2011年06月21日
シリーズ「モンゴロイドの歴史」8~初期中国文明は、西方のチベット族と北方のモンゴル族の中原を巡る覇権争い~
前回(7.中国における社会統合原理の劇的な大転換)の記事では、『新モンゴロイド03』の中国への展開と、1.4万年~4千年前にかけて劇的な気候変動に伴い、農耕文化や牧畜文化を形成し、共同体的母系氏族社会から私有制を伴う父系氏族社会へ大転換を遂げていき、この父系転換と私有制の強まりが、戦争圧力を生み出し、覇権争いの歴史をスタートさせたことをお伝えしました。
今回はその覇権争いの結果、「中原(黄河中流・下流域で、農業には最適の土壌)」に成立した中国王朝の歴史を紹介していきます。
この王朝の誕生も、再び気候が寒冷化し始めた4000年前頃に端を発します。
<気候変動グラフ>
王朝の歴史は【夏】(4000~3500年前)⇒【殷】(3500~3200年前)⇒【周】(3100~2800年前)の順に展開してきますが、この3部族はほぼ同じ時期に形成され並存してきました。
つまり、新部族外からやってきて旧王朝を滅ぼしたのではなく、支配-服属関係(いわゆる下克上)だったのです。
まず最初に覇権を握ったのが【夏】で、それに服属していたのが【殷】・【周】でした。
服属していた【殷】が【夏】を倒し、その後、【殷】に服属していた【周】が【殷】を倒して覇権を握るという流れになります。
<【夏】、【殷】、【周】の位置>
では、それぞれの王朝の成立過程を見てみましょう。
以下は、これまでの記事のバックナンバーです。
1.人類史を追求する意義と視点
2.人類の出アフリカとモンゴロイドの誕生
3.原モンゴロイドの北上
4.南方モンゴロイドの拡散
5.新しい北方適応モンゴロイド=新モンゴロイドの登場
6.モンゴロイドが北方適応形質を獲得したのはいつか?
7.中国における社会統合原理の劇的な大転換
その前に ぽちっと応援お願いします。
まず、中国の譜系を見てみましょう
<中国、朝鮮、日本 系統図>
1.【中国 夏】王朝の成立過程:【夏】(前2070年頃~前1600年頃)はチベット系
リンク:るいネット
(1)4200年前の寒冷・乾燥期:【夏】王朝の誕生
<【夏】王朝>
アジア東部では4200年前ごろから、厳しい寒冷化が始まりました(~3800年前)。
●印欧語族
4200年前から大陸気候が寒冷化・乾燥化し、ステップ草原地帯が拡大していきます。それに伴って、『印欧語族』が馬立て「戦車」の力をもって、ユーラシア大陸中部~西部を席巻しました。(ヒッタイトは、4000年前に製鉄技術を開発し、馬と鉄によって強大な力を誇っていました。)
『印欧語族』が「馬と金属の文明」をもって活発化したため、チベット~モンゴルの遊牧民が押し出されるように中国大陸に流入してきます。(※製鉄技術は、3200年前のヒッタイト滅亡により一気に拡散しました。)
この馬と金属の文明も、テュルク族→モンゴル族→ツングース族へと伝わっていったのです。
●【夏】王朝の成立
4200年前から中央アジアで馬立て「戦車」を発明し強勢を誇っていた『印欧語族』は、タリム盆地へと進出しました。その結果、タリム盆地にいたチベット族による玉突きで、黄河上流域にいた『チベット族(斉家文化)』が、より豊かな土地を求めて東進しました。そして長江の『チベット族(三星堆文化)』と手を組み、洛陽に侵出し【夏】王朝を興しました。【夏】王朝(二里頭文化)は、中国で最初の青銅器文明だと言われています。
そして、「漢字」もこの時代に発明されました。つまり観念力の基盤もこの時期に形成されていたと考えられると思います。
(※【夏】王朝については、良渚文化を担っていた部族が長江氾濫によって黄河に逃げ込み打ち立てたとする説もあります。)
【夏】王朝の主役は、『チベット族』とする説と、長江流域から北上した『南蛮』とする説がありますが、チベット族は先に長江中流にも進出しており、制覇力となる武力の強さという点からも『チベット族』とみなして良いでしょう。(243368)より引用
2.【中国 殷】王朝の成立過程:【殷】(前1600年頃~前1050年頃)は山東省の沿海民族(モンゴル系)
リンク:るいネット
(1)3500年前からの寒冷・乾燥化:【殷】王朝の誕生
<【殷(商)】王朝>
3500年前から3200年前、ユーラシア大陸内陸部で寒冷化と旱魃が進んでいきます。この気候悪化のなかで、中央アジアのスキタイ=シベリア文化の遊牧民は、騎馬に必要な鎧やくつわを鉄器で作り、さらに鉄製の弓や武器をいち早く手に入れ、騎射技術を獲得した騎馬軍団を作り上げます。この騎馬技術は、テュルクやモンゴルに伝播していきました。
