2010年09月23日
共同体の原基構造-1~極限時代に見る「人類の本性」
みなさん、こんにちは。
今回から、新シリーズ『共同体の原基構造』が始まりました。1回目は、本シリーズの課題意識、今後の予定などをお届けします。
なんでや劇場にて、
私権体制の崩壊⇒共同体の時代へ
日本を守るのに右も左もない
「1/31なんでや劇場レポート2 私権体制の崩壊⇒共同体の時代へ」より
また、
今後10年間は充足⇒活力を上げれば勝てる
など、新しい共同体の時代の可能性が提示されました。実際に、今、活力のある共同体的な企業がたくさん誕生し成果を上げているようです。
(写真はコチラからお借りしました)
では、なぜ今、『共同体の時代へ』という認識に可能性を感じ、その実現に向かって課題を突破しようと試みるのでしょうか?それは、それを実現しうる対象的な構造が既に現存のこの社会の内に実存しているからに違いありません。
その一つが『私権体制の崩壊』という状況認識と、人々の意識が’70以降の充足志向・安定志向⇒認識収束・課題収束の潮流が、いよいよ充足発の実現方針(⇒答えを出せる新理論)へと収束してゆこうという段階に入った、という状況認識であり、もう一つが、人類はかつて長い共同体の時代を経験しているという歴史認識です。
しかし、かつて共同体の時代があったからといっても、単純に次は共同体の時代へに移るわけではないはず、まして、以前の共同体に戻ることも出来ません。私権意識が衰弱し、それに替わって顕在化してきた『本源収束という意識潮流』と『共同体の時代へ』を繋ぐ実現基盤があるはずです。
そこで、今回考えたいのが、「なぜ、今、『共同体』が可能性なのか?」であり、「私たち人類にとって『共同体』とは何か?」「その原基構造とは何か?」ということです。それが本シリーズの大きなテーマです。
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- posted by sachiare at : 2010年09月23日 | コメント (4件)| トラックバック (0)