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2010年9月12日

2010年09月12日

日本人の可能性⑫~日本は亜細亜の図書館だった。

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シリーズ「日本人の可能性」。10回以上にわたってお届けしてきたシリーズも、今回が最終回です。
シリーズではこれまで、
①~日本人の基点「勤勉」は、充足発の女原理 
②~西欧と日本の階層意識の違い
③~西欧と西洋の民主制の違い
④~共同性がの差がもたらす東洋・西洋の観念体系の違い
⑤~日本人の持つ舶来信仰とは
⑥~”考えない日本人”のこれからの可能性はどこにあるか?
⑦~なぜ、日本一国が、侵略を免れたのか?(先兵ザビエルの到来)~
⑧~自然音を左脳で聞く日本人~
⑨~漢字が同化能力を伸ばす-1
⑩~漢字が同化能力を伸ばす-2
⑪~漢字が同化能力を伸ばす-5
と扱ってきました。
「日本人の可能性」と大きなタイトルを銘打ったわけですが、一連の記事の中で見えてきたのは一言で言うと「日本人は稀な存在である」ということかと思います。それは、今なお保持されている共同性であったり、肯定性であったり、同化体質であったり・・・これら本源性をベースとして、その上に独自の観念体系(端的な例が日本語)を塗り重ねてきている点によっています。戦後、欧米化する中で考え方が変わり、かなり見落とされてきていますが、私たち日本人が塗り重ねてきたことを見直そう、という訴えでもあったでしょう。
一方で、私たち日本人は、自分が属する小さな集団について考えることはあっても、広く「社会」をどうするか、ということは考えてこなかったという指摘もありました。縄文時代からこれまで、社会変革は度々起こりましたが、それは自発的に起こったものではない。独自の受け入れ体質を発揮して、外からの圧力に受動的に対応して(≒流されて)いった結果である、という指摘です。私たち日本人の「稀」な部分はこのような歴史事実によって形成されてきたわけですが、これから先、本当にそれで良いのか?という疑問は残ります。
そこで、今回は「るいネット」より『日本は亜細亜の図書館だった。』という投稿を紹介します。

(さらに…)

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