたいと、娼家でいく夜かを過ごす。娼家の主人に小部屋を提供させ……ふらりと道から入ってくる客で満足を味わったのである」(モールス著『性の世界史』)。
 男性に比べると社会的に制約されているはずの女性ですらこうであるから、アウグストゥス帝を筆頭とする歴代皇帝をはじめとして、ローマ社会の男性が女性以上に「自由」を謳歌していたことはいうまでもない。
 ローマに大小多数の浴場が設けられていたことは有名だが、浴場とはいいながら実際は売春専門を目的とするものが珍しくなかった。この点は、現代の日本の風俗と似通っているのが興味深い。
 カリグラ皇帝の時代には、売春行為による利益に対して、何と売春税なるものが課されるようになっているが(『ローマ皇帝伝』下巻)、これは売春行為が社会的に公認されていることを示すとともに、売春婦・売春宿の多さを物語っているといえる(ただし、先にも述べたとおり、富裕階級の女性が売春することか認められていたわけではない)。
・・・・・・・・・・・中略・・・・・・・・・・・・・・・・
 このような性的狂乱の結果、何が生じたかというと、「堕胎」と、「子捨て」である。「禁欲的な時代にも、後のキリスト教の時代にも、結婚は神聖だったが、この享楽の時代には一時的な冒険にすぎない。子供の養育はかつては国家と神々への義務であり、後生を葬ってくれる子孫なしではあの世の幸を得られぬものと信じられていたが、今や面倒な仕事に過ぎず、子供は邪魔扱いされ、妊娠中絶が流行し、中絶しそこねて生まれてしまうと、『乳の出る円柱』(コルメン・ラクテウス)に捨てればよい。そこには国費で傭われた乳母がいて、捨て子の哺育に当たることになっている」(『ローマの歴史』)。

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【堕落文化】は、装飾品、食、性、殺し合いゲームと、オンパレードです。
その中で、婚姻制度ですが、【一夫一婦・妾制】で、男は自由だが女の不倫は厳しいタブーだったはずが、まったく無視されてしまい、「愛人が3人しかいない妻を持てるのは幸運である」と言われたほど女がもわがままを全開にします。
そして、中心課題であったはずの地位身分の継承課題さえもなげだし、子供は邪魔扱いされ、妊娠中絶が流行り少子化問題が発生します。
婚姻制は、つまり
◎ギリシャの掠奪文化 →支配~属国へシステムを構築したローマ
◎そして、掠奪婚 →私有婚(子に相続する)→【一夫一婦+妾制】
◎ローマに富が集中→堕落文化 →不倫文化⇒【不倫・乱婚制】に成ってしまいます。
そして、ここで注目すべきは【女の性権力が全開】と成ったということです。
日本のバブル期に男を「アッシー君」「ミツグ君」と言っていた『わがまま女』が発生しましたが、その比ではない、わがままの塊の「悪女」が蔓延ったと言うことです。
性的自由が全開となると、性の掠奪闘争は、女が挑発をしておいて与えるかどうかは完全に女の自由となります。つまり、男はあらゆる女のわがままを、受け入れざる得ない。(=性権力)無理難題を言いながらも拒否する『かぐや姫』状態です。
その結果として、女は身勝手でわがままな悪魔のような女に成ってしまいます。
堕落を極めた享楽のローマ時代は、世界一の「悪魔おんな」を発生させた時代と言えるでしょう。
当然に、こんな女はいやだと言う腐敗・堕落を食い止める勢力が発生してきます。
次回は、ローマ時代の「キリスト教」発生について扱います。

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