3500年前、【夏】王朝に服属していた『殷(商)族(モンゴル騎馬民族)』が反乱を起こし、【夏】王朝を滅ぼして、【殷】王朝を打ち立てます。【夏】王朝の『チベット族(羌族)』は洛陽地域を放棄し、西へと移住していきました。(※【殷】については、【夏】に服属していた『モンゴル族』とする説と、西域からやってきた『トルコ族』とする説があります。)
3800年前頃の楼蘭の遺跡から、ヨーロッパ系白色人種の特徴を示すミイラが見られることから、白人の影響も無視できませんが、中央アジアから起こった戦車の技術を取り入れるのは★『モンゴル族』でも『トルコ族』でも可能です。
むしろ【殷】が【夏】の体制をそのまま引き継いでいること、及び【殷】に起こった漢字の独自性や天信仰から見て、『モンゴル族』による政権とみるべきでしょう。
3.【中国 周】王朝の成立過程:【周】(西周:前1050年頃~前770年)は西北の牧畜民(チベット系・モンゴル系)
リンク:るいネット
(1)周王朝の誕生
<【周】王朝>
3100年前になると、【殷】に服属していた『周族(『トルコ族』or『チベット族』)』が『羌族(チベット族)』と協力してモンゴル系の【殷】王朝を滅ぼし、【周】を建国します。
【殷】は『羌族』を生贄としたといわれるが、初期中国文明は、西方の『チベット族』と北方の『モンゴル族』の「中原」を巡る覇権争いだったということができるでしょう。
4000年前の甘粛と青海地方で『青銅器・黄銅器文化が出現』した様です。リンク
より西方のイラン系遊牧部族から伝わったと考えられるが、
★このことは同時に、いよいよイラン系遊牧部族の侵略圧力に『チベット族』が押され始めたことを示唆しているのでしょう。
★【殷】が周辺部族を討伐し続ける好戦的で侵略性の高い王朝であり、また残酷な支配を続けたのに対して、【周】はそれでは国家の社稷を維持できないと考え、周王は「徳を敬い民を保つ」統治に転換しました。これが後に孔子が理想化した徳治政治に引き継がれていきます。
このように、【周】王朝を建てた部族は【夏】王朝(『チベット族』)の生き残りor【夏】に服属していた『チベット族』の一派らしいと考えられます。
元は同族の『チベット族(羌族)』をはじめとする『周辺部族(南方系やモンゴル族等の北方部族も含む) 』と同盟を結んで【殷】を滅ぼし、建てたのが【周】であろうと考えられます。
4.遊牧民が作った交易ルート
リンク:るいネット
「遊牧社会」と「農耕都市社会」との関係は、平時は、対立闘争関係にあるよりも、密接な経済的共存関係にあった。農耕都市社会は、富の蓄積が進み、文明が発達すればするほど、馬や毛皮、羊毛、毛織物、肉、乳製品、金銀銅錫などの金属器、石材や玉などへの欠乏が高まった。遊牧社会の方でも、農耕都市社会が生産する穀物や絹織物などの手工業製品や塩などを必要とした。
こうして、遊牧地帯と農耕地帯の境界では、盛んに交易が行われるようになった。
しかし、モンゴル高原からカスピ海までを繋ぐ草原の道は、気候変動の影響を受けやすい地域でもある。そのため、寒冷化・乾燥化が進んで草原の道の生産力が下がると、草原の遊牧民はモンゴル高原から黄河流域に南下し、農耕民を征服・支配するという最も効果的な収奪方法を取ることになる。
こうして黄河流域に誕生した国家が、【夏】→【殷】→【周】であった。
『新モンゴロイド03』は中国に展開して以降、黄河流域に【夏】⇒【殷】⇒【周】の王朝を築いていきますが、その歴史はまさしく下克上であった様です。
ここではチベット系⇒モンゴル系⇒チベット系・モンゴル系と征服部族が入れ替わり、激烈な私権闘争の様相を呈しています。これ以降、中国は【秦】王朝へと続き、そこから波及して、タミル人や日本へ繋がる弥生人へと繋がっていくのです。
またこの時代は、「漢字」の発明や「鉄器」による武器の形成など、王朝を統合していくための観念力や武力の発達など、大きく私権闘争へ変動している時代とも云えそうです。
次回は、引き続き中国王朝の譜系である、【秦】、【隋】、【唐】についてお届けします。
ご期待ください。
- posted by kaz-tana at : 2011年06月21日 | コメント (5件)| トラックバック (0)
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皇室や若宮ゆかりの大根焚と粕汁
昭和16年正月頃からラジオ放送を通て日本全土に
愛宕守様(太子・菊花大綬・少尉任官)など信濃守家(源・本家)が
長皇子(明仁親王)など家族を歴代の上屋敷に招き
源氏伝統の連歌の真似事(勉強/小倉百人一首の歌詠)などで
団欒する様子などが一挙生放送されたのを御存知ですか。
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