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2009年05月13日

本源的な風土を残す タイのカレン族

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東南アジアの民族を調べていて、タイのカレン族という民族の事を知りました。実は、このブログの2007年02月12日の記事「『先住民族の居住地域』の世界地図とリストの紹介」に名前だけは紹介されています。
カレン民族は、ミャンマーとタイの国境沿いに暮らす人々で、タイ側におよそ45万人いるといわれています。彼らの暮らしぶりは、昔ながら。今では水稲栽培を行っているそうですが、もともとは焼畑と狩猟採集を行っていたそうです。
そんな彼らの生活からは、古くから続く東南アジアの本源風土を垣間見ることが出来ます。今日の記事は、そのうちで、カレン民族の「成人観」「求愛」「結婚」についてです。

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以下、大東文化大学 国際関係学部のHP内の「結婚考:タイ―カレン民族の成人と結婚」様より引用させていただきます。少し長くなりますが、なかなか面白いです。是非、お付き合いください。
■成人の資格(と カレン民族の暮らし)

カレン民族の村では、20歳になったら成人式というような区切りはない。しかしもちろん彼らにも「子供」と「成人」の問には明確な区切りがあるし、名称も変わる。「子供」はポサホと呼ばれ、一人前になった「青年」はポサクワァ、「娘」はムグノと呼ばれる。そして、「子供」と「成人」の間には大きな隔たりがある。ポサクワァとムグノになると結婚が認められるからである
では彼らはその「子供」と「成人」をどのように識別しているのであろうか。その識別は6歳になったから小学校入学、13歳になったから中学に入学するという近代国家の制度よりはるかに合理的である。彼らは15歳から23歳の間にそれぞれ成人していく。つまりその技能と体力によって成人と判断されるのである
彼らの社会には厳格な男女の役割分担はない。息子がいなければ娘が水牛の世話をするし、母親が遅ければ息子がご飯を炊く。~中略~ しかしそれは一応、代理である。やはり男の仕事、女の仕事というのはある。そして、「成人」するということはこれらの仕事を大人並とまではいわなくても、まあ、そこそこにこなせるようにならなければならない。
男の仕事としてまず挙げられるのは、竹細工である。精米用の丸ザルから衣装入れの丸筒、草刈り用のカゴ、籾運び用のカゴ、部屋に敷くゴザ、銑をしまう鞘と日常品はすべて竹製品で作られている。~中略~ さらに、近代化の影響も顕著となり、村にある小学校を終了することも新しい基準として加わるようになっている。
これらの男の仕事は力仕事が多いために、「成人」として認められるのは、早くても身体が十分できる17、18歳から、遅い場合には22、23歳になることもある。こうして「一人前」の男ができあがる。
一方、家族を守る女たちの仕事は環境の変化にかかわらずに依然、健在である。まず女の子のお手伝いは水汲みと飯炊きから始まる。そして籾を米にする精米を習い、機織りを始める。 ~中略~ その他にも麹を仕込んで米焼酎を蒸留するのも女の大切な仕事である。一家の主となって夫とともに行なうあらゆる儀式に米焼酎が供される。また女の家畜とされる豚と鶏の世話も彼女たちの大切な仕事である。女たちもその技能の差によって個人差があり、15歳から20歳くらいまでの間に「成人」していく。

■求愛

そうして成人したポサクワァ(青年)とムグノ(娘)は人生でもっとも楽しい季節を迎える。つまり恋人捜しが始まるわけである。出会いは人が集まる場所である。焼畑の伐採や田植え、収穫という村々を越えて人手が集まるときや、新年の祭りや結婚式、葬式とやはり村々を越えて人々が行き交うときである。なかでも葬式は想いを打ち開ける決定的なチャンスとなる。
カレンの未婚の男女は2人だけの積極的な接近は許されていない。ところが非日常となる葬式でだけでは、夜半から夜明けまで歌垣によって想う相手に恋を打ち明けられる。さらには卑わいな歌で誘惑することすらゆるされるのである。当然、葬式は若い男女の熱気で華やぎ、死の悲しみを強調するより、死者の「あの世」への愉快な見送りとなる。
こうして気に入った娘を見つけた青年たちは足しげくその娘の家へ通うことになる。娘はその青年を気にいれば、接客用のベランダで相手をするわけであるが、当然、2人きりは許されない。兄弟姉妹が同席したり、青年の方も友達同伴となる。両親は竹壁越しに部屋のなかでもしっかりと2人の会話を聞いている。もし気に入らなければ、娘はわざわざベランダまで出ていかない。兄弟姉妹が代わりに、ときには親が代わりに接待する。こうなると脈なしである。
もし娘の方に恋焦がれる青年がいる場合、切羽詰まれば、両親に仲人を立ててもらって直接、その青年の両親に結婚を申し込むことができる。なにしろここでは結婚申込は女性からとなっている。いくら青年が恋焦がれようとも、じっと恋人からの結婚申込を家で待つしかないのである。こうしてめでたく婚約が整うと、村をあげて式の準備に取り掛かる。

