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2010年12月30日

原始時代の社会期待(6)~縄文時代に広域に広がった黒曜石や翡翠は何を意味するのか?~

 みなさん、こんにちは。今日はシリーズ「 原始時代の社会期待」第6回をお送りします。
 前回は、採取時代に自然圧力が低下し、換わって、同類圧力が高まる中で、贈与や交差総偶婚といった共生適応原理が発動した状況を整理しました。
 今回は、日本の縄文時代に見られる、黒曜石や翡翠の広域にわたる分布が何を意味するのかについて考えてみたいと思います。

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①未開民族に見られる贈与

 未開民族の調査によれば、いくつかの部族が(一方的)贈与という習慣を持つ。そして送られるものは、その部族にとって、最高に価値あるものと認められているものである。この贈与においては直接的な反対給付は要求されない、つまり交換や交易ではない。
 この習慣はおそらく部族間の友好関係を示すものであろう。しかもおそらく潜在的には緊張関係を孕んでおり(全くの同胞的関係であれば、おそらくわざわざ贈与という行為を取らなかったであろう)、そのために何がしかの友好の意思を示す必要があったのではないだろうか。だからこそ逆に日常的必需品ではなく、価値の高いものがその対象になったのではないだろうか?

②集団の統合と成員の充足のための贈与

 自集団も相手集団も価値が高いと認めるものを、相手集団に贈るという行為は、(経済)効率という視点からはマイナスでしかない。しかし、日常的に他集団との緊張関係が続き、集団内の統合も成員充足も脅かされる状況になれば、これを回避しそれらを取り戻すことが本源集団にとっての第一価値であるのは当然である。
 このように贈与というシステムを理解しようと思えば、同類闘争人は何に拠って充足するのか? 集団が統合されて初めて成員の意識も統合される!などの、人類の意識や社会の構造の理解が前提になる。こういうプロセスを経ることによって初めて、現在的課題としての市場を越えて、共認社会の実現に向う事ができるのだと思う。

③縄文時代、広域な交流があった

 日本列島日本海側を中心に一部シベリア東部おいて多方面、広域に広がる黒曜石や翡翠や琥珀の存在は、当時の各集団が何らかの交流関係にあったことの証左であると思われる。
 これらは既に三内丸山遺跡にも(4500年前から3000年前)同時代の他の遺跡でも確認されており、かつ少なくとも三内丸山では上記のものは採掘できない事から、少なくともこの時代では、既に他集団どうしの交流が存在したと類推できる。(つまり同類圧力が存在したということである)

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                    ◆黒曜石の分布

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                    ◆翡翠の分布

画像は『ブナ林と世界史』からお借りしました。

④縄文の交流は、交易ではなく、贈与だった! 

 さて次の問題は、この時代の上記の貴重品が広範に広がっていたのは、贈与によるものか、交易によるものかどちらなのか、である。
 結論から言えば私は「贈与」によるものであると思う。
 何故なら、まずこれだけの広域かつ多方面の広がりからみて、交易である事は考えにくい。何故ならば上記の物品(原石)が採掘できる場所は限られており、かつ仮に交易であれば、一般的に考えて特定の部族間でやり取りされるはずである。つまりこれだけの広域の広がりを説明できない。
 逆に贈与であれば、潜在的な緊張関係のもとでかつ友好の意思を多方面に示す必要性が高く、広域に渡ることが説明がつきやすい。

 
⑤始共同体が他部族に生存を依存するとは考えにくい

 もう一つの理由は原始共同体は自給性が非常に高い事による。交易するということは、他の部族に、自らの生活条件及び生存条件の一部を依存する事を意味する。これは,自給度の高い歴史を積み重ねてきた共同体集団からは、極めて出てきにくい発想である。

⑥交易とは、略奪部族や支配階級発であった

その意味で、私は交易とは自ら生活に必要な生産活動を行わない、遡っても略奪部族、ひいてはその後の支配階級の需要に端を発する様に思われる。また実際交易を後の時代に中心的に担っていたのは、周辺に追いやられた、遊牧部族や海洋部族でその最初の姿は、盗賊や海賊的行為によって得た品の売却であった様である。(つまり半略奪、半交易)
 もし当時の日本列島に少数ながら略奪性の高い部族がおり、それが略奪した品と引き換えに生活上の必需品の一部を得ていたとすれば、交易であるという仮設も成立しうる。しかし私の現在知る知識の範囲内では、そのような部族の存在は確認できていない。
 上記の理由より交易の可能性は極めて少ないと思われる。かつ上記の類推より当時の集団間の関係がおぼろげながら浮かび上がってくる。

 贈与という習慣は、私財を蓄えることが一番の価値である市場社会を生きる私たちの感覚では理解が難しいですが、当時は、他部族との友好が最大の課題であり、価値であったから、最高の価値があると認めるものを贈与していたと考えられます。
 共認充足が最大の価値となった現在、市場社会を超えた新しいシステムを構築する上で、同類闘争を回避し、友好関係を築いた贈与という習慣から学ぶべき点は多いと思われます。

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