■結婚式

結婚の申込も女性からなら、結婚式も新婦の村で行なわれる。新郎は村人を従え、新婦の村へ結婚の宴に出向くことになる。新婦の村ではどの家でも祝いの米焼酎を蒸留し、客人を待ち受ける。~中略~ 結婚の宴はこれから4日3晩続く。

■新婚生活

その後、数日から1週間くらいして、今度は新郎の新婦を伴った里帰りである。新婦は新郎の両親の前で、飯を炊き、数日してから米焼酎を蒸留する。そしてその焼酎でやはり村神と国神に報告と庇護を求める儀式を執り行なうことになる。この最後の儀式が終わると、2人は新婦の村へ戻り、新郎は少なくとも1年間は新婦の両親の家で彼らを助けて暮らさなければならない。普通は3、4年同居する場合が多いが、そのあとは2人でどこに暮らそうが自由となる。だが、多くの場合、妻の両親の家のそばに新たに自分たちの家を立てて独立することになる。夫の両親の村へ移り住んで行く夫婦は20パーセントくらいとなろう。
婿入り婚で核家族の形態をとるカレン民族の村では、結婚式に掛かる費用は新婦側の負担の方がはるかに大きい。しかし、これは結婚後、新郎が新婦の両親と同居することによってその労働力を提供することで、その収支が合うことになっているのである

現在のタイは、(おそらく)父系一対婚と思われますが、カレン民族は今なお、母系婿入り婚の風習を色濃く残しているようですね。
その風習を支えるのは、村落共同体。20歳になったら自動的に成人とみなされるより、皆に認められて成人になる方が断然嬉しいし安心できると思います。
また、成人男女の求愛の場が「葬式」の場というのは驚きです。若い男女の熱気に満ち、卑猥な歌で誘惑しあうお葬式というのは私達からは想像できませんが、それはそれで楽しそうだと思えるのが不思議なところです。感覚的には、日本にもあった農村の「祭り」と通じるところなのかもしれません。

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comments

 栄養状態の悪い中で何回も出産すると、母親の骨はスカスカになっていくらしいです。なので、一生にそうたくさんは子供を産めなかったはずです。
出産で命を落とすことも多かったことを考えると、内雌外雄で女を成人まで守り育てた上で、出産で母親が亡くなれば、その子は周りの女たちが乳を与えるなどして育てるという、まさに共同体でないと人口が維持できなかったと思います。
そうやって現代まで命が繋がってきているんですね☆

  • まりも☆
  • 2009年8月8日 18:16

まりも☆さん、貴重なお話、ありがとうございます。
楽観視は禁物ですが、縄文時代はそこそこの栄養状態だったかもしれませんね。
ところで、土偶(ほとんどが女性をかたどったもの)を大量に作り続けたのは、一歩間違えば死に至る出産に対する最大限の敬意や祈りだったのではと思いました。

  • 2009年8月9日 23:20

『人口から読む日本の歴史』
楽しみにしています。特に近代になっての人口の急増に興味をそそられます。
◆関が原以降の人口急増
◆明治維新以降の人口急増
などは、早く知りたい、、、、、。
さらに、現代の『少子高齢化』が、どのような経緯を経てあるのかに切り込んでもらえる事にも繋がりそうな気がしています。

  • アンニョン
  • 2009年8月10日 10:41

色々検索しておりまして、
経済システムで検索していたらここにたどり着きました。
とても興味深い記事を書かれていますね。
私の友人ですが、こちらも面白い記事を書いているので、是非遊びに来てくださいね。

http://blog.livedoor.jp/yume2323/

アンニョンさん、コメントありがとうございます。
できるだけ早く続きをUPしたいと思いますので、楽しみにしておいてください。
現代の少子高齢化は難しい問題ですが、時代の歴史的大転換であることだけは確かなようです。
一筋縄ではいかないと思いますので、多方面からの切り口をお願いしたいところです。

  • 2009年8月10日 21:13

小林哲人様、興味深い記事の紹介、ありがとうございます。
『日本は未来社会のモデル』は大変共感できる内容でした。
また寄せてもらいますので、よろしくお願いします。

  • 2009年8月10日 21:22

hermes alegre website 共同体社会と人類婚姻史 | 人口から読む日本の歴史1 第一の波

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